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2009年10月 8日 (木)

宗教は嫌いだけれど、宗教的なものは好き

 以前、「ブッダ、キリストは好きだけれど、宗教は嫌い」という文章をここのブログに書きました。苦しんでいる貧しい庶民を救済するために奮闘し、キリストは命まで捧げました。でも、そののち、自分たちの宗教こそが正しいと主張し、他の宗教や宗派を弾圧し、平気で人の命を奪い、支配者の権力を維持するために使われ、さらには麻薬のように人々を幻覚、幻想でだます、いわゆるアヘンとしての役割を果たす、宗教がいかに多かったことでしょう。世界のいろいろな戦争や対立は、宗教戦争をバックにしているものが多いのです。

 ただ現実には、世界中を見てみれば、宗教を信じていると答える人は圧倒的に多く、無神論を唱えるものは少数です。私は宗教がすべて、マイナスに働いているとは思いません。宗教でも、ありとあらゆる立場の者があります。世界には、ブッダや、キリストの精神を純粋に受け継ぎ、貧しい庶民のために奮闘する誠実な宗教者も多いのです。

 私は、すべてではありませんが、宗教は嫌いです、といいますが、宗教的なものは好きなのです。私が中学の時にテストをやった結果では、向いた職業はということに対して、宗教家となっていました。いろいろと宗教を批判しているのはむしろ宗教的なものが好きだからです。人々が、宗教を信じてそれで幸せになるのは、それは良いことです。他人から見て、かなりおかしいなと、思うものでも、人に迷惑をかけない限り、それはいいのです。それを無理やり人にも押し付けて、迷惑をかけなければ、いわゆる、信教の自由があります。一時マルクス、レーニン主義の名のもとに、スターリン時代のソビエト連邦、中国の文化大革命や、ポルポトのカンボジアでの宗教弾圧は大きな間違いです。

 また、世界の歴史の中で、文化の発展ということに関して言えば、宗教家は多大な発展に寄与してきました。彼らは当時最高の文化人であったのです。建築においても、お寺や教会は素晴らしい文化遺産です。私は、お寺や神社などに行くのがとても好きなのです。そして一応、きちんとお賽銭を上げ拝んできます。それで、いろいろなおみくじを集めるなどというマニアになり、その話をしたりもするのです。

 また、宗教家の中には、素晴らしい人はたくさんいます。特に感心するのが、瀬戸内寂聴さんです。若い間はいろいろな恋愛遍歴がありますが、仏門に入ってからは、いろいろな悩みをもった人への話をすることがとても素晴らしいのです。私は、テレビで見たものをビデオにとって置きましたし、5巻ほどの市販のビデオも買いました。たくさんのおばさん達(失礼)を前にして、話をし質問に答えます。その中で、親しい人との死別がありなかなか、気持の整理がつかないという人が多いのです。瀬戸内寂聴さんは、必ず言います。「この中で、私は死なないと思っている人はいますか?」と、誰も手をあげません。「そうなんです。私も、あなたもみんな死んでしまうんです。もうこれはどうしようもないのよね」、みんなどっと笑います。「みんないつかは死ぬんですよ」。そして「それをいつまでくよくよしていれば死んだ人も喜ばないでしょう」といいます。そして「親しい人が死んで悩んでいる人はとても多いのですよ、あなたばかりではないのよ」。みんなうなずきます。人が死んで悲しく、苦しいのはみんなそうななんだと、そう分かって諦めるのが、仏教の真髄なんですね。また、自分のことは棚に上げて、他人が悪いと思っている人には、違う観点で自分にも過ちがあるのかもしれないときづかせます。人は基本的なものの考え方が変わると、劇的に変わります。このような奇跡を、瀬戸内寂聴さんだけでなく、多くの宗教者がやっていると思います。ブッダも、キリストも、どうしても治らなかった多くの病人を言葉や温かい手を差し伸べるだけで、奇跡的に人を救いました。本当に深い信仰心は、人々の心に劇的に作用し、奇跡も起こります。ルルドの泉もそうです。でもその神秘現象のメカニズムは医学的に解明されています。

 宗教には良い面もありますが、現実は、マイナス面があまりに多すぎます。特に政治に大きく絡んでくると様々な問題が生じます。やはり、宗教ではなく、現代の科学の時代に合った、救済方法が、開発されなければならないと思います。その一つが、私が提唱する、実用的人間学に基づく、宗教的なものの良い点も取り入れた人間に関するゼネラリストの誕生にあると思うのですが、いかがなものでしょうか。

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