ベトナム・マレーシア マラッカへ(4) マレーシアは品物が安い、多民族が仲良く共存
4日目は、10月31日で日曜日。今日はマレーシアに二つしかない世界遺産の一つマラッカへのということになった。行きはクアラルンプール駅からマラッカ鉄道にのった。駅には砂で書いたきれいな絵が印象的であった。ペプシコーラの自動販売機があり、ペットボトルもすべて1リンギットであった。日本円で27円である。乗った車両は特急とかではなく鈍行である。車内販売も回ってきたがもちろんビールなどはおいてなかった。終点まで行かずに、途中の小さい駅で降り、再び観光バスに。
マラッカは会場貿易の拠点として古くから栄えたところです。華僑もかなりの勢力を持っているのが、お店の看板に書いてある漢字でよく分かります。昼食はニョニャ料理で、入植してきた中国人男性と、現地の女性とが結婚し、中華料理と地元の料理が混ざってできたのがニョニャ料理だそうです。かなりトウガラシやスパイスが効いた料理です。
マラッカの観光の時には、晴天に恵まれましたが逆にかなり暑かった。観光はまずオランダ広場から。そこにマラッカキリスト教会があり、広場の周りには華やかに飾った観光輪タクが客待ちをしている。そこから坂を上がっていき、それから高台にあるセントポール教会に。そこからはマラッカの青い海が見えて、それをバックに記念撮影をしてもらった。その教会は1521年にポルトガルによってつくられたものである。戦災などのため屋根がなくなっていた。フランシスコザビエルの像があり、教会内部の片隅に、フランシスコザビエルの墓が地下にあり、金網の一部からお金を落とせるようになっていました。私は願い事もしないで硬貨を落としました。サンチャゴ砦はそこから坂を少し下がったところで、青銅製の大砲が数門並んでいるだけで砦といったものではなかった。一周で一時間ぐらいであろうか、観光はそれで終わり、朝晩かけてきた割にはそれだけ、とみんな拍子抜けの感じでした。帰りはクアラルンプルまでの200キロ余りの道をスプリングの効かないバスで、揺られてくるのは大変なことでした。
夕食はスチームボートという、水炊き風の鍋料理で、これは脂っこい料理が続いたので、あっさりしていてなかなかおいしかった。ホテルには比較的早く着いたので、ホテルの下のスーパーマーケットにいきました。そこでの割引のチラシをもらってきました。めぼしいものをあげてみます。1リンギット27円とした場合です。
面白いのは、日本では398、という値付けを好むがマレーシアでは、399という表示である。野菜果物が安い。すべて単位は一キロ単位である。驚いたのはメロンが一キロ1,89リンギットで、51円。日本でいくらか調べたら北海道ライデンメロン1キロ1600円、マスクメロンは二キロの大玉で10000円といったところでその差の大きさに驚いた。続いて一キロあたり、バナナ59円、オレンジ105円、パイナップル一つ40円。といったところである。野菜は、じゃがいも一キロ46円、カボチャなんと27円、青梗菜、ニンジンが50円くらいといったところである。他にはミーゴレンのインスタントラーメン5パック73円、ペプシの大きなペットボトル60円。鶏肉は一キロ216円、ラム(羊肉)483円、で、日本では100グラム当たりの値段である。牛肉、豚肉はおいていなかった。イワシ、121円イカが323円、ナマズは値段がたかめであった。スーパーには切り身ではない1メーター以上のサメやエイなどもおいてあった。
そのほかサンダル安いもの78円、高級なもの132円、スポーツシューズ800円、といったところである。電気製品などでは炊飯器1350円、二口ガステーブル1600円。日本の電機メーカーに似た名前の18インチ薄型テレビが7000円ほどであった。この物価の安さでは日本から年金生活者が永住しようとするのも無理がないことだと、思いました。
寝る前にホテルの近くを回る。二階建ての古い長屋にいろいろな店があった。マッサージ店が三軒ほどあり、そのうち一階の店で中国式でねだんがはっきり書いてある店に入った。全身1時間で50リンギット、1350円ほど。マッサージは若い中国の女性で技術もまあまあであった。片言の中国語が通じた。上向きになり、盛んに手で刺激、値段は50リンギットということでお願いしました。合計2700円であった。
追記 2015年11月17日
今日、NHKBSプレミアムで、「世界ふれあい街歩き」という番組を朝7時からやっていました。11月10日に放送したものの再放送です。この番組は時々見ます。
「クアラルンプール優しい人々」という題で、マレーシアの首都、クアラルンプールで他民族が、仲良く暮らしている姿を放送していました。
ちょうど、数日前にパリで無差別殺人のテロがあり120人ほどの死者が出たばかりなのでよけい印象に残りました。
マレーシアには、イスラム教のマレー人、道教の中国人、ヒンズー教のインド人などの人々が仲良く暮らしています。
マレー人ののどかな、住宅地帯、インドの金細工店、中国系の人たちの先祖崇拝と道教などが紹介され、それらが仲良く共存し豊かな文化を作りあげているのを紹介していました。自分たちの文化を大切にしながら、他民族の歴史と文化も大切にしてなかゆく暮らしていました。
もともと、庶民は他民族と仲良く暮らしているものです。イスラエル建国前の中東の地における、ユダヤ教徒とイスラム教徒などです。大国の思惑で政治的に分断し、他民族憎悪をあおりたてます。日本における朝鮮民族への憎しみをあおりたてるのもそうです。新大久保は多民族が仲良く暮らしていけるモデルケースにする必要があるでしょう。
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