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2010年8月14日 (土)

スピリチュアルとかのいかがわしさ BSフジ

 8月13日のBSフジの「プライムニュース」で「宗教は個人化の時代?スピリチュアルの流行」という二時間もの番組がありました。私はたまたまその番組を見て少しメモをとっていましたがあまりのばかばかしさに途中でチャンネルを変えました。話は島田裕巳氏(東大先端科学技術センター客員研究員 宗教学)と、樫尾直樹氏(慶応大学准教授 宗教学)に聞くという形です。島田氏はすでに宗教関係にいろいろと書いて有名な人物でよく知っていましたが、樫尾氏というのは知りませんでした。今スピリチュアルブームだとか言っているのですが、彼が2010年5月に書いた『スピリチュアルライフのすすめ』文春新書などで、ブームを作りだしている人物であることがわかりました。

 途中から番組を見ていて、パワースポットというのが話題になっていました。いま、特に10代の若い女性が、パワースポットめぐりをするのがはやっていて、靖国神社などに、10代の女の子が群れているのだそうですが驚きですね。パワースポットとは1990年ころにインチキ超能力者清田益章氏がいいだして、その後このようなところが、パワースポットだとかいう本やWEBが出て、魔法のように簡単にご利益を得たい人たちが、押し掛けるようになったそうです。スピリチュアルとか風水の観点から、いろいろに言うようですが、科学的根拠などは全くありません。神社などの宗教系、景勝地、遺跡、原子力発電所の近くなんていうのもあるそうです。江原啓之氏も言い出したけれどあまり安易に流れているので少し身を引いているとか。

 樫尾直樹氏は国内のパワー・スポットとして、恐山、明治神宮、立山、伊勢神宮、吉野を上げていて、海外ではオムガンサン、ドゥブロニク、パリのモスクなどを挙げていました。人間の作為が入っていないところで、気が流れているところと言っていました。そのようなところでは気が流れていることにより、それを浴びるとマッサージやハリの効果があるというのです。そのようなところにいるとゆったりとくつろぐことにより、くつろいでいる自分、第三者的に自分をみることができるのだそうです。『スピリチュアルライフのすすめ』では不安や悩みを解決する七つのエクササイズとかいって、ヨガ、呼吸法、座禅、祈り、瞑想、ウオーキングなどをあげています。きわめてお手軽で、わかものが飛びつきやすそうですね。

 一方島田裕巳氏は、樫尾直樹氏と違い、パワースポットは人間がかかわっていないとパワースポットにはならない、たとえばお祭りなどで人が集まっているところに、パワースポットができるというのです。何だ違うことを言っているではないかと思いましたが、お互いに問題にしませんでした。だいたい恐山や明治神宮が人がかかわっていないうんぬんもおかしなものだと思いますが。いずれにしても、このデフレが続く重苦しい世の中で、そのようなところを回って、癒されたと感じてかえってくることを否定はしませんが。

 島田氏はパワースポットにいることや、座禅やヨガをやっていると、乖離(かいり)が起こるというのです。乖離とは自分を一歩離れて見つめている自分がいるということを意識することだといいます。人間を客観的に見ることができる能力は人間だけで、これが霊性とかスピリチュアルの元であると。そしてそれは解脱とか悟りに近付くのだと。しかし私が思うにこれは、何も、スピリチュアルとかわけがわからないことをとおしてではなく科学的に冷静に判断してこそ得られるものだと思います。スピリチュアルや霊性などというのは、まったく科学的根拠がありませんから、それぞれが提唱する神秘主義的なものをそのまま受け入れてしまうことになります。神秘主義で自分というものを正しく見つめることは無理なことなのです。ただそのような気分になる一時の気休めではないでしょうか。

 次にいま仏教ブームだそうで、仏像ガールとか、お遍路ガールというのがあるのだそうです。昨年の阿修羅展で火がついたそうです。阿修羅はりりしい顔で、肉食系で、ぐいぐい引っ張ってくれそうなんだそうです。なよなよした草食系男子に対しての反動でしょうか。お遍路に行くのも癒されて力をもらう、自分はどうして生まれてきたのかなどを考えるそうです。死んだ人への仏教から生きている人に対しての個人的な仏教なんだそうです。それで癒されるのならそれはそれで結構なことです。日本には仏像がたくさんあるが、仏像は、相対することによって、前に書いた乖離を引き起こすための空間を作るのだそうです。

 座禅やヨガをやって集中していると、周りと自分が一体となり、見ている自分をみる、(幽体分離の気分でしょうか)ことができるのだそうです。そのようになると花が笑いかけてきたり鳥が話かけていたりする感覚を得るのだそうです。ゆっくり、足をつけたとか意識しながら歩くとやっていることをありのままに自分をみることができ、怒りっぽい自分とか悔しいとか思う自分に気がつくのだそうです。それで満足しているのはそれを否定しませんが。いかにもそれらは、個人の心の問題にだけ集中しています。自分の悩みや困難が社会や政治のあり方の問題からむしろ来ているなどという方向には行きません。このようなスピリチュアルなどの方向へ庶民を持って行き、政治を変えなければなどという方向に行かないためには為政者にとっては大変都合がよいとも思えるのですがいかがでしょうか。

 他にも色々話があったようですが、ばかばかしいので見るのをやめました。

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