日本人の起源1、 縄文時代人まで( 追加版)
日本人の起源については現在、さまざまな角度から調べられ、いろいろ興味深いことが分かってきました。日本人の起源については、以前、旧石器時代の遺跡の多くがねつ造だったとわかり、教科書にも載せられていたことがくつがえり、大騒ぎでした。
いろいろな本が出されていますが、ちょうど雑誌「ニュートンムック」の特集号で「日本人の起源」(09,10,15、ニュートンプレス社)について特集されているので紹介します。
改めてこのブログに詳しく書きますが、ホモサピエンス(新人)は20~15万年前にアフリカで誕生したものが世界中に、広がったというアフリカ単一起源説が有力です。およそ6万年前ころから現生人類は、世界中に旅立ちました。今いろいろな種族、民族を見てみますとかなり違って見えますが、人類史の始まり、600から700万年の中ではごく最近のことだと言えます。日本には5万年前に到着し、15000年前には陸地としてつながっていたベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸にも、到達しました。ほかのネアンデルタール人やいろいろな人類はすべて絶滅してしまったということです。
現在は、骨をDNA鑑定することで、その系統がかなりはっきりとわかってきました。以前テレビ番組で、日本人のルーツがいろいろあるということで、そのタイプの人が自分のルーツを訪ねて行く番組がありました。北は、バイカル湖周辺から、南は雲南省のほうまで大変広い地域でした。日本人はさまざまな人たちが混血して誕生したというのが特徴です。日本人の顔を見てみると、かなり融合した形ですが、ときどきその先祖の顔立ちを強く残した方がいます。
日本に人類が入ってきたのは、旧石器時代後期の5~4万年前と思われます。旧石器時代の遺跡は日本中では5000ほどあって、それは沖縄から北海道まで日本中に存在していました。このころは氷河期で、日本は大陸とつながっていました。旧石器時代の人骨は日本が酸性土壌のため人骨が残りにくく、少ないのですが、沖縄では石灰岩地帯が多く、人骨が残っています。その代表的なものが18000年前とみられる港川人です。
旧石器人はどこから来たかということですが、港川人などは南方ルートで、ジャワ島の「ワジャック人」と大変よく似ているということです。黒潮に乗って、島伝いに日本まで流れ着いてきたと思われます。ときどき、日本人でも、インドネシアやベトナム人そっくりな人がいます。私が以前いた会社にもベトナム人そっくりの人と、ポリネシア人、そっくりな人がいました。現地の人と間違えられたそうです。 又朝鮮半島を通ってきた人と、樺太から北海道を経由して来た北方系の人々がいます。それらの人々は日本の中に混在していました。旧石器人は、ナウマンゾウなどを狩って生活していたようですが、絶滅後は小型の獣を狩っていました。彼らは定住生活をしていませんでした。
15000年前から縄文時代になります。氷河期が終わり温暖化が進みました。このころから、ドングリなどの植物性食品に頼るようになり、定住するようになりました。それらを調理するためには土器が必要になってきます。3000年前の水田稲作が始まるまでの12000年の間を縄文時代と言います。ただ、縄文時代にもすでに稲作は始まっていたようです。縄文時代の遺跡は日本中に見つかっています。特に有名なのが青森県の三内丸山遺跡です。これは立派な建物などを持った大集落でした。縄文時代には竪穴式住居が広場を囲んで円形に作られました。縄文時代には、北日本の落葉樹林(シイやカシなど、いわゆるどんぐりのできる木)で、サケやマスが大量にさかのぼる地帯に多くの人々が住んでいました。その当時の西日本には、縄文系の人たちはあまり住んでいませんでした。
縄文人の顔は角ばった、堀の深い顔で、二重瞼、ひげが濃く、耳たぶは福耳でいわゆる、沖縄などに多い、濃い顔立ちをしていました。縄文人にはDNAの分析によりますと、大きく上海あたりを中心とした地域と、中国沿海州~樺太にかけての地域の人々が、既定集団をなしていたといわれています。
日本人は縄文人と渡来系弥生人が混血して形成されたという2重構造論が有力だが、沖縄の人たちはほとんど、渡来系弥生人との関連性がないといわれています。ですから縄文人の傾向が色濃く残っています。一方アイヌの人たちも縄文人かと言われていましたが、最近では、サハリン(樺太)や千島列島に暮らしていたオホーツク人の系統であるとみなされています。
12月11日の新聞記事による、追加版です。
2009年の12月11日付の各社の新聞に、日本などのアジアの国際研究チームが、73集団、1900人の遺伝子の個人差を解析し遺伝的な遠近を判別したところ、言語や生活方式、文化による集団のまとまりとよく一致し、移住ルートも推定されたと、11日付の米科学誌サイエンスに発表された。このように報道されました。
現生人類の、ホモサピエンスは20~10万年前にアフリカで生まれ世界各地に進出したとされています。今度の発表では、アフリカからインドに渡りインドからミャンマー、タイをとおり、一方では中国から韓国、日本へ北上し、一方ではインドネシア方面に進んでいったとのことです。アイヌなどの、北方系のルートは調べられていないのですが。すでに、大まかにこのようなルートでと言われていたのですが、より詳しく証明されたということが言えます。又日本の本土や沖縄の住民は韓国人と最も近いということも証明されましたと。これもすでに言われていたことです。 上記の遺伝子解析は一塩基多型(SNP)のゲノムの個人差を見たものです。 すでに、母親から伝達される、ミトコンドリアのDNAから解析した日本人の起源に関する調査があります。DNAの同じ型を持ったグループをハプログループと呼びます。縄文人の基本をなすグループは、ロシアの沿海州あたりに起源をもつN9bと呼ばれるグループと、中国南部にルーツをもつM7aのグループが基層集団になっていると推測されています。今回の研究では、中国南部の人々にいたる経過が詳しく調べられたということになります。北方グループは調べられていません。北方ルートが調べられればより詳しく日本人のルーツがわかることと思います。
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コメント
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お返事おくれました。
日本人のルーツについては私はまだ勉強中で詳しくはないのですが、いろいろ人の顔を見て想像するのも面白いですね。お返事ありがとうございます。
投稿: 屋尖浩二 | 2015年8月 2日 (日) 13時39分
屋尖様
私なりの見解を申し上げます。平井堅さんは、ほりが深く、毛深そうなので、やや縄文系ともみられますが、大阪出身で顔は長めで、典型的な縄文系とは言えないようです。Hydeさんの顔は縄文系ではありません。背が156センチだといわれ、土井が浜遺跡の人骨が同じように156センチだということで、縄文系といわれているように感じます。和歌山の出身のようですね。
港川人は縄文人の祖先というよりオーストラリアやニューギニアの人たちに近いようです。黒潮に乗って南方から来たのでしょう。
投稿: こういち | 2015年6月19日 (金) 19時56分
はじめまして、屋尖浩二と申します。
>縄文人の顔は角ばった、堀の深い顔で、二重瞼、ひげが濃く、耳たぶは福耳でいわゆる、沖縄などに多い、濃い顔立ちをしていました。
歌手の平井堅やHydeのルーツはどこだと思われますか?縄文人でしょうか?港川人でしょうか?港川人は堀が深い顔をしています。最新の研究によると港川人と縄文人の顔はかなり違うようです。
投稿: 屋尖浩二 | 2015年6月19日 (金) 16時52分