韓流ブーム再燃 新宿区新聞元日号 こういち取材を受ける (240)
新宿区新聞という、新宿区のローカル紙があります。その新聞から私が新大久保のエスニック特に韓国の店に詳しいということで、記事にしたいとのことで、取材に来られました。ブログで新大久保のお店の紹介をしていたためと思われます。そこでいろいろ私なりに調べた資料を差し上げて、このところの韓国のお店を中心とした変化についてお話ししました。その後新宿区新聞の2011年1月1日(1816号)が送られてきました。その特集記事で「韓流ブーム再燃!路地裏にまで広がる」と、「第二次ブーム、年齢層が広がり”観光地化”大久保通りは、ハングルの店が席巻」という内容で、2ページにわたって掲載されていました。私がお話しした内容と、私の家のビルのお隣の諏訪さんという、「円満や」さんのご主人で金魚、熱帯魚販売をしていて、新大久保商店会振興組合会長のお話が中心となっていました。後の1ページには高田馬場駅周辺に、ミャンマー料理など11カ国のエスニック料理店があるという記事ものっていました。
この大久保で、韓国料理店などが増えてきて、マップを作ったのは外国の人々と交流を進めようとする、共住懇が中心となって2001年に作った、「おいしい”まち”ガイド」です。そこにはエスニック料理店と、新大久保、大久保駅周辺の二つの商店街の案内と地図がのせられていました。今ではガイドの地図は私の知る限り4種類ぐらいありますが全店のっているものはないのです。さて私は、新宿区新聞の記者の方に、そこにのせられている店で、もうやめてしまった店を赤くぬった地図をお渡ししました。それを見ると2001年からわずか9年のうちに残った店は、エスニックの店も、日本人経営の店も4分の一に減少しているのです。その典型的な例が2001年には大久保通りの銀行などが、6つあったのですが、今は一件もないということです。今は銀行に行くのに隣の新宿駅まで行かなければなりません。いかに変化が激しいかがわかります。
その変化が特に激しかったのが、記事の表題にもあるように2010年だったのです。私のうちで、従来、東京ガスライフバル新宿店に貸していた第二ビルが、ライフバルがビルから撤退したので、新しい借りてをさがしたところ、すぐに決まってしまいました。かなりお金をかけてしゃれた造りにしてあったのもよかったのだと思います。それが3月オープンした1から3階をかりてもらっている、韓国スターグッズ店のギルズハウスと、地下一階の「わんぱく大将」から「宮」(くん)に名前と経営を変えた韓国料理店です。オープン当初は少し横道に入った店だったために、人の入りが少なかったのですが、ギルズハウスのお客さんが増え、なまえを「宮」に変えて、イケ面の韓国の若者が給仕するスタイルに変えたため、若い女性のお客さんが急増しました。NHKテレビでも放映され、こんどの新宿区新聞にも写真入りで紹介されています。今は若い女性がいっぱいで、外で待っている状態です。家主としては大変喜ばしい限りです。ごく最近店の前にスターグッズ店というのがエステの店の代わりにできていつも横道も人でいっぱいになっています。
2010年に私のところで借主が変わったのをはじめ、前にもブログに書きましたが、二軒隣の長年やっていた扇寿司という寿司屋さんが、明洞ノリ巻きに代わり、やはり長年やっていた「朝日サウンド」さんも不動産屋さんに変わりました。大久保通りでは2010年オープンした韓国系の店が9軒で、元ホテル街だった大久保通りから、職安通りに至る道では屋台村の5軒はじめ1軒がオープンしています。従来はホテルが8件ほどあったのですが今は2件だけになりました。ファッションホテルなのであまり人通りが多いと入りにくいのです。従来は、職安通りが中心で、大久保通りは単なる通過点だったのが、横道まで、店が多くなり、ちょうど横浜の中華街のように、面としてひろがりいろいろな店ができてきました。客層も従来は中高年の女性中心だったのが、10代、20代の女性が急激に増えてきたのも大きな変化です。この盛り上がりにより、不動産の物件は市場に出回る前に、決まってしまう有様です。
新大久保や百人町エリアには韓国の店だけではなく、タイ、ベトナムレストラン、インド、ネパール料理店、5カ国料理の屋台村(韓国のものとは別)とか珍しい、チュニジア料理店だけでも2点もあります。またイスラム教のハラルフッド店もあります。韓国料理だけでなくいろいろな店が、日本人の店も交えて一緒に繁栄するといいと思います。諏訪会長も言っていますが、まだ日本人の商店会とエスニック料理店の提携はあまりありません。これから共に手を組んでいくととても素晴らしい、商店街になるのではないかと思います。
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