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2010年4月 7日 (水)

浮浪雲(はぐれぐも)ー街中の仙人的生き方 ついに1000回 明治では無理か

『浮浪雲』は、ジョージ秋山が漫画コミック誌の『ビッグコミックオリジナル』に連載している、漫画です。このブログを書いているとき(2010年)には862回で、1973年から現在まで、もう37年間続いている超人気漫画です。単行本も91集が発売になります。これだけ長く続くのは、私も含めて、読み続けているファンが多数いるということです。二度テレビドラマ化され、小学館漫画賞を受賞し、1982年にはアニメが作られ、なんとパチンコ台まで作られたそうです。最初の渡哲也のはぐれ雲は、気品があったのですが、ビートたけしが演じたのは何か下品な感じがしました。評判がわるく、たけしが自分で「はずれ雲」とかいったそうです。

 『浮浪雲』の主人公は、幕末時代の江戸に、東海道の宿場町『品川宿』で、問屋 「夢屋」の主人で、雲という名前です。おくさんは、美人ではないけれど、鼻ぺちゃで愛嬌がありやさしい、かめさん。子どもは11歳の長男新之助と8歳の長女、お花の二人です。雲は、お店の仕事をろくにしないで、家ではボーっとしていて、タバコをプカリ、プカリと吸っているか、街を歩いて、「お姉ちゃん、アチキと遊ばない」とか「いいうんこしてますか」とか、声をかけます。仕事をしないでどうしようもない遊び人と見られているのですが、その生き方が、幕末でも世知辛い現代でも、そういう生き方ができたらいいなーと思わせるところがあって、それが、長続きしている原因だと思います。私も、新聞や雑誌の切り抜き帳にこれはというもの を、切り抜いて保存しています。

怖い顔をしていた人が、このままでは奥さんになる人がいないということで、本物そっくりによくできた笑い顔のお面をつけて、お嫁さんをもらいました。ところがお面をつけていることに良心の呵責を覚え、嫌われてもいいからとお面をはずしました。でもいままでお面の笑顔をにあわせた顔をしているいる間に、すっかり怖い顔が、柔らかい顔に変わってしまったなどという話がありました。これは、『顔の本』という、初代顔学会の会長である、香原志勢教授の書いた本の冒頭に書いてあった、「王様とお面」から題材をとったなというのがすぐわかりました。このようにいろいろな知識を取り入れてそれぞれの時代も反映させているのが長続きしているもとだと思います。

 主人公の雲は、一応浪人した武士といことになっており、仕込杖を持っていて、いざというときには、すごい剣の腕を持っているし、実は学問もあり、勝海舟、近藤勇、土方歳三、沖田総司、清水次郎長、坂本龍馬などとも知り合いであり、将軍慶喜とも友人関係などという側面があるということになっているのですが、そういうところは全く表に出しません。ところがいろいろな難問をさらりと解決してしまいます。一部の人たちからは、こせこせしないでひょうひょうとして生きている、雲が「いいなー」とうらやましがられることもあります。私が思うに、こんな人物は理想化されているので、実際に存在しないのですが、いわば、これは街中にいる「仙人」と見ていいのではないかと思っているのです仕事をろくにしませんからとっつあん(欲次郎)とよばれる番頭さんが日常の仕事を取り仕切っています。とっつあんはいろいろ苦労します。かってに雲が店のお金を持ち出したりします。現実にはこのようにのんきにしていられないのでしょうが。でも、あらくれの人足たちも、しょうがないなーと言いながらも、ときにいいなーと共感させ、ときに示すその本当の力を知っていますから、こころから親しみまた心服しています。そういう人足を強制ではなくまとめあげること自体が凄いことなのです。ただ力もないのにぶらぶらしていたらただの怠け者で、とっくにその問屋をつぶしていることでしょう。

 『医心方の中で、養生要集にある、神仙図の言葉に「長生きする方法は、いつでもどこでも、その人の行くところ、泊まるところ座るとき、起つ時、飲食したり、又休息するとき、-つまり、四六時中の全生活の中に存在している。(仙人になるために)取得したすべての事柄を念頭に置き、精気をみだりに漏らさぬよう体内にたくわえ、神(たましい)がその人の身体を離れないようにするのがすなわち長生きの秘訣であるといっています。

そして、「だいたいにおいて、物惜しみせずに振る舞い、あくせくしない人間は長寿を保ち、けちでせかせかあせって動きまわるものは短命であると。小作人が長命で、富裕なものが短命なのは、欲望の差による、仕官しない民間人は病むことが少なく、故郷を離れて官位についている人間が多病であるのもそうである。~道に志す人は己のよくのために眼がくらんで物の本質を見失うことはめったにないと。

 古代の書にも聖人はいても、隠れていてなかなか世に明らかにならないといいます。孔子が畑の近くをあるいているときに、農夫が孔子を批判しているのを聞きもっともだと思い教えを請うとしたが、もう見つからなかったという話があります。世には隠れた聖人がいるのだなと孔子は言います。自分自身が、能力を高め、自分を磨いていてもそれが、世の脚光を浴びるのはほんの一部です。又むしろ表にあえて出ないようにする生き方があります。そして浮浪雲のように、実は素晴らしい能力を持っていても、それを自慢せず、ひょうひょうとしいて世に表れることがなく、でも人にやさしく、いろいろな面で人々を感服させる知恵で、役に立つような人こそが、隠れた仙人であると言えるのではないでしょうか。862回のマンガでも、長寿庵という医者が患者に毒をもった、と疑われて、医者が奉行所に逮捕されます。医者の娘が、浮浪の叔父さんのところに来て助けてほしいといいに来ます。雲は、こういう事件はだいたい下手人は奥さんだから、すぐに真犯人が捕まるから大丈夫と言います。それに、死んだ人の奥さんが、去年に熱海に行っているからといいます。結局熱海に幕府禁制のトリカブトが自生していてそれが原因だとわかります。そういう知識をいろいろと持っているということです。 

 私も浮浪雲のようになれたら素晴らしいなと思っています。

2016年、いましたと過去形です。

2015年2月26日追記 色々無理が

 このブログを書いてから5年たってもまだ続いているのは、大したものです。ただ、いささか無理が出ていました。先日のマンガで、はぐれが、若々しく、なんと、年が古希であると、いうのです。それはそれでいいのですが、奥さんと子供がそのままということです。上の息子はどう見ても小学生、下の娘はまだ幼稚園ぐらいです。もちろん奥さんも前のままです。はぐれが、私と同じ年とすると、子供が孫と同じ年頃です。ちょっと、無理がありすぎるのではと思いました。幕末で、前に書いた年のころから5年たつと、もう明治になるはずですが、漫画だからいいのでしょう。仕事をしないで、町をほっつき歩いていますが、番頭さんやほかの人間が働いて成り立っているのでしょうが、ちょっと無理があります。明治になって、厳しい世になれば、はぐれのような、気楽な生活は、できなくなるのです。あまり長いのも考え物です。

2016年1月4日号で、連載1000回になったそうです。1973年に始まっていますから42年以上です。最近の漫画は少し面白くなくなっています。漫画ではついに明治維新になっていますが、江戸時代と違って、「はぐれ」みたいなのんびりした生き方は不可能なはずです。どう、展開してゆくのでしょうか。

2017年7月13日追記

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 この漫画も1034回になっています。大体同じパターンで43~44年間もよく続けられるものと感心します。17,8で読み始めても60歳以上です。最新単行本も第110集好評発売中だそうです。一度明治近くと書いたがまた元に戻りました。

今回は青田という寺子屋の若い先生の家族のことです。最近は浮浪雲の事よりも周りの人たちのことが多いです。隠居のおじいさんが言います。「人は天下国家について語ったり美しさについて語るけど、心底思っていることは食べることとヤルことだけです」と。このような考え方は再三出てきます。

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