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2009年8月

2009年8月31日 (月)

エスニックの街大久保 (2) 韓国料理 11月19日街巡りをします

私のよくいく、韓国料理その1

 大久保百人町、それから、職安どおりに面した店を含めると、韓国料理は150件ほどあります。その中で、私が食べに行ったお店は、ほんのわずかですが、その中で、比較的良い店で、お勧めのお店をご紹介します。

 韓国料理も様々です。従来からの焼肉を中心とした店。焼肉もありますが、家庭料理系の店。海鮮料理の店。そして、参鶏湯(さんげたん)、トーフ料理専門店、薬膳料理などなどいろいろです。また韓国風中華料理もだいぶ増えてきました。  中国東北地方(旧、満洲)には、韓国の歴史ドラマを見てわかったのですが、高句麗や渤海国などは中国東北地方に長年領土があったのでその地に韓国あるいは朝鮮族が住み着いたのがわかります。(朝鮮族延辺自治区)そういう店は犬(狗と書いてあります)の料理が何品もあるのが特徴です。中華料理と韓国料理と両方がメニューに載っています。そして、ホイコーロー(回こう肉)、キャベツと豚肉を中華味噌で痛めた料理ですが、みその代わりにはいっているのがラー油そのものでとてもからくて閉口しました。新大久保駅を出て道路を渡り右へ行くとわずかな距離でそういうお店が5店もあります。

 さて追加の話です。新大久保の昔からある料理店はこの一年で急速に減ってしまいました。何十年もやっていた私の家の二軒隣の扇寿司という鮨屋はつい2月前に閉店しました。林家という軽食堂の店も今年はじめに、びっくりしたのは、長年やっていた、「なまずや」という養殖のナマズを料理する店で、以前秋篠宮も来たという店は、看板のオオナマズを残したまま、韓国料理、「生マッコリ家」に変わりました。内装も新しく、生マッコリは中なかおいしいです。また、ふるくからの、中華料理も時々閉店してピンチです。

韓国料理店のご紹介 (新大久保駅から近い店のみです)

 テジョンデ、(韓国刺身料理) 

新大久保駅降りて右ガードくぐる。そのまま歩いてすぐ。ビルの二階。新大久保ではだいぶ前から営業しています。生キヅクリタイの刺身と、付け合わせいれてなんと5000円、突き出しがたくさんついて4人で食べられます。そのアラを使った鍋もおいしい。佐竹も人間学研究会の懇親会でも何回も行っていて、好評です。新大久保駅歩いて1分 03-3207-8881 夕方5時より 予約した方が良いです。

 大長令(デチャングム)

 新大久保駅から左、パチンコ屋の横入る歩いて1分 比較的広い店でいす席も座敷もある。いろいろな料理があります。比較的おいしい料理が多い。佐竹もよく利用しています。03-3368-4649 この通りにはタイ、ベトナム料理やチュニジア料理など珍しい料理の店が並んでいます。昼から営業です

 味ちゃん(まっちゃん) 

新大久保駅から右のガードくぐり2から3分 周辺に三店あります。本店は風月堂のところ右に入ります。その前のリスボンビルに2号店。焼き肉は安くておいしい。いつも混んでいます。 すぐ近くのとんちゃんという店も2店あります。まっちゃん本店03-5155-8258 今は、牛肉より、サンギョップサルという、豚の三枚肉のほうが人気があります。両方ともかなり混んでいます。昼から営業しています、行列覚悟で

 とんちゃん

 下記の11月の人間学の例会の懇親会で利用しました。新大久保別館で盛好堂(書店)の二階です。オンドル石生三段バラセットは厚切りの豚肉、一人2枚で、いろいろおかずも付きます。それで一人1029円で安く感じます。2008年の韓国料理のコンテストで1位をとったそうです。全部で現在8店あります。

  高麗漢方参鶏湯

味ちゃんの支店のあるリスボンビル二階 参鶏湯専門店 参鶏湯とチジミのみです 夕方からの営業です 03-3207-3323

 

2009年11月19日木曜日 18時30分より    実用的人間学研究会にて、エスニックの街大久保の街めぐりをします。人間学研究所に集合しそのあと、   実用的人間学研究会の会長 佐竹幸一が、街をご案内します。その後、韓国家庭料理を食べます。    集合場所 人間学研究所 〒169-0073 新宿区百人町1-4-19 第2佐竹ビル二階          JR,山手線 新大久保駅歩いて3分           TEL・FAX 03-3209-1888    人間学研究会の会員以外の方でも自由に参加できます。お問い合わせは、佐竹幸一まで    090-6549-2677です。

 

2009年8月28日 (金)

後漢の万能人・謝夷吾 風角占侯をおこなう 

 「こういち」の書いた未発表の小説『人相食む』の主人公は、後漢朝3代の皇帝に仕えた第五倫ですが、光武帝から和帝までの皇帝の物語は大きな柱になっています。そして、極めて重要な役回りの人たちがいます。それはひとつにはすでに紹介した哲学者王充ですが、さらに王充の親友である謝夷吾と、鄭弘がいます。今日は謝夷吾を紹介してみたいと思います。

 謝夷吾は、『後漢書』の方術列伝にかかれてます。後漢時代は、さまざまな方術が盛んで、前の『漢書』時代にはない方術列伝が作られたのです。方術は怪しげなものもありますが、医術や天文学のような初歩的な科学の始まりもありました。謝夷吾はすぐれて政治家だったのですが、一方では風角占候という方術で有名でした。風を見て占う方法です。また後で紹介しますが、大変な万能人だったのです。

 謝夷吾は字(あざな)は堯卿といいました。会稽郡の山陰(現在の紹興市)の出身です。父親を早く亡くしましたが、大変優秀で、隣町の上虞の王充ともに母親を助け親孝行を郡から表彰されました。そこで謝夷吾は王充と生涯の友となります。若いときから、郡の小役人をしていましたが、新しく会稽郡に赴任してきた太守である第五倫に認められ、鄭弘とともに督郵(郡の取締官)に抜擢されます。その時王充は、郡の推薦で都の太学に行っていました。その後王充と第五倫は何度もすれ違い、引き立てられるチャンスを失いました。

 第五倫は、烏程の県長の悪事が露呈した時に、その罪により、収監を命じます。謝夷吾は、収監に行った県庁の建物を見ただけで、頭を下げ、涙を流して帰ります。部下はこのままでいいのかと心配しますが、「私の風角占候によれば、烏程の長は、1、2か月のうちには死亡するので、収監するには及ばない、責任はすべてわたしがとる」といいます。烏程の県長には、年老いた親があり、悲しませないように配慮したのです。帰ってきた、謝夷吾を、第五倫は心配しますが、果たしてひと月後に、県長が死亡したという知らせが入りました。それ以後第五倫は、謝夷吾をそのやさしさと能力に感心し以後、礼信したといいます。その後、主簿(小吏の長)に抜擢しました。また「春秋」なども、特別に教えたといいます。そして第五倫は、ついに,孝廉(長吏)に推挙し寿長の県令としました。謝夷吾は寿長でもすぐれた成果を上げました。そして、さらにすすんで、荊州の刺史、鉅鹿郡の太守などを歴任しました。どこでも領民に慕われ、いずれもすぐれた成果を上げます。寿長の県令のとき、永平15年に各地がイナゴに襲われた時、その謝夷吾の徳によりイナゴがおそわなかったといわれますが。拙著の「人相食む」では、領民を動員し、風角占候などを駆使し、イナゴを追い払うことにしています。

 荊州の刺史(長官)のとき、時の皇帝が謝夷吾のすぐれた能力をみたいと言って、幕を張って、皆からは見えないようにして、その仕事ぶりを見ることにしました。謝夷吾は山のような処理案件を次々にながれるように処理し、たちまちのうちに終わってしまいました。皇帝は、「謝夷吾のようなすぐれた官吏がもっといれば、朕は政治に悩むことはないのだが」と嘆息したということです。

 第五倫が50代になって、三代皇帝である章帝により、太守から三公(総理格の最高の大臣)のひとりである司空に大抜擢されます。そして、第五倫は、鄭弘を三公で軍の最高責任者である、太尉に推薦します。三公のうち2人が第五倫派となるのです。第五倫は清廉にして、能力あるものを多数推薦して「知人」といわれました。この時代は、豊かで騒乱がなく、素晴らしい時代でした。人が人を食べるようなことがなかったのです。80代になった第五倫は自分の後任として、謝夷吾を司徒(総理)に推薦します。その推薦文を名文家の班固に書かせます。その内容の要旨は。

 「謝夷吾は、すでに様々な成果をあげて、そのすぐれた能力、才能は傑出している。そして、さまざまな学問、文学、すぐれた道徳的な能力を持っている。そして傑出した軍略をもち、天文や様々な方術もすぐれている。歴史の変化を見ることができ、天の運航で地の変化を知ることができる。それは伊員や太公望など歴代のすぐれた役人にも勝るとも劣らないほどである。もし、彼が司徒になれば、世の中の棟甍(梁)となることができるであろう。(この棟梁というのが現在の大工の棟梁のはじめです)・・・」と推薦されている。

 ところが、皇后の一族の外戚の巻き返しにあい、第五倫一派の鄭弘は逮捕され獄死、謝夷吾の司徒への任官は中止、さらには、その後県令に左遷されました。謝夷吾が自分の後任に王充を推薦し,王充は公車をもって皇帝の謁見を得るはずでしたが、それも取りやめになりました。第五倫は高齢ということで退任し、一気に政治は外戚が支配することになりました。その後政治は乱れ、「人相食む」という事態になるのです。謝夷吾は自分の死期を予言し、家族はその通りになりました。またその後の動乱を予言し、墓が荒らされ遺骸があきらかにされないように墓を作らせませんでした。そしてその予言どおり、後漢末の大動乱となり、三国の争いにつながるのです。

 私は、「人相食む」では謝夷吾を少し太り気味で、色白おっとりとした鳳顔の女性にも大変持てる魅力的な人物として表現しました。三国志だけでなく、謝夷吾や当時の後漢初期のすぐれた人物が映画などで表現されるといいとおもっているのですが。

 

 

2009年8月25日 (火)

東洋手相術と西洋手相術について(修正版)

手相術とは 

手相術は、血液型や星占い程、はやってはいないのですが、それは血液型や星占いほど単純ではないからです。もちろん、星占い(西洋占星術)も本当の占星術は、ホログラフを作って占う本格的なものなのですが、新聞や雑誌、テレビなどに出ている占星術は、太陽占星術でごく簡単にしたものです。これについては改めて書くことにします。街角に立つ占い師は、お客さんの生年月日と、手相術を組み合わせて占っているものが多いようです。生年月日で占うのは、大体東洋占星術である九星術など元づいています。新年になると、売り出される、高島易断などの暦と占いの本などに書いている内容です。

 一般的には手相を見てあげるとかいって、生命線がどうした、結婚線がどうした,とかいう程度のものが多いのです。佐竹も一応いろいろな本も読んで、カルチャーセンターでも学んでみましたが、一応科学的な妥当性があるものと、こじつけのものとがあると思いました。心理学者の宮城音弥氏は、[発展途上の心理学]とも言っています。また医者も手の形や変化などから病変を見つけることができると言っています。

人相術

 日本では、人相術は当然のことながら、東洋人相術に基づきます。西洋人と東洋人とでは顔の形はかなり違います。黒人とはさらに違いがあります。同じ東洋人でも、中国人と日本人とは違いがあり、中国の人相の本などは、そのままでは日本人に当てはまらないところが出てきます。さて、日本人と西洋人の違いといえば、最も良い例として次のような例があります。

 東洋人相術では、目と眉毛の間を田宅といって、財産があるかどうかをみます。東洋では、間が広く開いているほうが富貴そして高貴の相でいいということになっています。それは平安貴族やお雛様の眉毛の位置を見ればわかります。わざわざ眉毛をそって上のほうに眉毛を描いています。ところが西洋ではいわゆる,ほりの深い顔ですから、ほとんどくっいているのが普通で、ぎゃくに広く開いていたら、間抜けな悪相となっています。そのほかにもいろいろ食い違ってきます。髪の毛や目の色は西洋人相術では、いろいろな色で判断します。大体支配層にいいものを良いとする傾向があり、金髪で青い眼はいちばん、評価が高いのです。いわゆる金髪、青い眼のアングロサクソン系が世界を支配しているからです。髪の毛でいえば、金髪は天使の髪の毛になり、黒髪は魔女の髪ということになっています。日本では、髪の毛もせいぜいが真っ黒か、薄い感じか程度で重要な区分はありません。髪は基本的には、真黒な黒髪がいいのです。ともかく日本人には西洋人相術はほとんど当てはまりません。

今の日本の手相術は占星術にもとづく

 ところが、手相に関しては、占星術に基づく、西洋式手相術に基づいています。大体、占星術そのものが全く根拠のない、いい加減なものです。それは、こういちの人間学ブログ 「占星術には科学的根拠がない」二書きました。そしてそれに基づく西洋手相術も、確実なものでは有りません。しかしまったく、当たらないかというと、長年の経験の積み重ねで、一定の妥当性があるものもあります。そして手相術には、当然東洋手相術があって、たとえば東洋手相術では生命線は地紋、頭脳線は人紋、感情線は天紋というのですが、西洋手相術では意味がちがいます。天紋は、目上の人や運勢を司る。人紋は自分の身体や福運をつかさどりると言います。人紋はどちらかというと、生命線に近くなります。地紋は家を司り、一生の浮沈を司るといいます。手相術の教室ではもちろん両方勉強しますが。

 手相は、赤ちゃんでは基本三線という、生命線、感情線、知能(頭脳)線はありますが、運命線や、もちろん、結婚線はありません。人間のしわと同じで、赤ちゃんにはない顔のしわも、年をとるにつれて、深くいろいろ入ってくるのと同じです。手相術では手の形、線、ふくらみなどを総合的にみます。また、手の出し方を見て、その人の性格もわかります。手をよく使っていると、手もふっくらとして、線もくっきり入ります。ところが入院などして手を動かさないと、線が切れたり、薄くなってきます。体力が回復し、手をよく動かすと、キレていた線がつながってきます。具体的にはおいおいと話していきます。まあ、話の種に、人相術や手相術の知識を知っておくといいかもしれません。

追記

 筆者は病気をして、右手の手相が大きく変わりました。参考資料をご覧ください。

参考資料

「病気による手相の変化 少ない水野南北の手相術」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/05/post-32f7

人間学研究所2009年9月例会のお知らせ

 ★ 第57回新教育人間学研究会例会

  テーマ 「火の起源と人間」 

  日時:2009年9月11日(金)  18時30分から

  講師: 関根 秀樹氏  和光大学講師 原始技術史研究所所長

      人間にとって、火は極めて重要です。原始の火起こしチャンピオンである、

      関根氏のお話は、大変興味部会ものがあります。ぜひご参加ください

  場所:人間学研究所

  参加費:無料

  懇親会:豆腐料理 越路

★ 第16回実用的人間学研究会例

 テーマ:「韓国の歴史ドラマについて」

 講師: 佐竹幸一 人間学研究所専務理事 実用的人間学研究会会長

  今、日本には多くの韓国歴史ドラマが入っています。特にBS放送では多く、放送され   ています。古代から李朝朝鮮までの簡単な歴史と結びつけてお話します。

  日時: 2009年9月17日(木)  18時30分より

  場所: 人間学研究所

  参加費:無料

  懇親会: 韓国刺身料理テジョンデ

 

  ◎ 各例会は月一回行われます。新教育人間学部会は、人間学研究所の関係の方  中心です、その他の方は許可を受けてください

    実用的人間学研究会は、会員でなくても自由に参加できます。佐竹までお申し込みください

    人間学研究所 新宿区百人町1-4-19 第2佐竹ビル2階

     JR 山手線 新大久保駅徒歩3分 駅を降りて右ガードをくぐる4つ目の道

     角が靴屋さんと、コンビニ、ファミリーマートの横右に曲がる。三軒目の黒い三階

     伊だてのビルです。

     03-3209-1888 FAXとも 電話は不在がちです FAXでお願いします

     佐竹幸一の携帯  090-6549-2677です  

 

『人間学研究所年誌』について

人間学研究所では、『人間学研究所年誌』を発行しています

  BULLETIN OF THE INSTITUTE OF HUMANOLOGY 

  発行 人間学研究所 代表 柴田義松 現在の編集責任者は中江和江氏

  新宿区百人町1-4-19 第2佐竹ビル2階 書籍代 1000円(会員等特別価格500円)

   内容  巻頭論文  特集   一般論著   人間学研究所の活動記録 など

   ここでは佐竹幸一の書いた文章のみを書きます。いずれ全体の内容をご紹介します

 『人間学研究所年誌2000』 第1号  2000年12月1日発行 p166

     「人間学の概要」      p19                            

     「人間学研究所の概要」 p11

 『人間学研究所年誌2002』 第2号  2002年11月30日発行 p133

     「人間学をとりまく状況」 p11

 『人間学研究所年誌2003』 第3号 2004年8月1日 「特集 思春期を明らかにする」

      p135

     「ゼネラリスト養成講座について」 p10

 『人間学研究所年誌2006』 第4号 2007年6月30日 「特集 思春期その2」 p135

     「人間学ノート」 p14

 『人間学研究所年誌2007』 第5号 2008年5月30日 「特集 新学習指導要領」

     「人間学研究会のあゆみ 1」 p16

 『人間学研究所年誌2008』 第6号 2009年3月31日 p111

     「人間学研究会のあゆみ2」 p11

★ 『人間学研究所年誌』は毎年、国立国会図書館に送っております

   図書刊行物として登録されています

   お申し出により、1000円にてお送りいたします。送料無料です。

     

                       

     

2009年8月16日 (日)

無宗教で生きる (3) 宗教でなく自分の目で見て判断し行動

無宗教で生きるー実用的人間学的な生き方 (3)

 無宗教で生きるためには、心身ともに健康になるような努力が必要ではないかと思います。体や心がひどくむしばまれているようでは、宗教にでも救いを求めたくなってしまうかもしれません。心身ともに健康でないと、死の恐怖にさいなまれるかもしれません。そのことは普段は私たちは忘れているのですが。私自身が昔、心臓ノイローゼと、不整脈が起きたことがあり、そのようなときは、死のことも真剣に考えるようになります。

 心と体は、密接に結びついているというのは皆さんご存じですね。イロイロな悩み事がつづくと、てきめんに胃潰瘍になったり、免疫力が低下して様々な、症状が出てきます。心の健康は、ひとつには,確固とした人生観を持っているかにもよります。自分自身について、確信をもっていると多少のことではぶれません。人間は、死んだら、死後の世界などないこと、来世などないのですから、この世の中で少しでも自分だけではなく他の人を含め良い社会にしていこうとすること。お釈迦さまの直接の考え方には共感が持てます。お釈迦様は、いろいろな悩みは、いろいろな欲望(煩悩)にとらわれるからなのであって、それをなくすようにして行くこと、すなわち死んでいくことは仕方のないことだと諦めること。正しい行いをして生きていくこと(八正道)が大切であるといいます。よく、悟りがどうのとか言いますが、修行を積んだ高僧などではなく、うちのかみさんを含め、こどもも大きくなったし、いつ死んでもいいと思っているのよ。なんていう言葉を聞いていると、立派に悟りを開いているように思うのですがどうでしょうか。

1) 自分自身では、心身の健康に気をつけることです。まず第一に自分の体の、特徴、特性を知ることです。これが意外と知られていません。中学程度の保健体育の授業をちゃんと聞いているだけでもいいのですが。それが十分ではないのです。テレビや雑誌を見ても、健康食品やら、ダイエットやら、金儲け本位の宣伝で判断を誤らさせられてしまうのです。基本的な学習を生涯教育などで、学ぶべきです。そういう場を提供すべきです。それは科学的で、系統的でなければなりません。それにそれぞれの個人によってまたいろいろと違うということも知らなければなりません。自分のからだと心を知るのは一生の課題です。実用的人間学での研修コースでは、それを学ぶ道筋を示そうとしました。

2) それから人間関係をスムースにする方法を学ぶ必要があります。さまざまな人間関係は、よりよく生きていくために、極めて大切です。カウンセリングや人相術(身振りなどで相手の木本を判断するなど含む)や人生観の持ち方も大切です。これは改めて詳しく話します。

3)そして大切なことは、政治のあり方をよく知っていて、、現状を正しくつかみ、その人なりに、行動していくことです。マスコミや、他人の意見のみに振り回されていたり、無関心でいると、いつの間にか、失業したり自分の生存さえも危うくなってしまいます。政府やマスコミが人々をおどらしているのを見るとそれは宗教そのものです。科学的な目を奪います。教育もそういう科学的な判断を奪う教育です。それらによる弊害は「とその例は、小泉政治以降の新自由主義にもとづいた自公政府のやってきた政策を見れば明らかです。

 多くの人生論や処世訓はほとんど、自分とほんの身の回りのことだけしか、書いてありません。また、現在の政治を認めたうえでの会社などにおいての、立身出世の方法です。天理教系のモラロジー研究所などの準宗教団体は、現状の保守的思考や政治を擁護する考えをみんなに浸透させる役割をもっています。

 さて、ここではほんの僅かなことしか書いてありませんが、まず自分じしんの位置を正しくとらえることです。そうするとおのずといくべき、方向が出てくると思います。宗教ではなく、自分の目で見て判断し行動することです。

無宗教で生きる (2)マルクス主義と科学的ヒューマニズム

無宗教で生きるー実用的人間学的生き方 (2)

 無宗教で生きる、自分自身で決めるためには、いろいろな困難や、問題に対して対処する、心構えが必要です。すなわち、ひとつの世界観、人生観を持って生きるということです。ひとつは、世界中でいまではあまりはやらないのですが、マルクス、レーニン主義の元、革命的人間として生きる道です。私自身が一時そのような考え方をもっていました。徹底した無神論であるマルクス、レーニン主義のもと、人民を解放するために、心も体もささげるという生き方です。しかし、ベルリンの壁の崩壊、ソビエト連邦の崩壊以後、一部を除き世界全体では以前に比べ小さな勢力になってしまいました。その原因について、私が思うにはマルクスや、エンゲルス、レーニン、さらには毛沢東などを教祖とし、マルクス主義の書物を経典とし、共産党の組織が教会となって、宗教化したからではないかと思います。そうすると、本来は民衆のためのものであったはずが、一部共産党の幹部の利益のためにと代わっていき、自由を奪い、人々を弾圧するようになりました。スターリンや毛沢東やポルポトの蛮行は、すっかり、マルクス主義のイメージを悪くしてしまいました。しかしながら、だからと言ってマルクスや、エンゲルスや、多くの唯物論の研究者すべてを否定するのは正しくありません。マルクスや、エンゲルスは世の中、社会の仕組み、歴史の仕組みを見事に、解き明かしました。その成果を全く、無視あるいは否定しては、現在の社会、歴史を正しく見ることはできません。

 私は学生時代に、マルクス、エンゲルスの本から、人間に関して、書かれているものを抜き出して整理する作業を通して、その理論の正しさを知りました。弁証法的唯物論、史的唯物論は偉大な理論です。マルクスは、単なる理論だけでなく、科学的社会主義として人間の解放を実際にどのように行うかの実際の道筋を示しました。マルクスなどの考え方は、究極のヒューマニズムです。マルクスの資本論や、エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状況」は資本主義社会の中で搾取され苦しむ労働者の姿を書きました。そしてどうしたら、その人たちを解放できるのかを考えたのです。

 マルクスやエンゲルスの理論が優れているからと言って、釈迦や、キリストや、孔子の話をもとに経典とし、それを唱えて、いろいろな解釈を加えて、「宗教化」したように、「マルクス主義」として宗教化してはいけません。私は、マルクスやエンゲルスを尊敬し学びます(特にエンゲルスを尊敬し、好きなのですが)。しかし私は、マルクス主義者として、限定されたくありません。当然のことに、マルクスなどの理論と比べて、社会は時代の変化によって変わっていきます。私は、特に、釈迦の「スッタニバータ」のような原始仏典にも興味がありますし、どこにとこだわることなく、すぐれたものを学んできました。

 私が、依拠するものは、「科学的ヒューマニズム」です。これについてはすでに書きましたが。要は、「人間は神や超自然的なものが創った物ではなく、物質進化の過程で、自然に生まれてきたものだということ。そして人間こそが最も大切なものである」ということです。そしてどのような考え方でも、一人ひとりの、個人的生命を大切にしないような考え方に、断固反対するということです。そういう点でいえば私が今書いている小説「人相食む」の中で書いている、後漢初期の光武帝などの政治は、科学的ヒューマニズムに基づいた政治であったといえます。今こそいろいろな立場の違いを超えて、科学的ヒューマニズムの立場を自覚し、大同団結する必要があります。

 「実用的人間学的に生きると」いうことは、ただ単に自分の個人的な幸せを求める生き方ではありません。世界全体、そしてみのまわり、そして、自分自身を、客観的、総合的に見る訓練をすることです。世界の、おおげさにいえば宇宙の中にいる自分の位置、その上で何かしら、社会の変革の流れに自分を、そわせていくことです。そして周りの人たちとのうまい人間関係を作りあげる努力も必要です。多くの喜びは人間関係から生まれます。それは大げさなことではなくささやかなことからでいいのです。そういう広い見地で学び、行動し、実践しながら、自分を高めていけるなら素晴らしいことだと思います。それを手だすけする道筋を示すのが実用的人間学ではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。

★ 2011年10月 字や文章の誤りを修正しました。かなりの間違いがあり、お恥ずかしい限りです。

無宗教で生きる(その1) 宗教とは何か

無宗教で生きるー実用的人間学的生き方(1)

 世界中を見てみますと、無宗教であり、無神論であると言い切る人は、とても少ないのは、皆さんご存じの通りです。日本人は、無宗教の人が多いと思っている人がいますが、実はそうではないのです。日本の各宗派のいう信者数を足しますと、人口より多くなります。たとえば私は、地元の皆中神社の氏子とカウントされているかもしれませんし、家というかお墓のあるお寺は浄土真宗大谷派なのですが、そこでもカウントされているかもしれません。日本では多神教でしっかり人々の心が占領されていますので、一神教のキリスト教がなかなか、日本人に浸透していかないのです。日本人の普通のイメージでは、「信仰している人」というのは、新興宗教の熱心な信者ぐらいしか見てはいません。実際、多くの人々は、熱心な信者に比べて、無宗教といっていい状況です。それは今不況の中とはいえ、世界全体から見れば日本が経済的に大変恵まれているからです。『世界がもし100人の村だったら』という本をお読みになったでしょうか。100人のうち、銀行に預金があり、財布に金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は、豊かな8人の人です。20人は栄養不足で1人は死にそうです。逮捕や拷問を気にせずに、自由にものが言えない人が48人いると言っています。ローマ史を書いた塩野七生さんは、「おおくの人が全く希望がなくて宗教に頼るしかどうしようもないから信仰しているのよ」と話しています。

 そして、本当に信仰していて、神様に任しきってしまえる人は、安心立命していいのですが、なかなかそうはいきません。身内の急な死や不幸、自分の病気が絶望的な時、悩みがひどいときなど、よほど、自分自身の考え方がしっかりしていないと、どうしていいか分からなくなってしまうのです。医者を転々と変えてもなかなか病気が治らないとかいう場合、精神身体医学的な療法をうまく組合わせて、対処すればいいのですが、そうでないと、症状が出ていても医学的に、何ともないとされて、一向に治らないということが多いのです。そのような場合、しばしば強力な信仰により、劇的に治ることがあります。その治った人は神様のおかげと、人にもすすめるでしょう。宗教は、究極のプラシーボ(偽薬)であるといいます。偽薬でも、一定の確率で治るのです。キリスト教でもルルドの泉で、劇的に治る人は多いのです。また熱心にすすめ、気にしてくれる人(信仰を勧める人)がいることも気持を変化させます。ただ問題は、良心的な、宗教ばかりでなく、後々、麻薬のようにその人に悪影響を及ぼすものがあるものがあることが問題なのです。

 もともと、釈迦もキリストも孔子も、宗教というより、「生き方について」を示す教師だったのです。私は彼らの言葉は素晴らしいと思っています。そして貧しい苦しんでいる人々の立場にありました。

 ところが、その後弟子たちが、その教えを広めるために、聖書や経典、教会やお寺をつくり、専門の聖職者や、お坊さんたちとなってはじめて宗教となったのです。逆にいえばそのようなものが備わっていないと宗教とよべないのです。

 それらを成り立たせるには、お金が必要となり、時の権力者とも結びつき、しだいに堕落して行きました。そしてついには、原理主義は、自分たちの教義に従わないものは平気で殺しても良いのだという考えにまでなりました。(続きます)

2009年8月14日 (金)

経営人間学シリーズ (1)『経営人間学とは何か 

経営人間学とは、佐竹が分類した人間学の一分野です

すでに、人間学と名のつく和書の分類表を私のブログで示しました。現在、九百数十冊の和書がある中で、経営人間学の中で、私が歴史人間学と名づけているものが160冊、一般経営人間学とな名づけている書物が140冊ほどあります。両方たしますと300冊ほどになりなんと、三分の一が経営人間学に関する書物ということになります。広義の哲学的人間学の書物が170冊ほどですから、その多さがわかります。

(2011年10月では 歴史人間学164冊、一般経営人間学 141冊 合計305冊) 

「経営人間学」の名称は1988年に出された、山本七平氏の『経営人間学』ー「資本主義の精神」の先駆者たち(日本経済新聞社)の名称にあります。山本七平氏は神田の書店の店主をしながらさまざまな書物を書いた、すぐれた人物です。『経営人間学』は、徳川幕府時代の商人や農民が、いかに現在の日本の資本主義のもととなった、さまざまな試みをなしていたかについていろいろな例を示しました。一連の書物群をまとめる名称としてふさわしいものとしてなずけました。

 「経営人間学」は二つにわけられます。ひとつは、歴史人間学とな名づけた、歴史上の人物に学ぶという人間学です。たとえば、徳川家康の人間学とか、三国志の人間学といったものです。日本のものが約50数冊、中国がその倍の100冊ぐらいです。日本の歴史人間学で最も目立つのが童門冬二です。共著も含め26冊も書いていて、何と、半分が彼の著作だと言えます。「名将に学ぶ人間学」とか、おもに戦国時代から、江戸時代にかけての歴史上の人物に学ぶというものです。もう一つの中国分野では、多いもので安岡正篤が18冊、守屋 洋が16冊です。『中国古典に学ぶ人間学』や『孔子の人間学』などです。全体を見ても、特に春秋戦国時代から三国志にかけてのものがほとんどです。特に、経営者たるもの、論語くらいは読んでいなければ良い経営はできないということで、読者も多いのではないかと思います。

 もう一つは、一般人間学と名づけている分野で、

1)経営術やリーダーシップについて、83冊

2)生き方や自己啓発について    37冊 

3)社会や、職場の現状、       15冊

と3つに分けました。1)については一時経営コンサルタントの船井幸雄が盛んに,『上に立つ者の人間学』などを書いていました。今は船井のコンサルタント会社では人間よりはコンピューターを活用したアメリカ流の経営学主体になっています。生き方や自己啓発の本は多く、経営的な色彩の多いものは、ここに分類し、そうでないものは。個人の伝記や、人生人間学としてその他の分野としています。それは30冊ほどです。

 ここでは本の数だけを書いてその傾向を示していますが、経営人間学の具体的内容は改めて書くことにします。

2009年8月13日 (木)

衆議院選挙を前にして 民衆のための党がまとまらないか

民衆(一般市民)のための政治勢力がまとまらないものか

 衆議院選挙がもう少しで、始まろうとしています。小泉以来の自民、公明の政治により、民衆の暮らしはひどくなり、従来、自民党に入れていた人も、さすがに目をさまし、今度は民主党を中心とした政府に期待しようとしています。私のいる、東京一区でも、与謝野対海江田の一騎打ちで、影の首相とまで言われた現職大臣の与謝野さえ危ないといわれています。私は当然、与謝野を落としたいため、海江田にいれます。しかし、政党で、この党こそがと、心から言える党が残念ながらないのです。そのような人は多く、無党派層といわれますが。私もそうなのです。

 民主党は、今でこそ、庶民の味方となっていますが、その大本は自民党です。党首の鳩山氏は元自民党、小沢氏は自民党を仕切った元幹事長です。前原氏のように、かなり右寄りの考え方の人が多いのです。また政治家の二世、三世議員や、大会社の社長の息子や縁戚者も多いのです。もうすでに出始めていますが、政権をとったら、ころころとまた自民党寄りの、大企業本位、アメリカべったりに戻ってしまうのではないかと。

 社民党はそのいうところは、中なかいいのですが、いかんせんその勢力は小さすぎです。共産党は、昔私もずいぶん前に党員だったこともあり、その政策に共感するところは多いのです。最も徹底して、庶民の立場に立っているのは、共産党です。大企業の利益を抑え、アメリカへの追随を止め、庶民の暮らしを豊かにする。しかし、いろいろな弾圧もあり、またまだ、人々へのイメージの転換を積極的に図ろうとしないこともあり、中なか社民党と同じで、特に小選挙区制では伸びません。共産党という名前や赤旗という名前を変えたらどうかといわれますが、変えようとはしません。その強力なしたざさえをしている、いわゆる民主団体のメンバーも、高齢化し、メンバーの意識も旧態依然なのではないかと思われます。

 しかし私は、何とか、民主党のなかの、民衆の立場に立つ人、民主主義的革新的な人々、さらには、自民党の中でもリベラルな立場の人々、社民党や共産党まで、その考え方の違いを超えて、政策ごとでもいいから連合して、ひとつの勢力を作ることができれば、人々の目にもはっきりして、良いのではないかと思います。これは夢物語のようではあるけれど、もしこのような党、若しくは当面勢力ができれば、多くの人々の支持を得られるのではないかと思うのですが。いかがでしょうか。

追記 2011年10月 民主党に与謝野馨が大臣で入ったとか、現在の民主党の政治はもうほとんど自民党と代わりません。

科学的ヒューマニズムとは 今実用的人間学で推進したいもの

「科学的ヒューマニズムの歴史」 理性への道、ブッタからドーキンスまで P,Dハチョン著2004年 新幹社

 この本は、2000年2001年に、この年のカナダとアメリカのヒューマニスト、アソシエーションから表彰を受けた女性の社会科学者であり、教育学者であるハチョンによるものです。 彼女はまた東洋の哲学にも深い知識を持っています。 佐竹はこの本を読むことによって、自分の立場を明確にすることができました。

 科学的ヒューマニズムとは、人間が神のような超越的な存在者によって作られたのではなく、自然現象によって作られてきた、という考え方です

 キリスト教やイスラム教では、人間は絶対者である神の手によって作られたものであるとされています。

 本の最初に挙げられているのは、紀元前600年のシャカ(ブッダ)についてです。当時の神秘主義的な霊やアニミズムに満ちた考え方に対して、ブッダは、創造主たる神が人間を罰するのではなく、自然の因果の法則によって、出来事が起こると考えました。個人は永久ではなく、死ねば、いってしまったというだけである。また霊など存在しないこと、いろいろな悩みは欲望から生ずるので、欲望をたちきり、正しい生活をしていくことにより、その悩みを断ち切ろうとしました。もちろん、地獄、極楽などを考えて、神のような仏を考え出したのは後世の人で、ブッダの考え方とは全く違いました。ブッダはそういう輪廻の輪から抜け出そうとしたのです。

 2番目に書かれているのは、孔子についてです。孔子は、草分け的ヒューマニストとかかれています。もちろん、ブッダと同じように、後世には孔子は神に祭り上げられました。孔子は、霊の存在や、死後の世界については、わからないと、言いました。そして庶民のために現実的な政治を変革するにはどのようにしたらよいかを話しました。

 3番目は西暦1年のローマの詩人、ルクレティウスです彼の考え方はエピクロスの考え方の基本となっているも原子論にもとづく、唯物論的思想で人間が神より大切であるとするヒューマニズムの思想です。

 以後、ルネッサンスのヒューマニズム、モンテーニュ、D, ヒューム、、ヘッケル、J、デューイ、シュバイツアー、J、ハックスレー、サルトルとカミュの実存主義、アイザック・アシモフ、カールサガン(セーガン)、H.Oウイルソン、リチャード・ドーキンスなどが具体的な、科学的ヒューマニストとして挙げられている。いずれも、神や超越者を第一に考えず、人間が、自然的に神と関係なく生じたこと、神ではなく人間が最も大切であると考えているという点で共通しています。

 カール、セーガンの『科学と悪霊をかたる』(1997年新潮社)や、ドーキンスの『神は妄想である』(2007年早川書房)などは佐竹が大変感銘を受けた本です。ドーキンスの本の帯封には「あのドーキンスがなぜここまでむきになるのか?-非合理、迷信的な思考が幅をきかせる時代に激しい抗議の声を上げる、「脱宗教宣言」とかかれています。

私がこれに付け加えるには、排他的な宗教を徹底的に批判したBラッセルはぜひくわえるべきだとおもうことと、マルクスやエンゲルスなども、本来科学的ヒューマニズム者であることを示すべきではないかと思っています。いずれにしても、私の実用的人間学も、この科学的ヒューマニズムの系譜の中に加えられたいと思っています。

実用的人間学とは(2) HUMANOLOGYとしての人間学

総合的、科学的、実用的、地球市民的とは

総合的、科学的な人間学 (2)

 人間学には、すでに示したようにありとあらゆる形のものがありますが、その中で、佐竹幸一のめざす人間学は、総合的であるとともに、徹底的に、科学的な立場に立つということです。学問としての人間学は、大体が総合的であるということを主張します。既存の人間に関する諸学問が細分化、専門家され、その全体像が分からなくなっている。だから総合して人間の全体像をとらえ、今後人間はいかにあるべきかの方向を見出していこうではないかと。

 総合化を目指す二つの方向

 そこで大きく二つの方向に分かれ、哲学的傾向が強いものが「人間学](Anthropology)、であり、実証科学的な傾向のもとに、学際的、境界分野を、共同研究していこうという人間科学(Human science,ヒューマンサイエンス)です。日本においては、人間学という名前が魅力的なのか、本来、人間科学としてもいいような内容でも、翻訳では人間学という名称がつけられるものが多いのです。人間学には、哲学的人間学とか、教育人間学とかの名前が付けられることが多く、すでに日本の大学では、人間学部や、人間学科、何何人間学科などという名前を付けるのがはやりになっています。何か学生に、目新しさを感じさせようとするか、人間とは何かについて、回答が得られると思うのですが、看板は人間学でも講座の実際の内容は前とほとんど同じで失望させられるのです。

われわれの人間学研究所も設立に一定の役割を果たした、総合人間学会は、そのどちらの性格も持っています。その英文名はAnthro pologyです。

* 「人間学」をつけた学部や学科が各大学にどのようなものがあるかは佐竹が調べました。要約は「こういちの人間学」ブログにもあります

 人間学のいろいろな書物には、科学的なものばかりではなくむしろ神秘主義的なものも多いのです。また総合的なものではなく、人生論的なもの、経営人間学的なものが大変多いのです。それに対してわれわれの人間学、そして私の実用的人間学は、総合的であることを目指しています。ただし、従来の手垢のついたAnthro porogyではなく、Humanologyを使っています。それはすでにお話ししたように、ヒューマニズムを求める学問であるという強い意識に基づいています。

そして私の人間学には、科学的ということが、強く結び付いています。それは改めて詳しくお話しますが、科学的ヒューマニズムという考え方です。これは、パット、D、ハチョンの『科学的ヒューマニズムの歴史』(理性への道、 ブッタからドーキンスまで 2004年、新幹社)の考え方に基づいています。さらには、私の考え方の基本には、マルクス、エンゲルスの人間論と、弁証法的唯物論の考え方が、基本になっています。これについても改めてお話しますが、学生時代から、4年にわたって、マルクスやエンゲルスの本を研究会のメンバーとも手分けして、徹底的に読んでいき、人間に関して記述されているものを抜き出して整理しました。当時のことですから、手書きであり、青やきのコピーですが、分野別に整理して、まとめる段階まで進んでいます。今改めてパソコンで誠意しようとしています。いずれにしても、そこでよくわかったことは、マルクスや、エンゲルスには人間がない、といわれることがありますが、マルクス教育論などという本がありますが、「マルクス、エンゲルス人間論」は実はあまりに多くて誰もまとめられなかったのだなというのが感想です。

 

 

実用的人間学とは カントの人間学を基にした佐竹の提唱する人間学

総合的、科学的、実用的、地球市民的とは

その1、カントの 『実用的見地における人間学』について

 佐竹幸一の提唱する、実用的人間学は、総合的、科学的、実用的、地球市民的な人間学であると言っています。それは、具体的にどの様なものなのかを、お話ししてみます。

 その大もとはカントの『実用的見地における人間学』にあります。カントが最晩年に講義したのが、「人間学」と「自然地理学」でした。『人間学』はその講義をもとに書かれています。その人間学の講義はおもしろく当時大変人気のあった講義であったようです。ともかく、認識論から性格論、人相術まで、大変幅が広く、通俗的で大変面白いのですが、しかしカント学者からは、理論的に大したものではないと、軽視されています。

 1798年に出版された、カントの『実用的見地における人間学』の序文には以下のように書かれています。人間に関する知識の学説を体系にまでまとめたと学問である、(人間学,Anthropologie)には生理学的な見地からのものか(いわば人類学)、それとも、実用的な見地(pragmatisch)のものかの二つのタイプが可能である。~実用的人間知は、人間が自由に行為する生物として、自分をどうするのか、どうすべきなのかについて研究する。われわれの人間学はこのような人間学である。このような知識は、学校を出たあとに、身につけなければならない「世間知」とみてよい。~しかし、ただ人間に関する知識を、羅列的に知っているだけでは、実用的な人間学と呼ばない。それは人間を世界市民(訳により世界公民)ととして認識するときに初めて実用的と呼ばれる。

 カントによれば、人間は、技術的な素質、実用的な素質、道徳的な素質を持つ点で他の動物と区別される。「実用的な素質」とは、技術的な発展(道具の発展)の素質を基礎として、人間は文化、社会を通して、文明化(市民化)していく素質をいう。そして最後に、人類全体の道徳化の素質を高めることが(永遠の)課題として人間に課せられている。人類全体が、道徳化されていく方向を求めることこれが世界市民となるということである。

 人類の歴史を過去から未来に向けて、通時的に、技術的段階(文化)、社会形成段階、(文明)、道徳的段階(世界市民)の三段階として把握するのはカントの一環的な歴史観であった。   参考 カント全集15、人間学 渋谷治美訳 岩波書店

 佐竹の実用的と、地球市民的とは、このカントの実用的、世界市民の意味ををふまえながら、ひとつはよりよく生きていくための知恵(世間知)を、人間に関する知識を、どのようにまとめ上げ実際に、役立てようとするということを、求めようとすることと、地球市民とは、人間だけの道徳のレベルだけでなく、世界の環境問題までを視野に入れた、見地に立つべきであるという、考え方に基づいています。

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