気候と文明の歴史 田家 康氏、「気候の変動は人類の歴史をかえる
気候と文明の歴史をのべた本は近年いろいろ出されています。『気候文明史』(世界を変えた8万年の攻防)(注1)は2010年2月に出版された、最近の本です。著者の田家 康(タンゲ ヤスシ)氏は農林中央金庫に勤めながら気象予報士に合格した人ですが、膨大な資料をよくまとめたものだと感心します。他にも、『1千年前の人類を襲った大温暖化』ブライアン・フェイガン 2008年があり、少し古いものでは、『気温の周期と人間の歴史』原田常治1977年同志社があります。
気候変動と人類の誕生と変化
急激な寒冷期である、600万年前にアフリカの大地溝帯が干ばつになり、森林が縮小しました。その状況に適応した類人猿から人類へと足を踏み出したのが、二足歩行をした、ラミダス猿人でした。300万年前には、寒冷な気候が数万年続く中で再び大地溝帯で森林が減少し、ホモエレクトゥス(ジャワ原人や北京原人)が誕生しました。その後旧人と言われるネアンデルタール人そして、現在の人類ホモサピエンスがアフリカの地に誕生しました。8万年前には、ホモサピエンスは世界中に広がっていきましたが。そこで厳しい環境の変化に直面したのです。そして、7万4千前にはスマトラ島のトバ火山が爆発し、大量の火山灰により、地球の気温は低下し、極地での氷の増大は太陽光線を跳ね返すことになりさらに寒冷化が進みました。15万年から、3万5千年にかけて、人口が極端に減少した時期があったのではないかと言われています。それは現在の人類の遺伝子の多様性が他の哺乳類に比べ極端にすくないからだと言われています。
最終氷期は極寒期2万1千年から1万八千年にかけては平均気温が今より5度も低かったのです。海水面は低下し日本も大陸と陸続きでした。このころにはナウマンゾウや原日本人も日本に入ってきました。これらの厳しい時期に人類はいろいろな努力を積み重ねて乗り越えていきました。その後しだいに気候は温暖化していきました。ようやく、氷期と間氷期を繰り返す時代がおわったのです。しかし、気候の変動はその後もありました。
4から5世紀に温暖化し、その後6世紀には小氷期(氷河期ほどではないが、かなり寒冷化が進んだ時期を小氷期と言います)がありました。この小氷期は何回か繰り返しました。
また800年から1300年にかけては温暖期が続きましたこれを中世温暖期と言います。このころは、北方のヨーロッパでは、耕作地が北のほうに広がり、豊作が続き、人口が増大し壮麗なゴシック建築なども建てられました。バイキングは氷が解けた海を北上し、アイスランド、グリーンランド、アメリカ大陸まで到達しました。しかしアフリカなどの熱帯地方では、干ばつが進み、砂漠が広がってしまいました。その後は温暖な時代と寒冷な時代を繰り返しました。この温暖化は、現在言われる化石燃料を燃やすことによるCO2増加と関係なく怒りました。
小氷期 その後太陽の活動が低下し、気温が低下したのは3つの時代がありました。
1450年から1470年の、シュペーラー極小期、
1645年から1715年の、マウンダ―極小期、
1770年から1830年のダルトン極小期です。
その後、1850年ころから温暖化が進み、1890年から1940年に太陽の活動は活発化しました。
そして1964年から現在に至っては太陽の活動は弱まりつつあります。
二酸化炭素の増大が、地球の温暖化の主たる原因であると主張する人々は、太陽の活動によって、大きく気温が変化するという事実(説)を、無視してしまいました。それは二酸化炭素主因説に都合が悪いからです。 気温の変化に関しての影響度の大きさについては、次のような説があります。
影響が大きい順に
1、太陽の活動度 (黒点の数でわかります) 2、地球の磁場 3、火山の活動 4、ミランコビッチの周期(地球の軌道が完全な円ではなく 楕円軌道をしているということ、太陽への距離の変化が影響する) 5、温室効果ガス(これが5番目です)です。
なお温室効果ガスは、二酸化炭素だけでなく、メタンやフロンの影響もあります。又温水効果が最も大きいのは水蒸気だと言われています。またっ水蒸気は雲となって太陽熱を妨げる作用もあります。さてその時の地球の気温は、それぞれの要素が、複雑に絡まって生じるものです。その中でも太陽の活動が、もっとも大きな要因です。太陽の活動の変化は、太陽の活動は多いと黒点が増加すること、太陽風が強いと宇宙線が吹き飛ばされるので、宇宙線の量などで観測されます。中国などでは、黒点の数の変化が記録されていて、歴史的資料となります。太陽の活動は11年周期の小周期と55年単位の大周期に分かれるそうです。大周期は2008年を最大とし、今次第に弱くなる傾向があり、11年周期では現在、ピークになりつつあると言ったところです。それで温暖化しています。
火山の影響も強く、1783年のラ―キ山の火山では、世界的に気温が低下し、農作物が実らず、多くの人が餓死したと言われています。日本でも1783年に浅間山が噴火した時冷害で、1833年から1837年天保の飢饉となり多くの人々が餓死しました。このころヨーロッパも低温化と凶作で、フランスではパンを求めて人々が決起し、1789年バスティーユの牢獄を破壊しフランス革命がはじまりました。 今世界が比較的温暖化しているのは、世界の気温を下げるような火山の大爆発がないということもあります。もし大爆発が起きれば、世界中は低温化します。最近アイスランドで火山が爆発しましたが、もっと大きな爆発が起きたときです。
少しさかのぼってみますと、日本では12世紀中世の温暖期のあとに、西日本では干ばつがひどく、平家の基盤の西国はひどい不作となり、東日本では逆に豊作になり、東国に拠点を持つ鎌倉幕府が成立する原因の一つになったと言われます。また14世紀には逆に、東日本が冷害がひどく、西日本が豊作で室町幕府が京都にうつった原因の一つだともいいます。 気候の急激な変化は、中国では特に黄河地帯で、干ばつや洪水が頻発する時には、人口が激減し、そういうときに王朝が後退してきたのです。また900年にマヤ文明が干ばつで崩壊したのも急激な気温のせいでした。 1300年ころのヨーロッパでは、寒冷化が進み1322年には極寒となり、寒さを防ぐために、毛織物を使うようになるとともに発疹チフスが大流行し、すでに猛威をふるっていたペストとともに多くの人々が死んでしまいました。1346年に8000万人いたヨーロッパの人口が1350年ころには5500万人に減少しました。この急激な人口減少が中世の秩序が崩壊し、教会の権威も低下してしまいました。1431年にはアンコールの文明が崩壊しました。1900年から1907年にかけて中国で大干ばつがあり、水不足の不衛生と栄養不良で中国では2400万人が死亡しと言われます。このときには人肉が安く売られたということです。
他にもいろいろな事例がありますが、歴史で習ういろいろな事柄の底には、気象の急激な変化と、人口の変化、それに伴う王朝の変化があるということを、知っておくとよいでしょう。また、前にも述べたように、現在の気温の上昇が単純に、二酸化炭素の増大のせいだけではないということが分かると思います。ただし、だからといって、石油や石炭などの化石燃料をどんどん使ってしまうということとは全くの別問題です。それらはできる限り無駄に使わず温存すべきでしょう。
注1、 『気候文明史』 田家 康 2010年2月 2600円+税 日本経済新聞出版社
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コメント
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こういち様、ブログにコメントありがとうございます。
宇宙天気情報センターの黒点情報によると4月11日に黒点数がゼロになっているようです。そろそろ黒点の数が増えないといけない時期ですが、もしかしたら太陽活動の11年周期が今回は崩れるかもしれません。
そうしたら小氷河期の再現となるかもしれません。気になります。
投稿: 札幌生活管理人NAO | 2010年4月12日 (月) 22時39分