無宗教で生きる(その1) 宗教とは何か
無宗教で生きるー実用的人間学的生き方(1)
世界中を見てみますと、無宗教であり、無神論であると言い切る人は、とても少ないのは、皆さんご存じの通りです。日本人は、無宗教の人が多いと思っている人がいますが、実はそうではないのです。日本の各宗派のいう信者数を足しますと、人口より多くなります。たとえば私は、地元の皆中神社の氏子とカウントされているかもしれませんし、家というかお墓のあるお寺は浄土真宗大谷派なのですが、そこでもカウントされているかもしれません。日本では多神教でしっかり人々の心が占領されていますので、一神教のキリスト教がなかなか、日本人に浸透していかないのです。日本人の普通のイメージでは、「信仰している人」というのは、新興宗教の熱心な信者ぐらいしか見てはいません。実際、多くの人々は、熱心な信者に比べて、無宗教といっていい状況です。それは今不況の中とはいえ、世界全体から見れば日本が経済的に大変恵まれているからです。『世界がもし100人の村だったら』という本をお読みになったでしょうか。100人のうち、銀行に預金があり、財布に金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は、豊かな8人の人です。20人は栄養不足で1人は死にそうです。逮捕や拷問を気にせずに、自由にものが言えない人が48人いると言っています。ローマ史を書いた塩野七生さんは、「おおくの人が全く希望がなくて宗教に頼るしかどうしようもないから信仰しているのよ」と話しています。
そして、本当に信仰していて、神様に任しきってしまえる人は、安心立命していいのですが、なかなかそうはいきません。身内の急な死や不幸、自分の病気が絶望的な時、悩みがひどいときなど、よほど、自分自身の考え方がしっかりしていないと、どうしていいか分からなくなってしまうのです。医者を転々と変えてもなかなか病気が治らないとかいう場合、精神身体医学的な療法をうまく組合わせて、対処すればいいのですが、そうでないと、症状が出ていても医学的に、何ともないとされて、一向に治らないということが多いのです。そのような場合、しばしば強力な信仰により、劇的に治ることがあります。その治った人は神様のおかげと、人にもすすめるでしょう。宗教は、究極のプラシーボ(偽薬)であるといいます。偽薬でも、一定の確率で治るのです。キリスト教でもルルドの泉で、劇的に治る人は多いのです。また熱心にすすめ、気にしてくれる人(信仰を勧める人)がいることも気持を変化させます。ただ問題は、良心的な、宗教ばかりでなく、後々、麻薬のようにその人に悪影響を及ぼすものがあるものがあることが問題なのです。
もともと、釈迦もキリストも孔子も、宗教というより、「生き方について」を示す教師だったのです。私は彼らの言葉は素晴らしいと思っています。そして貧しい苦しんでいる人々の立場にありました。
ところが、その後弟子たちが、その教えを広めるために、聖書や経典、教会やお寺をつくり、専門の聖職者や、お坊さんたちとなってはじめて宗教となったのです。逆にいえばそのようなものが備わっていないと宗教とよべないのです。
それらを成り立たせるには、お金が必要となり、時の権力者とも結びつき、しだいに堕落して行きました。そしてついには、原理主義は、自分たちの教義に従わないものは平気で殺しても良いのだという考えにまでなりました。(続きます)
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