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2010年11月 4日 (木)

ベトナム・マレーシア五大都市周遊の旅にいってきました その1ホーチミン市

2010年10月28日から11月3日まで、クラブ・ツーリズムの ベトナム・マレーシア五大都市周遊の旅にいってきました。一人参加です。17歳の猫二匹始め三匹の猫がいるため、妻と一緒に長期間いけないのです。五大都市というのが、初日ベトナムのホーチミン市、2から4日までマレーシアのクアラルンプール市に泊まり、マラッカにも行きました。最後にベトナムに戻り、ハノイ市に泊まりましたが、なんで5大都市なのかわかりませんでした。<どうもハロン湾を一都市としたようです。

 8時成田集合で、10時半のベトナム航空で出発です。全行程ベトナム航空でした。ホーチミン空港では、飛行場について、いろいろな旅行グループが途中で集合していました。今度の旅行では現地案内人が案内するので、外に出て集合だったのですが、一瞬、クラブツーリズムの団体が見つからず焦りました。参加者は23名で、男の一人参加が4名、女性の一人参加が2名、女性3人のグループがひと組、あとは夫婦のカップルでした。男性の参加者は私と、61歳という若くみられる男性、50歳くらいの大柄の独身男性、そして81歳の男性でした。81歳の男性は元気いっぱいで、一人参加の女性二人と共同行動を約束していて、特に一人の66歳の女性とカップルとみなされるほど親しくしていました。費用は68000円くらいで、費用が全部入っていました。単身参加者は一人部屋25000円プラスで10万円ほどです。

 ホーチミン市の飛行場では、飛行機が止まって、皆が立ち上がってからドアが開かず、20分近くもかかりました。1万円を飛行場で現地のお金ドンに変えました。1ドルが16000ドンで220万ドンに変わりました。一番高額紙幣は50万ドンです。別の財布に入れましたがお金でいっぱいになります。このお金はあまり使わず、帰りの最後のハノイまで持ち越しました。なんやかんやで二時半着の予定が4時になってしまいました。そのごバスで市内観光です。外は雨でした。サイゴン大教会、中央郵便局、統一会堂をみて、ベンタン市場にいきました。雨具をバッグからだしていなかったため、サイゴン大教会などは車の中で写真だけとって中へ入りませんでした。ベンタン市場はかなり大きな市場で、雑然とし、人も多くごった返していましたが、時間が遅いためしめている店もありました。色とりどりの果物がたくさん置いてありおいしそうでした。こういう市場はどこの国に行っても大変面白いものです。そのご、ベトナム料理店にいき、そのご、かなり遅くなって、市内のべスナホテルに泊まりました。スタンダードホテルです。浅い浴槽はついていましたがお湯はあまりよく出ません。あさは途中で水に変わり入浴は断念しました。ベトナムの人は浴槽にゆったりつかる習慣がないそうです。

 ホテルの外に出てみましたが、何しろバイクの洪水のような状態です。バイクは二人乗りは普通で5人乗りまでいるそうです。道路の端にいるわけではなく、道幅全体に広がって、信号待ちをします。ガイドさんによれば、みんな免許を持っておらず、交通ルールを守りません。ベトナムは自動車事故の死者がきわめて多い都市です。信号機は都市中心部にしかありません。バスで行く途中で事故をバスの中から見ました。警察は取り締まりをしてもわいろをもらってすますことが多く、収入が多いのだとガイドはいっていました。街は雑然としていて道端にはおばさんたちが座り込んで果物などをうっています。乞食もいました。今回乞食をみたのはここだけで、他では見られませんでした。中国でも乞食はいます。マレーシアのクアラルンプールには乞食や道端に座り込んでものを売るような人はいませんでした。

 ホテルの一階にディスコがあるので安いのでいってみました。今まで日本ではディスコというのに一度もいったことがないのです。中に入るとステージでは、ものすごい大きな音で演奏していて向かい側にホステス役の女性たちがいても声が聞こえません。話もよくわからないし、最初のセットにビールが一本付いていて、女の子たちは高いドリンクをのんでいいかというのですが、クレイジーサウンドでもう駄目だと言ってもう一本だけビールを飲んですぐ出ました。そこには20人くらいの店の女性がいて、同じくらいのかずの若者が客でいました。もっと遅くなると増えるのかもしれません。あと、ホテルの中のサウナとスパとマッサージを頼みました。入場料とマッサージ代は安かったのです。初日はドンで3000円しか使いませんでした。

ホテルの部屋には大きなダブルベッドとシングルのベッドが置いてありました。トイレは水道から分岐したホースでお尻を洗うというものです。使うとへんに水が飛び散ってそれ以後使いませんでいた。明日は7時25分集合ということですぐ寝てしまいました。翌日4時半ころ目が覚めましたが、体内時計では毎日6時半に目が覚める習慣があって、日本では6時半なのだなと思いました。

 10時半発の飛行機でホーチミン市をたち2時間ほどで、マレーシアのクアラルンプールに付きました。日本との時差が2時間のホーチミン市より西のクアラルンプールの時差は日本と比べ1時間です。あとでわかりましたが、ボルネオ島がかなりベトナムより東なのでそこにあわせているのだなとわかりました。マレーシア篇は次のブログに。

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