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2010年12月18日 (土)

スピリチュアルな生き方か、科学的な立場による生き方か

 2010年12月16日、人間学研究所において、第29回実用的人間学例会で、「スピリチュアルな生き方か、科学的な立場による生き方か」というテーマで、このブログの筆者である佐竹幸一がお話しました。わたしが2010年8月14日に書いたブログ「スピリチュアルとかのいかがわしさ K氏」というブログに対して、9月29日のK氏のブログに「佐竹幸一氏の非難に反論する」というブログが書かれました。そこには、番組を全部聞いていないし、自分の本も読んでいず、座禅などについての知識がなく、唯識やことに仏教書を読んでいないのが誤解のもとであり、それはおかしいということでした。それから佐竹氏は、実用的人間学をと言っているがそういうプラグマティズムでは、社会の根本的解決はできないのではないかというような内容でした。また最初に書いた私のブログには、K氏というのではなく、実名を書いていました。

 確かに本を読んでいないでの批判は十分ではないと思い、本を詳しく読んだあと、11月18日の私のブログに「スピリチュアルのすすめをよんで」という、テーマで書きました。本の内容のポイントと、その批判を書きました。それに対して、高橋という名前で二回にわたって、コメントがあり、「人のことを名指しで批判されることによって傷つかないような人はいない。そんなことは子どもでもわかることだ」ということでした。私は「そんなに傷つけることをしたつもりではなく、批判というものはいけないものでしょうか」、と書きました。すると、二回目のコメントで、「私のやったことは、誹謗中傷であり、これは、名誉棄損、侮辱、信用棄損、業務妨害であり、罪を問われるものだと書いてありました。そしてもう少し人の気持ち立場を考えられる方だと思っておりましたので残念でなりませんということでした。どうも、このはげしい非難は、ご本人が書かれたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 私に対して、わたしが仏教書を読んでいない、唯識について知らない、実用的人間学はプラグマティズムだとか、あと、かなり私をつよく非難したりしていますが、どうも、専門の学者に、素人のお前が批判がましいことを書くのはけしからんというように、聞こえるのですが。いかがでしょうか。ちょうど私が提唱する、「実用的人間学にもとづく、科学的な立場に立った生き方」と、「スピリチュアルな生き方か」を比較するとより私の言うことが分かりやすくなると思い、研究会例会のテーマとしました。

 私がつくったレジメでは前半は「スピリチュアルライフのすすめ」について、その内容を5ページにわたってそのポイントを、原文のまま書きました。スピリチュアリティというのはなにか、スピリチュアリティ文化とは何かについてかかれます。要は、禅、ヨーガ、呼吸法、瞑想等等の良質なエクササイズにより、心身のバランスがとれ、健康になって心が安定し、自信をもて、他人にもやさしくなり、人生の不安が解消していくものだといっています。

 世の中には良いスピリチュアリティと悪いものがあり、江原啓之や、オーム真理教などは悪いスピリチュアルだといいます。良いスピとは絶対的存在と合一するなんて考えないで、スピ原理を発揮するエクササイズを毎日きちんと積み重ねて、利他的に生きられるようになること。エクササイズは ①祈り②ヨーガ③呼吸法二種④座禅⑤経行(きんひん)⑥ラべリング⑦GL瞑想 である。このエクササイズを行うことにより、心の段階から、魂の段階そして霊の段階にまで到達できる。霊の段階はいわば悟りの状態で、なかなか到達できない。K氏も行かせていただけるならいってみたい世界であると言っています。

 要は上記のようなエクササイズを行っていると、自分を客観的にみている高次の自分を見ているという感覚になる。いわば幽体離脱の状態。またエクササイズで、ダイエットや禁煙に成功し、肌がきれいになった。セックスは良くなったがセックスしたいと思わなくなった。

 セラピー文化とは、対人関係やその他の人生の問題の原因を社会制度や道徳の衰退にではなく、心のあり方に求め、意識の変容を様々な実践によって、結果としてそうした問題の解決をはかる態度p132

 (ここが私の実用的人間学と最も異なるところです)

座禅をしていくと、だれでも神秘体験をする。K氏も伊勢神宮の祠で地面から薄紫の光が上がり人の形になった、友人と二人でみた。それを神をみたといいます。            簡単に悟ることはできない。でも「諦める」というのは、「明らかに見る」ということだから、それができるならもう悟っていることになる。うーんということは私はもう悟っているかもしれない。それはエクササイズのおかげだ。                                  前のブログで私は、「神」とは何と書きましたが。そんなものが神様なんでしょうか。それから悟りというのは何なのでしょうね。悟りたいと言ってみたり悟っているのかもしれないと言ってみたり。K氏が天台宗のえらい坊さんに、悟ったことがありますかと聞いたら、「即座に悟ったことがあります」と答えたと言っています。悟りっぱなしではなく、悟ることもあるというもののようです。

 自分や家族の直面している、病気やリストラ、といった個人問題や社会問題が雲散霧消してしまうわけではない。エクササイズをすることによって、そういった問題をすべて受け入れられるような人になることはできる。~解決しやすいような精神状態を作ることはできる。(苦難の原因が不正にある場合、その不正を黙って耐えましょうというのではない。不正があればきちんと正すことが大切である。) p202

 以上が要旨ですが、これだけで長くなってしまいました。その批判は続けてブログに書きます。

 あと、面白かったのはp21に、なかなか思うようにならないのが人生です。私も。恋愛が思い通りにいって、女にもてまくったことは 一度もないし、仕事も思うようにはなれなかったし、結婚だって、か弱くてつくしてくれる、自分のタイプの女と結婚できたわけではもちろんない、しかし呼吸だけはある程度の自由がきく。

 こんなことを書いて、奥さんに怒られるのではないかしら。

 

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