「王充の墓を訪ねて」ー紹興、上虞を訪ねて ー訪問は2000年9月、ブログは2009年9月
小説『人、相食む』を書く前は、王充についての小説を書こうと思っていました。王充に関する資料集め、中国語の勉強のあと、今からちょうど9年前に、王充の墓を尋ねに行きました。 2000年9月、一人で近畿日本ツーリストの上海フリープランというのを頼みました。13日上海についた日はまるで嵐でした。翌14日は、上海の豫園やテレビ塔に行きました。テレビ等では雲の中で何も見えませんでした。泊まったのは錦江飯店南楼で、北楼は古いけれど立派な建物でしたが、南楼は三階建てで、窓から外を見れば狭い空間で煉瓦の壁しかみえず、冷蔵庫の音はうるさく、お風呂のお湯は赤茶けていました。フィットネスクラブは、南楼の宿泊者は利用できませんと散々でした。北楼と4泊で2万円しか違わないのに、ひどいものだと思いました。2泊3泊めは、他のホテルに泊まるから一番安いものでいいやと思ったのですが。
15日、電車で紹興まで行きました。駅舎は古く、暗くて鉄の檻の中で券を売っている感じ、トイレも汚くてひどいものでした。紹興、上虞とも、超モダンな駅舎を作っている最中でした。紹興で頼んでいた通訳の女性と待ち合わせしました。単なる観光なら一人でいいのですが、上虞で王充の墓を訪ねるなどというのは習いたての私の中国語では無理と思ったのです。紹興は魯迅の旧跡を観光する日本人の多いところです。とりあえず、府山公園の越王殿を見に行きました。その後、王充について何かあるかと思って紹興博物館に行きました。古ぼけた博物館にはほかに誰もいませんでした。王充については、コーナーがあり、王充の墓の写真,『論衡』の古い本、簡単な説明パネルがあるだけでした。その日はまだできてまもない、高層の紹興国際大酒店にとまりました。
16日、朝タクシーで紹興から上虞に向かいました。上虞は、中国の人もあまり知らない、地方都市です。紹興とともに、春秋時代のずいぶん昔から栄えていたところです。今では紹興市の中の上虞県となっています。(日本の県より小さい単位です)上虞の駅のところにタクシーがたくさん待っていて、たくさん運転手がよってきます。通訳の人は、喧嘩するぐらいの調子で交渉していましたが。半日110元(1450円)で貸し切りにしました。わたしにはとてもこういう交渉は無理です。ちなみに、上海では初乗りで10元,上虞では5元でした。地方は物価が安いのです。
はじめ、曹娥廟によりました。後漢の時代に、父親が川でおぼれ、探し回った娘が、遂に川に身を投げ、数日後、死んで父親の遺骸を背負ってともに浮かび上がったといわれます。その、親孝行を称賛して、廟を造りました。なかなか立派な建物です。後世その石碑の文章を曹操が激賞したとも伝えられています。このときはほかに人がいなく、閑散としていました。この廟の傍らの農村地帯はとても、古い崩れかかったような家が多く、急速に高層ビルが建ち始めた、上虞の町と対照的でした。
次に、地図を見せて、王充の墓へ行くことを依頼しました。タクシーの運転手は場所が分からず、近くに行ってもわからず、行ったり来たりしました。ガソリンスタンドで、聞いてようやくわかりましたが。わからないはずです。農道のような土の道で、車一台だけ入る道路で曲がるのですが。入口に何も標識がないのです。一応中国の地図では、国家重要遺跡地と書いてあるのですが。いかに訪れる人が少ないかということです。文化大革命のときだけ脚光を浴びたようですが。しばらく道を進むと、左にそれらしきものが見えてきました。石垣で囲いがしてあり、奥に丸い石垣でそこに土がもってあります。草ぼうぼうです。その途中は小さい木が植えられていましたが、石畳は草ぼうぼうでした。周りはみわたすかぎりのお茶畑です。墓の前には石碑が一つ建っていました。この墓は清の時代に王充を慕うものが作ったと書いてありました。あなたの小説を書かせていただきますと手を合わせました。そのうち待たせていたタクシーが来たので、かえることにしました。その日は上虞賓館にとまりました。ホテルの中には「舜井」があり、大きな井戸からは奇麗な水が大量に湧き出していました。このあたりの地は舜の生まれた地とされており歴史の古さを感じさせます。
17日は紹興と上虞の間の東湖と柯岩に行きました。柯岩は秦代からの石切り場で、変わった形の石が立っているのです。昔はただ畑の中にあったのが、池を造り整備してありました。さらに7年後に再び訪れた時には、立派な公園として素晴らしく整備されていてその変化に驚いたものです。私の小説では、主人公の第五倫がここで、賊に襲われ、謝夷吾、と鄭弘に助けられる場面を書きました。今では周りは大がかりな、工業団地の開発中でした。翌日帰る予定が、飛行機会社のストのせいで飛行機に乗れず、1日、用意されたヒルトンホテルで1日上海ですごし、得をした気分でした。
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