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2010年11月

2010年11月22日 (月)

男性の更年期障害 うつが治らない男性は試しに泌尿器科へ追加

11月18日付のブログで、「男性ホルモン不足で不元気に」ということでNHKの「ためしてがってん」の紹介をしました。もう少し詳しくここで書いてみます。

 LOH症候群とは正式には、「加齢男性性機能低下症候群」といいます。これは、「男性の更年期障害」ともいわれます。女子の場合は閉経というはっきりした区切りがありますが、男性にはそれがなく、又、比較的若い時からも生じます。今の社会がひどいストレスを生み出していることが大きいと思います。さまざまなストレスがその大きな原因です。また、食べ物の偏りも大きく影響しています。たんぱく質(男性ホルモンのもとのコレステロールを作る)不足や、亜鉛の不足(精子をつくる、無いと性障害や味覚異常を起こす)は男性の性機能を低下させます。そして、その結果、まだ若くても、性欲がわかず、性行動もなくなるためにますます男性ホルモンが出なくなり、という悪循環に陥ります。

 さらに私の男性のメル友さんのお話で、うつ病の治療薬として飲んでいる抗うつ剤である、トレドミン(SNRI)という薬は、性機能障害を起こす副作用があるということです。先日のブログでもNHKでは今600万人もの患者がいると言っていましたが、今まで原因がうつ病であるということで精神科に行っていた、そして抗うつ剤をもらって飲んでいた、しかしますますLOH症候群がひどくなるという悪循環に陥っている人が多いのではないでしょうか。

 男性で、性障害があり、うつ症状の方は試しに、精神科ではなく泌尿器科へ行って診察を受けてみたらいかがでしょうか。そして、男性ホルモン注射と共に、バイアグラや、シアリスといった薬ももらってきたらいかがでしょうか。急激に人生が明るく転換するかもしれませんね。

 インターネットのWEBでLOH症候群などを開いてみればいろいろのっています。泌尿器学会でつくった、テェックシートが2415円で、(株)じほうというところでうっているようです。また八重洲望みクリニックというところのサイトでは10のポイントが出ていました。

性欲の低下と勃起力が減退し、以下8問中3つ以上あれば、LOH症候群の可能性が高いと言っています。

1、元気がなくなる 2、体力維持力低下 3、身長の低下 4、日々の楽しみが少なくなった 5、物悲しい気分、怒りっぽくなった 6、運動能力低下 7、夕食後うたたね 8仕事の能力低下

いかがでしょうか。該当すればもっと詳しく調べるか泌尿器科へ行ってみたらいかがでしょうか。人生が大きく明るく変わるかもしれません。

 1、落胆、抑うつ、不安、神経過敏 疲労 生気がなくなる

 2、間節や筋肉の力の低下 発汗、ほてり、睡眠障害、記憶力集中力低下

 3、性機能低下 勃起障害

 この三つが同時にあるようでしたら、LOH症候群の可能性があるといいます。

 詳しくはご自分でいろいろ調べてみてください。うつ病で悩んでいる方、もしかしたら半分ぐらいはこちらの方かもしれませんよ。

 泌尿器科では、自分の性器をみられるのではないかなどと、それがいやで行かないなんて言う人もあるでしょうが、そういうことは一切ありませんので安心していかれることです。

11,29 追加 うつ病の最近発売された、治療薬SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)薬名ではバキシルとかルボックスは2008年の薬害オンブズマン会議によると、海外では、62から70%の人々に性機能障害の副作用があると報告されているということです。日本ではまだその報告例がないということですが、かなり、日本においてもそのような症状が出ているのではないかとおもわれます。

 

2010年11月18日 (木)

「スピリチュアル・ライフのすすめ」を読んで 樫尾直樹氏の本

 この「こういちの人間学」において、8月14日付で、「スピリチュアルとかのいかがわしさ」というブログで、樫尾直樹氏を批判したものに対して、9月29日に樫尾直樹氏からの反論がありました。どのような反論であるかは、8月14日付の私のブログで、このような反論があったと、ほぼ全文を載せました。そして、改めて「スピリチュアル・ライフのすすめ」を読んだ上で、改めて私なりの見解を述べると書きました。私が目指す、実用的人間学と「科学的ヒューマニズム」に基づいた生き方と、樫尾直樹氏のこの本ですすめておられる生き方とはかなり明確に対比されるところがあり、樫尾氏の考え方を批判するなかで、より私の考えを理解していただけると思いました。

 そこで、12月16日の実用的人間学の例会には、このテーマで、実用的人間学研究会の会員の皆さんにお話をすることにしました。その時にはより明確な批判ができると思います。このブログはそれまでの間、本を読んだ感想的なものであると思っていただければと思います。

 今、就職内定率が過去最低であるとか、失業しているとか、給料が年々減るとか、特に若者にさまざまな困難が襲いかかっており、又仕事の中でも業績本位の査定により神経をすり減らしてさまざまなストレスにさいなまれているのが現状です。このような日本の社会の中でいろいろな困難をどう克服し、どう立ち向かっていくかについての一つの提案が、この『スピリチュアル・ライフのすすめ』です。

 最初に氏の言う定義などをいくつかできるだけそのまま書いてみます。皆さんはどのようにお考えでしょうか。

「スピリチュアリティというのは、神仏や大自然やいのちといった、目に見えない存在の力が働いている、それに影響を受けているという、超越的な意識」 p9

「スピリチュアリティ文化とは、禅、ヨーガ、呼吸法、瞑想、スピリチュアルケア、食、エコロジーなどをいう。それらの良質なスピリチュアリティのエクササイズにより心身のバランスがとれ、健康になって心が安定し、自信を持て、他人にもやさしくなる。そして人生の不安が解消していく」 一部要約

「世の中には、良いスピリチュアリティと悪いスピリチュアリティとがある。悪いものは鳩山首相夫人の言動や、江原啓之さらにはオウム真理教に行くような、オカルト的なスピリチュアリティである」                                            こういちー魔術に、白魔術と黒魔術があるようでしょうか。

「日常的に、①祈り②ヨーガ③呼吸法二種④座禅⑤経行(きんひんーゆっくり歩いて心の落ち着きをえる)⑥ラべリング 昼休みにできる簡単歩く瞑想⑦GL瞑想(ゴールデンライト瞑想)光と闇のイメージで熟睡できる。このようなエクササイズをすることによって心の段階から魂の段階へさらに悟りの境地ともいえる霊の世界まで到達できる」

「悟りの境地とは宇宙や神や空といった絶対的存在と合一している意識で(メタ意識)、これは宗教の本質である。そうするといのちといのちでないものが実は一つであるという意識になる。」

「セラピー文化とは対人関係やその他の人生の問題の原因を社会制度や道徳の衰退にではなく、心のあり方に求め、意識を変容するさまざまな実践によって、結果的にそうした問題の解決をはかる態度」 p132                                           こういちーこのあたりは私の考え方と真っ向から対立する考え方です。理由はあらためて。

「そういうエクササイズをすると、神秘体験ができる。伊勢神宮の外宮で、祠から薄紫の光が上がり人間のかたちになった。すなわち神を友人と二人でみた」 p150            こういちー神とは一体何でしょうね。そんなに簡単に姿をあらわすのでしょうか。

「スピ原理とは高次の自分が現在の自分をみて自他の一体性や絶対的存在との合一にきづいていく自己超越意識のメカニズムである。 もう一人の自分が自分をみているという分身の構造」

 そのほかには後半にしつけのあり方とか、親が自分が間違ったらすぐあやまるとかいろいろ書いています。

 本格的な批判は改めてします。でもこのような時間をかけたエクササイズができるのは、大学の准教授であるかれのような人や、仕事をしていない人などに限られるでしょうね。彼は、たとえばヨーガなどでも本当に突き詰めるのは、無理なので、少しだけいろいろ取り入れてと書いてあります。

 あと氏が、私が今の若い人がスピリチュアリティ文化に安易に染まっているとかいたのを、そんな若者がいるというのがそもそも間違いと書いてありました。樫尾氏がいう意味でしっかりエクササイズをする人はめったにいないでしょうね。私は安易に若い人が単なるパワーストーンとかパワースポットとかやすでのスピリチュアリティ的なものに染まっていると書いたつもりでした。 いずれにしても私の立場は、完全な無神論の立場に立つ、神仏も、霊もすべて、人間の想像上の産物で、科学的な見地では存在しないものと思っているわけで、その点が根本的に樫尾氏と異なります。もちろん、神仏も、霊も河童や一反もめんのような意味での存在ということでは存在するとは認めます。

 

 

 

 

2010年11月10日 (水)

日本外交をめぐる問題点 危険なタカ派言論人

 このところ、尖閣諸島問題、ロシアの大統領の国後島訪問、そして尖閣での中国漁船接触事故ビデオの流出などが相次いで、いわゆる世論調査によれば、民主党内閣の支持率は30%代に落ち込んだという。先日の私の参加した異業種交流会でも、一グループは中国はけしからんとけんけんがくがくのありさまで、隣の私たちのグループまで良く聞こえてきました。

 もともと、日本の固有の領土であった尖閣諸島を周辺で石油が見つかったので、急に領有権を主張しはじめた中国はおかしいし、最近の東南アジアでの南沙諸島でのかなり強引な領土の主張、又海軍力の増強など中国の強引な態度は眼にあまるものがあります。またそれが、急速に進む中国での所得格差への不満を外にそらす働きもあるようです。しかし、現在のように、日本と中国との経済関係が今のように深い関係になっているときにその流れを断ち切るのは両政府にとっても不可能な事態になっています。ですから、日本政府もなんとか穏便に物事をすすめようとし、中国も過度な反対運動が起こらないように抑えてもいます。

 しかし、日本のいわゆるタカ派言論人と称する人たちは、菅内閣を国辱ものだとか責め立て、それに追随するマスコミも、特にいろいろな雑誌にそのような立場で騒ぎ立てています。その中で、2010年11月21日号のサンデー毎日で、「タカ派言論人に問う、正気か・中国との戦争」という記事がありました。その例として、「核武装以外に独立の方途なし」(西部邁・『正論』12月号)、「もしも日中戦わば」(田母神俊雄氏ら 同)とか中西輝政、櫻井よしこ氏などが、日中戦争をしてもというような威勢の良いことを書いているといいます。

 中国共産党系の雑誌で、前原誠司外相、田母神、櫻井各氏を、「日本の三代タカ派」として特集記事を組んでいるとのことです。同じサンデー毎日のトップ記事では「危ない外相前原誠司」という題で、中国ロシアを敵に回す「ええかっこしい」の立場が中国ロシア問題をより深刻な事態にしたと書いています。タカ派言論人が菅内閣の政府の弱腰を非難するけれど、その問題にタカ派の外相がかかわっているというのは奇妙なことです。もっとロシア中国を敵に回す言動をし、両国関係を悪化させた方がいいのでしょうか。

 サンデー毎日は言います。菅政権の対応がぶれ続け、日中関係が悪化しているのは間違いない。しかし中国侵攻に備えた軍備増強、憲法改正、国民の防衛義務に基づく徴兵制度導入、さらに核武装論などの「スーパー強硬論」を聞けば「本気で中国と戦争をしたいのか」と疑いたくもなると。

 続けて、ジャーナリストの斎藤貴男氏は「新自由主義路線の小泉政権後半から保守論壇の潮流が過激になってきて、ナショナリズムをあおりたてるような過激な論調が目立つ。世界情勢を綿密に分析した旧来の良質な右派言説は姿を消してしまいました」        軍事評論家の田岡俊次氏は中国が軍事力を年々増大するといっても国防費の異常な増大というのは誤りだと言っています。経済成長に応じた伸びで国家財政に占める割合はむしろ89年の8.91%から2009年には6,52パーセントに減っているといいます。

 このサンデー毎日のような論調はむしろ少なく、中国脅威論、菅政府の攻撃の論調が優位で、人々が巷で話すこともどうしても中国けしからん、軍備を増大しろみたいな言葉が多くなります。このような状態を許せば再び昔の日本の軍国主義を復活させる流れに進んでしまいます。皆さんが景気のいい、タカ派発言に惑わされないようにしてほしいと願うものです。

 

2010年11月 9日 (火)

私のブログに対しての樫尾直樹氏の反論について

ブログやWEBを見直ししていたら、私が2010年8月14日付に書いた「スピリチュアルとかのいかがわしさ BSプライムニュース 樫尾直樹」というブログに対して、樫尾直樹氏が氏のブログで2010年9月29日付で「佐竹幸一氏の批判に反論する」というものがありました。だいぶ時間が経過しましたがようやく気付きました。今まで2チャンネルなどでの批判があるが樫尾氏の名前で検索するとトップ頁でヒットするので誤解が持続してはいけないと思ったからだと言っています。確かにだいぶ日にちがたったにも関わらず、「樫尾直樹のブログ」でまだ12番目に出ていました。

 その反論は、どのようなものか以下、樫尾氏のブログに書いてある通りに書いてみます。

 「番組を全て見ないで適当に自分の意見を披露しているという点、および番組で紹介された樫尾氏の『スピリチュアル・ライフのすすめ』をまったく読まずに、表紙と帯だけをみて印象を述べている点、並びに、座禅などの身体実践がどれだけ人間精神の向上に良い影響を与えるかについての歴史的伝統的な経験と知見についての無知が、佐竹氏の誤解と非難の本質であると、私は考える」

 「ヨーガや座禅といった身体実践が多くの若者に受けそうな話題であるという認識も間違っている。そうした認識と実践の実態があるのならば、私は『スピリチュアル・ライフのすすめ」を書くことはなかっただろう」

 「特に番組での私の発言や『スピリチュアル・ライフのすすめ」の記述は「スピリチュアリティ/霊性」「スピリチュアル」という術語に対する誤った誤解が、スピリチュアルブームによって日本社会にまん延していることに警鐘を鳴らし、そのより良い理解を示すことが目的であった」

「佐竹氏は樫尾氏の本を読みエクササイズをし唯識や禅関係の仏教書をよく読んだらいいのではとといっています―ここは一部略」

「そして氏(佐竹)は実用的人間学」の構築を目指しているとしているが、そうしたプラグマティズムによっては、社会の根本的な問題の解決はできないのである。このことをよく理解して自覚していただきたいものである。この点については前著『スピリチュアル革命』で詳しく論じているのでこれもあわせて、お読みいただければ幸いである」

改めて読んでみます

 以上一部を除き私への反論のほぼ全文を改めて掲載しました。確かに、番組のすべてをみていないこと氏の本を読んでいないのは事実なので、改めてじっくり氏の本を読んで改めて書いてみたいと思います。近くの本屋に行きましたがうっていませんでした。早速買い求めます。 ただ私の「実用的人間学」について実用的イコール、プラグマチズムであるから社会の根本的な問題の解決はできないのである。と言っていますが、それこそ私が、「こういちの人間学」に書いているブログをお読みになっている方は、「実用的人間学」が単なる実用主義として軽んじられる意味でのプラグマチズムでは無いとお分かりになっていただけると思います。わたしのいう実用的とは、カントの書である『人間学』において、その序文で、「自分の人間学は実用的な見地における人間学である」というのをその基本的立場を踏まえて名付けたものです。逆に樫尾直樹氏の「スピリチュアル・ライフ」によって社会の根本的な問題の解決が実現できるのでしょうか。お尋ねしたいと思います。

 私の「実用的人間学」を明確にする点でも、樫尾氏の考え方との違いを明確にして行きたいと思います。少なくとも私は、仏教や、座禅を軽視などしたことはありません。特にブッダの教えに(スッタニパータなど)深く傾倒しております。仏教書も詳しくは読みこんではいませんが、宗教かんけいの本もたくさん持っていて必要な時には資料として使っています。座禅もしたことがあります。しかし根本的な「霊」とか「魂」いうものの存在を前提にするという根本的なところで大きく考え方が異なるとおもいます。いずれにしても良く本も読まないででの批判は事実で失礼なことでしたのでよく本を読ませていただいたうえで、きちんと私の考えを述べさせていただきます。

追記 2017年2月13日「こういちの人間学ブログ」

本を読んだ後での、コメントです、よろしかったらぜひお読みください。

「スピチュアルな生き方ではなく、科学的な立場による生き方を」

  2010年12月22日

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2010/12

12月のブログ全部出てきますので、このブログを選んでください

「スピチュアル・ライフのすすめ」を読んで、樫尾直樹氏の本

  2010年11月

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2010/11/post-de9f.html

 

またまた終末予言 BSTBS マヤの暦とノストラダムス

 先週、夜10時にBSTBSで、ノストラダムス、2012年予言のヒストリーとかの番組があった。少し見て、メモをしていましたが、あまりのばかばかしさと、他に見たいものがあるので見るのをやめてしまいました。このような番組を放送することは実にけしからん話なのです。このような番組が好きな人々がいてそうした人たちから視聴率を稼ぎたいのだと思いますが、公共放送として、この手の番組は、あまりいい効果を与えません。なぜかというと、やはりノストラダムスの予言とか称して、1999年7月、恐怖の大王が空から降ってくるという予言をもとにして、オウム真理教や、さまざまな新新宗教などが出て、サリン事件やいろいろな犯罪行為も出てきたからです。皆さんご存じのように、1999年7月には全く何事も起こりませんでした。だいたい、私は「ノストラダムス大予言」の原典すなわち『諸世紀』の訳を持っていますが、(『ノストラダムス大予言原典』ー諸世紀、昭和50年発行たま出版)いわゆる4行詩は、比喩的にいろいろ書いているだけで、具体的に何年何月にこれこれのことが起こるなどということは書いていないのです。そこに書いていることに近い出来事を、歴史上の出来事を解釈して後追いして当てはめているにすぎません。

 今回は、ノストラダムスの予言と組み合わせて、「マヤの暦」を前面に押し出しているということです。番組では、欧米の学者?により次々に話をさせて、何々となるのでしょうか?といいつつときどき、断定的にこうなるというのを組み込ませていました。中米に栄えたマヤ文明はその優れた建築技術を持っていたことと、独特な精密な天体観測にもとづいた暦を作ったということで知られます。マヤの暦では2012年の12月で暦が終わっているので、世界が終末を迎えるというのです。そしてマヤの暦の予言とノストラダムスの予言が一致するから今度こそ、地球が滅亡すると。具体的には2012年の12月21日から23日にかけて一つの区切りを迎えるというのです。また一方では滅亡するのではなく新しい太陽の時代を迎えるという説もあります。ノストラダムスも1999年に、人類が滅亡するなどとは書いていません。勝手にそう解釈しただけです。

 すでに2012年滅亡説をもとにした映画がたくさん作られています。またそのことを書いた本がいくつも出されています。惑星直列があるときに、世界に大変動が起こるという話もありました。その時私は北海道の見幌峠に行きその頂上から天空をみていました。雲ひとつなく漆黒の空には銀河が美しく見え、人工衛星もいくつか飛んでいるのが見えました。とてもその星空の美しさに感動しましたが、世の中何事も起こりませんでした。

 今度は、このときに、銀河系と太陽と、地球の直列があるというのです。2012年の5月20日には関東地方などに金環食があり、太陽、地球、月が一直線になる。それにプレアデス星団までが一直線になるので、何か大きな変化があるのではないかというのです。すなわち、アセンション(上昇とか昇天とかいうそうですが)が起きるのではないかと。ニューエイジとか新興宗教や、もろもろの神秘的なことが好きな人たちが騒いでいるのです。1999年に何もないのに今度こそはというのでしょう。日食月食があるとき常に、太陽月地球は一直線になるのであって別に全然珍しいことはなく、それが何かを引き起こすことも一切ないはずです。

 この終末論には、現在起きているさまざまな異常気象を例に挙げて、それらしく説明しています。1998年以降の気温上昇、環境破壊などは終末論を書き立てるにはいい材料です。そして2012年には太陽活動がピークを迎えるので、そこでなにか大きな変動が起きるのではないかというのです。現在の温暖化現象は、二酸化炭素の濃度が上がったせいではなく、太陽の活動周期などいろいろな条件がそろって現在起きていることで、今後長期的にはむしろ太陽の活動が衰え次第に寒冷化するという予測もあります。

 今まで26000年に一度起きるという銀河の中心部と地球太陽が直列した時、種の絶滅のような大きな変化が起き、ネアンデルタール人がほろびホモサピエンスに変わったとかいうのです。しかし急に銀河直列が起きてネアンデルタール人が滅びたのではありません。かなり長い間両人類は共存していたようですし混血もしています。

 だいたい、2012年12月に、人類が絶滅するのだとか、「ノストラダムスの予言書」には書いていません。だいたい年号など四行詩には入っていないのですから。それらしきものを見つけて、当てはめてみるだけのことです。あと二年後のさきのことですがこのようなテレビ番組、映画書物などでこれからますます騒ぎ立てるに違いありません。そうすると、それに便乗したあやし気な集団がはびこり、そのようなものが好きではまりそうな人が被害を受けなければいいのですが。少なくとも公共放送でまったく非科学的なものを流すべきではありません。 NASAの宇宙生物学者である、デイヴィッド・モリソン氏は2012年の太陽と銀河と地球が直列になるということによる変化は何事もないと明言しています。太陽と銀河系の中心と地球が一直線になるのは2012年よりも1945年のほうがより銀河の中心部分にむいていたと言っています。そうすると今度は、神秘主義の好きな人はその年に原子爆弾が落とされて人類絶滅が現実性を帯びた年だとか言うのでしょうね。

2010年11月 7日 (日)

ベトナム、マレーシアの旅(5) ハノイへ 一日5食とハロン湾

Hi3d0098  

さて一日一ページの割でベトナム、マレーシアの旅のブログを書いてきたが、あまり読まれていないので、最後は5日目、6日目、7日目を一緒に書いてしまいます。まあ11月18日に私が実用的人間学研究会例会で講師になってお話するテーマを、この旅行報告ということにしたためその下準備にもなるかもしれません。

 旅行5日目は、5時ころに目が覚めた。5時半からは外からイスラム教のコーランを読み上げる声が聞こえてきた。窓を開けるとかなり大きい音である。そして朝9時50分出発で、チョコレート店によりました。その後、クアラルンプールの空港へ。この日は移動とこの日は、なんと5食も食事が出たということだけである。最初はホテルの朝食。ホテルの朝食の定番である、ソーセージ、ハム、ベーコンが出てこなくて、カレーもベジタブルカレーといった調子であった。イスラム教徒にもヒンズー教徒にも配慮するとそういう食事になってしまう。二回目の食事、昼は11時の中華料理であった。

 クアラルンプールを14時20分発。飛行機3時間でホーチミン空港へ、そこで三回目の食事の機内食。ホーチミン空港でベトナム国内線にてハノイに向かう。そこでまた4回目の機内食が。19時10分にハノイ空港着。到着後バスで、本日ベトナム料理のレストランへ。機内食もできるだけ残すようにしていたがさすがにもうおなかが一杯であったが。さっぱりしたベトナム料理は、なかなかおいしくて、けっこう食べてしまった。店内ではベトナムの民族楽器で、日本の音楽を演奏してくれた。どうせ民族楽器を演奏するなら民族音楽を聴きたかった。 ホテルはハノイのべスナホテル、街中のホテルだが3つ星のスタンダードということだが、マレーシアのパールインターナショナルホテルが良かっただけずいぶんと見劣りした。何しろ浴槽がなくシャワーだけで、下手するとお湯もでないという代物である。まあ寝るだけなのでいかということになる。

 6日目は今度の旅行のハイライト、ハロン湾観光である。今度の旅の五大都市周遊とはこのハロン湾も含むらしい。ガイドは中国系のベトナム人の男性で、日本の関西に先にいったとのことで、関西弁のなまりが強い。まるで話しぶりは漫才のような話である。マレーシアでも中国系のマレーシア人で、日本で仕事をしてお金を稼ぎ、マンションも買い、ガイドとして勤めていると言っていた。男性ガイドはほとんどそういった人たちである。

マレーシアではハノイの街は、ホーチミン市と違い、ゆったりした感じである。市内の大通りに面した建物は、みんな間口が狭く、奥行きが長い。これは昔間口の広さに応じて税金を取られてからその対策らしい。5階建が多く、みんなカラフルな色に塗られており、ベランダの手すりは、みんなコロニカル風の飾りがついたものであった。

 ともかくベトナムでも、マレーシアでも、中国でも、家の建て方は、家の隅と天井は、細い少ない鉄筋とコンクりートでつくられているが壁にはすべて煉瓦でつくられている。自信がないからなのだろうがまるで積木みたいなうちなのである。あさ7時20分ハノイ発バスでハロン湾へ。約4時間で11時20分ハロン湾へ到着。途中有料高速道路を通るが、その道はなんと自転車も通行OKなのである。

 ハロン湾では専用船で行く。ハロン湾は海の桂林といわれる景勝地で、確かに以前いった桂林と同じすばらしい景色だった。天気にも恵まれさわやかな天気の中のすばらしい景色は最高であった。食事は船内で海鮮料理。途中で海に浮かぶいかだに降りてみる。さまざまな魚がいけすに入っていた。果物売りの船がいかだに寄せてきた。驚いたことに、水上生活者と思われる船が何艘も、観光船に並走し、船に乗り込み売り込みをするのである。なんと一歳未満の赤ちゃんを抱いて、それをだしに、売り込みをかけてくるものもいる。二時間ハロン湾に。天気は快晴ですばらしい天気であった。3時間ほどのクルーズであった。

 またバスに戻りハノイ市へ。マレーシアでのったバスでより乗り心地は良かった。何よりも、マレーシアでは、途中の景色がほとんど油ヤシの栽培林が続き単調だが、ハノイまでの郊外の景色は農業国で、変化に富み眺めていても退屈しなかった。牛が田畑にたくさん草を食んでおり、道路の真ん中に入り込んでしまうものもいた。南部のホーチミン市郊外のウシはほとんど水牛であった。

19時最後の食事。だいたいこういうツアーでは、最後の食事をよくして途中の貧弱な食事の印象を薄めるものである。立派なきれいなレストランで食事の内容も大変良かった。それからそのまま、ハノイ空港に向かう。ハノイ空港では、私の荷物がおかしいと奥の部屋に呼ばれた。それをみた仲間が添乗員に伝え、バッグを開けたがなにもないのですぐ終わったが、言葉が分からず閉口した。X線で移ったバッグには真っ黒な大きな丸いものがいつつもうつっていたがそれと間違えたらしい。あのバッグはすり抜けて行ってしまったようだ。

 0時5分発もベトナム便で成田へ。4時間45分で成田につく。時差の関係で日本では6時40分であった。以上が私のベトナム、マレーシア旅行の報告である。

 

 

2010年11月 6日 (土)

ベトナム・マレーシア マラッカへ(4) マレーシアは品物が安い、多民族が仲良く共存

Hi3d0097 110306_142701_2 4日目は、10月31日で日曜日。今日はマレーシアに二つしかない世界遺産の一つマラッカへのということになった。行きはクアラルンプール駅からマラッカ鉄道にのった。駅には砂で書いたきれいな絵が印象的であった。ペプシコーラの自動販売機があり、ペットボトルもすべて1リンギットであった。日本円で27円である。乗った車両は特急とかではなく鈍行である。車内販売も回ってきたがもちろんビールなどはおいてなかった。終点まで行かずに、途中の小さい駅で降り、再び観光バスに。

 マラッカは会場貿易の拠点として古くから栄えたところです。華僑もかなりの勢力を持っているのが、お店の看板に書いてある漢字でよく分かります。昼食はニョニャ料理で、入植してきた中国人男性と、現地の女性とが結婚し、中華料理と地元の料理が混ざってできたのがニョニャ料理だそうです。かなりトウガラシやスパイスが効いた料理です。

 マラッカの観光の時には、晴天に恵まれましたが逆にかなり暑かった。観光はまずオランダ広場から。そこにマラッカキリスト教会があり、広場の周りには華やかに飾った観光輪タクが客待ちをしている。そこから坂を上がっていき、それから高台にあるセントポール教会に。そこからはマラッカの青い海が見えて、それをバックに記念撮影をしてもらった。その教会は1521年にポルトガルによってつくられたものである。戦災などのため屋根がなくなっていた。フランシスコザビエルの像があり、教会内部の片隅に、フランシスコザビエルの墓が地下にあり、金網の一部からお金を落とせるようになっていました。私は願い事もしないで硬貨を落としました。サンチャゴ砦はそこから坂を少し下がったところで、青銅製の大砲が数門並んでいるだけで砦といったものではなかった。一周で一時間ぐらいであろうか、観光はそれで終わり、朝晩かけてきた割にはそれだけ、とみんな拍子抜けの感じでした。帰りはクアラルンプルまでの200キロ余りの道をスプリングの効かないバスで、揺られてくるのは大変なことでした。

 夕食はスチームボートという、水炊き風の鍋料理で、これは脂っこい料理が続いたので、あっさりしていてなかなかおいしかった。ホテルには比較的早く着いたので、ホテルの下のスーパーマーケットにいきました。そこでの割引のチラシをもらってきました。めぼしいものをあげてみます。1リンギット27円とした場合です。

 面白いのは、日本では398、という値付けを好むがマレーシアでは、399という表示である。野菜果物が安い。すべて単位は一キロ単位である。驚いたのはメロンが一キロ1,89リンギットで、51円。日本でいくらか調べたら北海道ライデンメロン1キロ1600円、マスクメロンは二キロの大玉で10000円といったところでその差の大きさに驚いた。続いて一キロあたり、バナナ59円、オレンジ105円、パイナップル一つ40円。といったところである。野菜は、じゃがいも一キロ46円、カボチャなんと27円、青梗菜、ニンジンが50円くらいといったところである。他にはミーゴレンのインスタントラーメン5パック73円、ペプシの大きなペットボトル60円。鶏肉は一キロ216円、ラム(羊肉)483円、で、日本では100グラム当たりの値段である。牛肉、豚肉はおいていなかった。イワシ、121円イカが323円、ナマズは値段がたかめであった。スーパーには切り身ではない1メーター以上のサメやエイなどもおいてあった。

 そのほかサンダル安いもの78円、高級なもの132円、スポーツシューズ800円、といったところである。電気製品などでは炊飯器1350円、二口ガステーブル1600円。日本の電機メーカーに似た名前の18インチ薄型テレビが7000円ほどであった。この物価の安さでは日本から年金生活者が永住しようとするのも無理がないことだと、思いました。

 寝る前にホテルの近くを回る。二階建ての古い長屋にいろいろな店があった。マッサージ店が三軒ほどあり、そのうち一階の店で中国式でねだんがはっきり書いてある店に入った。全身1時間で50リンギット、1350円ほど。マッサージは若い中国の女性で技術もまあまあであった。片言の中国語が通じた。上向きになり、盛んに手で刺激、値段は50リンギットということでお願いしました。合計2700円であった。

追記 2015年11月17日

 今日、NHKBSプレミアムで、「世界ふれあい街歩き」という番組を朝7時からやっていました。11月10日に放送したものの再放送です。この番組は時々見ます。

 「クアラルンプール優しい人々」という題で、マレーシアの首都、クアラルンプールで他民族が、仲良く暮らしている姿を放送していました。

 ちょうど、数日前にパリで無差別殺人のテロがあり120人ほどの死者が出たばかりなのでよけい印象に残りました。

 マレーシアには、イスラム教のマレー人、道教の中国人、ヒンズー教のインド人などの人々が仲良く暮らしています。

 マレー人ののどかな、住宅地帯、インドの金細工店、中国系の人たちの先祖崇拝と道教などが紹介され、それらが仲良く共存し豊かな文化を作りあげているのを紹介していました。自分たちの文化を大切にしながら、他民族の歴史と文化も大切にしてなかゆく暮らしていました。

 もともと、庶民は他民族と仲良く暮らしているものです。イスラエル建国前の中東の地における、ユダヤ教徒とイスラム教徒などです。大国の思惑で政治的に分断し、他民族憎悪をあおりたてます。日本における朝鮮民族への憎しみをあおりたてるのもそうです。新大久保は多民族が仲良く暮らしていけるモデルケースにする必要があるでしょう。

人間学研究所2010年11月例会

第68回新教育人間学部会

 日時  :2010年11月25日(木)18時30分より 金曜日ではありません                                 

 テーマ : 「久慈の漁業から長倉まで」

        小学校の教諭をしながら独自の社会科教育を確立し、のちに

        滋賀大学の教授となった鈴木正気の足跡を、岩田氏の立場から

        見直されました。

 講師  :岩田好宏氏 人間学研究所副所長 前子どもと自然学会会長

 会場  :人間学研究所

 参加費 :無料

 懇親会 :越路

第28回実用的人間学研究会例会

 日時 :2010年11月18日(木) 18時30分より

 テーマ: ベトナム・マレーシア旅行のお話

       先日7日間にわたって、ベトナム・マレーシアを旅行してきました。

       日本や中国との比較もしてみます。100枚の写真と、ささやかな、

       お菓子も試してください

講師  :佐竹幸一 実用的人間学研究会会長

参加費 :無料

懇親会 : メラ・プティ カフェ インドネシア家庭料理

人間学研究所

 〒169-0073 新宿区百人町1-3-17佐竹ビル3階

            03-3209-1888

            ご連絡は 佐竹 090-6549-2677へ

2010年11月 5日 (金)

ベトナムマレーシア旅行 (3)クアラルンプール 市街と野生ホタル

Hi3d0100 (この写真はイスラム寺院で撮ったものです。男女問わず肌が出ている、例えば半ズボンでスト、このようなローブを着なければなりません)

旅行三日目は、10月30日の土曜日でした。当日は天気がよく暑い日でした。全体として雨の予想だったのが適度なはれと曇りという状態でした。クアラルンプール市内観光と野生のホタル群の観賞です。クアラルンプール観光は王宮、国立回教寺院、独立記念広場、国立博物館,KLCCパークです。王宮はまさに観光化していて、門の入口に赤い制服を着た二人の騎馬兵、白い服を着た二人の衛兵は恰好の記念写真の対象で、おとなしくしている馬に触ってみたりすぐそばで一緒に記念撮影などしていました。衛兵も、騎馬兵も、台湾における衛兵の交代のような、いかめしさは全然ありません。いかにものんびりした南国らしい風景です。

 国立回教寺院は、マレーシア最大のもので、数千人が収容できる大きな建物です。男女ともに肌をさらしてはいけないっということで、男女ともに、紫色の足首まで隠れるガウンを貸してもらって入場します。女性は当然ベールをします。内部の円形の大きな礼拝場はイスラム教徒のみが入所を許されます。中をのぞいて中に何にもないじゃないかという人がいました。メッカの方角を示すものはありますが、他の宗教のような偶像を置いていません。もともとキリスト教も、仏教も偶像崇拝を禁じていましたが、そのごなし崩しに偶像を崇拝するようになりました。イスラム教は最初の教えに忠実で偶像を作りません。

 独立記念広場は三つの戦争の勝利を祝ってつくられ、大きなブロンズ像がありましたが、アメリカの硫黄唐勝利の旗をうい立てる像を作った人と同じ人がつくったとのことで顔もアメリカ人風でマレーシアの国旗はアメリカの星条旗に似ているので、まるでアメリカの銅像のようでした。ここの近くのトイレは特別にきれいでもないのに有料でした。

 国立博物館は入場無料なのですが、平屋でとても小さくひとまわりすると終わりでした。きわめて多くの民族が複合してマレーシア人となっているという図を写真に撮ってきました。隣に、高床式の住居のモデルが建てられていました。

 KLCCパークは、尖塔を思わす二つのビルがそびえる、クアラルンプールのシンボル、ツインタワーの前の公園です。周りには大きなビルが林立し、今もビルを建設中です。  街には本当にいろいろな人がいます。女性でベールをかぶっている人はマレー人のイスラム教徒で最も多く。中国人が次ぎ、サリーをまとったインド系の人もかなり目立ちました。その中で、イランとかサウジアラビア系でしょうか、真黒な服で全身を覆い、目だけをだしたすらっとした女性がいて、その目をみただけでも相当な美人であることが予想され、かえって美しさを強調しているのではないかと思いました。さすがに目もおおってしまうブブカというのでしょうかそれをきた人はいませんでした。

 いったんホテルに帰ってから、夕方、野生ホタルの生息地のセランゴールにいきました。夕食は大きな川のほとりにつくられたレストランで海鮮料理を味わいました。近くで釣りをしており、大きなナマズが上がっていました。レストランは川風が快くそこから見る夕暮れの中の景色はとてもすばらしいものでした。暗くなってから、バスに乗り野生ホタルを見に行きます。蚊に襲われると脅かされていました。防虫スプレーを持って来た人にかけてもらいました。究明ジャケットを着込んで4人ずつ小舟に乗って川を回ります。ホタルは世界では2000種類もあるそうです。ここのホタルは小さくて、マングローブの木の新芽を食べに来るそうです。バスの中での説明でメスが一秒に一回、オスが一秒に三回点滅するそうで、2回は?。おかまねとガイドが笑わせていました。船が真っ暗闇の中を進むにつれ、周りに気にまるでクリスマスツリ―のように見事に点滅し、その景色はすばらしいものでした。船は2,30分ゆっくり行き帰りしてまわってもとにもどります。蚊はほとんどきになりませんでした。ここでの体験はあとに書くハロン湾に次いですばらしいものでした。

 それからバスでホテルまで帰ったので、ホテルに付いたのは10時過ぎでした。

ベトナム・マレーシアの旅 (2)マレーシアの初日 バツゥ洞窟

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二日目はマレーシアの首都、クアラルンプールです。ホーチミン市から二時間の飛行です。時差が二時間から1時間に変わります。13時20分にクアラルンプールに着きました。クアラルンプールの飛行場はホーチミンの飛行場に比べかなり大きく立派です。日本の援助があったとかいっていました。昼食にかなり辛いマレーシア料理を食べたあと、ヒンズー教の聖地バツゥ洞窟にいきました。マレーシアにはインド系の住民が多く、7%を占めるのですが、観光地では女性ののサリー姿は良く目立ちました。顔立ちは色の黒い南部インドのタミ―ル系のインド系の人がほとんどです。

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バツゥ洞窟は切り立った石灰岩のそそり立つ岩場にあいた鍾乳洞です。到着するとまず巨大な金色のおそらくシバ神あるいはインドラと思われる巨大な立像が目につきます。(あとで調べたらどうも三大神の一人ヴィシュヌ神ではないかと思われました)左側には平屋のヒンズー寺院で中ではヒンズー教の音楽、ラッパと太鼓の大きな音がしています。正面にまっすぐ鍾乳洞に向かう272段の階段があります。45度に近いかなり急な階段です。膝に自信のない私は上にのぼるのをあきらめました。同行した人で上にいったのは半数くらいでした。鍾乳洞はそんなに深くなく、いろいろなヒンズー教の神様の像があったとのことでした。私は下で、右側のあまり人のいないところにいたサルに興味を持ち、あまり良くないかもしれないと思いましたがチョコレートをあげました。ほかに、やせた犬が5,6匹、小さな子犬もいました。さらにははとがたくさんいました。

 いろいろな店があり、その中の一番大きな店はインド人が経営していました。インド人とすぐ分かる太ったそこの店の主人が座っています。天井にいくつも穴があき、天井の扇風機は一つよれよれ状態で、水が天井からなんか所から水がぽたぽた落ちてバケツでうけていました。直さないのでしょうか。

 途中バスで行く道路の両側はずっと、栽培した油ヤシが延々と続きます。これが悪名高いパーム油をとる油ヤシで、9割が食用です。これでスナック菓子などを作るのだなーと思いました。ココナッツが取れる普通のヤシより背が低く、赤い実がなり、果肉からも核の部分からも脂が取れます。値段が安いので、大量に栽培され(マレーシアが世界1位)ています。景色は全く単調で、外を見ていても仕方がありません。おまけにスプリングがひどく体が揺れ続け、ひどくつかれます。とても寝ているなどできません。

 かなり辛さが目立った、マレーシア料理の昼食のあと、夕食は中華料理です。ビールはイスラム教国なので、ビールは生産しておらず、全部輸入なので、高めでした。マレーシアの通貨はリンギットといい。このとき1リンギットは27円くらいでした。レストランのメニューはほとんどドルで書いてあり、観光客用のレストラン、ホテルはドルを持っている方が便利でした。ドル価格でメニューーは書いてあり、私はドルを持たず2万円分をリンギットに変えてしまいましたので、リンギットではいくらといちいち聞くようです。缶ビールが小瓶で400円程度です。物価が日本の3分の1のマレーシアではかなり割高です。

夕食後ホテルに着きました。市内のパールインターナショナルで、24階建の立派な建物です。うれしいのは同じ建物の中に地下1階から3階までショッピングセンターがあり、その中に大きなスーパーがあり、何でもうっていることでした。私の部屋は21階で大きくてきれいな部屋であり、ベトナムと違い、ゆったりとした大きな浴槽があって、体を休めることができました。ただ向かい側が同じ高さのマンションで、眺望は全くききません。反対側の部屋の人は遮るものがなくすばらしい眺めだと言っていました。スーパーマーケットは清潔で大変大きく食料品から日用雑貨、電気製品までうっていました。食料品は野菜や果物は豊富でとても安いのです。ところが魚は夜ということもあるからでしょうか、みんな魚の目が濁っていて、白くなったり赤くなったりで、日本ではとても売り物にならぬものです。小さいサメやエイなどもうっていました。これでは、味付けを濃くしてフライにするしか食べようがないなと思いました。ビールの売り場は住みのほうに小さくあり、豚肉や牛肉はうっていませんでした。 さてそのあと2日目の夜は疲れてそうそうに寝てしまいました。

2010年11月 4日 (木)

ベトナム・マレーシア五大都市周遊の旅にいってきました その1ホーチミン市

2010年10月28日から11月3日まで、クラブ・ツーリズムの ベトナム・マレーシア五大都市周遊の旅にいってきました。一人参加です。17歳の猫二匹始め三匹の猫がいるため、妻と一緒に長期間いけないのです。五大都市というのが、初日ベトナムのホーチミン市、2から4日までマレーシアのクアラルンプール市に泊まり、マラッカにも行きました。最後にベトナムに戻り、ハノイ市に泊まりましたが、なんで5大都市なのかわかりませんでした。<どうもハロン湾を一都市としたようです。

 8時成田集合で、10時半のベトナム航空で出発です。全行程ベトナム航空でした。ホーチミン空港では、飛行場について、いろいろな旅行グループが途中で集合していました。今度の旅行では現地案内人が案内するので、外に出て集合だったのですが、一瞬、クラブツーリズムの団体が見つからず焦りました。参加者は23名で、男の一人参加が4名、女性の一人参加が2名、女性3人のグループがひと組、あとは夫婦のカップルでした。男性の参加者は私と、61歳という若くみられる男性、50歳くらいの大柄の独身男性、そして81歳の男性でした。81歳の男性は元気いっぱいで、一人参加の女性二人と共同行動を約束していて、特に一人の66歳の女性とカップルとみなされるほど親しくしていました。費用は68000円くらいで、費用が全部入っていました。単身参加者は一人部屋25000円プラスで10万円ほどです。

 ホーチミン市の飛行場では、飛行機が止まって、皆が立ち上がってからドアが開かず、20分近くもかかりました。1万円を飛行場で現地のお金ドンに変えました。1ドルが16000ドンで220万ドンに変わりました。一番高額紙幣は50万ドンです。別の財布に入れましたがお金でいっぱいになります。このお金はあまり使わず、帰りの最後のハノイまで持ち越しました。なんやかんやで二時半着の予定が4時になってしまいました。そのごバスで市内観光です。外は雨でした。サイゴン大教会、中央郵便局、統一会堂をみて、ベンタン市場にいきました。雨具をバッグからだしていなかったため、サイゴン大教会などは車の中で写真だけとって中へ入りませんでした。ベンタン市場はかなり大きな市場で、雑然とし、人も多くごった返していましたが、時間が遅いためしめている店もありました。色とりどりの果物がたくさん置いてありおいしそうでした。こういう市場はどこの国に行っても大変面白いものです。そのご、ベトナム料理店にいき、そのご、かなり遅くなって、市内のべスナホテルに泊まりました。スタンダードホテルです。浅い浴槽はついていましたがお湯はあまりよく出ません。あさは途中で水に変わり入浴は断念しました。ベトナムの人は浴槽にゆったりつかる習慣がないそうです。

 ホテルの外に出てみましたが、何しろバイクの洪水のような状態です。バイクは二人乗りは普通で5人乗りまでいるそうです。道路の端にいるわけではなく、道幅全体に広がって、信号待ちをします。ガイドさんによれば、みんな免許を持っておらず、交通ルールを守りません。ベトナムは自動車事故の死者がきわめて多い都市です。信号機は都市中心部にしかありません。バスで行く途中で事故をバスの中から見ました。警察は取り締まりをしてもわいろをもらってすますことが多く、収入が多いのだとガイドはいっていました。街は雑然としていて道端にはおばさんたちが座り込んで果物などをうっています。乞食もいました。今回乞食をみたのはここだけで、他では見られませんでした。中国でも乞食はいます。マレーシアのクアラルンプールには乞食や道端に座り込んでものを売るような人はいませんでした。

 ホテルの一階にディスコがあるので安いのでいってみました。今まで日本ではディスコというのに一度もいったことがないのです。中に入るとステージでは、ものすごい大きな音で演奏していて向かい側にホステス役の女性たちがいても声が聞こえません。話もよくわからないし、最初のセットにビールが一本付いていて、女の子たちは高いドリンクをのんでいいかというのですが、クレイジーサウンドでもう駄目だと言ってもう一本だけビールを飲んですぐ出ました。そこには20人くらいの店の女性がいて、同じくらいのかずの若者が客でいました。もっと遅くなると増えるのかもしれません。あと、ホテルの中のサウナとスパとマッサージを頼みました。入場料とマッサージ代は安かったのです。初日はドンで3000円しか使いませんでした。

ホテルの部屋には大きなダブルベッドとシングルのベッドが置いてありました。トイレは水道から分岐したホースでお尻を洗うというものです。使うとへんに水が飛び散ってそれ以後使いませんでいた。明日は7時25分集合ということですぐ寝てしまいました。翌日4時半ころ目が覚めましたが、体内時計では毎日6時半に目が覚める習慣があって、日本では6時半なのだなと思いました。

 10時半発の飛行機でホーチミン市をたち2時間ほどで、マレーシアのクアラルンプールに付きました。日本との時差が2時間のホーチミン市より西のクアラルンプールの時差は日本と比べ1時間です。あとでわかりましたが、ボルネオ島がかなりベトナムより東なのでそこにあわせているのだなとわかりました。マレーシア篇は次のブログに。

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