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2009年12月 6日 (日)

経営人間学シリーズ(11)歴史人間学Ⅲ 中国古典に学ぶ

 人間の風格や、人物の大きさの違いはどこから出てくるのでしょうか。力量のある人間は力量のある人間をすぐ見分けることができます。一番大切なことは、大きな志を持っているかということと、生きた学問をしているかどうかです。それらによって眼の輝き、状況にあった的確な話ができること、修羅場をくぐりぬけてきて、さらには実績に裏付けられた自信と落ち着き、等々が全体の風貌に現れてきます。

 大企業トップの愛読書は、よく孔子の『論語』と言われます。帝王学として学んでいるのです。昔の歴代の総理大臣などは、よく中国の漢籍に通じて、立派な書なども書けました。ただ、最近の安部、麻生元総理などはどう見ても勉強していない感じです。鳩山さんも英語はペラペラですが、中国古典はどうでしょうか。変転する現代では論語などの儒学だけではなく変化に対応しやすい、老荘思想も学んでおくとよいかもしれません。

 組織の長たるものに必要とされる条件はすでに述べましたが、優れた組織は、戦争と同じでトップ(社長、総大将)、補佐役、軍師役、侍大将等それぞれの持ち味を発揮している組織です。そしてその組織を作り出すのが、トップの役目です。ですからもっとも重要であることは言うまでもありません。中国の歴史を見ても、トップの帝王次第で、良い官僚が育ち善政が行われます。一番良い例が、光武帝以下の三代の皇帝の、後漢初期の政治でした。さまざまな与えられた条件の中で、優れた部下を見出し育てる能力、そして彼らを真剣に改革にとりくまさせる人間的魅力は、まさに学び経験していく中で高められていきます。

 よく学んでいれば、あらゆる状況の変化に対応しうる可能性があります。(学ぶというのは坐学的学問ではありません)。前回あげた、上杉鷹山も、師の細井平洲等について、実によく勉強していたからこそ、正しい方針を立てられたのです。経営者幹部は一生勉強し続けることが絶対必要です。現状を正しくとらえる能力も極めて大切です、。それで初めて正しく対処することができます。学ぶことをやめたとたんに滅びの道が待っていると言っても過言ではありません。

 さて中国の歴史上際立っている三人の漢の劉氏を比べてみましょう。前漢の創立者、劉邦、後漢の創立者、光武帝劉秀そして、三国時代の蜀の劉備です。三人に共通しているところは、三人ともきわめて、立派な、風貌をしていたということです。いわゆる龍顔だったということです。

 劉邦(高祖)も全く無頼な人物だったのですが、その風貌は王者の顔をしていました。みなその顔にほれ込んでしまったのです。とくに、馬商人の中山の豪商である、張世平と蘇双がこの人物は只者ではないとほれ込んで多額の軍資金を出しました。巨万の富を持つ呂氏は自分の娘を嫁がせました。劉邦は面長の顔で、鼻が高く、立派なひげをしていたと言われます。また、太ももに72のほくろがあったといいます。

一番生まれのよかった光武帝劉秀も、親を早く亡くし大変苦労しました。しかし、身長は7尺二寸(168センチ)当時としては背が高く、眉目秀麗と言われました。顎髭がやはり立派で額の上部が盛り上がって太陽のような印象(日角)を与えたといいます。優れた容貌の人物でした。

 劉備も父親は役人をしていましたが早く死んだため、むしろ作りをしているような貧しい状態でしたが、身長7尺5寸(172,5センチ)腕が膝まで届いたと言われます。また耳が大変大きく自分の耳を見ることができたというのですが、実際には不可能だと思いますが。ともかく王者の風貌がありました。まあ、風貌だけではなく、人物の中身もすごかったのですが。

 劉邦はライバルである項羽と戦い、戦闘では負け続けますが、軍師としての張良、宰相としての、蕭可(しょうか)、大将としての韓信ら有能な部下の能力を目いっぱい発揮させました。そして最後には部下を次々に追放し、自分の能力だけに頼る項羽をうち破ってしまいました。劉邦は、人一倍欲望が強く、だらしなかったりして、人格的に優れた人物とは言えませんでしたが、それでも人のいうことをよく聞き、自分の過ちを素直に認める度量がありました。何よりもこの人についていきたいという人間的な魅力を持っていました。しかし劉邦の欠点は功績をあげた部下を信用せず、次々に、血なまぐさい粛清をしてしまいました。

 劉備も諸葛孔明を軍師として、関羽や張飛などの諸将を心から心服させ、かれらの働きで天下の三分の一を得ました。しかし劉備の死後、無能な息子を後継者としたことで諸将は育たず、孔明は実質的なトップ、軍師、大将役を一人でやらなければならず、結局体力的にも続かず、戦いの中で死んでしまいました。蜀の人口がわずか94万人、それに比べて魏の人口は443万で、国力の違いはどうしようもなかったのです。

 後漢の設立者である光武帝は太学で儒学を学びました。その教養は、後漢政府を効率よくおさめるには大変役立ちました。新の大軍をほんのわずかな兵で倒したということもありましたが。やはり、心服していたさまざまな人材をうまく活用しました(雲台三十二将など)。光武帝の偉いところは、建国の功臣を一人も、殺すようなことはなかっことです。後世に建武、永平の治と言われる模範的な政治をしたのですが、残念ながら日本では、劉備や、劉邦に比べほとんど取り上げられません。(『光武帝』という小説がひとつだけ)光武帝は諸葛孔明や、司馬光が中国歴代の皇帝の中で随一の名君と絶賛した人物です。魏の曹操も光武帝を深く尊敬し、自分の代では漢を倒しませんでした。私が小説「人相食む」で、光武帝を高く評価して多くのページを割いているのは光武帝という人を多くの人に知ってもらいたいからです。

 儒学に加えて『三国志』や『史記』は生きた(経営)人間学の宝庫と呼ばれるほど、学ぶことは多いのです。『中国古典の人間学』などの守屋洋氏はたくさんの本を書いています。そのほかさまざまな、人間学の名のついた解説書が出されています。 また、日本の小説でも、『項羽と劉邦』などの司馬遼太郎の小説や、宮城谷昌光の小説は大変面白く役に立ちます。最近は日本の小説も書いていますが、私は『太公望』、『重耳』、『孟嘗君』、『晏子』、『奇貨居くべし』などを、次々に読みふけりました。その中でも、上司と部下との関係においても、好きになってしまう、好かれてしまうということが、いかに大切なことかと思いました。ぜひ皆さんも、別に経営者ならずともぜひ、お読みになることをお勧めします。最近では『三国志』を連載しています。

★ 2011年11月 追記

 宮城谷昌光氏の後漢の光武帝を主人公とした『草原の風』が読売新聞に連載され、その第一巻が発売されたそうです。まだ読んでいないのですが、買いにに行ってきます。

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