真理は誰が述べても真理であるか? 増田哲氏の文の紹介
”Japan Skeptics” という超常現象を科学的に解明する学会誌の2010年19巻の1号に、表記のようなEssayがあり、大変面白く参考になる文章なので、みなさんに要旨をご紹介します。 増田 哲氏は、青山学院大学の物理・数理学の准教授で、”Japan Skeptics” の会員です。
前会長の安斎育郎氏の分類によれば、命題については「科学的命題(客観的命題)」と、「価値的命題」があり、「科学的命題」については誰が主張したかにかかわらず、真理は真理であり、誤りは誤りである。つまり、命題の真偽と、誰がその命題を主張したかは独立である。
科学研究の世界では、経験豊富な研究者でも間違えることがあり、駆け出しの研究者でも真理(の一端)を見出すことはある。「真理は誰が述べても真理である」から、権威のある人の発言だから信用し、無名の人の発言だから軽んずるという姿勢は、科学的真理を探究するにあたっては、禁物である。~そうは言っても、「偉い先生」の意見に説得力があるように聴こえたり、十分な実績や自信のない駆け出し者が自分の意見を主張する際に多少のためらいが生じるのも仕方がないことであると。
そこで、学生や若手研究者が委縮せずに自由に議論できる雰囲気が必要になる。それがその分野の健全性を示す。素粒子論の世界では、先生と呼ばせずに、すべて「さん」で呼ぶ習慣は、益川敏英氏のノーベル賞受賞をきに、世間に知られるようになった。数学の分野でも、自分の直接の指導教員以外は「さん」でいることが多い。また、「偉い先生」が最も素っ頓狂なことを言われるので、大変気楽に議論できる。特定の人物の主張だからと言って常に正しいとは限らないと考えることは、科学者にとっては(少なくとも建前としては)当然のことであり、「懐疑的に思考する」ためのごく初歩的な事柄でもある。
では「価値的命題(主観的命題)」についてはどうか。価値的命題であっても、特定の人間集団の間では、おおむね、正しいとされることがある。たとえば「人を殺してはならない」とか「優越的な立場を利用して相手の意にそわないことを強要してはならない」という命題などである。しかし、「真理は誰が述べても真理である」であるということで、正しい命題を主張した時、そこにどれくらいの説得力があるかということがある。
例 1、、テロ行為は許されるべきではない
世界最大のテロ国家が、過去現在の行為に何の反省もなしに主張しても説得力に欠ける。しかも、自身に降りかかったテロ行為に軍事力で対応するに至っては一層始末が悪い。
例 2、 核兵器のない世界を追求すべきである。
核超大国の大統領が、質量ともに大量の核兵器を保有し「核のない世界」までは保有すると言って、核拡散の脅威をかたる偽善と限界はもう少し強調されるべきだ。
例 3、政治資金の原資や流れは透明にされなければならない
与野党ともに言われなければならないが、野党のときに威勢よく追及していたが与党になったとたんに、へ理屈で言い訳するのは、おかしいし。前与党も自信を身ぎれいにしてから現与党を追及すべきだ。
例 4、「労働なき富」は社会的大罪である
現実に大罪がはびこるなか、一国の首相が施政方針演説で述べたが、自身が何億という金を母親から受け取り、その使途も明らかにしないようではその言葉はうつろに響く。これに野次を飛ばした議員も野次を飛ばす資格があるのか。
要するに「行動が伴っていなければ、いくら正しい命題を主張しても説得力に欠けるか、まったく説得力を持たない」ということである。このような「言行不一致」は、前にあげたような簡単に見抜けるものばかりではない。ただし命題の陰に隠れた(より正確には、それを主張する人の)偽善や欺瞞(時には自己欺瞞)を見抜くことは、命題の真意を見抜くことと同じくらい重要だと思うし、決してそれは簡単なことではないとも感じている。
私自身(増田氏)は「大きな権力や権限を持った人(集団)「自分よりも優越的地位にある人(集団)の主張ほど、そして利害が絡んだ状況であればあるほど、それが正しいかどうか、仮に正しいとして、そこに偽善や欺瞞、言行不一致は潜んでいないかと考えることを、一つの実用的な指針としている。正確には、なるべくそうするように心がけている。もちろん、「偉い人の発言は常に欺瞞的である」とするのは誤りであるけれどもこれまでの経験では割と役に立ってきた。
こうした「言行不一致」を見抜くことと、見抜いたうえでどう行動するかは別である。欺瞞を告発することが事態の健全な進展になるのか、そこに冷や水を浴びせることになるのかは全体の状況や告発の仕方にもよるので、一概に論ずることはできない。しかしながら、そこを見抜けなければ、選択の余地は狭いままなのである。
ほぼ全文の要旨を載せました。私たちは、今の政治情勢なので、大マスコミなどの世論誘導にあまりに安易に載せられているのではないでしょうか。世論調査などというのも、どこまで真実を判定しているのでしょうか。おかしな世の中にしないためにも、ここに述べられたように、いろいろな物事、いろいろな発言にその真意を見抜く態度が必要であると思います。
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