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2009年11月

2009年11月29日 (日)

人間学研究所 2009(H21)年12月例会のお知らせ

第19回実用的人間学研究会例会

 日時 : 2009年12月17日 (木) 18時30分より

 テーマ:「実用的人間学式 お悩み相談について」

       悩みごとについてどのようなものがあるのか。どのように対処されているのか

      実用的人間学研究会としてどのように、取り組んでいくのかについて、検討して

      みます。実用的人間学研究会では、「人間に関してのゼネラリスト」の養成を目

      ざしています。その「ゼネラリスト」がお悩み相談をすることができるのであろう      

      か来年4月位から、それが実際に可能かどうかテストを開始します。

 講師 :佐竹幸一  実用的人間学研究会会長

     鈴木裕貴  コンサルタント、アロマセラピスト 30分ほど今までに取り組

            んだ事例を報告していただきます

            (鈴木さんは「ミスエンドルフィン」というブログを書いています。

             興味のある方はアクセスしてみてください)

 場所 : 人間学研究所

 懇親会 :  未定

     ★ 参加自由です。下記までお申し込みください

 第60回新教育人間学部会

 日時 :2009年12月11日(金)18時30分より

 テーマ :「大学生活の現状と、今考えていること」

 講師 : 大槻茉未氏 東京学芸大学教育学部学生

      大槻さんは、今年例会に参加して以後ずっと、研究会の例会に参加されていま

      す、大学の現状について興味部会お話が聞けると思います。

 場所 : 人間学研究所

 懇親会 : 越路

 ◎ 人間学研究所のお問い合わせは、

       新宿区百人町1-4-19 第2佐竹ビル二階

   佐竹幸一まで 090-6549-2677 FAX 03-3209-1888

   jitu.ningengaku@nifmail.jp

                                                               

      

       

2009年11月26日 (木)

カウンセリングと実用的人間学的なお悩み相談 (1)

カウンセリング教室に学んで

 今まで、カウンセリングに関する本はいろいろと読んできましたが、一度は、カウンセリング教室で学んでみようと思い、読売文化センターの「カウンセラー養成講座」を2006年10月から受けてみました。読売文化センター新宿は歌舞伎町にあって、自宅から歩いて7分ぐらいのところにありました。日本カウンセリング研究会というところが主催するもので、月に2回ほど開催されます。日本カウンセリング研究会本部は市川市にあって、会長は田村悦子氏です。全日本カウンセリング協議会は、平成19年に創立40周年を迎えた、日本で最初の民間のカウンセラー養成機関だそうです。その中にいろいろな加盟団体があって、私が学んだ、カルチャーセンターの教室もその一つになります。

 コースには基礎コース、研修コース、専修コースとあって、一定の単位を修得すると全日本カウンセリング協議会の3級、2級の資格を得られるというものでした。それから、私は2年間学んで、理論編ではパーソナリティー理論と、人間論、実習編ではエンカウンターグループと、ロールプレーイングを学びました。1単位は18時間の学習で、基礎コース4単位、研修コース6単位、実習コース6単位の合計16単位を終了して、認定されると3級の認定資格を与えられるというものでした。ですから、3級を取るまでには4~5年くらいかかる計算になります。途中でワークショップという泊まりがけで集中的に学ぶ講座があって、それに参加しないととても、3級資格でも中なかとれないという感じがしました。

 教室は14時40分から16時40分の2時間でした。昼のコースでもあり、参加者6名のうち、男は私一人で、後は、女性ばかりでした。もうすでに、2年半やっている人が一番短く、みんな4~5年やっている方でした。講師のかたも永野さんという女性の方でした。みなさん永年参加していて、さらにはエンカウンターグループという形で自分のことも話をしあっている仲ですから、みんな親しいお友達という感覚でした。研修が終わると帰りに喫茶店に寄るか、3回に一回は、近くのお店に飲みに行きました。私も飲むのが好きですから、そこでおしゃベリするのも楽しみでした。

 最初は、「パーソナリティ理論」(テキストはパースナリティとなっています)についての講義です。カールロージャーズ全集の8巻の「パーソナリティ理論」の一部を小冊子にしたものがテキストになります。ただこのテキストは、原文直訳みたいなところがありとても難解です。「有機体」とか、「感官的、内臓的感覚」とか、「内部的照合枠」とか、いうような言葉が出てきて、先生まで首をかしげるところがありました。私も、すでにいろいろな本を読んでいたので、ここはこういうことでしょうとか、お話もしました。また3回に1回は、テーブルを取り去っての、それぞれが自由に語り合う、エンカウンターグループでした。エンカウンターグループとはカールロジャースが開発した、カウンセリングの方法です。エンカウンターグループには、指導者から、課題が与えられているもの(構成的)と、そうでないもの(非構成的、ベーシック)があって、ここのエンカウンターグループは、後者の立場のものでした。

 途中で、講師の先生もベテランの女性のかたに変わり、参加のメンバーも変わっていきました。1年半たってからは、話が終わった後で、飲みにいくこともなくなってしまいました。できれば3級の資格位はとってみようと思いましたが。まだ仕事をしていましたから、なかなか、泊まりがけのワークショップにまで、参加できず、このままでは資格取得まであと2年はかかりそうで、続ける意欲も薄れてしまいました。ちょうど、同じカルチャーセンターで、手相、人相のコースが始まり、そちらのほうが面白そうなので、丸2年でやめてしまいました。

 理論編では最初は「パーソナリティー理論」の170ページの小冊子を一回の2時間に3から4ページを読みあわせていくのですが、いささかまだるっこしい感じがしました。私の考えている実用的人間学に基づく、一種のカウンセリングでは、学ぶものが、カウンセリングのことだけではありません。もっと幅広く人間全体について学びます。それに4年くらいかけて、ようやく3級になって、もまだまだ不十分なようです。私の参加しているクラスの人は2級の指導員も含めだいたいすでに3級を持っていました。でもみなさん失礼ですが私の見るところ、十分にカウンセラーとして、通用するのか不安を感じました。実用的人間学のコースでは、二年くらいで、なにがしかの相談を受けられるようにならなければならないと思っています。ですから内容を濃くしていかなければなりません。

カウンセラーとは

 カウンセラーにはさまざまなものがあって、私の知るところでは、100数十流派があります。所轄する役所も、文部科学省や、通商産業省や、いろいろです。精神医学系と心理学系、産業カウンセラー系もいます。医師の世界では、国家試験に合格しなければ医師を名乗れませんが、カウンセラーはそうではありません。すでにたくさん存在していて、たとえば、一番権威あるとされる、「臨床心理士」でもまだ国家資格ではありません。また、ほかの資格のもとに、カウンセリングの実務をやっている人にあなたは資格がありませんから、カウンセリングをやってはいけませんとはいかないのです。ですから「占いカウンセラー」などを称することができるのです。

臨床心理士

 又、臨床心理士は、心理学の大学を出て大学院までいって、試験に合格しなければなりません。とても他の人にはチャレンジできません。では「臨床心理士」の資格を取ったからと言ってそれで十分ではなく、医者が医師の資格を取ったから、何でもできるというわけではないのと同じように、カウンセリングにはいろいろな、自分自身の人生経験や、臨床例を重ねてようやく適切な対応ができると思います。人生相談などは、大学院を出たばかりの人よりは、長年の人生経験を積み重ねた人のほうが有効なことが多いのです。そこで人生経験を積んできた人々の知恵を生かし、なおかつ、実用的人間学の知識をきちんと得た人の登場が待たれるわけです。以後、カウンセリングと、それに対しての私の構想をのべていきます。

2009年11月21日 (土)

性についてー実用的人間学的考察

 「週刊現代」11月28日号の12ページにわたる特集で、「日本人のSEX」というのがありました。それによりますと、日本人は世界主要26カ国のなかで、「年間セックス回数」ワースト一位だそうです。日本は年間48回で一位のギリシャの164回の三分の一だそうです。さらに、性生活の満足度は15%というひどい結果です。年48回というのはちょうど週に一回というところですが、40代の夫婦ではセックスレスが、きわめて多いようです。男性のED(勃起不全)推定1800万人いると推定されています。成人男子の3分の1近くです。若い人は本当は性欲の塊みたいだったのが、今では、草食系男子などといわれるようなひどい有様です。

 セックスレスとは、パートナーとの間で1カ月以上の性交がない状態を言うのですが、16歳から49歳の男女で、08年には37%がセックスレスで、それは年年増えているそうです。それも統計ではそうですが、相談所では日本の夫婦の60%はセックスレスだろうと言っています。どうも職場でのストレスが強くなり、出産後で、妻が子供に目が向いて、セックスしなくなってから、そのままなくなってしまう傾向が強いようです。又食べ物の偏りで亜鉛の摂取量が減って、味覚異常が出ているようですが。亜鉛不足は精子を作れなくなり、これは性欲減退に直接つながります。私自身の身の回りの人々の話でも、セックスレスだという人もとても多いのです。夫も、妻もお互いに異性としての魅力を感じなくなってしまっているようです。妻がエロスの対象でなく、自分にとっても「おかあさん」見たいな感覚になってしまうようです。ということで、「他の人となら」できるようです。そしてまた男性は多様化してコンビニ化した風俗産業とAV(アダルトビデオ)で自分で満足してしまうようです。今では簡単に手に入りますし、人間関係の煩わしさもありません。ただ、AVは誤った知識を植えつけて、男女関係を悪くするだろうと、私自身も見て感じます。私の住んでいるところは歌舞伎町に隣接しているところで、さまざまな風俗産業が嫌でも、目についてしまいます。

 日本人の性欲減退は少子化に直結します。地域で見ますと、沖縄や九州では出生率が多く、ラブホテルも多く、北海道が一番少ないようです。男女の性生活の意識でも、女性の性の高まりは男性に比べ、ゆっくりしているのに、男性の自分のペースで、体位をあまり変えず前戯も挿入時間も短く、女性が気持ちよくなる前におわってしまうそうです。女性はさらに、40を過ぎてくると、分泌液もすくなくなり、いきなり挿入されると、性交痛を起こします。それでますます性交が嫌になってしまいます。日本の女性の3分の1は日本の男性が一方的であると不快感を持っているそうです。実態はもっと多いかもしれません。女性の多くがセックスを仕方なくしているのかもしれません。

 日本における、性の現状はこのままにしておいていいものではありません。夫婦関係やぺアの男女の人間関係は極めて健全な社会にとって重要です。又心や身体の健康にとっても極めて重要なのです。中国で、仙人になる方法はいろいろあるのですが、男女の営みによって(房中術)仙人になったものが一番多いと言われます。お互いに好きなものどおしで、同時にクライマックスになると、生きていてよかったと感じますし、心身ともに深く満足すると、ストレスなど吹き飛んでしまいます。でもそのためには、特に男性のほうで、基本的な考え方を改める必要があります。

 まず性についてのただしい知識が必要です。しかしなかなか性に関しての正しい知識は得られません。誤ったもの、ゆがめられたものが多いのです。それから、70代位の人がよくいうのですが、さまざまな性犯罪があると、昔は赤線があったけれど、今はないからそういう問題を起こすと。でもそれは大きな間違いです。前にも言いましたが、私の住んでいる新大久保から歌舞伎町にかけてとその周辺はあらゆるセックス産業に満ちています。おそらく世界中で一番日本が多いと思います。台湾のタクシーの運転手で日本語をよく話せる人が、日本に行ってそういう楽しみをしてきた、又いきたいと言っていました。しかしいくら多いといっても、赤線のように、いわば政府が公認で売春を行わせるのとはまったく違います。少し話が飛びました。人間学研究所には性に関してのいろいろな書物が150冊ほどおいてあります。セクスオロジー(性科学)は人間にとって重要な学問です。  最近でjはアダム徳永という人の「スローセックス実践入門」とか「妻を愛する技術」講談社プラスアルファー新書などが出ているので読んでみるといいと思います。ともかく特に男性のほうで、自分本位になっていないか、お互いに十分に満足を得ようとしていないのではないかと反省する必要があります。また最近は、EDに対して、いい薬もできています。インターネットで、近くのそういう専門の医院へ行ってみることです。問診だけで、簡単に処方してくれて、後は診察券さえあれば薬をすぐ手に入れられます。内緒にということでインターネットなどで購入するとニセモノが多いそうです。バイアグラ、レビトラ、シアリスなどの薬があります。ニトロなどと一緒に飲まなければ安全です。シアリスは、なんと36時間も効いていて、多少油もの食べても平気だそうです。かなりセックスは精神的なものが左右します。持っていて、もしだめかなというときに、持っていると安心するそうです。

 夫婦関係始め男女関係は、セックスがうまくいっているときには、絶対にと言っていいくらいわかれないと思います。お互いに裸になって、ともに喜びを感じていれば、人間関係はうまくいきます。しかし、いくら仲(校正前には中になっていました。ちがう意味になってしまいます)がよくてもセックスが絶えてしまうと、何かの拍子で簡単に別れてしまうかもしれません。セックスをすると、お互いに少しでも、自分の容姿を気にします。又セックスをしていると、性ホルモンが盛んに分泌され、若々しくなります。また魅力的にもなります。恋をすると、美人になると言いますが、セックスをすると美人になると思います。男性も、なんとなく性的魅力を醸し出すでしょう。セックスレスでは枯れ木のようになってしまいます。夫婦関係がよくなれば、子供や両親などに対しても、人間関係がよくなります。  日本においても、何か世界で最低というセックス回数をせめてブービーの香港の年82回(日本48回)くらいまでに回復することになにがしかの手を打つ必要があるように思えます。ちなみに、66歳の私は一応現在も現役であると付け加えておきます。

2009年11月19日 (木)

常識的すぎる?実用的人間学 -おなやみ、相談の受付開始

 今年の7月22日より始めた、「こういちの人間学」ブログも、この文章で90件になりました。だいたい一日当たり、11件のアクセスがあり、11月18日現在で1326件になりました。どのようなものを書いてきたかについては、「こういちの人間学」の「ブログの整理」にまとめました。毎日、どのくらいの方がアクセスしていただいているかが楽しみとなっています。「人間とは何か」とか、「人間学とは何か」などという堅苦しいものに、アクセスは少なく、「韓国歴史ドラマについて」とか「エスニックの街大久保の紹介」、「人相術」などは、多くの方にみていただいています。シリーズで書いている途中のものも多く、当面200件を目指します。その内容を整理し、これから始めようと思っている、「実用的人間学のゼネラリスト養成講座」の資料にしようと思っています。

 私はカントの「実用的見地における人間学」の現代版を作ろうと思っているのです。すなわち、カントは学校を出てから身につけなければならないよりよく生きるための知恵、すなわち世間知(世界知とも)を、実用的人間学となづけました。カントは当時の科学、哲学の成果をもとにして幅広く、人間とは何か、人間はいかにあるべきかについて書きました。心理学や人類学や社会学などのもとにもなるようなことがさまざまに書かれています。カントの人間学では、人間は理性の力によって自分自身を教化し道徳化しなければならないといっています。またそれは単に個人のレベルにとどまらず、世界連邦の実現により戦争がない世の中をめざす(世界公民、あるいは世界市民)ものでなければならないと言っています。それは具体的に『永久平和のために』において書かれています。これは極めて重要なことで、ほかの多くの人間学のように、単なる「人間とはなにか」と、個人的な知識を満足させるものでもないし、あれこれのモラルを押しつけるものでもありません。

 私の提唱する「実用的人間学」は、まず第一に、「人間とは何か」について総合的にとらえる必要性を提起します。人間に関しての知識、特に自然科学的な知識は、驚くほどの速さで広がっています。カントの時代には想像もつかないほどです。人間は、宇宙の起源から、生命の起源、人類の起源、文明の起源と社会の発達~現代にいたる、歴史について、さらに世界全体のさまざまなあり方について統一的な世界観のもとに理解できるようになってきました。もちろん、未知の分野は、ますます広がっています。が、科学の立場に立った統一的な世界観の骨組はゆるぎないものになっています。問題はそれらの知識を、どのようにわかりやすく、まとめ上げ、多くの人々にわかりやすく、説明できるかが問題です。それは私の「実用的人間学」の大きな課題です。また、さまざまな人間に関する資料の整理や、人間学的な取り組みの現状などを調べる、地道な努力も行っております。

 それから、それら個人個人が身に付けた、「実用的人間学的な知識」を実生活でどのように活用するかが問題です。勉強して知識を得ただけでは、なかなか現実の生活で生かしていくことは困難です。もちろん個人個人がさまざまな経験を通して次第に身につけていくしかないのですが、その経験例を、ほかの人も自分に役立てられないかということがあります。実際の現場で、生きる、いわば「知恵」となる知識が必要です。現実に起きてくる様ざまな難問に対して、どう知恵を働かせたかの事例が重要です。ただ、現在ではそれ以前の状態です。また実用的人間学の知識と、実践的な、問題解決を経験した人が、いろいろな悩みや困難に適切なアドバイスができる、「人間に関するゼネラリスト」を養成できないかと思っているのです。一般の人々にとって、「科学的」というのは、むしろ冷たい感じや敵対的なイメージを抱いているのです。むしろ神秘的なものにひかれる傾向があります。科学的な立場に立つものが、多くの人々の具体的な悩みの解決に役立つように、なれば素晴らしいと思います。カール、セーガンは言います(『科学と悪霊を語る』)。科学する精神をもち、それを現実の社会で実践した人は、学歴や職業にかかわりなく科学者であると。実用的人間学はそういう、真の科学者をたくさん生みだしたいと思っています。

先日、久しぶりに中華街に行ってきました。古くからやっていた老舗の中華料理店がずいぶんすくなくなり、代わりに、ずいぶん安いねだんで食べられるのだなー、と感心するほど、安い値段になっている店が増えていました。80年ころから中国本土から来た中国人の人たち(新華僑)の人たちの店が増えたそうです。それから気がついたのは、今までも占いのお店は、奥まったところに散見されましたが、現在は、にぎやかな通りの一階に店を開いているということです。それもかなり目立つほどの数です。それだけ不安を抱え、占ってもらおうかという人が増えている証拠だと思います。 今の日本の社会ではうち続く不景気により、失業、重労働、人間性や人間の尊厳の無視、さまざまな不健康の状態のまん延などによりストレスは増大し、さまざまな、悩みに満ちています。しかしながら、その悩みに、身近に相談を受け適切にアドバイスする人が、ほとんどいないのです。カウンセラーの方はいますが、数も少ないし、どこの誰に頼んでいいかわかりません。またカウンセリングも万能ではありません。それで新興宗教や、怪しげな神秘主義にもとづいたものに、引き寄せられてしまいます。それも人により一定の効果はあるのですたれないのですが、かえって苦しみが増してしまうことも多いのです。そういう悩みや苦しみに対して、なんとか自分で克服する知恵を身につけること、又それを生かして、他の人の悩みを軽くし、場合によっては医師やカウンセラーなどを紹介する、科学者ー実用的人間学にもとづいた「ゼネラリスト」がたくさん生まれたらどれほど世の中はすごしやすくなることでしょう。それらの実現には、今ささやかながら行っている実用的人間学の例会のようないわばサロンも必要です。そのようなサロンがたくさんできればいいと思います。そしてカントが言うように、単に自分や自分の身の回りの人のことだけでなく、人々(民衆)を大切にする社会、その地球規模の連帯が進むような政治を変えていく必要があります。お読みになった方は大言壮語をとおっしゃるかもしれませんがそのように大きな視点は常に必要です。

 私の提唱する実用的人間学は、現在のところはあくまでも「私の」人間学です。この私というのは、一定の生まれ育ってきた、状況によって成り立っています。私は、職人や商人の家に生まれたいわゆる、プチブル層の出身です。その後、小企業の経営者となり、それなりの苦労もありましたが、全体的には経済的にも恵まれた状況にありました。その思想もどちらかと言うとあたりまえな常識的なものです。一時、私は完全なマルクス主義者を目指し人間学を離れましたが、現在は一定の距離を置いています。いわば今はリベラル派と言ったところでしょうか。ただマルクスやエンゲルスの業績をただ無視したり、まったく学ばないものは、世界全体を正しくとら得ることが難しいと思っています。又哲学的な思想基盤は一貫して弁証法的唯物論の立場に立っております。

 今までときどきは、猛烈に勉強したこともありますが、全体的には、ゆっくりと言うかのんびりで、この調子でいくと、一向にものにならないうちに、心身ともに衰えてしまいそうです。又私の知識ややっていることは、前にのべたように、あまりに常識的です。特別に新しいものを考え出すことではなく、知識を自分流に整理しているだけです。しかし、ゆっくりとしていますが、進むべき方向はあまり間違っていないのではないかと、確信を持つようになっています。少し詳しいものがないとまずいと思って、顔の研究(人相術)や、超能力や占いに関しては、それぞれの学会にも入って他の人よりは詳しく知っています。また「人間学」に関しての歴史と資料は専門的に研究を続けています。

 これから、実用的人間学の一般的な知識の整理とともに、実際の、悩みを持った方々の相談を受け、アドバイスを始めようと思っています。私は、独学でカウンセリングを勉強し、カルチャ-センターで学んだのも2年だけです。ただ曲がりなりにも40数年、人間学を学んできて、一応いろいろな知識を身に付けた私が、きちんと相談に乗れないようでしたら、どだい、「人間に関するゼネラリスト」などはとても不可能です。ですからこれから事例を積み重ねそのやり方が有効かどうかを確かめたいと思っています。とりあえず人間学研究所の場所を使って、私の主張に賛成してくれている方とともに、ぼちぼち始めようと思っています。本格的なスタートには、それに賛同していただく方がたくさんいないと不可能です。また、ときに初期の相談から専門家に引き継ぐことも起きてくるわけで、そのような方もなければなりません。医者、特に精神科のかた、カウンセラー、ソーシャルワーカー、弁護士、司法書士、税理士などの方々です。今後、このような趣旨に賛同していただける方がいらっしゃいましたらぜひ声をかけていただきますよう、お願い申し上げます。

2009年11月17日 (火)

経営人間学シリーズ(10) 歴史人間学Ⅱ 上杉鷹山

上杉鷹山(ようざん)を知っていますか。1983年に『小説上杉鷹山』(童門冬二(学陽書房)が書かれ、それに関連していろいろな本が出されました。もう22年もたっていますから、知らない方も多いと思います。不景気が続く時、破産しかかった藩をどのように立て直したか、ということを書いていて、100数年前の不景気の時にはずいぶん読まれました。今、100年に一度という不景気の中で又読み直してみるのもいいかも入れません。

 童門冬二は、たくさんの本を人間学の名のもとに出版しています。童門冬二は都庁の役人から小説家になった変わり種ですが、歴史上においても、経営においても”人が決めてである”こと、特に個人の役割を強調しています。読んで役に立つものがたくさんあります。

 それでは『上杉鷹山』について、読んでいない方のために、少しお話しましょう。

 上杉鷹山は、ドラマ「天地人」に出てきた名門、上杉家の養子として九州の小藩から養子に入り、15歳(17歳?)で藩主になりました。上杉氏の米沢藩は120万石あった石高が30万石に減らされ、さらに15万石に減らされていたのです。当時の米沢藩は、まさに倒産寸前というありさまでした。鷹山がお国入りの時、雪が降る中で、泊まる宿がなく絶望しかけていた時、火鉢の中にのころ火種から希望を見出していくところなどは、思わず涙を流してしまうところです。

 上杉鷹山は小藩から養子に来たこと、まだ若かったということで、ひどく軽視されました。そういう中で、思い切った改革を次々に実行に移します。古い考えの重役は抵抗をしますが、それを次々に排除し実力者を登用しました。再建の計画を明示し、必要な情報はすべて明らかにし、藩内を一致団結することに成功しました。また、、本人も徹底的に倹約をするとともに、さまざまな産業を興し、収入を増やしました。

 そしてもっとも大切なこととして、民の父母となること、藩主は民のためにあることを示し、本当の誠実さを貫きとおしたことでした。経営者がうわべだけ、社員を大切にしているように見えてもそれはすぐにみぬかれてしまいます。さらには、教育を徹底し、人々の能力も高くなりました。その結果、次第に藩の財政は安定し、店名の大飢饉でも、死者を一人も出さないほどの蓄積を作り出しました。また後継者の養成についても見事な手本を示しました。江戸時代には、いろいろな改革がおこなわれましたが、鷹山ほどに完璧にいったものはありません。

 これらのプロセスは共通していて、後漢の光武帝が、王莽の新の後の戦乱で、中国がどうしようもない状況の中から立て直したのも、同じような道筋がありました。光武帝は、「元元(げんげんー民衆のこと)を持って首とする」すなわち、民衆こそが最もたいせつなものであり、君主はそれを助けるためにあるものである。という、儒教の良い面にもとずいているのです。

 鷹山の肖像画あります。高い優れた額は高い知性をしめし、きれいに入ったしわは誠実さを表します。大きくしっかりした鼻は、強い自我意識と実行力を、そしてやさしいまなざしと、節制を示す小さく引っ込んだ口は、まさに鷹山そのものが見事に示されています。 興味をお持ちの方は、ぜひ小説を直接お読みください。

 筆者が、一年前まで経営していた会社も、あまり儲けるのが上手ではないうえに、いろいろな投資をして借金も多く、経営も大変だったのですが。働いている社員こそ大切であるとして、ほかの同業他社に比べて賃金水準や待遇も高くしてきました。社員の自主性を大切にしてきて、あまり会社の上下関係もうるさくしませんでした。その結果和気あいあいとした雰囲気がありました。また、新しい分野(建築分野)に積極的に進出し、大きく売り上げも伸びてきて、昨年会社分割をするころには、大きく利益が伸びてきました。その後合併して、前の会社のほうがよかったと、言う話をいくつか聞きます。それを聞くと、もう少し会社がそのまま存続し伸びて行ければよかったなと思っているしだいです。

 

 

2009年11月13日 (金)

人は自分の考えに固執する ニセ科学と懐疑論

 JAPAN SKEPTICS(ジャパンスケプティクス)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。おそらくほとんどないと思います。これは、1991年に始まった、超能力や超常現象を科学的に解明する学会です。よくテレビに出る大槻教授も一時やめて又入りなおしています。私は、1992年に入会しました。以前の安斉育郎会長の「超能力手品」に参加して、スプーン曲げ」をいくつか覚えて、みなの前で実演したことがありました。           

同じにこのころできたばかりの顔学会にも入りました。ちなみに、現在私の入っている学会はそのほかに日本科学史学会、総合人間学会です。

 スケプティクスとは、疑う、すなわち、懐疑論の立場に立つということです。世の中に氾濫する、さまざまな非科学、えせ科学、超能力や超常現象を科学的に疑ってみようというものです。このような会は世界中に存在しています。それは1976年に設立されたCSICOP(サイコップ)にもとづいて世界中に作られました。

カールセーガンと「科学と悪霊をかたる」

 科学とエセ科学については、いろいろな本が出ていますが、もっとも有名なのが天文学者のカール・セーガンの『科学と悪霊をかたる』(邦訳1997年新潮社)です。

セーガンは言います、

「世の中には、いい加減なまがい物の知識に満ちているが、科学的、懐疑的なものはほとんど人の目にはふれない。なぜなら、懐疑的なものは「売れない」からだという。アメリカ人は95%が科学のイロハも知らず、90%以上神や天国を信じ70%以上奇跡や天使を信じているといいます。科学者がいくら占星術を批判しても、占星術が受け止めてくれ、科学が受け止めてくれないという、社会的需要にこたえられていない限り衰えないのです。」

 セーガンによれば、科学する精神を持ち、それを現実の社会で実践した人は学歴や職業にかかわりなく、すべて科学者なのである。

 科学とは万人にどこでもいつでも成り立つ(証明できる)成り立たないか(反証できるがその成立条件である。神秘主義は信じるか信じないかである。マリノフスキーはいう、科学はまっとうな経験と努力と道理という確信の上に成り立っている。逆に魔法は、希望はついえず、願いはかなえられるという信念のもとにと。

 Jスケプティクスの役員でもある池内 了氏は、カールセーガンの本の解説で、「科学が地球を破壊するのではないか、科学の力で大きくなった資本主義社会に対する不公平感、閉そく感、科学からの逃避と科学への復讐これらを多くの人が持ち、理科離れを加速させ、さらに非科学的になる」といっています。受験のための理科ということで、理科嫌いも生じています。

 知的な人ほど騙されやすい。自分のみたもの、経験したものに、教育を受け自分が知的であると確信している人は絶対的に自信を持っているものです。そういう過度の確信を持つ人は騙されやすいのです。オウムや幸福の科学に入っている研究者や高学歴者などがその例です。

 科学の進歩とその成果のひろがりは、人々が途中でその考えを変えたからでなく、その考えを持った人が死んでいったことによります。

(たとえば地動説、進化論)人は一度身に付けた知識により近いものを選んで読んでいき、ますます自分の確信を深めようとします。もしかしたら自分が間違っているかも知れないから、批判的な本も読んでみようなどとは絶対に考えません。批判されればむきになって反論します。イギリスやアメリカに心霊主義者協会ができ、進化論者のウオレスやX線発生装置のクルックスやシャーロックホームズの著者コナンドイルなどもそうでした。

 私(筆者)がメールを交わした人たちで、超能力や、霊や生まれ変わりと前世など、を信じている人とずいぶん話しましたが、その非合理性をいくら話しても、感情的な反発が帰ってくるばかりでした。今までの、文部科学省の教育方針でも、科学的な態度を養うというより、神秘的なものに対しての畏敬の念を持たせるとなっていました。科学に比べて、信じてしまうほうが簡単で、心の平安も得られて、ご利益があるのでしょう。たとえば、私が、非科学的な宗教まがいな受け入れやすい変わった理論を提唱すれば、一部の熱狂的な支持者が得られるかもしれません。ただ「それらを批判する科学的な・・・」なんてものはあまり本も売れませんし、興味もひかれません。占いの本が爆発的に売れた人がその後、それは間違っていた、という自己批判の本を書きましたがほとんど売れなかったそうです。

 そこで、私の「実用的人間学」では、占いや、人相学や、身の上相談など、科学者がやらない部門でも、科学的態度で対応できないかと思っているのです。ただ頭から否定するだけでは意味がありません。カウンセリングを受けるより占いに走る人に、カウンセリングを受けなさいと言ってもあまり意味がないのです。占いのほうが気軽なのです。そこで、占い師に頼ると同じように、気軽に、相談に乗れる、「人間に関してのゼネラリスト」を養成して気軽に悩み事に相談の応じられる人ができないかとかと取り組んでいるのです。

参考

たけしの超能力を茶化した番組(たけしのテレビタックル)も続いています。「と学会」は「トンデモ本」を面白おかしく批判した本をいろいろ出しています。

 中国の後漢の唯物論哲学者王充の『論衡』はまさにさまざまな考え方に対して徹底的に検討し懐疑して(天秤にかけて)かいた書物です。

「疑似科学入門」 池内 了  2008年  岩波新書

「なぜ人はニセ科学を信じるか」 マイケルシャーマー 1999年邦訳 早川書房

  同上   早川文庫版 1,2 があります   2003年

「きわどい科学」 マイケル・フリードランダー  1997年 白揚社

「だまされない知恵」 安斎育郎  2007年 新日本出版社

「人間の測りまちがい」 グールド 河出書房新社

 その他多数あります

2009年11月11日 (水)

F エンゲルスについて マルクス・エンゲルス人間論 3、エンゲルスの伝記

 マルクスはいいのだけれど、エンゲルスがだめとか、ゆがめたとか、エンゲルスを非難する人がいます。私は個人的に、エンゲルスに共感を持つというか、好きなんです。エンゲルスと私ではまさに月とすっぽんなのですが、自分に少しでも似ているところがあると好きになるのです。エンゲルスの伝記はずいぶん昔にいろいろ読みました。その中に『フリードリヒ・エンゲルス』若き日の思想と行動(1969、土屋保男、新日本新書)という本があります。中なか面白い本でした。

エンゲルスの生い立ちと経営者エンゲルスの才能

 エンゲルスは、ドイツのバルメンの街一番の繊維工場の経営者の家に生まれました。大学に行きたかったのですが、父親によりエンゲルスは高校を中退させられ、ブレーメンの父の知人の店に見習いに出されました。3年近い修業を終えたエンゲルスはベルリンで砲兵として1年間軍隊に志願しました。そこでベルリン大学の聴講生となって勉強をし、唯物論や社会主義の考え方に傾いていきました。エンゲルスに大きな影響を与えたたのは、1841年に出たフォイエルバッハの『キリスト教の本質』という本でした。「神学の秘密は人間学」であるという唯物論の考え方はエンゲルスの考えを大きく変えました。しかし、フォイエルバッハの唯物論は自然についてのみで、社会についての唯物論的な見解になっていませんでした。  そしてケルンで「ライン新聞」の主筆となっていた、マルクスと出会いをするのです。1844年パリで再びあって話をした結果、そこで二人の考え方が全く同じであることを確認したのです。

 エンゲルスはイギリスのマンテェスターの父の共同経営の工場で働き始めました。そして、その仕事は一時中断しながら1850年には再び戻って、エンゲルスは、いやいやながら経営者の仕事をしながら終生マルクスの家計の援助を行います。それは20年間、1869年まで続きました。エンゲルスは経営の才もあって1852年ころには尋ねた父親を十分満足させるほど繁盛させていました。

エンゲルスと筆者の経営者としての違い

 エンゲルスがエルメン・エンゲルスという会社の経営者として立派に経営をしていながらさまざまな社会運動や本を書くことができたのはなぜだろうと思っていました。しかし伝記を見てわかりました。10時に仕事を始め4時には仕事が終了していたのです。私のように8時ころから、夕方6時過ぎまで、仕事で、そのあとも会議や、接待などが続くのとはだいぶ、違うことが分かりました。 私の場合は、研究者になりたかったのですが、親の家業をどうしてもつがざるを得ず、43年間商売の仕事をしました。昨年ようやく仕事から離れました。独学で人間学の勉強をしてきましたが、専門の研究者のようにはいかずさらに、人間全体について取り組んでいるために、なかなかものになりませんでした。ただ、人間学研究のたしになるように、会社の一室の提供、そして第2ビルの建設と、人間学研究所の建設ということで、人間学研究が長続きする一助にはなったのではないかと思います。

エンゲルスの活動、特に軍事的才能

 1846年には、マルクスとエンゲルスで共同で「ドイツイデオロギー」の草稿が作られ、共産主義運動の実践活動を続けながら,『共産党宣言』も書かれました。1848年にはパリで2月革命がおこりました。マルクスとエンゲルスにもフランスからの追放令が出されました。その後転々としエンゲルスは革命義勇軍の副官にもなりました。エンゲルスは大変優れた指揮官で、エンゲルスの軍隊は大変強かったようです。後ほどアメリカの百科事典で、軍に関する部分を担当し、弁証法的唯物論的軍事論のはじめとなりました。マルクスの娘たちは、長身で長いひげ、姿勢のぴんとした、きびきびしたかっこ良いエンゲルスを「将軍」とあだ名してよんでいたようです。

ロンドンにうつる、著作と実践活動

 1848年に、革命の敗北後、マルクスとエンゲルスはロンドンにうつります。そしてエンゲルスは前にのべたように商人の仕事を始めました。ロンドンにおける人々のありさまをエンゲルスは「イギリスにおける労働者階級の状態」に詳しく書き、マルクスの「資本論」の中でも同じように書かれていました。以後マルクスとエンゲルスは国際的な共産主義運動を指導するとともに、さまざまな本を書いていきます。そのもっとも重要なものがマルクスの『資本論』です。この著作が、大きく世界を変えたといっても過言ではありません。

  エンゲルスは、自分は謙虚に常々、私は第2バイオリンを弾いてきたと言っていました。しかし生活の安定しないマルクスの経済的な支援のためにいやな会社の仕事をしたのです。マルクスが死んだあとは一人で共産主義運動を支えました。それに加えてエンゲルスは、マルクスがやっていない、自然科学、社会科学の部門で、大きく理論を発展させました。一つは未完の『自然の弁証法』です。その中に、「猿が人間になるにあたり、労働の果たした役割」という文章があります。人類の起源に関しての古典的論文です。又『家族、私有財産および国家の起源』は人間や社会の起源に対していまだにもっとも大切な文書です。また「反デューリング論」ではいろいろな科学的見解とともに超能力や神秘現象に対しての批判も書きました。これらはマルクスのやっていない部門です。私(ブログ筆者)も人間学を提唱していますが、大学では、生物学を専攻しており、そういった面でも、エンゲルスに好感が持てるのです。

マルクス・エンゲルスの告白帳

 エンゲルスは47歳の時マルクスの娘たちが出した告白張に書いています。

あなたの好きな美徳ー快活さ、

あなたの主要な性質ー何事につけ一知半解なこと、

そうすることが好きなことー冗談を言ったり、言われたりすることなどです。

マルクスは同じような問いにあなたの

好きな美徳ー素朴、

そうすることが好きなことー本くい虫になること 

好きな格言ー人間のことで私に無関係で思えるものは何一つない、

好きな標語ーすべてを疑え、と書いていますが、

(これは質問項目の1部です。2016年5月に書いたブログには全項目が書いてあります)

まじめなマルクスと人間性の違いがわかります。エンゲルスはお酒が好きで快活でよく冗談を飛ばす人でした。私はお酒が好きですが、まったく冗談などがうまく言えないところが、エンゲルスと違うところです。

「マルクス、エンゲルスの人間論」を昔まとめてみたのですが、分量的には、エンゲルスの比重が大変高くなっています。エンゲルスは決して第2バイオリンなどではなかったのです。

「こういちの人間学ブログ」2016年5月

「ヒューマニスト『エンゲルス』の評伝、しかし、マルクスに比べ誤解され評価が低いまま」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/05/post-afe1.html

◎昔、人間学研究会ができて間もないころ、中心メンバーで、筆者を中心として勉強会をやっていました。一つは、マルクス・エンゲルス人間論をまとめること。主要な本は何冊か購入して比べました。手書きで書き出し、コピーして、分野別にまとめるところまで行っていました。

 そのメンバーで「告白帳」と同じような質問をしあってみたことがあります。懐かしい思い出です。

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2009年11月 8日 (日)

実用的人間学とはなにか 「こういちの人間学」について

 7月22日からブログを書き始めてから、現在83のブログを書いてきました。今までにのべで約900人の方に読んでいただき1200件のアクセスがありました。内容は筆者がやっている,実用的人間学に関することを中心に書いてきました。どのようなことを書いてきたかと申しますと、「こういちの人間学ブログ」の中の「ブログに何を書いてきたか」などを参照していただければわかります。また、「こういちの人間学」で検索していただきますと、今までのものが出てきます。ただし、7月22日より8月1日までの20件については、はじめ、「こういちのブログ」で書いていたものですから、ほかにも同じ「こういちのブログ」というものがあったため、今でははるか後方に、下がってしまいました。それで、みたいと思っても探し出すのが困難になっています。それでおいおいに「こういちの人間学」ブログに新たな文章を加え、書いていきたいと思います。

 私は、学生時代から、人間学について興味を持ち研究を続け、もう44年になりました。私は東京教育大学(今はありません)の生物学科を専攻していました。当時、関東地方の生物科の学生が集まった、関東生物科学生懇談会(略して生懇)というものがありました。私は、大学入学当時より、人間とは何かについて総合的に勉強したいと思いいろいろな本を読み、それを自分なりにまとめていました。当時、ちょうど人間学がはやりだした頃でもあり、私は生懇の中に「人間学分科会」を作りました。いろいろな大学の学生さんが集まり勉強会をやっていました。

 そのころ出された動物学者の小原秀雄氏(女子栄養大学名誉教授、総合人間学会副会長)の『動物版人間の条件』の中の、「人間学へのお誘い」を見て、感激し、小原秀雄氏の自宅を訪ねて行きました。それから小原秀雄氏とは、45年間に及ぶお付き合いをさせていただき、現在も引き続き人間学研究所でご指導いただいています。(2011年では47年間)私と小原秀雄氏との出会いが、人間学研究会、人間学研究所、総合人間学研究会から総合人間学会へとの発展の一番もとになるものだと思っております。そして現在も人間学研究所では月に二回の例会や『人間学研究所年誌』の発行などの地道な研究活動を続けております。

 新教育人間学部会 だいたい月一回 金曜日に開催

 実用的人間学研究会 だいたい月一回 第三木曜日に開催

 私は、いまでこそ、「人間学」はいろいろな大学で、「人間学科」や「人間学部」などがはやりの学問として、たくさんあリますが、当時は全くありませんでした。私は研究者になりたかったのですが、家業の「東京ガスの代理店」の仕事を継がざるを得ませんでした。私は、人間学を真に総合的に取り組むならば、現状のどこの分野にもなく、独自に一生の課題として取り組もうとおもいました。それで、大学卒業後も小原秀雄氏などと一緒に研究会を続けました。その途中空白がありますが、小原秀雄氏は柴田義松氏(東大名誉教授)や岩城正夫氏(和光大学名誉教授)とともに、女子栄養大学に画期的な「人間学」のコースを始めました。そのご、三氏と岩田好宏氏(元高校教諭、子供と自然学会会長)や森岡修一氏(大妻女子大学教授)、宮坂琇子氏(東海大学教授)、木村廣子氏や天野幸子氏(ともに女子栄養大学名誉教授)、関根秀樹氏(原始技術史研究所、和光大学講師)、中江和恵氏(東京家政大学講師)生田清人氏(駒澤大学講師)、河村信弘氏(元女子栄養大学)、西田隆男氏[自由の森学園)など多くの方々と人間学研究会、人間学研究所の活動を継続していきました。

 私は、中小企業の経営者として、経営を維持しながら、なんとか、人間学研究を維持してまいりました。本当はもっともうけて、大きな研究所を作りたかったのですが。一応第2佐竹ビルというところにささやかながら1991年に研究所を作ることができました。私自身が研究者の先頭に立つよりもその下支えをしようと思ったのです。ここには44年間の研究成果がすべて保管されています。その資料は膨大なものです。書物も13000冊になりましたがどうにも収容しきれなくなり、3000冊を処分しました。でも書物であふれています。これらの資料は後で重要な研究資料になると思います。現在は月に二回研究者中心の新教育人間学部会と私が会長となっている、一般の人が参加しやすい実用的人間学研究会とが例会を開催しています。また人間学研究所は、いろいろな研究諸団体の会議室として無料でお使いいただいております。私は私の人間学をカントの「実用的な見地の人間学」という言葉も借りて、私独自な「実用的人間学」と称しています。その詳しい内容は、いろいろなところで書いていきたいと思っています。

 私は、さまざまな「人間学」がありますが、そのすべての人間学全体を考察する人は、現在いないと思っております。あまりに分野が広くとてもまとめるのが困難です。私は、「人間学」と名のつく和書を収集、分類整理し、記録することや、現在ある人間学を称する団体の整理などの地道な活動を行っています。

 昨年65歳になり、仕事から離れました。念願の研究に専念できるようになりました。朝からこの研究所に「出勤」できるようになりました。私は、人間学研究所の専務理事、事務局長、実用的人間学研究会会長としての実務をこなしていきたいと思っています。また前から、取り組んでいる、『人、相食む』(後漢初期の歴史小説)の小説も完成させなければなりません。もう10年近くかけた、膨大な大作です。また、気軽に、この「こういちの人間学」ブログも書き連ねていきます。まだまだ、書かねばならないことのうちのほんのわずかですが、200件も書けば、私の「実用的人間学」の内容もわかっていただけるのではないかと思っています。又整理して新書判程度の電子出版でもしようと思っています。

 また、研究会への参加は自由です、気軽にお申込みください。どなたでも参加できます。特に実用的人間学研究会は研究者のみならず、会社員、主婦、学生など、さまざまな方が参加しています。例会の後は近くのエスニック料理店などに行き、気軽なサロンとなっております。例会のお知らせは、「こういちの人間学」ブログのところを開いていただきますと、例会の案内が出ております。

 人間学研究所、実用的人間学に興味のお持ちの方は気軽にご連絡ください。

 〒 169-0073  新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル 3階     

  年会費 3000円             

  TEL、 03-3209-1888

   私は 佐竹幸一と申します  090-6549-2677です。 

 

2009年11月 7日 (土)

民主党政権に期待する  少し長い目で見てあげよう

 民主党政権がスタートしました。世論調査では、おおむね評判がいいようです。もちろん、いろいろな問題点もあります。内閣官房機密費は、民主党が野党の時には、オープンにせよと言っていたのが、今度政権をとると、公開しないといっています。郵便会社の社長なども、元官僚がなっています。普天間問題でも、いろいろと、閣内に意見の違いがあります。鳩山首相の献金問題にもいろいろ疑惑が出てきて、歯切れの悪い答えをしています。

 ところがいろいろ問題点があっても、ずいぶんと、前の自公政権より良くなったと感じます。まず第一に、鳩山首相が思った以上に良いと思われていることです。今まで麻生首相の時には、外国へ行くと、知性に欠け、みすぼらしく、恥ずかしい感じでした。大臣もひどい人物が多かったですね。 ところが鳩山首相は、国連総会でも英語で堂々と演説をし、思い切って、温暖化ガス25%削減を打ち出すなど、世界でも大いに注目を集めました。やはり私も日本人ですから、自分の国の首相に少しでも誇りを持てるようでなければいけません。厚生労働大臣の我妻さんなんかも官僚のいじめにあっているとか言われますが、ずいぶんと頑張っています。健康を害さなければいいのですが。

 いま来年度予算についての詰めをおこなっていますが、体育館を借りきって、公開で行うようですし、次々に公約を実現しようとしています。八ッ場ダムでも、県知事などが反対しても、きっぱりやめるべきです。都知事、県知事はまだ保守系が多く、地元の土建屋とのつながりなども大きいと思います。われわれは、その圧力に負けず、無駄なダム建設をやめるように応援してあげる必要があります。ともかく今の民主党政権が大企業本位、官僚主導型から抜け出そうとしていることは確かです。ただ景気が悪く、税収が減っている中での、大きな支出を伴う子供手当など実現などは大変なものがあります。

 大企業、経団連などと、自民党の結びつきは強く、献金も圧倒的に自民党に行っていて、今経団連などは、つながりをどうしようかと、困っているようです。公共事業である電力会社が企業献金をしてはいけないので、かわりに経営者が強制的に個人献金を自民党にしていることが新聞に書かれていました。東京ガスでも7割の役員が、自民党に献金しています。今の民主党がかなり思い切った政策を打てるのは自民党にくらべ、圧倒的に企業献金がすくなかったからです。でもこれからが心配です、今自民党支持だった、農協、医師会などの業者団体が一斉に民主党に支持を変えています。

 以前私が現役で社長をやっていたころ、うちでは不動産業もやっていました。不動産業をやると、否応なしに不動産の会にいれられ、不動産政治連盟に入れられます。政治献金も前は会社からでしたが途中から、個人に変わりました。私はいやいやながら大嫌いな、自民党に間接的に献金させられたのです。ところが新宿支部では最近、民主党にも献金するようになりました。政権党に立てついてはいけないのです。私は昔は地元では、 14億の売上と80人の社員との社員がいる企業の社長をやっていましたから、町会や、商店会などでは、一定の役割を果たすことを期待されていました。しかし昔は、町会や商店会の幹部となると否応なしに、嫌いな自民党の議員との付き合いをせざるを得ない状況にあって、それが嫌で私は最低限のことしかしませんでした。

 でもこのように、業界団体や、大企業からも献金を受ければ、当然献金したところに対して便宜供与せざるを得ません。民主党が、献金を受けることにより、政策が変化して自民党と同じようになり、民衆の支持を失うことにならないか、とても心配です。企業からの政治献金はすっきりとやめることが、民主党政権が長続きする秘訣です。そうでないと腐敗堕落して人々の支持を失います。今まで歴史はそのようなことを繰り返してきました。まあ今はともかく、みんなで支持をしたのですから、あまり細かいことに、詮索をせずに、温かく見守ってあげる必要があります。

★2011年11月 野田政権になって、民主党は完全に、財界や官僚のための政党に変わってしまいました。暖かく見守ることはできなくなりました。

2009年11月 5日 (木)

日本人の起源1、 縄文時代人まで( 追加版)

 日本人の起源については現在、さまざまな角度から調べられ、いろいろ興味深いことが分かってきました。日本人の起源については、以前、旧石器時代の遺跡の多くがねつ造だったとわかり、教科書にも載せられていたことがくつがえり、大騒ぎでした。

 いろいろな本が出されていますが、ちょうど雑誌「ニュートンムック」の特集号で「日本人の起源」(09,10,15、ニュートンプレス社)について特集されているので紹介します。

 改めてこのブログに詳しく書きますが、ホモサピエンス(新人)は20~15万年前にアフリカで誕生したものが世界中に、広がったというアフリカ単一起源説が有力です。およそ6万年前ころから現生人類は、世界中に旅立ちました。今いろいろな種族、民族を見てみますとかなり違って見えますが、人類史の始まり、600から700万年の中ではごく最近のことだと言えます。日本には5万年前に到着し、15000年前には陸地としてつながっていたベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸にも、到達しました。ほかのネアンデルタール人やいろいろな人類はすべて絶滅してしまったということです。

 現在は、骨をDNA鑑定することで、その系統がかなりはっきりとわかってきました。以前テレビ番組で、日本人のルーツがいろいろあるということで、そのタイプの人が自分のルーツを訪ねて行く番組がありました。北は、バイカル湖周辺から、南は雲南省のほうまで大変広い地域でした。日本人はさまざまな人たちが混血して誕生したというのが特徴です。日本人の顔を見てみると、かなり融合した形ですが、ときどきその先祖の顔立ちを強く残した方がいます。

 日本に人類が入ってきたのは、旧石器時代後期の5~4万年前と思われます。旧石器時代の遺跡は日本中では5000ほどあって、それは沖縄から北海道まで日本中に存在していました。このころは氷河期で、日本は大陸とつながっていました。旧石器時代の人骨は日本が酸性土壌のため人骨が残りにくく、少ないのですが、沖縄では石灰岩地帯が多く、人骨が残っています。その代表的なものが18000年前とみられる港川人です。

 旧石器人はどこから来たかということですが、港川人などは南方ルートで、ジャワ島の「ワジャック人」と大変よく似ているということです。黒潮に乗って、島伝いに日本まで流れ着いてきたと思われます。ときどき、日本人でも、インドネシアやベトナム人そっくりな人がいます。私が以前いた会社にもベトナム人そっくりの人と、ポリネシア人、そっくりな人がいました。現地の人と間違えられたそうです。                            又朝鮮半島を通ってきた人と、樺太から北海道を経由して来た北方系の人々がいます。それらの人々は日本の中に混在していました。旧石器人は、ナウマンゾウなどを狩って生活していたようですが、絶滅後は小型の獣を狩っていました。彼らは定住生活をしていませんでした。

 15000年前から縄文時代になります。氷河期が終わり温暖化が進みました。このころから、ドングリなどの植物性食品に頼るようになり、定住するようになりました。それらを調理するためには土器が必要になってきます。3000年前の水田稲作が始まるまでの12000年の間を縄文時代と言います。ただ、縄文時代にもすでに稲作は始まっていたようです。縄文時代の遺跡は日本中に見つかっています。特に有名なのが青森県の三内丸山遺跡です。これは立派な建物などを持った大集落でした。縄文時代には竪穴式住居が広場を囲んで円形に作られました。縄文時代には、北日本の落葉樹林(シイやカシなど、いわゆるどんぐりのできる木)で、サケやマスが大量にさかのぼる地帯に多くの人々が住んでいました。その当時の西日本には、縄文系の人たちはあまり住んでいませんでした。

縄文人の顔は角ばった、堀の深い顔で、二重瞼、ひげが濃く、耳たぶは福耳でいわゆる、沖縄などに多い、濃い顔立ちをしていました。縄文人にはDNAの分析によりますと、大きく上海あたりを中心とした地域と、中国沿海州~樺太にかけての地域の人々が、既定集団をなしていたといわれています。

 日本人は縄文人と渡来系弥生人が混血して形成されたという2重構造論が有力だが、沖縄の人たちはほとんど、渡来系弥生人との関連性がないといわれています。ですから縄文人の傾向が色濃く残っています。一方アイヌの人たちも縄文人かと言われていましたが、最近では、サハリン(樺太)や千島列島に暮らしていたオホーツク人の系統であるとみなされています。

12月11日の新聞記事による、追加版です。

 2009年の12月11日付の各社の新聞に、日本などのアジアの国際研究チームが、73集団、1900人の遺伝子の個人差を解析し遺伝的な遠近を判別したところ、言語や生活方式、文化による集団のまとまりとよく一致し、移住ルートも推定されたと、11日付の米科学誌サイエンスに発表された。このように報道されました。

 現生人類の、ホモサピエンスは20~10万年前にアフリカで生まれ世界各地に進出したとされています。今度の発表では、アフリカからインドに渡りインドからミャンマー、タイをとおり、一方では中国から韓国、日本へ北上し、一方ではインドネシア方面に進んでいったとのことです。アイヌなどの、北方系のルートは調べられていないのですが。すでに、大まかにこのようなルートでと言われていたのですが、より詳しく証明されたということが言えます。又日本の本土や沖縄の住民は韓国人と最も近いということも証明されましたと。これもすでに言われていたことです。 上記の遺伝子解析は一塩基多型(SNP)のゲノムの個人差を見たものです。 すでに、母親から伝達される、ミトコンドリアのDNAから解析した日本人の起源に関する調査があります。DNAの同じ型を持ったグループをハプログループと呼びます。縄文人の基本をなすグループは、ロシアの沿海州あたりに起源をもつN9bと呼ばれるグループと、中国南部にルーツをもつM7aのグループが基層集団になっていると推測されています。今回の研究では、中国南部の人々にいたる経過が詳しく調べられたということになります。北方グループは調べられていません。北方ルートが調べられればより詳しく日本人のルーツがわかることと思います。

 

2009年11月 4日 (水)

人類の起源 ① ラミダス猿人以後・追記・NHK「人類誕生」2018

ラミダス猿人とアファール猿人の違い

人間とは何かということも追及する人間学にとって、人類の起源の問題は、きわめて重要なことは言うまでもありません。ここでは、ごく最近発表された、アルディとなずけられたラミダス猿人と、その前に、人類の起源としてもてはやされたルーシー(アファール猿人)との比較、チンパンジーとの比較などを書いてみることにします。

 2009年の10月2日のScience誌に、1994年にすでに発見されていた、ラミダス猿人について、11本の論文からなる、特集が発表されました。カリフォルニア大学のホワイト教授と、東京大学の諏訪 元教授の共同研究によるものです。ずいぶん前に発見されたのに正式な研究成果の発表はずいぶん遅くなりました。今は11月3日から29日まで国立科学博物館に、レプリカですがおかれています。比較のためのチンパンジーの頭骨とルーシーの骨盤模型が展示されています。国立科学博物館には、いろいろな年代の人類の復元模型が作られています。大変よくできていますから、興味のある方はぜひご覧になるといいでしょう。

アフリカ大地溝帯の乾燥とサバンナ化

 今から、600~700万円前、アフリカの大地溝地帯で乾燥がすすみ、森林がサバンナに変わっていきました。このとき、樹上生活をしていたチンパンジーやゴリラなどは後退した森林にのこりました。ところが、サバンナ地帯に住もうとする類人猿が現れました。それこそが人類の起源となる、最初の猿人の発生です。過酷なサバンナで生き残るために、人類の祖先は、直立2足歩行を始めました。直立すれば、遠くも見えますし、何より手が空いたのです。そしてその手で道具を作るようになりました。河合雅雄氏はヒト的な家族が生じ、男女の分業が始まり、労働の始まりは社会の始まりのもとであると言っています。

ラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)

 ラミダス猿人は、エチオピアで発見されました。身長120cm、体重45から50キロの成人女性で「アルディ」となずけられました。年代は440万年前です。350万年前のアファール猿人のルーシーよりかなり前になります。特徴は脳のサイズは300から350CCで、チンパンジーなみでした。450から500ccのルーシーに比べて、身体に比較してかなり小さいと言えます。ただチンパンジーに比べると、額の出っ張りや顎の出方などはかなり違います。何よりも2足歩行していたというところが決定的に違います。ですから、人間になる道は脳の巨大化ではなくまず直立2足歩行であったと言えます。そして道具の製作と使用、そして労働の始まりです。

アファール猿人 (アファレンシス)

 「ルーシー」(アファール猿人)は、やはりエチオピアで発見され、身長110cm、体重29kgです。「アルディ」に比べると脳が大きくなっています。アルディは土踏まずのアーチがないことや、足の親指が動かせる、など樹上生活も可能な形を残しています。腕もかなり長かったようです。アルディは、そんなに歯が摩耗していないのに対して、ルーシーは、イネ科の植物や根茎類などをかじってかなり摩耗しているという違いがあります。アルディは森林とサバンナの境界あたりに住んで、地上と樹上を自由に行き来していたのではないかと言われています。

人類と他の霊長類の違い

 一夫多妻的な霊長類のオスの犬歯はオス、メスで大きな違いが出ます。犬歯のゴリラでの雌雄差は50%、チンパンジーの雌雄の差は20から30%、アルディの、犬歯の男女差は10から15%とあまりなく、一夫多妻ではなく、チンパンジーに比べると攻撃性も強くなかったようです。家族で生活していた可能性が高いのです。ですから河合雅雄氏の説にも近いと思います。

 チンパンジーと人類の遺伝子の違いがあまり大きな違いがないといいますが、直立2足歩行、手の自由と道具の製作と使用、家族の分業と社会生活の変化などは、チンパンジーと大きな違いがあり、その後の脳の発達などに先行して起きています。600万年前の最初の人類に分岐するものとして、まだ断片的な化石しか見つかっていないサヘラントロプスなどにも共通する部分が多いと言われます。これからいろいろな新しい発見があり、人類の起源に関するミッシングリンクも次第につながってくるように思われます。

★ 河合雅雄氏の家族が人類を生み出した、という話は私のブログに書いてあります。

 よろしければご参照ください。2011年6月25日版

追 記 NHKスペシャル・シリーズ「人類誕生」の第1集 2018年4月9日放送

「こうしてヒトが生まれた」

 20種類もの人類が生まれ、ピンチを生き残った者だけが生き残った。

440万年前にアフリカで生まれた「アルディピテクス・ラミダス」

 サルとヒトの特徴を合わせ持ち身長は120センチくらい、普段は木の上にいて、地上に降りては二足歩行で木の実などをとっていた。ところが大地の激変で草原が乾燥化していったが、一夫一妻制が有利に働き生き残った。

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ラミダス猿人とアファール猿人との比較

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ラミダス猿人は脳はそれほど大きくなかった。足の形も樹上生活に向いたような足で木をつかめるような形だった。直立二足歩行は果物などを抱えて持ってくるのに適していた。

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ラミダス猿人の復元図

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ラミダスの骨盤は、現代人と同じように直立2足歩行に向いた骨盤の形。

ラミダスはチンパンジーに比べ、オスの犬歯が大きくなかった。一夫多妻のチンパンジーのオスの犬歯は争うため大きい。

240万年前の「ホモ・ハビリス」は、動物の骨を砕いて骨髄を食べるために石を使った。

道具を使うヒトの誕生です。

 

生命の起源について 人間とは何かを考えるために重要

 人間学にとって、「人間とはなにか」ということが、極めて重要な問いかけになりますが、さらに、人間とは何かを知るためにも、「宇宙とは何か」、「生命とは何か」、「知性とはなにか」などを知る必要があります。その本質を探るためには、アリストテレスが言うように、「起源と発展を知るとき、初めてものの本質を知ることができる」わけで、それぞれ、「宇宙の起源」、「生命の起源」、「人類の起源」、「知性の起源」などを知る必要があります。これらは人間の自然科学的側面であり、社会や文化の側面は又極めて重要なものです。

 「生命とは何か」という問いかけには、生きているとはどういうことか、いわゆる「いのち」とはなにか、死んだらどうなるのかといった問題につながっていきます。神がすべての物質と、生物と人間を作ったと、考えるのか。神の存在を一切考えずにそれらのものが自然の発展形態のうちに生じてきたと考えるかで、大きく立場が異なってきます。

 『日経サイエンス』(Scientific American 日本版)の2009年12月号には、「特集『起源』に迫る」、1400円日経サイエンス社、としてさまざまなものの起源について書かれています。そのなかで特に太字で強調されているのが、宇宙、生命、コンピューター、知性でした。面白い内容なので興味ある方はお読みください。

 1、生命は歴史上どのようにとらえられてきたか

1)アリストテレス 自然発生説 (ゴミの中からハエが発生するといった考え方です)

2)キリスト教 聖書の「創世記」 神が万物のもとである アメリカでは、神が作ったということを科学的に説明し、進化論を否定する「創造論科学」が、一定の影響力を持っている

3)東洋では万物に通ずる「気」の働きと捉える

4)生気論か機械論かの論争がつづく デカルトは二元論を主張

5)パスツールの実験 自然発生説の否定 首の長いフラスコの中にスープを入れておいても 腐らないことを示した、バクテリアの自然発生を否定 

6)エンゲルス、生命を「蛋白体の存在様式」と定義する。弁証法的唯物論からの解釈

7)オパーリンの物質進化による生命の起源説(コアセルベート仮説)

8)DNAの発見、遺伝子操作の時代 ヒトゲノムの解明(分子生物学)

 2、生命の特性について

1)入れ物をもっている(細胞膜をもっている)                                            2)自己複製できる 地球上では核酸の存在 (DNA,RNA)                           3)自己維持できる  代謝により、動的平衡状態を保つ エントロピー増大の法則に逆らう物質系である シュレーディンガー                                                            4)進化することができる 米航空宇宙局は化学者のジョイスによる、「ダ―ウイン進化をすることができる自律的な科学システム」を採用

3、生命の起源について(日経サイエンスによります、要約をそのまま記載します)

RNA起源説(RNAができた後にDNAができてきた)                              

1)原子の地球にも存在していた単純な科学物質から遺伝物質であるRNA分子ができるプロセスがわかってきた。                                                 2)RNAによく似た分子を内側に含んだ原始的な細胞が自然に自己組織化して、すべての生命を生み出したという仮説を裏付ける研究もある                                3)完全に自己複製できる生物を実験的に作りだそうと言う研究もおこなわれている。人間の手でもう一度新しい生命体を作り出せれば、生命がどのようにして誕生したのかを理解できるであろう。

深海底での熱水の噴き出し孔には、生命の発生しやすい条件が備わっている

 ヌクレオチドは粘土層の力を借りてヌクレオチドがいくつも重なった、ポリマーとなっていった。粘土から離れたポリマーは、RNAへと変化した。脂肪酸が自然に並んだ膜で袋(原始細胞)の中に水と一緒に包み込まれる。これを「プロトセル」と言うが、これが自分の遺伝物質を複製し始め増殖を始める。この過程は2009年5月に英国マンテェスター大学のサザーランドらによって解明されました。

 「プロトセル」はRNA(リボザイム)の働きで、代謝活動を始め、周りから栄養素を取り入れる さらにアミノ酸から、たんぱく質が作られる。タンパク質は酵素となっていろいろな働きを始める さらに安定した遺伝物質である DNAがつくられる (DNAワールドとなる) ミトコンドリアなどのほかの物質を取り込む そしてついに細菌に似た生物が出現する 

 現在ではこの説が最も有力ではあるが そのほかにも以下の3説などがある

①ペプチド核酸(PNA)起源説 (PNAはRNAより簡単なので最初の生物はこれが起源なのではと  

②代謝起源説 最初の生命はエネルギーを加工する触媒のネットワークとして誕生した 

③パンスペルミア説(宇宙からやってきたという説)隕石の中にアミノ酸が含まれていた、などの発見

など様々な説があります。ほとんどが単なる転記なので、改めて、まとめて書いてみたいと思います。いずれにしても、生命が、物質進化して起きたかどうかで、ずいぶん前に創価学会の幹部と論争したことがあります。物質進化で生命が発生することはないというのです。その当時は、わからないことが大変多かったのですが、最近では、上に示したように、かなり生命の発生のプロセスがわかってきました。人工生命を作るのもそう先ではないように思います。また、火星や木星の衛星エウロパなどに生命が存在している、あるいはしていたかは、大変興味深いところです。いずれにしても生命及び生物が物質進化の過程で生まれたと確信することは、実用的人間学的な考え方の基本であると思います。

                 

2009年11月 2日 (月)

人間学研究所 11月例会のご案内 大久保の街を巡る

第59回新教育人間学部会

 「科学ってなんだ」 討論会

 日時 : 2009年11月6日 (金) 18時30分から

 問題提起 : 永井 治氏 人間学研究所研究員

  「科学」とは何かについて、永井氏から問題提起していただき、参加者で討議してみた いと思います。ぜひご参加ください。

 懇親会 :豆腐料理 越路にて

第18回実用的人間学研究会例会

 「大久保の街、探索」

 日時: 2009年11月19日(木) 18時30分から

 案内者 :佐竹幸一 実用的人間学研究会会長

 エスニックの街はこの数年でさらに変わっております。大久保の街を一緒に歩いてみませんか。新しい地図も差し上げます。小雨決行です。

 懇親会 : 韓国家庭料理 店未定

        ご希望があれば、カラオケ店にも行きます。

 場所は いずれも 人間学研究所 実用的人間学のほうは、簡単な説明後

 一緒に街に出かけます。

1, 1 実用的人間学研究会の例会は、会員でなくてもだれでも参加できます。会員でない方で参加ご希望の方は、090-6549-2677 佐竹幸一へ電話で申し込みいただくか

2, 「こういちの人間学ブログ」の、「エスニックの街、大久保」韓国料理を参照いただければ、簡単な説明があります。興味のある方はご参照ください。

 FAX 03-3209-1888へどうぞ

 人間学研究所

  〒169-0073 新宿区百人町1-4-19  第2佐竹ビル 2階

   TEL・FAX 03-3209-1888 電話は不在がちです。 

 

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