常識的すぎる?実用的人間学 -おなやみ、相談の受付開始
今年の7月22日より始めた、「こういちの人間学」ブログも、この文章で90件になりました。だいたい一日当たり、11件のアクセスがあり、11月18日現在で1326件になりました。どのようなものを書いてきたかについては、「こういちの人間学」の「ブログの整理」にまとめました。毎日、どのくらいの方がアクセスしていただいているかが楽しみとなっています。「人間とは何か」とか、「人間学とは何か」などという堅苦しいものに、アクセスは少なく、「韓国歴史ドラマについて」とか「エスニックの街大久保の紹介」、「人相術」などは、多くの方にみていただいています。シリーズで書いている途中のものも多く、当面200件を目指します。その内容を整理し、これから始めようと思っている、「実用的人間学のゼネラリスト養成講座」の資料にしようと思っています。
私はカントの「実用的見地における人間学」の現代版を作ろうと思っているのです。すなわち、カントは学校を出てから身につけなければならないよりよく生きるための知恵、すなわち世間知(世界知とも)を、実用的人間学となづけました。カントは当時の科学、哲学の成果をもとにして幅広く、人間とは何か、人間はいかにあるべきかについて書きました。心理学や人類学や社会学などのもとにもなるようなことがさまざまに書かれています。カントの人間学では、人間は理性の力によって自分自身を教化し道徳化しなければならないといっています。またそれは単に個人のレベルにとどまらず、世界連邦の実現により戦争がない世の中をめざす(世界公民、あるいは世界市民)ものでなければならないと言っています。それは具体的に『永久平和のために』において書かれています。これは極めて重要なことで、ほかの多くの人間学のように、単なる「人間とはなにか」と、個人的な知識を満足させるものでもないし、あれこれのモラルを押しつけるものでもありません。
私の提唱する「実用的人間学」は、まず第一に、「人間とは何か」について総合的にとらえる必要性を提起します。人間に関しての知識、特に自然科学的な知識は、驚くほどの速さで広がっています。カントの時代には想像もつかないほどです。人間は、宇宙の起源から、生命の起源、人類の起源、文明の起源と社会の発達~現代にいたる、歴史について、さらに世界全体のさまざまなあり方について統一的な世界観のもとに理解できるようになってきました。もちろん、未知の分野は、ますます広がっています。が、科学の立場に立った統一的な世界観の骨組はゆるぎないものになっています。問題はそれらの知識を、どのようにわかりやすく、まとめ上げ、多くの人々にわかりやすく、説明できるかが問題です。それは私の「実用的人間学」の大きな課題です。また、さまざまな人間に関する資料の整理や、人間学的な取り組みの現状などを調べる、地道な努力も行っております。
それから、それら個人個人が身に付けた、「実用的人間学的な知識」を実生活でどのように活用するかが問題です。勉強して知識を得ただけでは、なかなか現実の生活で生かしていくことは困難です。もちろん個人個人がさまざまな経験を通して次第に身につけていくしかないのですが、その経験例を、ほかの人も自分に役立てられないかということがあります。実際の現場で、生きる、いわば「知恵」となる知識が必要です。現実に起きてくる様ざまな難問に対して、どう知恵を働かせたかの事例が重要です。ただ、現在ではそれ以前の状態です。また実用的人間学の知識と、実践的な、問題解決を経験した人が、いろいろな悩みや困難に適切なアドバイスができる、「人間に関するゼネラリスト」を養成できないかと思っているのです。一般の人々にとって、「科学的」というのは、むしろ冷たい感じや敵対的なイメージを抱いているのです。むしろ神秘的なものにひかれる傾向があります。科学的な立場に立つものが、多くの人々の具体的な悩みの解決に役立つように、なれば素晴らしいと思います。カール、セーガンは言います(『科学と悪霊を語る』)。科学する精神をもち、それを現実の社会で実践した人は、学歴や職業にかかわりなく科学者であると。実用的人間学はそういう、真の科学者をたくさん生みだしたいと思っています。
先日、久しぶりに中華街に行ってきました。古くからやっていた老舗の中華料理店がずいぶんすくなくなり、代わりに、ずいぶん安いねだんで食べられるのだなー、と感心するほど、安い値段になっている店が増えていました。80年ころから中国本土から来た中国人の人たち(新華僑)の人たちの店が増えたそうです。それから気がついたのは、今までも占いのお店は、奥まったところに散見されましたが、現在は、にぎやかな通りの一階に店を開いているということです。それもかなり目立つほどの数です。それだけ不安を抱え、占ってもらおうかという人が増えている証拠だと思います。 今の日本の社会ではうち続く不景気により、失業、重労働、人間性や人間の尊厳の無視、さまざまな不健康の状態のまん延などによりストレスは増大し、さまざまな、悩みに満ちています。しかしながら、その悩みに、身近に相談を受け適切にアドバイスする人が、ほとんどいないのです。カウンセラーの方はいますが、数も少ないし、どこの誰に頼んでいいかわかりません。またカウンセリングも万能ではありません。それで新興宗教や、怪しげな神秘主義にもとづいたものに、引き寄せられてしまいます。それも人により一定の効果はあるのですたれないのですが、かえって苦しみが増してしまうことも多いのです。そういう悩みや苦しみに対して、なんとか自分で克服する知恵を身につけること、又それを生かして、他の人の悩みを軽くし、場合によっては医師やカウンセラーなどを紹介する、科学者ー実用的人間学にもとづいた「ゼネラリスト」がたくさん生まれたらどれほど世の中はすごしやすくなることでしょう。それらの実現には、今ささやかながら行っている実用的人間学の例会のようないわばサロンも必要です。そのようなサロンがたくさんできればいいと思います。そしてカントが言うように、単に自分や自分の身の回りの人のことだけでなく、人々(民衆)を大切にする社会、その地球規模の連帯が進むような政治を変えていく必要があります。お読みになった方は大言壮語をとおっしゃるかもしれませんがそのように大きな視点は常に必要です。
私の提唱する実用的人間学は、現在のところはあくまでも「私の」人間学です。この私というのは、一定の生まれ育ってきた、状況によって成り立っています。私は、職人や商人の家に生まれたいわゆる、プチブル層の出身です。その後、小企業の経営者となり、それなりの苦労もありましたが、全体的には経済的にも恵まれた状況にありました。その思想もどちらかと言うとあたりまえな常識的なものです。一時、私は完全なマルクス主義者を目指し人間学を離れましたが、現在は一定の距離を置いています。いわば今はリベラル派と言ったところでしょうか。ただマルクスやエンゲルスの業績をただ無視したり、まったく学ばないものは、世界全体を正しくとら得ることが難しいと思っています。又哲学的な思想基盤は一貫して弁証法的唯物論の立場に立っております。
今までときどきは、猛烈に勉強したこともありますが、全体的には、ゆっくりと言うかのんびりで、この調子でいくと、一向にものにならないうちに、心身ともに衰えてしまいそうです。又私の知識ややっていることは、前にのべたように、あまりに常識的です。特別に新しいものを考え出すことではなく、知識を自分流に整理しているだけです。しかし、ゆっくりとしていますが、進むべき方向はあまり間違っていないのではないかと、確信を持つようになっています。少し詳しいものがないとまずいと思って、顔の研究(人相術)や、超能力や占いに関しては、それぞれの学会にも入って他の人よりは詳しく知っています。また「人間学」に関しての歴史と資料は専門的に研究を続けています。
これから、実用的人間学の一般的な知識の整理とともに、実際の、悩みを持った方々の相談を受け、アドバイスを始めようと思っています。私は、独学でカウンセリングを勉強し、カルチャ-センターで学んだのも2年だけです。ただ曲がりなりにも40数年、人間学を学んできて、一応いろいろな知識を身に付けた私が、きちんと相談に乗れないようでしたら、どだい、「人間に関するゼネラリスト」などはとても不可能です。ですからこれから事例を積み重ねそのやり方が有効かどうかを確かめたいと思っています。とりあえず人間学研究所の場所を使って、私の主張に賛成してくれている方とともに、ぼちぼち始めようと思っています。本格的なスタートには、それに賛同していただく方がたくさんいないと不可能です。また、ときに初期の相談から専門家に引き継ぐことも起きてくるわけで、そのような方もなければなりません。医者、特に精神科のかた、カウンセラー、ソーシャルワーカー、弁護士、司法書士、税理士などの方々です。今後、このような趣旨に賛同していただける方がいらっしゃいましたらぜひ声をかけていただきますよう、お願い申し上げます。
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