どこまで人間と見るか
どこまで人間と見るか 2015年追記
アメリカインディアンに対して
1492年、アメリカをコロンブスが発見して以後、1537年に、ローマ法王が、アメリカインディアンも、アダムとイブの子孫である(すなわち人間である)と認めるまで、45年間かかりました。
・その間に、スペイン人たちは、アステカ王国とインカ帝国を滅ぼしました。先住民は、スペイン人がもたらした伝染病と虐殺でどんどん死んでいきました。
ある程度虐殺と略奪をしつくしてから、今度は原住民にも、キリスト教を広める必要が出てきた時、初めて、人間と認めました。
・オーストラリア原住民に対する態度
1788年に、イギリスが、オーストラリアを植民地化しました。1828年にはイギリス兵士に、原住民のアボリジニを、自由に捕獲殺害する権利と、スポーツの対象として射殺(人間ではないから)してよいと認めました。イギリス人が持ち込んだ病気の蔓延もあり人口が90%減少しました。その結果、タスマニアの原住民は絶滅しました。
キリスト教というものは勝手に、「自分は神によって作られた絶対的な存在であるし、ほかのものは人間のために、ある」という勝手な解釈をする傾向がある。日本では、むかしから、少しくらい自分と違っていても、それを人間と認めるし、人間と他のいきものとでも、連続性や親しみを感じてきた。仏教の影響が大きいのでしょう。
ピグミーに対する食人行為
2003年5月、コンゴにおいて、ピグミーの代表が国連に対して、自分たちを殺して食べる隣人から救ってくれと必死の歎願をおこなった。4年に及ぶ、内戦で、コンゴ政府、反政府勢力ともに「ピグミーに対する食人行為」をしたというのである。一部では、ピグミーの肉を食べると不思議なパワーが授かるというものもいたということだ。これも、ピグミーを人間以下とみなし自分たちと同じ人間と認めないからであろう。この出来事が、昔のことではなくごく最近のことであることが驚きです。
『人間の境界はどこにあるのだろう』
アルベルトによる 2008年岩波書店の本は、人間とは何かを考える上で大変重要な提起を行っています。人権や人間の尊厳が言われるとき「人間」の境界があいまいであっては、「人間の価値」はどうなるのであろうかと。霊長類学や分子生物学の発展は、チンパンジーそしてより人類に近い、ボノボをどうとらえるかという問題がある。遺伝子は98%同じであり、言語や知能などもかなりの能力があると認められている。1995年霊長類研究所の所長である松沢哲郎氏はチンパンジーは人間であるとして、「ちんぱんじん」と呼ぶべきだと主張しています。一度そんな問題もあるのだと、考えてみてはいかがでしょうか。
◎、アメリカ原住民も、オーストラリア原住民も、ピグミーも同じ、ホモ・サピエンスとして同じ人間です。ちなみに現生人と、ネアンデルタール人では99,5%、遺伝子が一緒です。ちなみにホモ属-原人も人間であり、猿人も人類です。
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