韓国の歴史ドラマと韓国の歴史 その2 朝鮮王朝以後
独立した国の王様、陛下と臣従した国の王様、殿下
高句麗や渤海国では中国に対して、対等な国として皇帝、あるいは国王陛下と呼ばれました。韓国語で聞いていると、臣下は「ペーハー」という言葉を使っています。ところが、高麗は宋の時代から、元の時代にかけて、中国に対して臣従する形になりました。はじめは陛下と呼んでいました。元の時代には、徹底的に支配されて、日本(鎌倉時代の元寇)に侵略するときも、ほとんどが高麗の軍隊でした。そしてそのあとの李氏朝鮮でも、同様で中国にへりくだって殿下とよばれました。テレビでは、「チューナー」ときけます。今の日本で言えば、天皇陛下と皇太子殿下というよぶようなようなものです。朝鮮の時代にも、いちいち、即位するときに宗主国の明国や清国にお伺いを立てるのが、ドラマで出てきます。高麗時代のドラマでは、ほかに「シンドン」「飛天舞」があります。韓国をkoreaと呼ぶのは高麗からくるという説があります。高麗は高句麗の後継の国という意味で高麗としたと言われます。高麗は仏教を国の中心の教えとして、立派な寺院が建てられました。高麗の国王は王家です。高麗王朝最後から朝鮮王朝の創立のころ、王家の1族は謀略により海に沈められてしまいます。ですから、中国と違い王姓は現在ほとんど聞きません。(後述)
儒教を中心に置いた朝鮮王朝
―朝鮮王朝成立のころ
1393年、王命に逆らい、明と戦わずに戻った李成桂(イソンゲ)が、高麗王朝を倒して、朝鮮国をつくります。この国名も明にお伺いを立てて決めています。この初代の王から、三代の太宗までの歴史ドラマが、「龍の涙」です。皇子の間の権力争いで、相次いで、王子が殺されます。これを第一次、第二次王子の乱といいます。権力争いの末、五番目の王子のイ、バンウォンが即位し第三代太宗となります。今このドラマは放送中です。(当時)さらに、太宗のあとも、皇太子は粗暴で王にならず―わざと位を弟に譲ったといわれます、三番目の王子が王となります。これが韓国で最も尊敬を集めている第4代国王「世宗」です。これが、今ドラマでやっている「大王世宗」です。世宗は教育、文化に力を入れ、韓国独自のハングル文字を作り出しました。大王世宗の名前はいろいろ使われ、1万ウオンのお札に肖像画としてかかれました。また韓国最初のイージス艦も大王世宗級というのがあるぐらいです。
(このブログは2009年9月に書かれたものですが、「龍の涙」は何回か再放送され、2015年5月にも再放送されたものが終わったばかりです。筆者は長いドラマなのに3回も見てしまいました。キム・ムセンがなるイ・ソンゲ(太祖)もユ・ドングンがなる太宗も迫力があります。
2012年から13年に韓国SBSで放送され、日本ではテレビ東京で2015年に放送中の「大風水」は朝鮮王朝成立の時を描いています。主役は風水師で「鉄の王キムスロ」で主役となったチ・ソンがなります。イ・ソンゲ役は「トンイ」で粛宗役となった、チ・ジニがなります)
追記:朝鮮王朝成立のころの、ドラマはその後「六龍が飛ぶ」や「鄭道傳」(チョンドジョン)などが作られました。「鄭道傳」では、イ.ソンゲ役に,ユ・ドングンがなりました。
追記:高麗王朝の創立者は王氏ですが、王氏一族に土地を与えるといって、一族を船に載せます。そして謀略を使って、王氏一族をみんな海に沈めてしまいます。だから韓国朝鮮では王氏という苗字はほとんど無く、現在でもありません。
朝鮮王朝のドラマ
朝鮮王朝のドラマはとても多く作られています。「王と妃」、「王の男」、「女人天下」、「張きせん」、「一枝梅」。キーセンを扱った「ファンジニ」は最近放映されました。さらに、有名なイヨンエの「チャングムの誓い」と続きます。「風の絵師」も9月に放送が終わったばかりです。「チャングムの誓い」は、10代国王の中宗のころのドラマです。その後、日本が朝鮮に侵略した当時には「不滅の李舜臣」があります。韓国では、壬申倭乱とよんでいます。ほかには「ホジュン宮廷医官への道」は堕落した人間から朝鮮1の名医になったひとです。そのほか「キム尚宮」、「王の女」「チュオクの剣」などがあります。すべてが日本のテレビ局で放送されているわけではありませんが、韓国のテレビ局と契約すれば、日本でもすべて見られます。(2009年の時でこのくらいありました)
22代国王の正祖を主人公にしたドラマは「正祖大王 イ、サン」です。これはNHKBS2で放送中です(当時)。官僚の陰謀で、父親が殺され、自分自身も10回も暗殺されかかった王です。立派な王として尊敬されています。どうも、韓国では、ずっと、王権に対して大豪族や貴族が力をもっていて、その貴族が妃を入れ、外戚として権力をにぎる。そしてそれぞれの妃が生んだ王子の間で、争いがおこる。それが当然のように続いて、それでドロドロしたドラマになっています。韓国では、日本が取り入れなかった、宦官制度を取り入れました。宦官はイロイロな陰謀や権力闘争に絡んで、います。日本でも宦官制度を取り入れていたら、もっと権力争いがひどくなっていたでしょう。そして日本にくらべ、中国もそうですが、暗殺や、毒殺が大変多いのです。
朝鮮王朝末期になると、「商道(サンド)」や「太陽人、イジェマ」などがあります。「イジェマ」は韓国の医学の祖といわれるジェマを描いたドラマです。中中面白いドラマでした。
まだまだたくさんあるのですが、名前だけ連ねてもしょうがないのでやめておきます。しかし特に、「朱蒙」や「太王四神記」など多くのドラマが、分裂した国土を回復する夢を語りその実現を図ります。今朝鮮、韓国は南北に分裂しています。国が一つになることを強く望む韓国の人々の願いが強く感じられます。
1897年に国号を大韓帝国と改めましたが。1910年に朝鮮王朝は滅びました。韓国歴史ドラマと呼ばれるのは大韓帝国以前の話ということになるでしょう。 「マンガ韓国史」1,2,3(2001年、図書刊行会)は韓国の歴史を面白く書いています。
「最近の韓国歴史ドラマ~朝鮮の歴史とドラマの関連も」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2017/01/h2-9e33.html
-テレビで放送されている韓国歴史ドラマを更新しながら記録しています。朝鮮王朝の国王とドラマの関連も書いてあります。
追記 2015年6月15日
朝鮮といっても、日本と同じように、いろいろな民族が混合して、朝鮮民族になったように思われます。日本人は、様々な民族が混血、混合して日本人となりました。日本人のルーツと、それに基づいたルーツの顔のタイプを面白く書いたのが、川口氏の「めんたんぴん」です。アイヌ系、モンゴル系、ツングース系、北中国系、南中国系、南洋系などです。そのほかに、それぞれが、モザイク、ミックスなどの混合計です。詳しくは筆者のブログをご覧ください。
朝鮮の人は、日本ほどには、混合していないと思われます。しかし、大きく分けてもともと南朝鮮に住んでいて、古代日本と同じ系統の人々、さかのぼると、中国の漢の人々から倭と呼ばれていた人々です。揚子江下流の地域と南朝鮮と、当時の日本に住んでいた人々です。高床式住宅、文身(入れ墨)、米作の人々です。ちょうど、日本で言えば縄文式文化の時代です。そこへ、多くの渡来人―渡来系弥生人がやってきました。
また、朝鮮には中国系の人たちがいました。特に朝鮮北部には漢の時代、楽浪郡などが置かれ、、中国の直轄地でした。多くの中国系の人たちが移り住んできました。
朝鮮でも、北方の扶余から高句麗、百済と南下してきた、いわゆるツングース系の人々が混血していったのではないかと思われます。このころ、地球全体が寒冷化して北方の民族が 南下してゆきました。北方のツングース系の人々は靺鞨族(マルガリ)とよばれていました。その後女真族と呼ばれ、中国において、1115年に金王朝、17世紀には清朝をおこしました。清朝の康熙帝の肖像画を見ると、面長の典型的なツングース系の顔をしていることが分かります。
(このあたりの話は,2017年3月に更新した、その1に詳しく書きました。よろしければぜひご覧くだい。
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2017/03/post-5aab.html
(すみませんこれはつながりません()
高句麗の王朝の創立者は朱蒙(チュモン)だといわれています。朱蒙は扶余国(プヨ)の王子ということになっています。扶余国はかなり北方の満州ー中国東北地方にありました。その後高句麗の王族の一部が百済を起こしました。高句麗の地域はいわゆる広く満州から朝鮮にまたがった地域で,有名な好太土王碑も中国東北地方にあります。中国東北地方に住んでいる朝鮮民族は延辺自治区の中に住んでいます。新大久保でも延辺料理の看板をかがげたお店がたくさんあります。狗肉(犬の肉)料理を掲げているところもあります。
朝鮮王朝を興したイ・ソンゲ(李成圭)は、女真系だといわれます。
又、女真族の助けで 王朝を興しています。朝鮮王朝の人々の顔と清の王朝の人々の顔はよく似ています。また日本の王朝、公家の顔もよく似ています。面長、一重瞼、細面で目が吊り上がったお雛様の顔いわゆるキツネ顔です。しかし庶民に多い顔は丸顔で、(タヌキ顔)鼻も低く、朝鮮でも、日本でもいわゆるお公家顔ではありません。侵略してきた北方民族が両班階級になったと思われます、元から住んでいた人々は庶民階級になりました。日本でも似ています。しかし、朝鮮よりは縄文顔の人々が大きな勢力を持っている気がします。
後記 2015年5月28日
このブログは2009年9月に書きました。ずいぶん前のものですが、そのあとに書いたブログが更新を続けています。現在は2015年4月のものです。ぜひご覧ください。ドラマが変わるたびに更新して詳しすぎるほどに、書いています。よろしかったらぜひ、ご覧ください。
「最近の韓国歴史ドラマ、朝鮮王朝の歴史も」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2015/04/h2-7a9d.html
又,、その2だけが出てきて、その1が出てきません。よろしければ、1もご覧ください。
「韓国の歴史ドラマと韓国の歴史」その1
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2009/09/post-9d79.html
同じ月に書きました。分ける必要がなかったのですが、すみません。これは更新しました。
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コメント
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そるすぎさんへ
韓国語を勉強中なのですね。すばらしいですね。韓国のドラマの韓国版は見ていませんが、おそらく字幕はないと思います。
韓国KBSの番組に出たのは2012年の1月1日です。それは生放送で、他に新大久保の自宅に来ての取材も受けて韓国で放送されました。KBSからはDVD2枚を送ってくれましたが、新大久保駅そばの元の自宅でにおいてあります。その後脳出血を起こし、エレベーターのないビルの5階に戻っていません。
KBSに行った様子は2012年1月1日の「こういちの人間学ブログ」のカテゴリー、「日記、コラム、つぶやき」に、「韓国KBSの生放送に出ました~」に書いてあります。このころは韓国の歴史ドラマのブログを盛んに書いていましたが、最近は再放送が多くあまり見ていません。
投稿: こういち | 2017年1月 8日 (日) 13時17分
KBSの番組に出られたんですか。素晴らしいですね。^m^
その時のUPはありますか?
投稿: そるすぎ | 2017年1月 8日 (日) 11時45分
そるすぎ様
コメントありがとうございます。
韓国のかたで、ビルのテナントのなっている方に聞いた話です。韓国のテレビ局はKBS(NHKのようなもの)とかSBS,MBCなどのテレビ局があります。KBSの支局はNHKのなかにあり、以前KBSのお正月番組で韓国ドラマ好きな日本人ということで元日のKBSの番組に出たことがあります。
韓国語は残念ながら、まったくしゃべれません。韓国、中国の人は直接それぞれのテレビ局と契約しているようです。中国語は少し勉強しましたが。
投稿: こういち | 2017年1月 8日 (日) 10時27分
おはようございます。
今日もこういち様のブログ、楽しく拝見しております。
一つ、、
>韓国のテレビ局と契約すれば、日本でもすべて見られます。
とありますが、こういち様は、韓国語ご堪能なんですか?
投稿: そるすぎ | 2017年1月 8日 (日) 08時03分