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2010年7月

2010年7月27日 (火)

総合人間学会とその設立に果たした人間学研究所の役割

 7月19日付の「こういちの人間学ブログ」の「こういちの人間学ブログと人間学研究所について」にたいして、suta氏から、「人間学研究所の会員と総合的人間学会の会員で重なっている方が多いが、交流されているのでしょうか。また発行されている雑誌にも関心がひかれました」というコメントをいただきました。お返事するにはあまりにも枠の字数が少ないために、改めてこのブログに書かせていただきました。このブログを見ていただけるとありがたいのですが。

 人間学研究所と総合人間学会との関係については、『人間学研究所年誌』の2007(NO5)と2008(NO6)に連載で佐竹幸一が『人間学研究会のあゆみ』一,二という形で書いたものに概略を書きました。『人間学研究会のあゆみ』は1964年から始まった、関東地方の生物科の学生組織(関東生物科学生懇談会、略して生懇といいます)の中の分科会として、「人間学」分科会がつくられてより、2009年までのあいだに佐竹がどのように人間学研究会、人間学研究所にかかわってきたかを中心に書いたものでした。

 1999年4月に人間学研究所が設立して以来、いろいろな部会において研究会を開催し、年誌や人間学ニュース(HUMANOLOGY)の発行、本の出版などの研究活動がなされてきました。2002年6月に人間学に興味を持っておられた小林直樹氏(東大名誉教授 憲法学)と人間学研究所のメンバーとの間で第一回総合人間学研究会の第一回準備会が人間学研究所で開かれ16名が参加しました。その後隔月に準備会が開かれ、500人からの人々に総合人間学研究会の設立総会への参加を呼び掛けることにしました。佐竹はその時人間学研究所の専務理事、事務局長でしたが、同時に来るべく総合人間学研究会の事務局長にもなることになり、実務の多くを行いました。

 2002年11月30日には明治大学リバティータワーにおいて、総合人間学研究会と記念シンポジウムが開催されました。これには150名の方々が参加し、立ち見の人も出るような盛況で、新聞社も何社も来て報道されました。シンポジウムのパネラーは代表幹事となった、小林直樹、小原秀雄(人間学研名誉所長、女子栄養大学名誉教授 動物学)、柴田義松(人間学研所長、東京大学名誉教授 教育学)の各氏のほか、半谷高久(都立大名誉教授、地球化学)、長野敬(独協大名誉教授 生物学)、足立巳幸(女子栄養大学 栄養学)、堀尾輝久(中央大学教授、東京大学名誉教授 教育学)、井上英治(上智大学名誉教授 宗教学)の各氏が参加して大いに盛り上がりました。総会で代表幹事3名、幹事16名参与7名、監事2名を選出しました。佐竹も幹事に選ばれました。また事務局長には人間学研究所の副所長である岩田好宏氏がなり、佐竹は事務局次長となりました。事務所は、人間学研究所におかれました。その後会員数も150名ほどになりました。その後2006年の総合人間学会までの移行する間にシンポジウムを含め20回の例会が開かれました。例会の記録をもとにして、『シリーズ。総合人間学』、全三巻も学文社から発行されました。その三巻には私が書いた文章がのせられています。

 総合人間学研究会を学会にしようという考え方は最初からあって、「総合人間学会設立準備ニュース」も発行され、準備が整えられました。各委員からの推薦に基づいて案内状が出され、発起人は146名(第一次)にものぼりました。そして2006年5月27日(土)に明治大学リバティータワーで総合人間学会の設立総会およびシンポジウムが開催されました。記念公演は小柴昌俊(東大名誉教授、物理学 ノーベル賞受賞)並びに加藤修一氏(評論家)によってなされました。講演には300名の方が参加し、補助椅子が必要な状況でした。

 会長には小林直樹、副会長には小原秀雄、柴田義松の各氏が就任しました。理事28名が選出され、佐竹は理事、事務局次長、運営委員となりました。事務局は名目は明治大学でしたが実質は人間学研究所でした。人間学研究所の所員の多くが総合人間学会の主要メンバーとなりました。しかしその後、一年と少しが経過した後、佐竹は小林会長との行き違いがあり、総合人間学会の事務局次長をおり、人間学研究所も総合人間学会の事務局としないとするようなトラブルがありました。今年2010年の総会にて小原秀雄氏が小林氏に変わり学会の会長になりました。副会長も柴田義松氏ですし、人間学研究所のメンバーが、総合人間学会の重要な役割を果たしているのは今も変わっておりません。

 以上、簡単に書きましたが、人間学研究所と総合人間学研究会との関係がおわかりいただいたと思います。また、『人間学研究所年誌』に付きましては、第一号が2000年に発行されて以来、2010年3月に『人間学研究所年誌2009』(第7号)が発行されております。第一号より現在までのバックナンバーが揃っております。ご希望がありましたら、人間学研究所までお申し込みください。売価1000円ですが、まとまってご注文の場合は1部700円といたします。

(追記:現在 年誌2010 第8号まで発行されています。年誌の内容は「こういちの人間学」の別のブログに書いてあります)

 お申込み 人間学研究所 03-3209-1888

        メール pcr92240 @nifty.com

                 佐竹幸一  090-6549-2677

2010年7月26日 (月)

人間とは何か 「人間・このいろいろに言われるもの]追加版

A・カレルの『人間この未知なるもの』については、「こういちの人間学ブログ」に書きました。そこに、、この本に触発されて書かれた「人間この~なるもの」という書物が国立国会図書館の検索で53件あると書きました。この数には直接の表題だけではなく、サブタイトルにあるもの、文中の章にあるもの全集などに入っているものなども含まれます。それにしてもいかに多く書かれているかがわかります。私もそれに見習って表題として「人間このいろいろに言われるもの」というのを付け加えました。

 「人間この未知なるもの」の英文名は”MAN,THE UNKNOWN”です。

「人間この未知なるもの」 A カレル  1935年 邦訳 1938年から 岩波書店 角川書店 三笠書房など12冊

1、日本のもの

「人間・この劇的なるもの」 福田恒存 1560年から新潮社など 6冊

「人間この逆説的なるもの」 赤岩 栄  1948年 沙羅書房 2冊

「人間この不思議なるもの」河合隼雄全対話5 1991の中に 第三文明社

「人間この悪なるもの」 「教科書裁判」1970の中で 桶谷繫雄

「人間この尊きもの」 「現代の眞宗」 7 1979弥生書房

「人間このすばらしきもの」 「三分間人生講和」花岡大学 1980 同朋社出版

「人間このすばらしきもの」 「総合人間学概論」 小田、園山 2002 広川書店

「人間この不思議なもの」 「蒸発」 鎌田忠良 1968 三一書房

「人間この非人間的なもの」 なだいなだ

「人間この不浄なもの」 「日本の説話」3巻 小林保治 1973 東京美術

「人間この愛ある生きもの」 田中澄江 1985 三笠文庫

「人間このいとほしきもの」 高橋恒夫 丸の内ハイデ出版 1984

「人間この愛しきもの」 舟木重信他 東洋出版 1987

「人間この愚かなるもの」 溝部昭一 近代文芸社  1996

「人間この輝かしきもの」 神渡良平 致知出版社 2007

「人間この興味尽きざるもの」 浅川暁彦 揺籃社 2005

「人間この神秘なるもの」 村上他 致知出版社  2006

「人間この創られたもの」 山本 和 教文館 1964

「人間この途方もないもの」 大西信義 三一書房 1968

「人間、この非人間的なもの」 なだいなだ 筑摩書房 1972 2冊

「人間この不可思議なもの」 読売新聞社 1972

「人間この愚かなるもの」 水原舜薾 樹心社 2003

「人間この愛しきもの」「民話劇場」2 沼田曜一 立風書房 1987

「人間この中間者」 「リレーエッセイ医学の道」 彩流社 2008

「人間この真実なるもの」柳田剣十郎他

「人間この社会的なるもの」 滝沢他

「人間この不思議な存在」 石沢文理

「人間この楽しきもの」 斎藤茂太

「人間この美しきもの」 舟木重信書簡集

2、外国のもの

「人間この過ちやすきもの」 ポール・リクール 以文社 1978

「人間このかけがえのないもの」 テェル・の―ルストッケ いのちのことば社 2004

「人間、この共謀するもの」N コールダー みすず書房 1980

「人間この信じやすきもの」 T ギロビッチ 新曜社 1993

「人間この知られたるもの」 ラドワンスキー

「人間この微小なる宇宙」 バトラー

「人間この独自なるもの」 ジョン・ルイス 紀伊国屋書店 1976

「人間この多様なるもの」 CP スノー 紀伊国屋書店 1970

「人間この愚かなるもの」「馬鹿について」 H ガイヤー 創元社 1958

「人間この問われるもの」 マルセル著作集 6春秋社 1967

「人間この驚くべきもの」 Jロスタン

 驚くほどいろいろありますね。人間の側面の多さを物語ります。あなたなりの

「人間この 何々なるもの」を作ってみませんか。

 8月1日追加版です  書名です

 「面倒くさいもの人間」 山田洋次 三上 満 「人間それ自らに背くもの」  マルセル・ガブリエル 「ニンゲンその運命」  ル・コント・デ・ヌイ 「人間考える動物」 真島、平田  「人間はどこまで動物か」 ポルトマン  岩波新書 「人間はどこまで機械化」 

ヤング   「狩りをするサル」   アードレイ 「悪食のサル」     ライ ルートソン 「狂ったサル」     セント・ジェルジ 「人間 約束するサル」  PJウイルソン 「裸のサル」      デズモンド・モリス 「堕ちたサル」     B  ボークン 「パンツをはいたサル」  栗本慎一郎 「パンツを捨てるサル」  栗本慎一郎  

「帝王的動物」   タイガー・フォックス 「マン・チャイルド」 (幼児化)  ジョナス・クライン  

「ホモ・ルーデンス」 (遊ぶ人間) ヨハン・ホイジンガ 「ホモ・ハビタト―ル」    谷岡武雄 「ホモ・モーベンス」     黒川紀章 「ホモ・エレクトス」 (性的人間) 大島 清  「ホモ・ハビタト―ル」   谷岡武雄 「

  

人間学研究所 9月例会のお知らせ 修正版 懇親会決まりました

実用的人間学研究会例会

 第26回実用的人間学研究会例会

 日時  : 2010年9月16日(木) 18時30分より

 テーマ : 「役に立つ格言、名言集について」

        佐竹は以前からいろいろな書物から、これぞと思う言葉をノートに書き連ね 

        てきました。それはノートに手書きで書いたもの8冊です。最近のものも加え

        これと思うものをワープロにうち直してみます。

 講師 :  佐竹 幸一  実用的人間学研究会会長

 場所 :  人間学研究所

 懇親会 : タイ、ベトナムレストラン 「ソムオー」

   ★ 会員でなくとも参加できます

人間学研究所 新教育人間学部会例会

 第66回 新教育人間学部会

 日時 : 2010年9月24日(金)  18時30分より

 テーマ : 「乳児の大人へのコミュニケーションについて」

       さまざまなデータにもとずいて、お話されます。

 講師 : 天野幸子氏  前女子栄養大学教授   心理学 

       新しく、木村廣子氏の紹介で入会いただき、今年3月で大学を定年となられま

       した

 場所 : 人間学研究所

 懇親会 :  「越路」

 ● なお、8月例会はお休みでありません

 *人間学研究所

    新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3階

    お問い合わせは 佐竹幸一 090-6549-2677 へ

人間とは何か A・カレル 『人間この未知なるもの』

 『人間この未知なるもの』は、フランスからアメリカにわたり、ノーベル生理学賞を受賞した著名な生理学者である、アレキシス・カレルによって1935年に書かれました。この本は発売されてから各国で爆発的に売られ、日本でも3年後の1938年に桜沢如一によって訳され岩波書店から出版されました。その後、渡辺昇一の訳で最近では2007年にも三笠書房から再版され、その間全部でいろいろな出版社から12冊も出版されるほどの人気を持った書物です。この「人間この~なるもの」という言葉は、次々にそれぞれの人なりの「人間この~なるもの」が出版されました。現在サブタイトルも含めると、53冊も出ているのを見てもその人気がわかると思います。

 私は1952年に角川文庫からだされたものを、学生時代に読みました。学生時代から人間学研究会を立ち上げ、独自の人間学確立を目指していた私にとっては大きな刺激になりました。カレルはそれぞれの学者が専門化し「人間とは何か」ということが、わからないままにいろいろなことが行われていると指摘します。そこで自己犠牲をいとわない人が、25年間、自己犠牲をする修道士のように世俗的なことに一切かかわらずわき目もふらず、人間に関するすべての書物や資料を学び、その結果、「人間とはなにか」を見きわめることが大切であり、そのようないわば超人が人類を指導すべきである、と言っていました。私もまだ20才そこそこでしたが、人間に関して全分野を学び、人間に関してのすべての知識を身に付けたゼネラリストになろうと思いました。しかし、カレルはそのためには何々をしてはいけないということがいろいろあって、私はその、してはいけないことをいろいろやってきたために到底、カレルのいう、人類を指導するものなどにはなれませんでした。学者ではなく会社の経営者になるなどは論外でしょう。そしてもうすでに25年はおろか47年も過ぎましたが残念ながら全然ものになってはいません。ただ、特に専門を持たず人間全体をとらえていこうという基本的態度を持ち続けてきた大きな原動力にはなっています。

 A・カレルは第一次世界大戦と第二次世界大戦の間で、ナチスがヨーロッパを席巻するし、ロシアでは社会主義革命がおこり、亡命先のアメリカでもさまざまな社会の矛盾を感じるという状況の中で、近代文明と人間の崩壊の危機を訴えました。しかし彼は原子爆弾の存在や恐るべき環境破壊を知らずに死にました。現在は人類の危機はもっと深刻化していると言えないでしょうか。カレルは、この危機が人間に関する科学が遅れていることと、極端に細分化されていることにあるといいます。重要な「人間に関すること」が人間のことがよくわからない人々にゆだねられている。そこで、「総合的な人間科学」を樹立し人間に関しての一覧表を作らなければならないと言うのです。しかし前に述べたような世間とかかわりを持たない人物のつくった学問などはひどくゆがんだものになってしまうことでしょう。 一方私は世間とのかかわりを重視しつつ、総合的な人間学を作りあげなければならないし、人間についての総合的な知識を身に付けたゼネラリストを養成しなければいけないのではないかという、考え方のもとにはなっています。

 カレルは、さまざまな奇跡を起こす「ルルドの泉」の巡礼団の付そい医師として、ルルドの泉に行き、そこで、劇的な病気の回復をする人々を目の当たりにします。カレルは『ルルドへの旅』という本にその経験を書いています。このような内容は、キリスト教信者にとってはとても受け入れやすいものの考え方です。ノーベル賞を受賞するような学者がいっていることだと。そして彼の話にはキリスト教にもとずく神秘主義に満ちています。また、彼は、遺伝子的に劣った人々は断種させて、人類を優れた遺伝子を持った人々を多くするべきだとか主張しています。これはナチスの考え方と同じです。またさまざまな形のエリート主義があります。そこのところが保守的な論客である、渡辺昇一氏などが何度も訳書を出しているもとにもなっています。

 ともかくいろいろな問題には満ちてはいますが、「人間とは何か」について考えてみようとする人は一度は読んでおいたほうがいいと思います。次のブログには、「人間この~なるもの」という本と言葉がいかに多いか示してみます。

 

 

 

2010年7月19日 (月)

「こういちの人間学」ブログの現状と、人間学研究所について

 「こういちの人間学」のブログは昨年2009年の7月22日から書き始めました。もうすぐ書き始めて1年になります。私が主宰している実用的人間学のテキストを作るためにも、200件ほどを一年間に書いて、できればそれを整理し、電子出版でもできればいいなと考えていました。ところが、昨年12月に私の父親が急死し、人間学研究所の移転など、その後の整理がとても忙しく、二カ月ほどブログをほとんど更新しなくなりました。それを埋めるほどに頑張らなかったため、現在183件にとどまっております。いろいろなテーマについて書いていますが。まだそれぞれ半分ほどしか書いていません。それに、このココログというブログでは、無料のものにしたために、字ばかりしか書けず、新しいものにすると継続しなくなるというので、やむなく続けてきました。人相術や手相術などの話では、図が無いと、面白さが半減します。200件までいったら一応それで終わりにして、今度はきちんと写真や図を載せられるものにします。

 昨年から始めて、アクセスしていただいた数は11000件ほどになりました文章を作ったあと、あまり読み直しもしないために、転換ミスなどがあってもそのままの、つたない文章を継続してお読みいただいている方には本当に感謝いたします。書き始めた項目で、まだ不十分なところが多く、本としてまとめられるようになるには、後120件ほど書いて、300件ぐらいになればそれを整理して、簡単な本にでもできればと思っています。

 人間学研究所の活動も、このところ活発になりつつあります。実用的人間学研究会でもこのところ新しく3名の方の入会がありました。また新教育人間学部会でも新しく1名の方に入会していただきました。例会も常時10名以上の方に参加していただいています。例会では、次々にいろいろな方に話していただけるようになりました。

 人間学研究所の新教育人間学部会では66回の例会となり、「人間学研究所通信」HUMANOLOGYも49号となり今度、50号の記念号を出すに至りました。途中からできた実用的人間学研究会も第25回例会が終わり、「実用的人間学ニュース」も14号となりました。いまから47年前に佐竹の学生時代から始まった、人間学研究会の流れが続き、さらにわずかながらでも前進しているということは驚異的なことではないでしょうか。

 それ以来、第一次、第二次研究会を経て1985年に第三次人間学研究会を小原秀雄氏、柴田義松氏らと設立し、1991年には第2サタケビルの建設と共に、人間学研究所準備室を作り、1999年にはその蓄積をもとに人間学研究所が設立されました。それ以後もすでに10年が経過し、「人間学研究所年誌」や「人間学研究所通信」を継続して発行しております。

 今後いろいろな活動を通じて、人間学の提案がいろいろある中で、私たちの人間学研究が継続しさらに発展していくようにがんばっていきたいと思います。この「ブログ」をお読みになって私たちの人間学に興味をお持ちになった方は、気楽に例会にも参加してください。特に実用的人間学研究会は、一種のサロンを兼ねており、面白くてためになるをモットーに、講演後の懇親会ともどもやっておりますので、興味をお持ちの方は、気楽にお問い合わせをしてみてください。年会費は3000円ですが例会の参加費は無料です。また遠方で、例会にはとても参加できないという方にも隔月で、人間学ニュースをお届けしています。また一年に一冊、『人間学研究所年誌』もお届けしています。

 人間学研究所

 〒169-0073

  新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3階   03-3209-1888

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  お問い合わせは   090-6549-2677 佐竹幸一まで

  佐竹幸一 人間学研究所専務理事・事務局長 実用的人間学研究会会長

         株式会社 サタケ 代表取締役会長

  人間学研究所の活動内容は月一回づつ 

   専門的な 新教育人間学部会

   気楽な誰にも参加できる 実用的人間学研究会があります

2010年7月18日 (日)

スター・ウオ―ズに見る人命軽視 敵ならば簡単に殺していいのか、水戸黄門も

  •  スター・ウオーズをNHKで全6作を放映始めました。昨日はエピソード1、ファントム・メナスでした。これは3巻まで終わっていたものから16年ぶりにつくられたもので、後でダースベーダーとなり、また後の主人公のルーク・スカイウオーカ―やレイア姫の父親でもある、アナキン・スカイウォーカーの少年時代のお話です。私もこのようなSF映画は好きで、1977年の第一作から第6作まですべて映画館で見ました。1977年は今から33年前で、このころ生まれた赤ちゃんが、立派なお父さん、お母さんになっているくらいの昔です。私もまだ34歳だったのです。

 ともかくスター・ウオーズのテーマから始まり、大宇宙船の飛行、そして映画のタイトルがずっと向こうに流れているのからして新鮮でした。ジョージ・ルーカス監督のもとつくられ続け、それには尊敬する黒沢監督と日本の文化の影響が強く入っています。ダースベーダーのヘルメットは日本のかぶとを思わせます。また、主人公達はライトサーベルを使っていわゆるチャンバラをします。刀と刀で戦う時代ははるか昔に終わったのですが、近代兵器で戦わせるのは味気ないのでしょう。ゴジラなどの怪獣ものでも、わざわざレスリングみたいな取っ組みあいをさせますね。

 このようなSF映画はとても好きなのですが、いつもひっかかるところがあります。1977年の最初のスター・ウオーズで、帝国軍の巨大な軍事基地デススターが惑星を一瞬のうちに破壊し、今度はルーク・スカイウオーカ―がフォースの力を使って、デス・スターを破壊します。どうもそのあたりに私は納得がいかないのです。共に膨大な人数の人々がそこに住んでいたと思われます。デススターもどんなに少なく見ても少なくとも数万人の人がいた大きさで、そこには戦士だけではなく都市機能を維持する一般人や女性や子どもたちもたくさんいたはずです。

 スター・ウオーズでは善玉の共和国軍と悪玉の帝国軍とにはっきり分かれています。支配層が悪だとしても、他に膨大な数の一般民衆がいるはずなのです。たとえば、第二次世界大戦でのドイツや、日本は欧米軍から見れば悪玉ですが、ほとんどが一般の善良な民衆です。キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などの一神教は自分たちの考え方と異なるものは神の敵で、それは殺しても神の思し召しにかなうと思い、宗教戦争ではひどい残虐なことを平気でおこないます。オーム真理教でもポアするといって平気で人を殺しました。このスター・ウオーズや他のSF映画などでもそのような傾向があるのではないでしょうか。広島や、長崎に原子爆弾を落としたのもそのような考え方の延長ではないでしょうか。

 いろいろな、コンピューターゲームでも、戦いには戦闘員以外の生身の生きた人間がいてそこで多くの悲惨な死者が出るということは想定されていません。アメリカでは、ゲーム感覚で、ミサイルをピンポイントで落として対象物を破壊する画面が出てきます。しかしそこには、戦闘員以外のたくさんの死者が出ていることは、わかりません。良心の責めが全く無くボタンを押します。しかし、アメリカを中心とする多国籍軍に対しイラクやアフガニスタンでは民衆の反感があり、兵士はいつテロに襲われるか知らず、その恐怖から一般人を誤って殺すことも多く、精神的に疾患をおこす兵士がたくさん出ています。

 いずれにしても、このような映画は、知らず知らずに、世の中にははっきり善玉、悪玉の違いがあり、悪玉は、たとえば、アメリカから言わせると、イラクやアフガニスタンのテロリストや北朝鮮などは、はっきりした悪玉で、すべて消滅させなければならないという潜在的気分を植え付けているのではないかと思うのですがいかがなものでしょうか。

 そして、前にもブログに書きましたが、クローン人間をたくさん作って、ロボット軍と戦わせるというのがありますが。クローン人間は「人間」ではないから、戦闘用に大量につくって戦わせてもいいのでしょうか。でもこんなことを書くと、SFなんだからいいだろう?いちいち文句言うのがおかしいといわれそうですね。

 後蛇足で付け加えます。「水戸黄門」は長く続いている番組で、ワンパターンの典型ですが私の両親などが喜んで見ていました。そこにも疑問があるのです。昔は悪玉のお代官様が、部下に出あえであえ面倒だ、斬ってしまえと言ってチャンバラになりますね。そこで、おもむろに、もういいでしょうと黄門さまが言うと、この印籠が目に入らぬかと言って、代官など一同が一斉に頭を下げるのですが。ずっと昔は、部下たちも斬っていたように思えます。途中からミネうちにしているのですが。ミネうちでも斬られたら大けがをします。いくらお代官様や大商人が悪くとも代官所の大部分の部下たちは、妻子もある一般人です。代官の命令には逆らえません。それを初めから印籠を出してすぐ恐れ入れさせればいいのに、懲らしめてやりなさいという黄門様の言葉で、余計なけが人を出すのはおかしい。なんて考えるのは私だけでしょうか。

 さらに追加します(7月19日)吉野源三郎の子ども向きの小説に『君たちはどう生きるか』という本があります。お読みになった方もあると思います。そこには、「物事を自分中心で考えてはいけない。たとえば『桃太郎の鬼退治』と言う話でも、鬼の側にとって考えたらどうなのでしょう]というのです。そして「かってに攻めてきて、財宝を持って行かれるのは、鬼がかわいそうではないか」と。皆さんそういう立場で考えたことがありますか?

 だいたい日本での鬼は日本に古来から住んでいた縄文系の蝦夷とか隼人のような人々ではないかと言われています。あの鬼の顔は彫が深く毛深い縄文系の人の顔そのものです。細面のキツネ顔の渡来系の人々が入ってきて、もとから住んでいる在来の人々を圧迫し、反抗してくるものを鬼としたとも言われます。このような視点で人々が物を考えるようになると、世の中はずいぶんと変わってくるように思えます。

追記:「水戸黄門」もついに放送打ち切りになるようですね。

2010年7月10日 (土)

「人間は奇跡そのもの」 井上ひさしさんの言葉より

 2010年7月7日にNHK総合テレビで放送された、「クローズアップ現代」の「記録せよ、そして記憶せよ、ー井上ひさしの言葉からー」をご覧になった方はいらっしゃいましたでしょうか。残念ながらしっかり記録しておかなかったための、間違っているところがあるかもしれませんし、十分にご紹介できないのですが、とても感動的なお話だったため、ご紹介することにしました。

 井上ひさしさんは1934年に山形県に生まれ、今年2010年の4月9日に肺がんのため75歳でなくなりました。父親と5歳で死別し、義父から虐待を受け、さらにはお金を持ち逃げされ、やむなく母はカトリック修道会に久さんを預けました。修道会の献身的な活動に感銘し、洗礼を受け信者となりました。その修道会の応援で、上智大学に入りました。在学中から浅草のストリップ劇場の前座の台本を書きました。その演者の中には若き日の渥美清もいました。その後放送作家になり、有名な「ひょっこりひょうたん島」の台本を書きました。その後は、小説に、随筆に、戯曲にと多数の作品を書きました。小説では「吉利吉利人」や伊能忠敬を描いた「四千万歩の男」などが特に有名です。文化功労章を受賞し、日本芸術会員となり、日本ペンクラブ会長も務めました。もう一つの側面は、政治的にもいろいろな活動をし、「世界平和アピール7人委員会」や「九条の会」の呼びかけ人などもやってきました。

 井上ひさしさんはたくさんの小説や戯曲の中で、日本が引き起こしてきた戦争にたいしてのするどい批判を書いてきました。その中で、確か私の記憶では「太鼓たたいて笛ふいて」という戯曲だったとおもいます。天皇に対して戦争の政治責任を問います。と共に自分たちにも政治責任があるのだと。                                           それから「人間は奇跡そのもの」という言葉は、戦時下で子どもができても、生まれる子が女の子では意味がないから、子どもを下ろそうかという娘に対しての言葉です。役者の名前ははっきりしませんが、国民服を着た中年の男性が直立不動のままその娘にいいます。

 「この宇宙には数えきれないほどの星があります。またそこには多くの惑星があります。(確か4兆とか言っていましたが)、その中に水ができた惑星ができたのは奇跡です。その惑星に生命が生まれたのも奇跡です。この地球上に生命が生まれたのも奇跡です。また人間が生まれたのも奇跡です。そして命がつながって今あなたがここにいるのも奇跡です。あなたに子どもができたのも奇跡です。だからあなたは生きていかなければならないし、子どももうまなければならない」

 きちんと記録しなかったために、きちんとその言葉を再現していませんが、大まかな内容は以上のようなことばです。なんと素晴らしい言葉でしょうか。付け加えるとよく、膨大な精子の中から、たった一つが卵子と結びついてあなたが生まれた、それは奇跡的なことだとも聞きます。                                                      「人間は奇跡そのものだ」だから人間は生きていかなければならない。またあなたも生きていかなければならない。きわめて単純明快な言葉です。だからこそ、その奇跡的な大切ないのちを簡単に奪ってしまう戦争に対して、井上やすしさんは強い怒りを感じているのです。

 現代の日本では、貧しくなるのも自己責任だとかいい、強いものが勝って当然という世の中です。新自由主義とグローバル化した社会のもとでは、そのような考え方を、日本の支配層はさまざまな形で、人々の心の中に植え付けてきました。また所得格差が増大する政治を小泉元首相以来続けてきた結果、デフレスパイラルになり、景気は一向に回復せず、人々の心も暗くなってしまいました。その中で、「私は生きていてもいいのだろうか」という問いを発する人々の増大、そしてうつ病がまん延し、自殺者も3万人以下に成りません。その中で改めて「人間は奇跡そのものだ」、「大事なものなのだ」ということを知ることが大切ではないでしょうか。それも「人間一般」ではなく、今生きている個人個人一人一人が、大切で奇跡で大切でかけがえのないものであるということです。

 それも単なる、個人の心がけで改善されるものではないのです。私は私のブログで書いたことですが、毎日新聞の5月3日の記事でダライ・ラマが話した「拝金主義と決別を」を、批判しました。ダライ・ラマはいいます。「長引く不況でリストラや借金苦、学校や職場のいじめ・・自ら命を絶つ人人の他、心を病む人も多い。--現代社会は人間への愛や慈しみが欠けていると」続いていいます。「祈りだけでは解決しない。次世代のために内なる価値観を重視する教育システムが必要だと」そして、「自殺を考えるなら、人に助けをもとめること、物乞いになっても恥ではないと」

 現在の日本のありさまを引き起こしたのは、大企業や高級官僚や一部の政治家たちが行った具体的な政策と政治の結果なのであって、断じて愛や慈しみが欠けているのでも、教育が不足しているのでもありません。物乞いになっても自殺するななんていうのは論外です。生活保護の申請をことわられて餓死したりしたのも、物乞いにならなかったからいけないのですか。でもダライ・ラマなどのいうような論調はよく世間で言われていることです。このような日本の状況を変えるのは、心がけではなく、民衆のための世策を行う政治に帰ることしかありません。明日は参議院選挙です。民主党が民衆の味方ではなくなり支持率を下げたのは残念なことです。

2010年7月 7日 (水)

人間学研究所7月例会のお知らせ 「人間学研究所通信49号」発行

実用的人間学研究会例会

 第25回実用的人間学研究会例会

  日時: 2010年7月15日(木)  18時30分より

  テーマ: 「食事と健康 高齢者にむけて」

        高齢者がどんどん増えています。高齢者に向けて食事は、どのようなものが

        よいのか、お話いただきます。

 講師 :  河村 信弘氏 元女子栄養大学

 場所 : 人間学研究所

 懇親会 : 「わんぱく大将」 第2サタケビル地下一階 前回予約しましたが、サッカー韓国戦でいっぱいで入れませんでした。改めて訪問します。

第65回 新教育人間学部会

 日時 : 2010年7月23日(金) 18時30分より

 テーマ : 「山住正巳における近世研究」

        山住正巳氏は近世教育しを専門とする学者です。元都立大学学長

        2003年2月72歳で死去しました。「日の丸、君が代の強制反対を意思表示す

        る会の発起ん人でもありました。

 講師 : 中江和恵氏 人間学研究所理事、年誌編集責任者 

       東京家政大学、和光大学非常勤講師

 場所 : 人間学研究所

 懇親会 : 越路

 ●人間学研究所通信(HUMANOLOGY)49号が発行されます。全14ページ

   2010年7月発行

   柴田義松所長の「思想家の形成」はヴィゴツキーの思想形成について、シェークスピアのハムレットなどと関連づけてかたられています。前半のみで10ページです。

   岩田好宏副所長のフランス映画「パリ20区 僕たちのクラス」を見る p3

人間学研究所

  〒169-0073

   新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3階 03-3209-1888

   所長 柴田義松  東京大学名誉教授 

  *お問い合わせは事務局

    佐竹幸一まで、  090-6549-2677

 

 

2010年7月 6日 (火)

北京に行ってきました (その一)北京の街のありさま

 7月1日から4日まで、クラブツーリズムの「北京の世界遺産をめぐる旅」に、家内と一緒に行ってきました。いままで上海方面に4回、桂林に一回と中国へ行っていましたが、北京は初めてでした。万里の長城も、故宮もずいぶん長く歩かなければならないので、痛んでいた膝を治すために整形外科に10数回通い、ヒアルロン酸も注入してもらいました。そのために膝は大丈夫でしたが、天気が良すぎて35度を超えるカンカン照りで、そちらの方が参りました。旅行費用は飛行機、ホテル、観光、食事全部こみで、一人38800円という安い価格で、ホテルも5つ星ということでした。想像していた通り、その価格ではおそらく原価で利益はないために、みやげ物店に一日2軒もつれて行かれるのです。上海などでも同じクラブツーリズムのツアーですが、今回はかなり強烈でした。

 ホテルは京瑞国際温泉大酒店(ホテル)というところで、北京中心街から離れたホテルで、プラス一人一日1000円で広い部屋にするということでそれを頼んだので、広い部屋でした。温泉は1400メートルの深さから掘ったもので、茶色の温泉で、ちょうど東京の大江戸温泉と同じ感じでしたが、塩分はいっていませんでした。周りはビルがたくさんあって見晴らしもきかず、殺風景な感じでした。朝食はビュッフェ方式でしたが一番混んだ時は、席がなかなか見つからず、食べ物もほとんどないという状態でした。

 ツアー参加者は16名で、ちょうど私たちと同年代の夫婦の参加者8組でした。31歳の日本でいろいろな仕事をして、お金をためて、早めに結婚をして、マンションも買ったという、ぼんちゃんと呼んでくださいという長身の男性ガイドと、写真をとりながらお手伝いをする小柄な若い女性がガイド役になりました。専用のバスで4日間いろいろ見て回りました。      北京の街は、オリンピック直後で、道も町もずいぶん整備されています。道路の道幅は広く、なんと7路線づつ14本の道もあるそうです。その広い道があっても、車がきわめて多く、2年前にはかなりあった自転車やバイクはほとんど見当たりません。ですから街中は時速20キロ平均といつも渋滞です。軽乗用車は少なく、ガイドによれば、中国の人は見栄を張り、高い車を買いたがるようです。ただ三輪のバイクをかこった、乗り物が見られ、それをタクシー代わりにしているのが大変珍しく、上海では見たことがありませんでした。車は平日は車のナンバーにより5分の一ずつ自家用車は走れなくなっていて破ると罰金で。見つけて通報した人は罰金の3割ほどもらえるそうです。ともかくこの調子で、車が増え、ガソリンをどんどん消費したら、太変なことになるのではないかと思いました。今は電気のトロリ-バスがあるのですが、それも今年いっぱいでやめるそうです。

 ガイドのぼんちゃんによれば、レストランなどでは、いいサービスを受けようと思ったら、テーブルの上に、高級たばこの箱を出しておくとか、ベンツなどの高級車のキーを出しておくそうです。バッグや、ネックレスなどはニセモノが多いために参考にしないそうです。ともかく日本以上に貧富の差が激しく、今急激に上がったマンションはとても高くて普通の若者に手が届かなくなっていて問題になっています。この急騰は投機によってももたらされており、いずれ日本と同じようにバブルがはじけるのではないかと思います。旅行中で、三組のこじきがいました。二組は故宮博物院の裏の堀に面した道です。ひと組は眼の見えない老婆と思われる年の人が立っていて、その足元に3歳ほどの女の子、孫?がいました。ひと組は眼の見えない男性の老人の手を40代くらいの男性が手を引いて、お金をもらおうとしていました。バスを降りると、わっととりかこむようにしてスカーフなどを10枚、千円などとしつこく売りにきます。

 一時よりは減っているのでしょうが、古い民家をこわして、高層ビルに建て替える工事は引き続きやっています。初日は古い町並みが残る胡同(フ―トン)を人力車で回りましたが、みんな町のあちこちでトランプをしたり談笑したり夕涼みをしたりしていました。それがなくなり、日本と同じような無機質なアパートにすべてしまうのは、どうかなと思います。中国の大都市の中心部では、ほとんどがマンションで、一戸建ての家というのはほとんどありません。

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