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2009年11月11日 (水)

F エンゲルスについて マルクス・エンゲルス人間論 3、エンゲルスの伝記

 マルクスはいいのだけれど、エンゲルスがだめとか、ゆがめたとか、エンゲルスを非難する人がいます。私は個人的に、エンゲルスに共感を持つというか、好きなんです。エンゲルスと私ではまさに月とすっぽんなのですが、自分に少しでも似ているところがあると好きになるのです。エンゲルスの伝記はずいぶん昔にいろいろ読みました。その中に『フリードリヒ・エンゲルス』若き日の思想と行動(1969、土屋保男、新日本新書)という本があります。中なか面白い本でした。

エンゲルスの生い立ちと経営者エンゲルスの才能

 エンゲルスは、ドイツのバルメンの街一番の繊維工場の経営者の家に生まれました。大学に行きたかったのですが、父親によりエンゲルスは高校を中退させられ、ブレーメンの父の知人の店に見習いに出されました。3年近い修業を終えたエンゲルスはベルリンで砲兵として1年間軍隊に志願しました。そこでベルリン大学の聴講生となって勉強をし、唯物論や社会主義の考え方に傾いていきました。エンゲルスに大きな影響を与えたたのは、1841年に出たフォイエルバッハの『キリスト教の本質』という本でした。「神学の秘密は人間学」であるという唯物論の考え方はエンゲルスの考えを大きく変えました。しかし、フォイエルバッハの唯物論は自然についてのみで、社会についての唯物論的な見解になっていませんでした。  そしてケルンで「ライン新聞」の主筆となっていた、マルクスと出会いをするのです。1844年パリで再びあって話をした結果、そこで二人の考え方が全く同じであることを確認したのです。

 エンゲルスはイギリスのマンテェスターの父の共同経営の工場で働き始めました。そして、その仕事は一時中断しながら1850年には再び戻って、エンゲルスは、いやいやながら経営者の仕事をしながら終生マルクスの家計の援助を行います。それは20年間、1869年まで続きました。エンゲルスは経営の才もあって1852年ころには尋ねた父親を十分満足させるほど繁盛させていました。

エンゲルスと筆者の経営者としての違い

 エンゲルスがエルメン・エンゲルスという会社の経営者として立派に経営をしていながらさまざまな社会運動や本を書くことができたのはなぜだろうと思っていました。しかし伝記を見てわかりました。10時に仕事を始め4時には仕事が終了していたのです。私のように8時ころから、夕方6時過ぎまで、仕事で、そのあとも会議や、接待などが続くのとはだいぶ、違うことが分かりました。 私の場合は、研究者になりたかったのですが、親の家業をどうしてもつがざるを得ず、43年間商売の仕事をしました。昨年ようやく仕事から離れました。独学で人間学の勉強をしてきましたが、専門の研究者のようにはいかずさらに、人間全体について取り組んでいるために、なかなかものになりませんでした。ただ、人間学研究のたしになるように、会社の一室の提供、そして第2ビルの建設と、人間学研究所の建設ということで、人間学研究が長続きする一助にはなったのではないかと思います。

エンゲルスの活動、特に軍事的才能

 1846年には、マルクスとエンゲルスで共同で「ドイツイデオロギー」の草稿が作られ、共産主義運動の実践活動を続けながら,『共産党宣言』も書かれました。1848年にはパリで2月革命がおこりました。マルクスとエンゲルスにもフランスからの追放令が出されました。その後転々としエンゲルスは革命義勇軍の副官にもなりました。エンゲルスは大変優れた指揮官で、エンゲルスの軍隊は大変強かったようです。後ほどアメリカの百科事典で、軍に関する部分を担当し、弁証法的唯物論的軍事論のはじめとなりました。マルクスの娘たちは、長身で長いひげ、姿勢のぴんとした、きびきびしたかっこ良いエンゲルスを「将軍」とあだ名してよんでいたようです。

ロンドンにうつる、著作と実践活動

 1848年に、革命の敗北後、マルクスとエンゲルスはロンドンにうつります。そしてエンゲルスは前にのべたように商人の仕事を始めました。ロンドンにおける人々のありさまをエンゲルスは「イギリスにおける労働者階級の状態」に詳しく書き、マルクスの「資本論」の中でも同じように書かれていました。以後マルクスとエンゲルスは国際的な共産主義運動を指導するとともに、さまざまな本を書いていきます。そのもっとも重要なものがマルクスの『資本論』です。この著作が、大きく世界を変えたといっても過言ではありません。

  エンゲルスは、自分は謙虚に常々、私は第2バイオリンを弾いてきたと言っていました。しかし生活の安定しないマルクスの経済的な支援のためにいやな会社の仕事をしたのです。マルクスが死んだあとは一人で共産主義運動を支えました。それに加えてエンゲルスは、マルクスがやっていない、自然科学、社会科学の部門で、大きく理論を発展させました。一つは未完の『自然の弁証法』です。その中に、「猿が人間になるにあたり、労働の果たした役割」という文章があります。人類の起源に関しての古典的論文です。又『家族、私有財産および国家の起源』は人間や社会の起源に対していまだにもっとも大切な文書です。また「反デューリング論」ではいろいろな科学的見解とともに超能力や神秘現象に対しての批判も書きました。これらはマルクスのやっていない部門です。私(ブログ筆者)も人間学を提唱していますが、大学では、生物学を専攻しており、そういった面でも、エンゲルスに好感が持てるのです。

マルクス・エンゲルスの告白帳

 エンゲルスは47歳の時マルクスの娘たちが出した告白張に書いています。

あなたの好きな美徳ー快活さ、

あなたの主要な性質ー何事につけ一知半解なこと、

そうすることが好きなことー冗談を言ったり、言われたりすることなどです。

マルクスは同じような問いにあなたの

好きな美徳ー素朴、

そうすることが好きなことー本くい虫になること 

好きな格言ー人間のことで私に無関係で思えるものは何一つない、

好きな標語ーすべてを疑え、と書いていますが、

(これは質問項目の1部です。2016年5月に書いたブログには全項目が書いてあります)

まじめなマルクスと人間性の違いがわかります。エンゲルスはお酒が好きで快活でよく冗談を飛ばす人でした。私はお酒が好きですが、まったく冗談などがうまく言えないところが、エンゲルスと違うところです。

「マルクス、エンゲルスの人間論」を昔まとめてみたのですが、分量的には、エンゲルスの比重が大変高くなっています。エンゲルスは決して第2バイオリンなどではなかったのです。

「こういちの人間学ブログ」2016年5月

「ヒューマニスト『エンゲルス』の評伝、しかし、マルクスに比べ誤解され評価が低いまま」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/05/post-afe1.html

◎昔、人間学研究会ができて間もないころ、中心メンバーで、筆者を中心として勉強会をやっていました。一つは、マルクス・エンゲルス人間論をまとめること。主要な本は何冊か購入して比べました。手書きで書き出し、コピーして、分野別にまとめるところまで行っていました。

 そのメンバーで「告白帳」と同じような質問をしあってみたことがあります。懐かしい思い出です。

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