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2010年1月14日 (木)

”真の”科学者として生きるー実用的人間学的な生き方とは(カールセーガンと池内了氏)

 「人は自分の考えに固執するーニセ科学と懐疑論」という名前で以前、ブログを書きました(2009,11,17)。そこで、カールセーガンの『科学と悪霊をかたる』(1997、新潮社)という本の内容を紹介しました。この本の最後に書かれている解説は、池内 了氏(名古屋大学教授、宇宙物理学、総合人間学会、ジャパンスケプティクス会員)が書いたものですが、本の内容を大変うまくまとめています。以下それを要約して改めて紹介してみます。(総合人間学会はその後退会されました)

池内 了氏の解説

 現在は科学の時代でありながら、驚くほど似非科学が氾濫している。それらが言うには現代科学には限界があり、新しい分野の「超科学」が必要であると。しかしそれらは信じるか信じないかの世界である。科学とは、信じるか信じないかの世界ではなく「万人に、どこでもいつでも、なりたつ(証明できる)か、成り立たないか(反証できる)か」がその成立条件である。

 似非科学の跳梁は日本だけでなく先進国に共通している。科学の成果を満喫しながら、科学が地球を破壊してしまうのではないか、科学の力で築かれた資本主義の不公平感・閉塞感。科学からの逃避と科学への復讐。それらがないまぜになって、「理科離れ」がすすみ、似非科学への傾倒となっているのだ。それを助長するマスコミの動きもある。

 しかし現在まで、科学の力によって、より豊かな人生を生きることができ、飢えや病から解放されてきたのではないか。逆に似非科学や神秘主義が横行した時どれだけ悲惨な死が人々に強制されたか。(魔女裁判や、ナチスのアーリア科学など)科学とエセ科学を区別する眼を養うことが大切である。今いろいろな問題が多発しているが、問題の根源を探り、その解決の方策に知恵を絞り、時には政策を変更するように政府に要求する必要もあるだろう。そのような態度こそが科学的な知を獲得した現代人のなすべき義務なのである。人類が生き延びるために。

 科学には限界があり誤りがつきものであり、「科学に権威はいない、せいぜい専門家がいるだけ」であり、「科学の価値は、民主主義の価値と相性がよく、この二つが区別できないこともある」のは、両者とも自由な意見の交換が不可欠であり、互いの誠実な証拠の開示こそが最善の道を発見することにつながるからである。しかし似非科学に置き換えたらその文章は成り立つだろうか。

 トンデモ話にひっかからない一番の方法は、懐疑的思考、つまり、前提なり出発点が正しいかどうか、、そこから筋の通った議論が組み立てられているかどうかを常に疑い追試することである。これは科学そのものの方法ともいえる。そのためには、裏付けをとれ、権威主義に陥るな、仮説は複数立てろ、身びいきするな、弱点をたたきだせ、反証可能性などで比較すれば科学と、似非科学とを見分けることができる。

 科学にとって民主主義が不可欠であることを再び強調しつつ、逆に民主主義を確固としたものとするために、科学者が果たすべき役割は重要である。

セーガンにとって、「科学する精神を持ちそれを現実の社会で実践した人は、学歴や職業にかかわりなく、すべて科学者なのである。」

 以上が、池内 了氏の紹介の要約です

カールセーガンと似非科学

 さてカールセーガン氏はこの著作を書いてまもなく、1996年12月62歳の若さで亡くなりました。そしてカールセーガン氏が指摘した神秘主義が横行する状況は、2010年の現在、悪くなるこそあっても少しも改善される状況にはありません。先ごろ私のブログに書いたように、長時間を使って、テレビで「超能力」に関しての番組が放送されています。しかし、カールセーガンも言っているように、さまざまな似非科学が受け入れてくれて、科学が受け止めてくれない限り、似非科学への需要は高まり、その科学的なものや懐疑的な批判本などは売れないのです。たとえば、細木数子の占い本は大変なベストセラーなのに、科学的な本など、ほとんど売れません。私の書いているブログもそうです。

(民放は相変わらず神秘現象や超能力をテーマにした放送を流しつづけています。しかしNHKではそれら超常現象をを科学的に解明する番組を続けています。ブログ筆者の神秘主義批判のブログは、放送のたびごとに、アクセスがあります)

 似非科学や神秘主義に基づいたものは、まったく役に立たないかと言うと、一定の確率で、ある人々には効果があるのです。プラシーボ(偽薬)も、一定の人には効果を表します。特に暗示にかかりやすい人には、大きな効果を表します。効果のあった人は人に薦めます。ただそれはあくまでも、当たるも八卦、当たらぬも八卦の世界ですが。でもきわめてお手軽なのが、現代人にはよいのです。科学がいかに正しくても、すなわちどれほど栄養価が高いものでも、ちゃんと調理されて食べやすくなっていなければ、それは利用されません。いささか毒性があろうとも、栄養がなくとも、おいしいあるいはおいしそうに見える物に飛びついてしまいます。

実用的人間学とは

 筆者の提唱する実用的人間学(Pragmatical Humanology)は、さまざまな人間に関しての科学の成果を、現実に生きる人たちのさまざまな要望に基づいて、調理してきちんと消化できる(活用できる)ものにしていこうとするものです。また、人々が、科学の成果を身につけていきやすいように、現実社会で生かして“真の”科学者になるように手助けをしようとするものです。各部門の専門家の先生の多くは、自分の研究に忙しく、一般の人のために科学をわかりやすく、実際の生活に生かすように手助けをすることなどとても無理なことだと思います。そこで、諸科学の成果を科学の立場に立ってわかりやすく解説し、実生活の上でも生かせるようにしたい、というのが、実用的人間学の立場です。

 人間学研究所の、実用的人間学研究会では、そのような立場で研究活動と啓蒙活動を進めています。

科学的ヒューマニズムとは何か

 そのためには、第一段階として、人間諸科学の成果をもう一回、わかりやすく身につけてもらうことが大切です。宇宙の起源から生命の起源、人類の起源、人間の歴史、人間社会の仕組み、人間の身体、人間の精神活動(脳の働きから、心理学、さまざまな文化など)さらには哲学、宗教、芸術などの成果など人間の全分野をできるだけわかりやすく系統的に、勉強しなおす必要があります。そのためにテキストをできるだけわかりやすく面白いと興味を持ってもらうように各レベルで用意する必要があります。現在は大変優れた映像でわかりやすく面白く表現されたものも多く作られています。また巧みな比喩も使って、わかりやすく説明する必要もあるでしょう。  人間に関して、総合的で、系統的な知識を身につけるにあたっては、「科学的ヒューマニズム」の立場に立つ必要があります。「科学的ヒューマニズム」とは、P,Dハチョンが書いた『科学的ヒューマニズムの歴史』<(理性への道、ブッダからドーキンスまで、2004年 新幹社)に書かれている内容のものです。すなわち、それは最初のヒューマニスト、ブッダに始まり、草分け的ヒューマニスト孔子、さらにはルクレティウス、D,ヒューム、、デューイ、Jハクスリー、アシモフ、カールセーガンなどのヒューマニストについて書いてある本です。

 ここで、科学的ヒューマニズムとは、人間が自然の現象の一つとして自然に発生したものであって、神が作ったものではないこと。そして何か霊のような存在を否定する立場を言います。人間を超越する神の存在を否定することによってこそ真のヒューマニズムが成り立つと主張しているのです。

 そして第二段階です。重要なことは、ただ一般的な知識を身につけることだけではなく、現実にさまざまに、現実社会で生じている諸問題に、どう生かしていくかという能力を身につけることです。これはなかなか難しいことですが、これがないと単なる、知識の羅列に終わります、いわゆる「単なる人間学(Anthropology)-例えば「哲学的人間学」、のレベルにとどまります。実用的人間学と呼ばれるには、いろいろな問題解決にいかに生かせるかを、考えて行き又実践していくことができるかどうかです。

①現実に起きている問題をまず正しく科学的につかむこと、

②いくつかの実行案のもとに実行してみること、

③その結果がどうであったかを検証していくこと。この科学的なプロセスを持って問題解決をする訓練を重ねることです。

そうすることができるようになれば、怪しげな占い師などに問題解決をゆだねて、その結果さまざまに問題がより深刻化するなどということを防げます。

 そのためにも、多くの人が頼ろうとする、占いや似非科学の手の内をよく調べる必要があります。場合によっては方便として、一見占いなどのような形で、人々をひきつける必要もあるでしょう。私はそういう観点から占いや特に人相術などを詳しく研究してみました。人相術などは、顔学会などもできて、かなり科学的な根拠を持つようになっています。いろいろなお悩み相談も、実際にうけてみて、いろいろな具体例をと方策を探る必要があります。ともかく、正しくてもとかく敬遠されがちな科学をもっと身近なものにする必要があります。実用的人間学が科学と多くの一般の人々との間の橋渡しをして、科学がより身近なものと感じられるようにしたいと思っているのです。

 又これを実現するには、その趣旨に賛成する人が多くでなければなりません。そして具体的な活動を始めなければなりません。さまざまな怪しげな新興宗教がそれなりに人を集める中で、真に科学的な実用的人間学に基づいた組織が成り立たないようでは、どうしようもありません。また一定の組織が作られて初めて実現性を持ってきます。そして宗教各派の信者が、一生懸命勉強しているように、実用的人間学を学ぶものも、よく学ぶとともにお互いにサロンのようなものの中で、良き人間関係を作り上げ、お互いに助け合えるようなものでなければなりません。最初に学んだ人たちはその後の人たちへの良き援助者になることでしょう。それはその人の生きがいにもなると思います。特別な教祖も超能力的神秘的な占い者なども要りません。そいう人に依存してはいけないのです。ごく普通に生きているそれぞれの人々が自立していることがとくに大切です。何よりも、学び、実践することがよりよく生きることにむすびつき、生きていて良かったとなるように、したいものです。

 このような試みに賛同してくださる方が一人でも多くいてくださることを期待しています。

 現在は、ささやかに実用的人間学研究会をやっているだけですが。  

毎月第3木曜日 実用的人間学研究会例会を開いています。

◎1991年に人間学研究所準備室が作られ、その中で第3次人間学研究会が作られました。、1993年4月には、筆者の提唱で、実用的人間学研究会ができました。実用的人間学研究会は2016年3月現在も続いております。(25年間)  

お問い合わせ、ご連絡は お気軽に

人間学研究所 実用的人間学研究会

〒169-0073

 東京都新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3階   

 実用的人間学研究会会長  佐竹幸一  090-6549-2677へ。

 

 

 

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