人は自分の考えに固執する ニセ科学と懐疑論
JAPAN SKEPTICS(ジャパンスケプティクス)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。おそらくほとんどないと思います。これは、1991年に始まった、超能力や超常現象を科学的に解明する学会です。よくテレビに出る大槻教授も一時やめて又入りなおしています。私は、1992年に入会しました。以前の安斉育郎会長の「超能力手品」に参加して、スプーン曲げ」をいくつか覚えて、みなの前で実演したことがありました。
同じにこのころできたばかりの顔学会にも入りました。ちなみに、現在私の入っている学会はそのほかに日本科学史学会、総合人間学会です。
スケプティクスとは、疑う、すなわち、懐疑論の立場に立つということです。世の中に氾濫する、さまざまな非科学、えせ科学、超能力や超常現象を科学的に疑ってみようというものです。このような会は世界中に存在しています。それは1976年に設立されたCSICOP(サイコップ)にもとづいて世界中に作られました。
カールセーガンと「科学と悪霊をかたる」
科学とエセ科学については、いろいろな本が出ていますが、もっとも有名なのが天文学者のカール・セーガンの『科学と悪霊をかたる』(邦訳1997年新潮社)です。
セーガンは言います、
「世の中には、いい加減なまがい物の知識に満ちているが、科学的、懐疑的なものはほとんど人の目にはふれない。なぜなら、懐疑的なものは「売れない」からだという。アメリカ人は95%が科学のイロハも知らず、90%以上神や天国を信じ70%以上奇跡や天使を信じているといいます。科学者がいくら占星術を批判しても、占星術が受け止めてくれ、科学が受け止めてくれないという、社会的需要にこたえられていない限り衰えないのです。」
セーガンによれば、科学する精神を持ち、それを現実の社会で実践した人は学歴や職業にかかわりなく、すべて科学者なのである。
科学とは万人にどこでもいつでも成り立つ(証明できる)成り立たないか(反証できるがその成立条件である。神秘主義は信じるか信じないかである。マリノフスキーはいう、科学はまっとうな経験と努力と道理という確信の上に成り立っている。逆に魔法は、希望はついえず、願いはかなえられるという信念のもとにと。
Jスケプティクスの役員でもある池内 了氏は、カールセーガンの本の解説で、「科学が地球を破壊するのではないか、科学の力で大きくなった資本主義社会に対する不公平感、閉そく感、科学からの逃避と科学への復讐これらを多くの人が持ち、理科離れを加速させ、さらに非科学的になる」といっています。受験のための理科ということで、理科嫌いも生じています。
知的な人ほど騙されやすい。自分のみたもの、経験したものに、教育を受け自分が知的であると確信している人は絶対的に自信を持っているものです。そういう過度の確信を持つ人は騙されやすいのです。オウムや幸福の科学に入っている研究者や高学歴者などがその例です。
科学の進歩とその成果のひろがりは、人々が途中でその考えを変えたからでなく、その考えを持った人が死んでいったことによります。
(たとえば地動説、進化論)人は一度身に付けた知識により近いものを選んで読んでいき、ますます自分の確信を深めようとします。もしかしたら自分が間違っているかも知れないから、批判的な本も読んでみようなどとは絶対に考えません。批判されればむきになって反論します。イギリスやアメリカに心霊主義者協会ができ、進化論者のウオレスやX線発生装置のクルックスやシャーロックホームズの著者コナンドイルなどもそうでした。
私(筆者)がメールを交わした人たちで、超能力や、霊や生まれ変わりと前世など、を信じている人とずいぶん話しましたが、その非合理性をいくら話しても、感情的な反発が帰ってくるばかりでした。今までの、文部科学省の教育方針でも、科学的な態度を養うというより、神秘的なものに対しての畏敬の念を持たせるとなっていました。科学に比べて、信じてしまうほうが簡単で、心の平安も得られて、ご利益があるのでしょう。たとえば、私が、非科学的な宗教まがいな受け入れやすい変わった理論を提唱すれば、一部の熱狂的な支持者が得られるかもしれません。ただ「それらを批判する科学的な・・・」なんてものはあまり本も売れませんし、興味もひかれません。占いの本が爆発的に売れた人がその後、それは間違っていた、という自己批判の本を書きましたがほとんど売れなかったそうです。
そこで、私の「実用的人間学」では、占いや、人相学や、身の上相談など、科学者がやらない部門でも、科学的態度で対応できないかと思っているのです。ただ頭から否定するだけでは意味がありません。カウンセリングを受けるより占いに走る人に、カウンセリングを受けなさいと言ってもあまり意味がないのです。占いのほうが気軽なのです。そこで、占い師に頼ると同じように、気軽に、相談に乗れる、「人間に関してのゼネラリスト」を養成して気軽に悩み事に相談の応じられる人ができないかとかと取り組んでいるのです。
参考
たけしの超能力を茶化した番組(たけしのテレビタックル)も続いています。「と学会」は「トンデモ本」を面白おかしく批判した本をいろいろ出しています。
中国の後漢の唯物論哲学者王充の『論衡』はまさにさまざまな考え方に対して徹底的に検討し懐疑して(天秤にかけて)かいた書物です。
「疑似科学入門」 池内 了 2008年 岩波新書
「なぜ人はニセ科学を信じるか」 マイケルシャーマー 1999年邦訳 早川書房
同上 早川文庫版 1,2 があります 2003年
「きわどい科学」 マイケル・フリードランダー 1997年 白揚社
「だまされない知恵」 安斎育郎 2007年 新日本出版社
「人間の測りまちがい」 グールド 河出書房新社
その他多数あります
« F エンゲルスについて マルクス・エンゲルス人間論 3、エンゲルスの伝記 | トップページ | 経営人間学シリーズ(10) 歴史人間学Ⅱ 上杉鷹山 »
「生き方について、人生論」カテゴリの記事
- 古代発火法の岩城正夫氏が朝日新聞で紹介されました。岩城氏について書いたブログ。岩城氏は元気で長生きの見本となる方です。(2019.03.26)
- 『坂の上の雲』から、「一つだけ言え」ということ、女性が相手を選ぶ時も、何を求めるのかー古川氏の話し(2012.06.15)
- 自分を知るとは 「ジョハリの窓」 知られていない自分(その2)(2011.05.31)
- 自分を知るとは 「ソフィーの世界」死の自覚と生の素晴らしさ(その1)(2011.05.29)
- 比較人生論 真下信一 志位和夫、B、ラッセル、村松恒平 (3)290(2011.05.27)
コメント
« F エンゲルスについて マルクス・エンゲルス人間論 3、エンゲルスの伝記 | トップページ | 経営人間学シリーズ(10) 歴史人間学Ⅱ 上杉鷹山 »
コメントありがとうございました。
安斎育郎さんは、理系だから騙されない
という言い方はせず、人間は誰しも間違いうる
つまり騙される存在だと言います。
そして、疑似科学に騙されるのは
「欲得」「思いこみ」が原因であるといいます。
私はそれに加えて、「好き嫌い」もあると思います。
アイツの言い方が気に入らないから正しいけど賛成できない。
それは自由ですが、結局それって自分も損をする
ことが多いですね。
人間が持つわがままさや意固地さは人間らしさといえますが、
それはやはり、騙される第一歩にもなっています。
人間というのはむずかしい。
投稿: 草野直樹 | 2009年12月18日 (金) 03時20分
昨日は、大変お世話になり、ありがとうございました!
カール・セーガンさんの本は、今まで1冊しか読んだことがありませんでした。『科学と悪霊をかたる』さっそく読んでみたいと思います。
すごい勢いで、ブログの更新を行っているのですね!実は自分も日記のような」ブログをやっているのですが、しばらくお休みしてしまうことも。。
これから、度々遊びにこさせていただきます。
先日集まった方々、手相や顔相に興味深々でしたので、今度じっくり講義してください。
今後の、ご活躍を楽しみにしています!!
投稿: 張替です | 2009年12月 6日 (日) 20時24分