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2009年9月12日 (土)

共産主義社会では画家はいなくなる? マル、エン人間論(2)

『ドイツ イデオロギー』、分業について

 「共産主義主義社会では、各人が一定の専属の活動範囲をもたずに、どんな任意の部門においても、修行を積むことができる。社会が全般の生産を規制する。そしてまさにそれゆえにこそ私はまったく気の向くままに、今日はこれをし明日はあれをし、朝には狩りをし午後には魚をとり、夕には家畜を飼い、食後には批判をすることができるようになり、しかも猟師や漁夫や牧人または批判家(哲学者など)になることはない。社会的活動のこのような定着化、われわれを抑える物的な強力へのわれわれ自身の生産物の固定化こそ、(この強力-強制する力?)もはや我々の手に追えず、われわれの期待を出しぬき、われわれの目算を水の泡にする)、今までの歴史的発展における主要契機の一つである」(岩波文庫版p44)

 しかし、サンチョ(マックス、スティルナー)はおそらく知っているだろう。モーツアルト自身ではなく、ほかの人が大部分のモーツアルトのレーグヴィエム(鎮魂曲)を製作し、完成したのだし、またラファエロは彼のフレスコ壁画のうちのきわめて僅かのものを自分「しあげた」にすぎないことを。~  各人がラファエロの代わりに労働するのではなく、自分の中にラファエロのような人をひそめている各人がつつがなく発達をとげるというのだ。~    ラファエロも、あらゆる他の芸術家と同じように、かれ以前になされていた芸術の技術的な進歩と、彼の地方における社会組織および分業と、そして最後に彼の地方が交通していたすべての国々における分業とによって条件づけられていた。ラファエロのような個人がその才能を発展させるかどうかは、まったく需要にかかっており、そしてこの需要はまた分業と、そこから出てきた人間の教養関係とにかかっている。    

 「天文学ではアラゴやハーシェル~のような人々が共同観察のための組織化を必要と考え、それ以来初めていくつかの成果を収めるにいたった。歴史記述では何かの業績を上げることは、唯一者にとっては絶対に不可能である。~ もっぱら、個々人のうちにだけ、芸術的な才能が集中していること、これに関連して広く大衆において、その才能が抑圧されているのは分業の結果である。~

 いずれにしても、共産主義的な社会組織の場合には、純粋に分業から生まれる地方的、民族的な狭苦しさのもとに、芸術家が包摂されることや、この特定の芸術的なものに、個人が包摂されてしまうこと、したがって、彼がもっぱら画家、彫刻家などであること、またすでに、その名称も、彼の職業的発達の狭苦しさと、分業への彼の依存を十分に表すということもなくなってしまう。共産主義社会には画家などはいず、高々、絵をも好んで描く人々がいるにすぎない」(岩波文庫 p200~202)

 ずいぶんと長々と引用したのですが、この文章には将来の社会に対して、そして人間の在り方に対して大変大きな問題を提起しています。私がまだ学生のころ、この文章を、その通りだと思って、先輩の先生に話したところ、マルクスエンゲルスもすべて正しくはない。現代はマルクスの時代と異なり分業を進めない限りどうしようもないはずだ。むしろ、現代社会はいろいろな制約があって、たとえば研究者は、研究に専念できなくなっている。むしろ、研究に専念して業績が上がるような社会にするべきだと、いっていました。そこでかなりの論争になってしまいました。  マルクス、エンゲルスは、人間の全面的発達ということを理想としています。今でも、時にさまざまな面で一流であるという、全面的に発達し、成果を上げている人がいます。でもそれはそのような条件があったということが言えます。もちろん条件さえあれば、すべてそうなるわけではありません。その人個人個人で違います。私も、若いころは絵が好きで油絵を描いていましたが、次第にそういう余裕がなくなってしまいました。現在では絵を描くどころか、失業し、住むところも、食べるものもない人があふれています。そういう人がなくなり、趣味でなにか、絵でも音楽でもスポーツでも、釣りでも何でもいいのですが、好きで打ち込める余裕ができる社会にまずすることが大事なように思えます。全面的な発達を、みんなができる社会はまだまだ先のようです。

 共産主義社会なんて、今どきはやらないし、そんなことを考えること自体おかしいと感じられる方も多いと思いますが。未来の人間社会の在り方に対して、お読みになった方の感想を頂ければありがたいと思います。 追記 一部の恵まれた方は、さまざまな分野で天才的な、万能人ぶりを発揮します。もちろん、その人の努力も大きいのですが。やはりその人の恵まれた環境や条件というのも大きいです。生活に追われていては自分の能力を発揮するどころか食べるのに必死です。まずホームレスなどがいなくなるのが先決ですが。 理想社会は、絵も好きな人がいて、かなり上達をしてそれを、商品として売るためではなく自分や周りの人の楽しむためにあるというのが理想かもしれません。結構みんながいい絵を描けるようになるのです。スポ-ツも見るだけでなくみんなが自分で楽しめるようになることです。でも現実社会があまりにもマルクスやエンゲルスの時代からさらに分業が進んでいますから、今では到底考えられないことですが。

 追記 2011年10月 はるか昔、私と小原秀雄先生と徹夜の論争をしたことがありました。この分業をめぐっての話でした。

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