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2011年1月16日 (日)

人間学は、専門の研究者でないと、だめなのか ゼネラリストは不要か

昨年のある集りのなかで、人間学(特に、総合人間学)にとって、こういちのように、人間についてのゼネラリストを目指すというのは、ただしいありかたではなく、研究者として、なにがしかの専門の分野の研究者となって、成果を出していくべきであるという話を聞きました。まえには、わたしのことを、もったいないとも、言っておられました。学生時代から人間学に取り組み、東京教育大学の副学長にもなった倫理学の大島康正氏(故人)が、私のやっている人間学についてのとりくみにびっくりして、私も負けないように勉強します、とまで言っていただいていたのに、研究者への道を進まず、家業を継ぎ、おまけに、革新政党の活動家になり、勉強がおろそかになってしまいました。そのご、ふたたび、人間学研究会を再開し、研究を少しづつやってきましたが、ともかく、人間の全体をカバーして、人間に関してのゼネラリストになろうという大きすぎる目標と、私の怠け心から、世に問えるような成果を上げていません。65歳になって、社長業から離れて自由時間が増えたのですが、はかばかしい成果が上がっているわけではありません。ただこのブログを書いているのが少し前進となっていると思います。

 わたしは、人間学を、「ただ人間とは何か」ということを求めるのではなく、人間に関する諸成果をうまくまとめあげ、一般の人々が、よりよく生きるための知恵として、役立つものにしたいと思ってきました。それを私は実用的人間学となづけています。カントの「実用的見地における人間学」の現代版ができればいいなと思っています。カントの人間学が、カントという偉大な人物の一人の手でなされるように、私の実用的人間学も、低レベルながら、私一人がまとめたものを作る必要があると思っています。しかし、カントの時代に比べ人間に関する知識の量は膨大でとても、個人でまとめあげることは大変です。そしてただ何かしらの著作を書けば良いというのではなく、人間個人一人一人にどのように生かしていくのかという実践的なところがより重要なのです。たとえば、世に健康法という本は山のように出ています。それぞれの立場から、食の重要性、歯の重要性、気功や呼吸法、ダイエットの方法、心の持ち方、その他さまざまです。それぞれの専門家の方は自分の推奨する健康法を人々に進めます。しかし人間はいろいろな側面が相互にかみ合って成り立っているものであり、また人間一人ひとりの特性も違います。漢方などでは、陰性の人と陽性の人では、対処法を変えています。自分の状況を、全体的な知識で正しくとらえること、そしてその状況により、より良く対処する方法を見出すことが大切です。偏った、対処法はかえって、その人の状況を悪くすることが多いのです。これはなかなか大変なことですが、レベルが低くとも、まず自分の心身の状態をつかむ努力、そしてそれぞれにあった対処法を選ぶことが必要です。健康法ひとつとっても、総合的、科学的な知識と対処法が必要です。そのほかにも、極めた大切なのは、自分たちの暮らしを左右するのが政治であり、今の政治がどのようなものであるかを、大マスコミなどの世論誘導に惑わされずに判断することです。政治は、個人のささやかな健康法などの努力を吹き飛ばしてしまいます。そのほか、ともかく、カールせーガンが言うように、科学的な立場に立って物事を判断し、行動していく真の科学者(専門の科学者ではなく、そういった立場に立つ庶民も科学者であるとセーガンは言いました)が増えることが極めて大切です。

 私は、真の人間学を確立するためには、自分自身が学者として業績を上げるよりも、企業である程度の収益を上げ、人間学研究の場を確保することの必要を考え、好きでもない社長業に、相当な時間を割いてきました。利益を上げて、研究所を作ることをめざしましたが、残念ながら大きな研究所はできませんでした。しかしビルの一室をともかく確保し、何十年来の資料や書物を補完する場所を確保してきました。また、人間学研究所や、総合人間学研究会から総合人間学会の始まりのころまで、事務局として縁の下の力持ちの役割を果たしてきました。私が、人間学の何らかの研究者として論文等を書き、影響力を発揮することよりも、そのような役割を果たすことのほうが重要であると思ったのです。

 では、人間学について、研究をほとんどしていないかというと、そうでもないと思っています。宇宙論から、現代社会から未来までの歴史、人間の体と心、社会と政治、その他人間全体について大まかな話を、一般の方に比較的わかりやすく話すことができます。また、世の中に、誤った占いや迷信で人生を不幸にしている人のために、超常現象や超能力等を科学的、批判的に研究する、「ジャパンスケプティクス」という学会に入ったり、現代版人相術を作るために「顔学会」に入ったりしています。また特に人間学の歴史を探求するためにいろいろな資料を集めその参考のために「科学史学会」にも入っています。後漢初期の小説を書くために、その時代をかなり詳しく勉強しました。しかし、そのほかに健康法なども比較検討したりとともかくあまりに範囲が広いために、それぞれの専門家が見れば、幼稚なものに見えるでしょう。ただ、人間学の例会で45年間集まってきている資料や、私なりに、人間と人間学の歴史の膨大な資料などは、いずれまとめていきたいと思っています。

 私はもうすぐ、68歳であり、普通なら学業の面でもそろそろ引退に向かう年なのかも知れませんが、私はこれからと思っています。総合人間学はそれぞれの専門の学者が自分の専門の成果を発表し、全体として「総合」となるのだと言われました。今度の「人間学研究所年誌」には各大学の人間学なり人間科学と称している内容について整理したものを発表します。みな人間を総合的にとらえて、学際的に研究すると言っています。しかし、現実には、それぞれの専門家の先生が専門の講座で教えているだけで、これが総合した何何だと示してはいません。哲学的人間学、教育人間学とか部分的にまとめたものはあります。まとめるのは、講義を受ける学生の頭の中で総合してくださいということでしょう。ただ一人ぐらい、私のようにいつになったらものになるかわからぬ雲をつかむようなものが一人くらいいてもいいのではないでしょうか。私は初めから、なにがしかの論文を書いて、評価を受けたり、大学の教授になろうとか思ったことはないのですから。私は私でマイペースで自分の研究を続けていきます。途中でボケてこなくて、ある程度長生きできればいつか、少しはものになるかも知れません。

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人間学について」カテゴリの記事

コメント

おしゃっている人間学とは、経営学ではないでしょうか?
人間も一個の組織であると言ったのはマックスウェーバーでしたっけ?
自分という資源を理解し、世界という環境を理解し、その中で何かをつかみ取るために、戦い、協力し、生きる術を学ぶというのはまさに経営学であると思います。
就職や転職に際しても、経営学は有用でありますし、ダイエット等の意思決定を行うのにも有用ですし、経営学ではおっしゃられているように扱う範囲が専門的なものではない
筆者さんがおっしゃられている人間学と経営学の違いというものについて もう少し考えてみたいです

ひつめぐさん、コメントありがとうございます。私の言う実用的人間学は大きな意味での、経営学に近いのではないかと。なかなか優れた指摘をありがとうございます。会社や組織の経営という経営学と、人間個人の生き方を経営に見立てて、幅広く周りの状況を見極め、自分の体の改善等も見ていくという点では実用的人間学はかなり経営学に近いですね。人間は何何だとかいう、ときに空論を唱えるのではなく、経営学は、まさに、会社組織が実際的にうまく運営されていかなければなりません。そして優れた経営学はあらゆる考え方も自由に援用していきます。私は、学者として生きてきたというより経営者としておもに過ごしてきました。人間学と名のつく書物でも経営人間学の本が一番多いのです。幅広い意味で、人間個人、自分自身の経営学といってもいいかもしれませんね。

こういちさん
人間経営学というジャンルが既に存在するんですね
おっしゃっていた人間学というものが経営学とあまり変わらないのではないかと思ってコメントさせていただいたんです
少し前に僕は人の恋愛行動について経営戦略を応用できると考えていました
自分という資源や環境を分析していかにして いい相手と巡り合うために意志決定すればよいか みたいな事です
経営学は確かに会社組織やビジネスを扱いますが結局のところ自分の理念を実現するための方法論であると思っています
なので経営学のフレームワークが恋愛でも就職でも自分にとってよい意思決定をするための手助けになると思ってるんです
となると 人間経営学とは 人間の生活の中にある恋愛や仕事や趣味や色々なものを統合してマネジメントするための統一的な戦略論 もしくは哲学の価値論みたいなものに近くなっていくのでしょうか・・何に向かって人は生きて資源配分をどのようにする・・とか
ちょっと人間経営学には興味があるので 時間があるときにジュンクどうで立ち読みしてきます
ありがとうございました

ひつめぐさんへ。すこし私の説明不足がありましたので、追加してお話しをいたします。人間学と名のついた和書1200冊ほどを私はリストアップしていますが、「よりよき経営のために、役立てる人間学」という部門を私は「経営人間学」となずけました。「三国志の人間学」とか、「リーダーシップの人間学」とかです。世間で一定のジャンルとして確立しているわけではありません。それから、あなたのおっしゃるのは「人間経営学」ですね。面白い言葉なので、私も使わせていただこうかと思いますが、そういう言葉はまだ世の中には一般的にはありません。ですから書店に行っても、「ない」ということになります。いずれにしても、人、そして自分の生き方を経営学の手法を援用してうまくやって行こうということは経営人間学の一部ともいえます。私ももう少し考察してみます。

こういちさん

結局経営人間学というものが、経営学や、また人間経営学というものとどう違うのか理解できないのですが、もう少し具体的に、例えばどのような経営人間学ではどのような疑問を解決しているかとか、そんな感じで教えていただけませんか?

具体的に経営人間学がどのような疑問を解決するのかということには、お答えになっていませんが、経営人間学について、今日(3月4日)あらためてブログをかきましたの、出来ればご覧いただきたいと思います。
 

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