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2011年3月

2011年3月30日 (水)

『人間学研究所年誌2010(第8号)』が4月に発行されます

人間学研究所は2011年3月31日付で『人間学研究所年誌2010』 第8号を発行いたします。これから製本してもらいますので、実際には4月に発行となります。

内容は次の通りです。

 p1  デカルトからスタニスラフスキーへ

      -ポドテキストの概念(ヤロシェフスキー著 柴田義松訳)

       当研究所所長  東大名誉教授

 p6  見方の違い   小原秀雄 当研究所名誉所長

                女子栄養大学名誉教授

 p8  授業「若者の関心に即して」の人間学を基礎にした検討メモ

      岩田好宏 当研究所副所長 子どもと自然学会前会長

 p31 電子メディアは子供の発達にどのような影響を与えるか

           宮坂琇子 当研究所理事 東海大学教授

 p41  人間学・人間科学の状況ー大学の講座等にみる

           佐竹幸一 当研究所専務理事

 p61 学校教育におけるヘルス・プロモーション

           西田隆男 当研究所研究員 学校カウンセラー

 p68 乳児にとっての人と物:視線の追随を媒介する大人の手の効果

           天野幸子 当研究所会員 女子栄養大名誉教授

           毛塚恵美子

 p82 菅原道真をめぐる物語の変容(1)

     -『天神記』にみる家族と子供の登場

            中江和恵 当研究所理事 東京家政大講師

 p96 人間学研究所2010年度の活動報告  

             佐竹幸一

 ◎ 人間学研究所 発行責任者 柴田義松 編集者 中江和恵

          全102ページ B5判 価格 1000円

  本の購入ご希望の方は 事務局佐竹幸一までお申し込みください。

  なお1号からの在庫もございます。

     佐竹幸一 090-6549-2677 

                 

2011年3月24日 (木)

「錯覚の科学」が脳科学の通説を覆すあなたの脳が大ウソをつく(270)

『錯覚の科学』という本(C・チャブリスとD・シモンズ2011年2月10日文藝春秋刊)の新聞広告が出たときに、すぐに購入したいと思っていました。近くの書店にも出ていたので買ってきました。英文の原題は "The Invisible Gorilla"で、すなわち、「見えないゴリラ」で著者である前にあげた二人の心理学者が行った驚くべき実験に基づいています。本の帯封には、本の中の一文が紹介されています。

「私たちは2つのチームがバスケットの試合をする短いビデオを制作した。次に、学生にビデオを見せ、片方のチームがパスする回数をカウントしてもらうという実験を行った。

実はビデオの途中で、ゴリラの着ぐるみをきた学生が試合に乱入するシーンがあった。 

しかし驚いたことに、およそ半数の学生がゴリラに気づいていなかった!」

 ゴリラの着ぐるみをきた女子学生が登場し、選手の間に入り込み、カメラのほうに向かって胸を叩き、そのまま立ち去った。その間9秒。パスの数を数えさせるのは気をそらすためのものだったのです。そしてあとでその時にパスを数えているときに何か変わったものに気づきました?とたずねます。半数の人はいいえと答えます。ゴリラがいたんですよ、というと、「え、うそ」と。いろいろ条件を変えてみてもやはり半数の人がゴリラを見落としてしまうのです。

 これは予期しないものに対する注意力の欠如から起きるもので科学的には”非注意における盲目状態”とよばれているものです。この実験は1999年に雑誌で紹介されて以来、各地で実験され、心理学の世界で大きな話題となりました。わたしもこのころテレビ番組で見た記憶があります。そして2004年には変わった面白いものとして「イグ・ノーベル賞」をもらったのでした。この眼には見えているのに脳に達していないということは、さまざまな所で、出てきているのです。2001年にハワイ沖で、アメリカの原子力潜水艦が、日本の漁業練習船を「潜望鏡では見えていたはず」なのに船長は見落としてしまった。船長は潜望鏡をのぞきながら『その時私は、ほかの船がいることを予想も期待もしていなかったと」そして衝突させてしまったのです。

 このような「人間が払える注意は有限だ」という、人間の脳の働きを知っているか、知らないかで大きな違いが出ます。そしてこの本では今まで脳科学で通説とされてきたものがみな間違っているということを具体的な追試験で明らかにしてきたのです。具体的には

サブリミカル効果などというものは存在しない

(映画の中にコカコーラの映像を人に意識できない程度の短い間入れると、それが刺激となり、無意識のうちにコーラが買いたくなるという話)

2、いくらモーツアルトを聞いてもあなたの頭はよくならない 

1993年に科学雑誌『ネイチャー』にモーツァルト効果があると発表された。その後科学的な再試験の結果、効果が無いことが明らかになった。しかし世の中には依然としていわば迷信として人々の間に広がっています。そして「モーツァルトを子供に聞かせると良いと」いう風に人々におもわれています。その挙句は、乳牛にモーツァルトを聞かせるとよく乳が出るとか、野菜に聞かせるとかとんでもないところまでエスカレートしています。

3、レイプ被害者はなぜ別人を監獄送りにしたのか?

よーくレイプ犯人を観察していたから、この人に絶対に間違いないといって、まったくの別人を、この人だと強く主張して、その結果陪審員はある関係のない人を有罪として、牢獄へ送ったが、DNA検査では全くの別人であった。しかし本人はこの人に違いないと確信していた。

4、脳トレを続けても、ボケは防止できない 

たとえば任天堂の脳トレソフト『ブレイン・エイジ』は科学的実験の結果、効果が無いことが分かった。他にも様々な脳トレソフトが売り出されています。

5、「えひめ丸」を沈没させた潜水艦の艦長

艦長は目では船が見えていたはずなのに、脳が船を見ていなかった。(そんなものがあるはずがないと思いこみをしていた)

人間の脳では一つのことに集中すると、必然的にほかのものへの注意がおろそかになる。車の運転中に携帯電話をしていれば、注意が散漫となり事故が起こりやすい。ハンズフリーでも同じであると。でも多くの人はそうは思わない。                   ゴリラの実験のように人は自分が予期したものを見る。逆に予期しないものは「見えない」また同じように自分がこうだと思い込んだ予期したものを記憶する傾向がある。

 ひとは自分は見落としなど「するわけがない」という誤った思い込みがある。しかし実際にはごく簡単な変化も見落としてしまう。

 最後に結論として、自分の回りに見えないゴリラを見つけようと心掛ければ、より優れた判断やよりよい暮らしが可能になるかも知れない。

~記憶の錯覚を理解すれば、自分も含めて人の記憶を頭から信じ込むことが減り、重要な事柄については自分の記憶を確かめるようになるだろう。

自分の思考や行動についても、自分の直感や本能的な勘が正しいかどうかを見直してみよう。結論に飛びつく前に肩の力を抜いて、思い違いが無いか、「ゴリラがいないか」もう一度ゆっくり考えようといっています。

 これは私の提唱する実用的人間学的な考え方に共通するところがあります。それはものごとを総合的に、科学的な、批判的な目で見ようという態度と共通しています。多くの人は自分のみたこと考えたこと、思っていることは絶対に正しいと思い込んでいます。そのお互いの思い込みの違いが大きな対立にもなります。ところが人間は簡単にビデオに表れたゴリラを見落としてしまうものであり、色いろな記憶の間違いをおかすものだということをしっていれば、物の考え方でも人間関係でも随分と違ったものになるでしょう。

 解説では 成毛 眞氏が「脳トレ・ブームにだまされるな!」として以下のように書いています

 今盛んにはやっている「脳トレ」の本などで、脳内の血流が増えたというような実験結果があっても、血流量が増えたから認知能力が向上したとは必ずしも言えない

 ほんものの脳年齢を維持するには、毎週三日に一回、有酸素運動として45分間のウオーキングをするだけで、前頭葉の脊髄灰白質の減少が止まるという。知的能力を保つには認知能力を鍛えることとは関係なく体を鍛えたほうがよいというのである。

 ここではほんの少ししか紹介をしていませんが。人間は自分が思っている以上にいろいろな錯覚や間違いを起こすものだということです。ところが本人は自分は絶対に錯覚などの間違いをおこすはずがないと考えて、さらに大きなミスを起こしてしまうのです。興味をお持ちの方は、直接本をお読みになるといいと思います。価格は1571円プラス税です。

2011年3月23日 (水)

人間学研究所 2011年4月例会のお知らせ

四月例会は東日本大震災のために延期になった、三月例会の内容をあらためて、お話しいただくことになりました。

第33回実用的人間学研究会例会

日時 :2011年4月21日(木) 18時30分より

テーマ:「武術と刀について」

講師 : 江原正忠氏 実用的人間学研究会会員 エバー株式会社前社長

              異業者交流会、二火会幹事

    3月25日は、東日本大震災の影響で、大停電や電車の運行中止など

    により、当日参加できないとの連絡を相次いでいただきました。

     4人の方だけが参加されましたので、江原氏からお話しを

     うかがいながら早めに懇親会となりました。4月にお話し

     していただくため、長尺の居合の模造刀をお預かりしています

懇親会 : 「宮」(クン)韓国料理

第72回新教育人間学部会

日時 : 2011年4月22日(金) 18時30分より

テーマ: 「世界のアルコール問題と、ヘルスプロモーション」

講師 : 西田隆男氏 人間学研究所研究員 自由の森学園

     学校カウンセラー 臨床心理士

     3月例会でお話しいただくことになっていたテーマで再

     度お話しいただきます

懇親会 : 越路(豆腐料理)

* 人間学研究所

   新宿区百人町1-3-17 佐竹ビル3F

   03-3209-1888

◎ 実用的人間学例会は一般の方も参加できます。お問い合わせ

  お申し込みは

     佐竹幸一  090-6549-2677 

          

2011年3月20日 (日)

3月25日(金)新教育人間学部会の延期について

2011年3月25日開催予定の新教育人間学部会は、まだ東日本大震災の影響で

交通、停電等により、開催困難という状況になりました。西田隆男氏には同じテーマ

にて4月例会にてお話ししていただきます。

 なお、3月17日(木)開催予定の実用的人間学研究会例会

 江原正忠氏講師も4月21日(木)に延期となりました。

   お問い合わせは

     人間学研究所 事務局 佐竹幸一 090-6549-2677

2011年3月19日 (土)

「阿修羅掲示板」をご覧ください 正しいパニックを  寺田寅彦追記

あなたは「阿修羅掲示板」をご覧になったことがあるでしょうか。ほとんどのマスコミが、政府、大企業よりの見解を出している中で、それをいささか過激なほどの表現をして、その過ちを正そうという掲示板です。3月17日版では3月17日(木)のテレビ朝日(夜8時から)の「ニュースの深層」ー「福島原発事故メディア報道の在り方」で、広瀬 隆氏が現在の福島原子力発電所の現状とその対策にたいしての批判的な発言をしています。ともかく現在の学者たちはテレビなどで盛んに今の放射能量はレントゲン写真以下だから大丈夫などといっているがとんでもない間違いであることといっています。ユーチューブで、その放送がそのまま流されているので、そちらをぜひ直接ご覧になってください。

 内容は、今盛んに特に原発3号機にホースや空中から水をまいているがそれは、ほとんど効果が無いということ。海水をまいてしまっているが、原子炉の下部には複雑な仕組みでいろいろな電気系統の配線やバルブなどがぎっしりと入っているが、海水をまいてしまうと塩が沈着して、バルブ類が動かなくなってしまうと。ようやく電気の配線を復活させようとしているが本来それこそ第一にするべきであったこと。このままでは、最悪の事態が引き起こされる可能性があり、放射能汚染を防ぐために、放射線を食い止めるために、チェルノブイリの原発事故のようにコンクリートで固めてしまうほうがいいこと、そのためにセメントコンクリートを大量に集めておいたほうがいいこと、などを広瀬氏は言っていました。

 日本では大したことがないといっていますが、アメリカでは80キロ以上、アメリカ人に避難するようにいっていますし。韓国の人や、中国の人が多い、新大久保でも続々と帰国する人が続き、お店も閉店し、お客も激減しています。冒頭に番組で行っているように、単なる楽観論を振りまいて、安心させるのではなく最悪の事態まで予想し、正しい対策を国を挙げて、やっていかなければならないのです。今回の福島原発の事故も、自然を甘く見て、津波被害の想定を低くしていたからです。

 もし、ここで対策を誤り、原子炉で、核反応が再開したり、炉心が爆発したりすれば、その放射能はあっという間に日本中に広がっていきます。津波の被害もひどかったですが、放射能汚染が日本中に回るようなことが起きたら、日本は当面立ちあがれないような事態に陥ってしまいます。今こそこの事実を多くの人が知り、『正しいパニック』を起こさなければならないと思います。そしてなんとか、正しい対処をして、一日も早く終息する方向へ持って行ってもらいたいものです。

4月12日(土)追加

 テレビで、福島原発の放水活動に携わった、東京消防庁の人々の会見を見ました。放射能の怖さを、何よりもよく知っている人たちが、みんなのためにまた家族のためにと、危険を顧みず、行動しました。ホースの接続を車外に出て行わなければならなかったといいます。唇をふるわせながら話す現場責任者の声にとても感動しました。すべての人々が撤退した後の残った50人には海外からも称賛されています。そのほかにも自衛隊、東京電力社員、警視庁の人たち、自分で志願してということですが、本当に頭が下がります。

 みなさんの必死の活動で、最悪の事態を少しづつ脱しようとしているのは、素晴らしいことです。

 2011年5月8日 追記  今寺田寅彦氏の「天災と国防」という随筆が注目されています。寺田寅彦氏は著名な物理学者であるとともに科学的な知識を身につけること、科学的な立場とはなにかなど一般の人にもわかりやすく解説した随筆を多く書いています。その中に、「天災と国防」という随筆があり、今注目されています。「天災は忘れたころにやってくる」という言葉この随筆に書かれている言葉です。まさに、東日本大震災をまのあたりにして、寺田氏の話が身にしみます。また寺田氏は「物事を客観的につかみ、「正しく恐れることが大切だ」といっています。このブログの「正しいパニックを起こさなければならない」のもととなる言葉です。 「天災と国防」は1938年岩波新書第4号や寺田寅彦随筆集第五巻 岩波書店い収録されています。WEBでもたくさん掲載されているので詳しくはご覧ください。

2011年3月17日 (木)

石原都知事天罰発言と天=神(人格的な)の不在

石原東京都知事は14日、東日本大震災に関連し「我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と発言しました。我欲の例として、去年一番ショックだったのは30年前に死んだおじいさんが死んだのを隠して年金を搾取する。こんな国民は日本人しかいない。日本人のアイデンティティは我欲になった。また無能な内閣ができるとこういうことが起きる。95年の村山内閣もそうだった」と語ったそうです。それに対して当然ながら大きな批判が出ましたが、初めは撤回しないといっていました。ところがさすがに批判の声がさらに大きくなると、申し訳なかったと撤回するということでした。

 この石原慎太郎知事の発言は、はるか昔の中国にあった、「政治が悪いと、天がその時の王や皇帝をけん責するという考え方に基づいている。古代中国では様々な、日照り、洪水、イナゴの害など災害は君主の政治が悪いとそれをけん責しているのだと考えたのです。それにたいしていまから2000年も前の後漢初期の哲学者王充は「論衡」のなかで、天は恐ろしく高い遠いところにある。だから人間など小さすぎてみることができない。元来天変地異は人間の病気のような自然の変であるといっています。殷の湯王は大日照りのときに、自らを責めて雨乞いを下から雨が降ったというが、雨乞いをしなくても雨は降ったのだといっています。

 石原知事が「天罰」だというのは、いわば人格神的な神もしくは天が罰を下したという考えなのです。すなわち、日本人が、だまして年金を受け取るようなものが多いから懲らしめてやらなければという考えです。それは眼で見て判断しているということでそれができるのは人格神でなければ不可能です。キリスト教の神(GOD)はソドムとゴモラとかノアの箱舟とか自分の気に入った人以外を平気で人々を全滅させてしまいます。日本の「天=神」は日本の状況を感じ取って天罰を下したのでしょうか。しかし年金をごまかすなんて、ほんの小悪です。むしろ、利益が上がっているのに、社員や下請けに賃金や支払いを下げ続け、社員を解雇し、様々な国民に多大な苦しみを与えている大企業やそれを支えている、官僚や政治家の巨悪こそが責められるべきなのではないでしょうか。それを責めないで、庶民のささやかな悪をのみ責めるならそんな神は人類の敵です。またそんなことを言い出す石原都知事は様々な都政出の悪政で弱者を痛めつけています。天は本来そういうものに天罰を下すべきではないでしょうか。しかし歴史上そんなことは一度もないのです。悪政は庶民が実力で倒して来たのです。

 大体、天や神といってもいろいろで、宗派によって違います。日本の天は一体どこの神が支配しているのでしょうか。仏教でしょうか、神道でしょうか、キリスト教でしょうか。今度の大震災を引き起こした天はどこの天なのですか。でもさんざん見てきた津波の恐ろしさ無慈悲さは天が起こしたというのでしょうか。死んだり行方不明の人は、日本人だけではありません。多くの外国人も犠牲になっています。日本人もいろいろな宗教を信じ、また同じ宗教でも細かく宗派が異なります。一体どこの天が、神がこの津波を起こしたのですか。それとも各宗教の神が共同で興したのですか。私の信じる宗教が起こしたとは言わないでしょう。エホバの証人の人などはいうかも知れませんが、でもその信者も死んでいるかも知れません。

 結局、天も、神も仏も人々の心の中にしか存在しないものなのです。私がよく、河童や、一反木綿と神仏を同列に置くのですが。人々が心の世界で創造したものにすぎません。それにしてもこういう発言を平気でする石原慎太郎が都知事選にまた立候補します。残念ながら民主党も有力な対抗馬を立てられず、また再選されてしまうのでしょう。もし神仏がいたら、(残念ながらいないのですが)情けないと思うことでしょう。

(追記)

 ジョン・レノン Imagine(イマジン)

想像してごらん 天国なんて無いんだと                                    ほら 簡単でしょう                                                   地面の下に地獄なんて無いし                                              僕たちの上にはただ空があるだけ                                      さあ 想像してごらん みんなが                                          ただ今を生きているって

創造してごらん 国なんて無いんだと                                                             ~そして宗教もない                                             ただ平和に生きるって

 

二酸化炭素地球温暖化説と原子力発電所 追記・閑散とした新大久保 

福島原子力発電所の状態はチェルノブイリの原発事故には及ばないものの、アメリカのスリーマイルの原発事故のレベルをすでに越していて、まだ終息するどころか、炉心溶融から大爆発の危険性まで、はらんでいます。今まで原子力発電所は安全だと電力会社も国も言い続けてきて、この有様です。原発の20キロの人々に避難命令が出て、20から30キロの人には外に出ないようにとか指示を出し、その間にいる避難所には、救助物質を運んできたトラックが入ってこず、避難所の職員がとりに行かなければならないと、このようなことは困ると避難所の責任者は怒りをテレビにぶつけていました。

 大地震以来、さまざまな催し、旅行、会合がキャンセルされているといいます。私の家内も4月にオランダ旅行を予約していましたが、キャンセルしました。人間学研究所で行われる会合も取りやめのところが出てきました。新大久保の町も普段ならすごい人出になるのですが、閑散としていて、私のところで貸しているスターグッズ店は店を閉めています。部分停電があり、電車もとぎれとぎれなので、通勤にはひどい支障が出ます。これもすべて、原子力発電所が停止しているからです。でも今の状態では原子炉に海水を入れてしまっていますから、回復不能で、このような状態は長期化しそうです。日本人はこのような事態でもおとなしくがまんしているというのは諸外国から見たら驚きでしょう。少しづつ不景気から回復してきた日本経済も、これでは、出発点以前に引き戻されます。これは自然災害ではなくあきらかな人災です。

 二酸化炭素が、地球温暖化を引き起こす主要な原因であるときめつけて、政府も、大企業も、”クリーンで、二酸化炭素を出さない”という原子力発電所を各国で建設を進めるとしてきました。アメリカのオバマ大統領は日本のこの状態があっても推進するといっています。ドイツなどでは早々に計画を中止しました。地震の多い日本での原発は大変危険であるということはすでに再三言われてきたことです。しかし政府も、電気会社もそれらの声を無視して、原子力発電所の建設を進めてきました。この原発は絶対安全であると東京電力のホームページに書いてあります。それにしても、同じように津波被害を受けた東北電力の女川原発が健在で、体育館に避難民が来ているというのと大きな違いです。女川原発は高さ12メーター以上の高台の上に作っているので安全でした。東京電力では地震のあったとき、会長も北京に社長も東京にいなかったといいます。また、水蒸気爆発の後、社員を全員引き揚げていいかと政府に聞いて、断られたとか言います。

 今回の事故で、微量であっても新宿まで放射性物質が流れてきています。今は風向きに助けられていますが。冷却がうまくいかずさらに悪化すればその放射能量は恐るべき数字になります。すでに自衛隊のヘリコプターが原子炉の上から水を撒こうとしたが、あまりに放射能が強くてちかづけないという状態だったそうです。何度も最低限の職員を除いて職員自身が避難しているのだが、炉心付近に残っている従業員はほとんど下請け社員だそうです。それは普段でもそうらしいです。

3月19日(土)閑散とした新大久保

 アメリカ政府はアメリカ人に対して、福島原発から30キロではなく、90キロ離れるように指示し、外国人は次々と帰国しています。人間学研究会の会員の一人も、人間学の例会参加予定でしたが、急きょ台湾の娘さんのところに行くそうです。17日の実用的人間学研究会は、大停電になる恐れがあるとかで、研究会参加を連絡していたかたから次々に欠席の連絡があり、4名しか集まらず、次回に延期しました。

私のビルの店子さんであるギルズハウスの社長さんは韓国に戻り店は閉店しました。今原宿がこちらに移ってきたと思われた新大久保のにぎわいは全くありません。閑散としています。いつ停電になるのか、電車が止まるのかを心配しているようでは、楽しくこちらに買い物などに来られるわけがありません。いろいろな経済活動がすべてストップしてしまいます。東京電力は、一時、大金をかけて、オール電化を宣伝していました。欲深くうんと売り上げを上げようというのです。結果がこの始末です。

 今回は東北地方ですが、近い将来同じような規模の東南海大地震が起きるのはむしろ確実だといわれています。こちらの原発での事故はさらに大きな被害をもたらすのは確実です。すでに静岡の原発前の防潮堤を3メーターから12メーターに変えると決めたそうです。二酸化炭素、主要地球温暖化説を唱え、それに基づき原発を推進してきた人々に今回のまだ進行中の悲惨な人災の責任を問われなければなりません。ところが、残念なことに、それらに対して、厳しく指摘する声はけしさられ、責任はあいまいなままにされてしまうにちがいありません。でもこのままさらに原発の事態が悪化して多くの被害者が出たら、一体どう責任を取るのでしょうか。

2011年3月15日 (火)

沖縄の旅に個人旅行に行ってきました 米軍基地、そして大地震

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沖縄の米軍基地

普天間の海兵隊の飛行場から嘉手納飛行場さらには弾薬庫までの米軍施設をオレンジ色で塗りました。北谷町役場まで塗ってしまったのは間違いです。わかりにくい写真でごめんなさい。ともかくメイン道路の58号線から右側にずっと基地が続きます。また最初に出ている写真は普天間飛行場の入り口です。隣接した公園の高いところから撮りました。

沖縄の一人旅に行ってきました。3月10から14日までの4泊5日の飛行機とホテルだけで、あとはすべてフリーという旅行です。クラブツーリズムの旅行で、飛行機代とホテルシングル料金で38000円でした。沖縄には前に三回ほど行っていたのですが、沖縄の海洋博公園の水族館にジンベイざめをみたかったのと、普天間飛行場が町中でどのような状況にあるのかも、見たかったのです。普天間の飛行場などは普通の観光コースでは絶対に見られません。

 1)10日の木曜日は曇り、全日空のピカチュウの絵の描いてあるジャンボ機で、満員でした。30分ほど遅れ、予約してあるレンタカー会社の車に乗って事務所へ行き、手続きをしました。事前に調べて一番安いフジレンタカーでトヨタのbBクラスで4泊5日で14800円でした。宿泊は町の中心部に近い、沖縄ワシントンホテルでした。ホテルに着いたら5時過ぎでしたから、シャワーをあび、ホテルのすぐ前の沖縄料理をだすスナックで、カラオケなど歌いながら時間をつぶしました。

2) 翌日はうるま市の海中公園に行ったことがなかったので、行くことにしました。途中の高速道路は無料で助かりました。天気は曇りで、海の色はいまいち映えませんでした。島がいくつか点在しそれを橋がつないでいます。海中道路の真ん中の駐車場ではイカ釣りをしている人が二人、あとはほとんど人がいません。島を次々に橋を渡って行き、誰もいない小さな港で、竿を出してみました。一応釣りの道具を持っていったのです。海の中をのぞいてみましたが小さな魚も見えず、全然釣れませんでした。

3,11大地震の発

 途中さらにどこかへ行こうと思ったのですが、二時過ぎに東北関東地方で大地震が起きたとFMラジオで報じ始めました。これはよういならぬことだと東京の自宅に電話をしましたが携帯も、固定電話も通じません。ようやくメールが通じ、東京はかなりひどく揺れて、3階の人間学研究所の本が大半落ちてしまい、3階の研究所も5階の自宅も茶碗やコップがだいぶ割れてしまったとのことでした。あとは3匹の猫のうち黒猫がどこかへ行ってしまったと。家内も地震のときには地下鉄に乗っていて、新宿三丁目あたりで止まってしまったので、歩いて自宅まで戻ったそうです。家に戻ったらひどい有様だったそうです。

 地震の被害のすごさに驚いてそれ以後さらに足を延ばすのをやめて、早めにホテルに戻ることにしました。沖縄も1メートルの津波が来るということで心配してくれました。こちらは大丈夫とメールしたのですが、届いたのはだいぶ後だったようです。ホテルに戻ると、すべての番組は地震災害一色で、津波が次々に家を飲み込んでいる映像です。そのあまりのすごさに呆然とするような状態です。その日はほとんどホテルでテレビを見ていて、眠っても何度も眼が覚めて、そのたびにどうなったかテレビをつけたので寝不足になりました。

3) 三日目の12日の日曜日は朝ようやく電話が通じました。いないと思っていた黒猫が二日ぶりにようやく出てきたそうで、ホッとしました。怖くて押入れの奥に引っ込んで2日を過ごしたようです。

 さて今日はメインの海洋博水族館に行くことにしました。海洋博公園はとても大きく、前に一度行った時とイメージが全く違っていました。ともかく水族館に隣接する駐車場に車を止めて、水族館に入りました。ともかく中はとても広く、ジンベイざめのいる大水槽までにもかなりの展示がありました。その日は団体の学生さんたちなどがいてものすごい混みようでした。上から見ていって、次第に下の大水槽の近くになるような作りで、その水槽の大きさに驚きます。なかにその水槽のアクリルの厚さがわかるような展示物がありましたが、驚くような厚さです。大きなジンベイざめはさすがの大迫力でほかにもマンタ、大きな赤エイ、その他、さまざまな魚の多さに驚きました。写真を撮っているうちにメモリーがなくなってしまいました。その後深海の魚などのいろいろな展示があったのですが、途中で腰から来る足のしびれがおき、少し休みました。出てからはジュゴン、シロイルカなどはほかの建物でした。一通り見ましたが疲れました。他に熱帯植物園などもありましたが、行く元気がなくなりました。昨日の寝不足もあり、早めに帰ることにしました。遅めの昼食は島の中央やんばるの中にある、古い沖縄の「大家」と書いて沖縄読みを忘れましたが、とても自然と古い沖縄古民家がマッチする店で沖縄料理を食べました。夜はあいかわらっず全番組が大地震速報と原発事故の報道でした。とくに原子力発電所の大爆発にはとても驚きました。

4)普天間飛行場

 4日目の13日の日曜日は、普天間飛行場を見て、その先残波岬を目指しました。普天間飛行場は少し高台の中にあり、周りは木が茂っていて中が良く分かりません。メイン道路から近ずくと、土手のようなところは古い立派な沖縄の墓がありその上にあるという感じです。飛行場へのいくつかの入り口を見て行きました。本当に、民家も学校も、基地に隣接しています。普天間第二小学校と幼稚園は飛行場ともう一つの基地との間の細い空間に学校がある感じです。公園の中の高いところからは少し基地の中が見えます。また沖縄国際大学が基地に隣接し、昔飛行機が落ちたところの焼け焦げた木が記念碑のように残してありました。宜野湾市役所も基地に隣接しています。本当に町中の飛行場基地です。日曜なのでヘリコプターなどは飛んでいませんでした。基地を一周するとかなりの走りでがある広さです。こんな町中にある飛行場に、より危険性のあるオスプレイをもってくるなど、とても恐ろしいことだと感じます。

 メイン道路にもどり、残波岬へとむかいました。普天間とほとんど隣接して、つづいて海兵隊の基地が続きます。さらにはズケランの(キャンプ場)基地があり、ここは中が良く見え多くの軍用車があります。そしてしばらく行くと今度は広大な、嘉手納飛行場があります。両側が基地でその間に道があるというところもありました。最後には弾薬庫です。左側は美しい海でいろいろな店が連なり右側がずっと基地が続くのです。さらにへ点々と、通信基地などもあります。沖縄の基地の多さが痛感されました。いかに多く広いかを地図で示しました。これの基地が返還され、広大な面積を観光用に使ったら沖縄はずいぶんと発展するのではないかと思いました。

 残波岬の途中の漁港で釣りを試してみました。広い港で釣りをしているのは他に二組だけでした。イソメを付けてキス釣りのしかけにして港の中央へ投げてゆっくり引いてきました。下は砂地です。しばらくして20センチのキスと30センチの「オジサン」というひげの生えた魚が出ました。写真を撮り逃がしました。その後何匹か釣りましたが、持って帰れないので、早めにやめました。朝から本格的に釣りをしていればかなり釣れそうです。

 その後残波岬へ。前に来た時は灯台といい景色だけでしたが、公園ができて、何かせっかくの自然が壊される感じがしました。ゴルフ場もできていました。あと帰りに旧日本海軍の司令部跡の洞窟も少しみて帰りました。夕方ワシントンホテルのすぐそばに「福州園」という中国式の立派な庭園があり、そこを見てきました。入場料は無料です。

5)14日は早めにホテルを出てレンタカーを返し、飛行場で時間をつぶして、東京に向かいました。羽田では、京浜急行が運行中止でしたがモノレールで帰りました。自宅につきましたが、話の通り、3階の本がかなり妻や息子の嫁さんがかたづけてくれたようですが、それでもかなり大変です。ぼちぼち今日からかたづけをします。

 二酸化炭素温暖化原因説により、二酸化炭素排出を減らすためと称して原子力発電に走った政府や電力会社にとって、危険性があれほど言われながら、原発を増やし続けたつけが来ました。停電によりどれだけ多くの人に迷惑をかけるでしょう。その批判は改めて行います。

 

2011年3月 4日 (金)

経営人間学シリーズ(15)経営人間学について「ひつめぐ」さんの質問に答えます。経営人間学11

私が2011年1月16日付で書いた「こういちの人間学」ブログに、「人間学は専門の研究者でなければだめなのか ゼネラリストは不要か」というものがあります。それにたいして、「ひつめぐ」さんからコメントがあり、私の言う「実用的人間学」は「経営学ではないか、自分という資源を理解し、世界という環境を理解し、その中で何かをつかみ取るために、戦い、協力し、生きる術を学ぶというのはまさに経営学であると思います。」以上原文通りそれにたいして、「私は人間学という名のついた書物のなかでは、私が「経営人間学」となづけた本が一番多いということ、幅広い意味では人間個人、自分自身の経営学といってもいいかもしれません。」と答えました。

 「ひつめぐ」さんは、「人間経営学というジャンルがすでに存在するのですね。恋愛行動についても経営戦略が応用できると考えていました。そして「人間経営学」に興味があるので本屋で調べてみます」と言っていました。それに対して私は私が言ったのは「経営人間学」であって、「人間経営学」ではないこと。しかしそれも面白い言葉であり考え方なので使わせていただこうかと思うと書きました。

「ひつめぐ」さんは、「結局経営人間学というものが経営学や、また人間経営学というものとどう違うのか理解できないのですが、もう少し具体的に、例えばどのような経営人間学ではどのような疑問を解決しているかとか、そんな感じで教えていただけませんか?」(原文のまま)と今日付けのコメントで書いてこられました。短いコメントでは書ききれないので、あらためて、あらたなブログで書いてみることにしました。

 人間学とか、人間科学とか今では大学の講座にたくさんあって、市民権を持っています。2011年2月の人間学研究所の新教育人間学部会の例会で、私が、「人間学、人間科学の状況ー大学の講座にみる」というテーマで話をしました。その要旨は2月20日づけの私のブログ「人間学と人間科学の現状」その1、その2に書いたとおりです。現在大学で人間学部と名のついた学部を持つ大学は12校、京都大の総合人間学部などの名称を持つ大学は10校あります。そのほかに、人間学科、人間学専攻そして、人間科学部、科、専攻などを含めるとかなりの数の大学がそのような名所をつけています。また人間生活学などの人間~という名称を付けるものは近年極めておおくなっています。しかしその内容は極めてあいまいで、人間学と人間科学との境界もはっきりしていないと私は報告しました。またそれらの大学の中で、経営学系とされているのは札幌国際大学のスポーツ人間学部だけでした。

 私が「経営人間学」となずけているのは、あくまでも私流の人間学という書物を分類するに当たり、なづけた名称であって、一般的に学問として確立していません。元の名前は、山本七平氏の書いた、『経営人間学』-資本主義の精神の先駆者たち 昭和63年発行日本経済新聞社によるものです。ほかに同じ名前の書物はありません。あくまでも私の「人間学と名のつく書物の分類」における名称です。世間ではまだ通用しておりません。ちなみに、2010年12月末に、書名に日本における人間学と名のついた本(サブタイトルを含む)は964冊であり、私が経営人間学となずけている書物は、「歴史人間学」(これも私の分類法の一つ)において、日本系53冊、中国古典系が110冊の合計163冊。一般経営人間学(これもわたしの分類法)すなわち、経営、リーダーシップ、生き方、自己啓発、社会職場の現状などの書物が141冊です。経営人間学の書物は総合計304冊ということになります。他の書物の分類では総合人間学43冊、哲学的人間学178冊、科学的人間学272冊、その他の人間学167冊です。

追記 (この内容は定期的に変更されています。参考までに「こういちの人間学ブログ」2012年1月20日版「人間学」と名のつく書物一覧をご覧ください)

 それらの経営人間学の本は、「三国志の人間学」とか「徳川三代の人間学」とか、「リーダーシップの人間学」とか人間学という学問ではなく、いわば「人間論」あるいは「人間についてのエッセイ」とかいう感じのものです。私の提唱している「実用的人間学」は、それらのものも参考にはいたしますが、同じものではありません。現状では、「人間学」はそれぞれの人が自分の好きなようになづけているだけで、いわゆる、哲学や。物理学や、経営学などとは全く異なるものです。またひつめぐサンがおっしゃるようには、経営人間学も、人間経営学も実際の大学の講座などという形での学問としては存在しておりません。

 残念ながら、「ひつめぐ」さんの経営人間学が経営学や人間経営学とどう違うのかという問いには全く答えておりません。ともかく経営人間学も人間経営学も学問として成り立っていませんのでお答えは難しいのです。ただ「ひつめぐ」さんのおっしゃる、経営学の手法を、単に今までの私がなずけた『経営人間学』という枠を乗り越えて、いろいろ参考にしていくことは、人間がより良く生きるための知恵を求めるというわたしの「実用的人間学」に取り入れるということは大変、有効なことだと思います。私も少し改めて研究してみたいと思います。

2011年3月 3日 (木)

エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』 その2 人間とは

当時のイギリス社会

前回は、この本が生まれる当時のイギリス社会などの背景について書きました。ここでは具体的に、この本の中の、これはと思える部分をかきだしてみたいと思います。訳文は「マルクス、エンゲルス全集」大月書店版です。文章の内容は一部簡略化してあります。コメントは筆者による。

 私は(労働者)諸君の生活状態を知るためにできる限りの誠実な注意をはらってきた。文献を集めるだけではなく、諸君の住宅をたずね生活条件や苦悩について語り合い、諸君の圧政者に対する闘争をこの目で見たいと思った。p225

 私は諸君がただのイギリス人、単独の孤立した国民の一員以上であることを知った。私は諸君が人間であって、自分の利益と全人類の利益とが同じであることを心得ている、あの巨大で国際的な人類の家族の一員であることを知った。~この「単一不可分の」人類の家族の一員として、言葉のもっとも強い意味での人間として、このようなものとして、私および大陸の多くの人たちは、あらゆる方面における諸君の進歩を歓迎し、諸君が迅速に成功を収めることを希望する。 p226から227 

 コメント-ー「人間」というものを考えるとき、このような見地で考えることは大切なことではないでしょうか。

 機械が採用されるまでは、原料を紡いだり織ったりする仕事は労働者の家の中で行われた。これらの織布工はその賃金で立派に生計を建てることができた。~彼らは壮健で立派な体格の持ち主で、聖書に耳を傾ける「尊敬すべき」善良な一家の主人たちであった。~しかし彼らはロマンチックで情緒に富んでいたが、人間に相応しくないこうした生活から抜け出ることはない。少数の貴族に奉仕するはたらく機械にすぎなかった。~             産業革命はこのような状態を徹底的に推し進めたにすぎない。労働者を機械に変え、残された独立的な活動の最後ののこりかすまで奪い去ったが、まさにこうすることによって労働者に対してものを考え、人間的地位を要求する刺激を与えた。(p230~232)

 ロンドン人が文明の驚異を実現するために、自分たちの人間性の最良の部分を犠牲にしなければならなかった。二三の少数者が自分の能力を完全に発展させ、(その代わり)何百もの力が無為に放置され抑圧された。すでに街路の雑踏が何か不快なもの、なんとなく人間性に逆らうものを持っている。~それらの人たちはみな同じ本性を持ち、幸福に成りたいと同じ関心を持っている人間ではないのか?~走りすぎる群衆は、~だれも他人に対しては目もくれようとしないのである。~個人の孤立、利己心が今日の社会の根本原理になっている。~強者が弱者をふみにじり、少数の強者すなわち資本家があらゆるものを強奪するために、多数の弱者、すなわち貧民には、ただ生きているだけの生活も残されないという結果になる。(p251)

コメントーこの原理は当然今の日本社会にもはたらいている

 厳しい生活状況におかれているロンドンの三家族の例を挙げ、ロンドンのすべての金持ちよりはるかに有能で尊敬すべき有能な家族がこのような非人間的な状態におかれており、自分に罪はなくあらゆる努力をしているのに同じような運命に遭遇するかも知れないと思っている。P258

 追加です

 一人ひとりの労働者の日常の食物そのものは、もちろん労賃に応じてちがう。~割といい労賃のものはいい食物に、つまり毎日かかさず肉にありつき、夕食にはベーコンとチーズにありつく。次第にかせぎの少ない層に行くと、動物性の食物は、ジャガイモの中に刻み込まれたわずかばかりのベーコンになってしまう。もっと低い層に行くと、これもなくなってただチーズとパンとオートミールとジャガイモだけしかなく、最下層のアイルランド人のところまでいくと、ジャガイモだけが食物になっている。 P303

コメント-エンゲルスの時代からずいぶんたった日本でも同じような状態ではないでしょうか。生活保護ももらえずに餓死してしまう人がいるくらいですから。

 プロレタリアは自分の必要とするものを、国家権力によって独占を保護されている、このブルジョアジーから手に入れるしかない。したがってプロレタリアは法律の上でも事実の上でもブルジョアジーの奴隷である。~そのうえ、ブルジョアジーはまるで労働者が、自由意思で行動し自由な共生されない同意によって成年に達した人間として、自分と契約を結んでいるかのような外観をも労働者に与えるのだ。(p306)

コメントーこれは現代の日本でも基本的に変わってはいない

 労働者を生活できないような境遇におき、そのことによって犠牲者となることがわかっていてもその諸条件を存続させる行為はまさに、社会的殺人である。p326

 多くの家庭では妻もその夫と同じように家の外で働く。そしてその結果は子供の完全な放任であり、子供は閉じ込められるか追い出される。このような子供がいく百人もあらゆる種類の事故によって生命を失うといっても少しも不思議でない(P340)                -日本においても親の収入によるこどもの教育格差が、その後の子供たちの将来において大きな格差になって固定化してしまっている。

 労働者は支配階級にたいして怒りを感じている間だけ人間なのである。自分たちを縛り付けている首かせを辛抱強くがまんし、首かせをしたまま生活を愉快にしようとし始めると労働者はたちまち動物になるのである。(p346)

 企業は、強制労働一般にみられる人間を動物化する作用をさらにいく倍も強めた。(p351)

 労働者は、日常生活においてはブルジョアジーよりもはるかに人道的である。乞食はたいてい労働者だけに呼びかけるものだ。労働者にとってどんな人間でも人間であるが、一方ブルジョアにとっては労働者は人間以下のものなのである。(p357)

 万人の万人にたいする戦争といった状態のもとでは、小数のものが利益を独り占めし、そうして大多数の者から生存手段をうばう。機械が改良されるたびに労働者は生活の道をうしなう。そして改良が重要であればある程それだけ失業する階級の数も増加する。そのたびに一群の労働者のうえに、商業恐慌の作用がもたらされ、欠乏、貧困および犯罪が生み出される。(p336から367)

コメントー日本も全くその通りではないか。大企業は不景気だといって、簡単に社員を首切りし、また低賃金に押さえつける。そして下請けには最低限の支払いしかしない。その一方で、政府に献金し、働きかけて、さまざまな優遇策を手に入れる。その結果、社内留保は驚くべき数字に膨れ上がっている。(下記参照)

 労働者の住宅が工場から半時間またはたっぷり一時間かかるほど遠いところにあっても工場主はちっとも気をかけない。-(日本ではこれではまだいいほうですね。日本では満員電車でもっと時間がかかります)イギリスのブルジョアにとっては自分が金さえ儲かれば自分の労働者が飢えようが飢えまいが全くどうでもいいのである。一切の生活関係が金もうけを物差しにしてはかられ、金を生まないことは馬鹿げたことであり、非実際的で観念的なものである。(p511)

コメント-日本の大企業は、不景気だとかいいながら、大量の利益を社内留保として抱え込みながら、(2012年1月追記 資本金10億円以上の大企業が保有する内部留保が2010年度で266兆円に達することが労働総研の調べでわかりました。前年度比9兆円増です。ところが民間企業の年間平均賃金は2000年に比べ2010年には50万円も減少しています。赤旗2012年1月17日)労働者の賃金を下げ続け、非正規化し、雇用を減らしています。さらには政府を使って、一方では消費税を上げさせ、法人税を下げさせようとしています。エンゲルスの指摘しいることはもう古いのでしょうか。まさに指摘している通りではないでしょうか。マルクス、エンゲルスはもう古いというのは誤りです。

 労働者にとっては自分の生活状態に全面的に反対するよりほかには自分の人間性を実証するための活動分野が何一つ残されていないとすれば、こうした反対をしている時にこそ最も愛すべきもっとも気高い、もっとも人間的なものとしてあらわれるに違いない。(p447)

 ブルジョアは労働者を人間とは考えずに、いつも面と向かって人手(hand)」と考えている。ブルジョアはカーライルが言うように、人間と人間との間に現金支払い 以外の関係を一切認めない。自分と自分の妻との間のつながりでさえも、百のうち99はただの「現金支払い」にすぎない(p511)

 資本家が慈善という立場で行う新救貧法はプロレタリアは人間でなく、また人間として扱われるに値しないということが公然と宣告されている。~プロレタリアが人間ではなくまた人間として扱われるに値しないということが公然として宣言されている。イギリスのプロレタリアートの人権を奪還することは、イギリスのプロレタリアートに安心して任せておこう。(p528)

コメント -いかがでしょうか、エンゲルスが書いた状況と今の日本の状況があまり変わっていないと思わないでしょうか。そして昔より格差はさらに広がっています

 GDPが世界第二位(今年三位に落ちたようですが)にも関わらず、根本的な矛盾が変わっていないところが資本主義の本質的な矛盾を示すところです。

 資本主義の世の中ではいかに人間が人間として扱われてこなかったか、また労働者の運動が人間の回復を求めることであることがよく分かると思います。 

 

 

エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」その1

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"Derjunge ENGELS" HORST ULLRICH BERLIN 1966

 F Engeis im Elendsviertel von Manchester 1842

F・エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」を読んだ方がいらっしゃるでしょうか。おそらくあまり読まれていないのではないでしょうか。この本は、エンゲルスがまだ25歳で、一歳年上のK・マルクスとともに、弾圧を受けたドイツを離れて、イギリスに移住した年に書かれたものです。マルクスは、1842年にドイツのケルンで、急進的なブルジョアの機関紙『ライン新聞』の編集にかかわり、その後エンゲルスと知り合い、1844年には『独仏年誌』にマルクスとエンゲルスの論文が載せられました。しかし、ドイツ政府の弾圧にあい、エンゲルスは父の経営するエルメン・エンゲルス商会のイギリス支社に行くことになりマルクスもイギリスにわたりました。1845年にはマルクスとエンゲルスの共著で「ドイツ・イデオロギー」の草稿が作られました。このとき、マルクスはまだ26歳、エンゲルスは24歳の若さだったのです。そして、エンゲルスは、当時もっとも資本主義が進んだ国である、イギリスの労働者の状況を調べて、『イギリスにおける労働者階級の状態』をかいたのです。これは3月に英文で出版されました。エンゲルスは21カ月をかけて、当時のイギリスの状態を隅々まで調べたといっています。

 この当時のイギリスでは、資本家階級のあくなき労働者搾取によって、あまりに非人道的なことが横行しさすがに、いろいろな法律を制定しなければならない状態でした。1842年には、「鉱山法」により、女性と10歳未満の子供の就業を禁止しました。でも11歳以上なら良いということです。1844年にはイギリスで「工場法」が成立し、女性と、13~18歳の子供は12時間以上はたらいてはいけないということになりました。1845年にはアイルランドで、ジャガイモの病気と小麦の不作で3年間で100万人もの人々が死亡しました。アイルランドは農業国にも関わらず、ほとんどの土地はイギリスの地主から土地を借りる小作になっていました。その結果、主食のジャガイモまでも食べられなくなってしまったのです。

 私は『イギリスにおける労働者階級の状態』を1967年に、「マルクス、エンゲルス全集第2巻」(1960年発行、大月書店)で読みました。当時、「マルクス、エンゲルスの人間論」というものが出版されていないため、それをつくろうなどという大胆な試みの元、数人で取り組んだのです。そして、人間論として重要だと思われる部分を手書きでレポート用紙で15枚ぶん書き出しました。「イギリスにおける労働者階級の状態」は初めて本格的に労働者階級の状態を全体的にとらえた論文であり、極めて社会学的にも重要なものです。またこの本は『資本論』に比べ大変読みやすかったのです。『資本論』にも、労働者階級の状態について詳しく書かれており、「イギリスにおける労働者階級』に書かれている文章と、同じような内容がそのまま書かれているというのをいくつか見ております。

 具体的な内容は、(その2)としてあらためて書くこととしますが、いかに、労働者階級が、資本家にとって、人間扱いされずに、単なる「人手」として扱われ、人間性を奪い取られているかをしめし、労働者階級が改めて「人間」となるためには、団結して資本家と戦わなければならないと示しています。しかしこのような人間が人間として認められないような状態は、この書物が出されてから166年もたったこの日本でも依然として続いているということです。

 エンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」

その2 人間とは に続く

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/03/post-5c80.html

はじめ、うまくつながりませんでしたが、今は接続できます。ぜひ、つづきをご覧ください。

その1、とその2がつながっています

その3 「 F,エンゲルスについて」もぜひご覧ください。

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2009/11/post-900a.html

ヒューマニスト「エンゲルスの評伝」しかしマルクスに比べ誤解され評価の低いまま

   2016年5月のブログ

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2016/05/post-afe1.html

2011年3月 1日 (火)

幸せについて グローバリズム対ブータン国民総幸福 そしてグラミン銀行

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2011年2月27日付の日経新聞に「京都環境文化学術フォーラム」が開催され、参加者は「国民の幸福など新たな指標の必要性」を議論したと書かれていました。その中で、基調講演はブータン王国王女、ケサン・チョゼン・ワンチュク氏によって行われ、ブータン駐印ブータン大使もパネル討論に参加したと書かれています。ブータンでは国王が国民総生産を幸せの基準に据えるのではなく、「国民総幸福(GNH)」すなわち、物質的に豊かであるというだけでなく、国民の幸せを中心にすえて、政治を行おうとしている。GNHは物質的な豊かさによって得るものと持続可能な社会がもたらす価値のバランスを重視しようというのです。

国民総幸福の政策の柱とは

 1、健全な経済発展と開発 持続可能な農業ビジネスの振興                          医療費、教育費を無料化 

 2、文化の保護と振興 民族衣装の着用や伝統的な建築を保護               地域社会や家族のつながりを奨励

 3、環境保全と持続的な利用 森林の保全に数値目標 

木の伐採に許可制 (60%を守る 現在72%) 禁煙の義務化

 4、よい統治 民主的な選挙の実施 地方分権の推進

 そして国民の幸福について二回調査し、国民の幸福を推進する政               策をとり、その結果国民の97パーセントが幸福だと考えているという

 パネリストの広井千葉大教授は、日本では企業が新規雇用意欲を                失い、生産性が最高水準に達して、大半のものが失業するという状              態がある。また元世界銀行副総裁西水氏は、ブータンの考えは、坂            本光司氏の『日本で一番大切にしたい会社』で取り上げた中小企業             の経営理念と同じだ。社員と家族の幸福の実現を経営の目的にして            いる会社は増収増益をしている。GNHと同じ考えだという。ブータン             の憲法はGNHを高めることを最大の目的としている。~日本国憲法で                         も幸福追求の権利が定められているが意識している人は少ない。                           幸福の障害となるものを取り除くのは政治の役割だと。

 国民の暮らしを良くし、幸福な暮らしを進めるのが善政で、一部              の者のみが幸せで、多くの人々が苦しみ、不幸感を持たせるの               は悪政である。日本はじめ資本主義国の多くがグローバリズムの              もと、一部の大企業や、高級官僚、政治家などが、自分たちの利              益のみを追求し、国民の幸福など、考えもしない。そしてそれを               維持するためにいろいろな政治組織、宣伝活動によって、国民に               仕方ないと思わせている。この前の選挙で、民主党に投票した               人々はその状況を打破して、人の生活第一の政治に変えてくれ               ると思ったのだが、民主党は見事に大企業、官僚に取り込まれ                   てしまって、人々を失望させている。そして、選挙でさらに、悪い                      自民党、みんなの党などの政府に戻させてしまう。財界、保守                層大勝利である。

 貧しくとも、周りの人もみんなそうで助けあって暮していけるよ                うな社会では貧しくとも、不幸と思わないものだ。日本人の暮ら                   しはブータンに比べたら、物質的な生活水準ではほとんど上な                    のである。しかし、多くの日本人は幸せどころが、多くの人々が               不幸と感じ絶望している。今失業して生活の不安を抱えている                人がどれほどいるものか。このような政治を行っている者たち                    を、批判的な立場で見てみる必要があるのではないか。多くの                 人たちが、幸せになるような政治を求めるべきではないのか。                  やり方を少し変えるだけで、日本の今の生産量、国力を持って                すれば急速に日本人も幸福になれるのではないでしょうか。

さてつぎにテレビ番組で、最貧国のバングラデシュで、女性                    を中心として、小口の融資を行い、女性が自立できるような                   仕組みをグラミン・ダノン氏が考えだしました。それはグラミ                  ン銀行といって、グラミン氏はノーベル平和賞を受賞しました。                従来は銀行は、金持ちや大きな会社のみに貸し出します。                  しかし担保もない貧しい女性5人に相互に協力しあうようにさ                     せ、いろいろな仕事を生み出しそれにより女性たちは、貧                       しさから抜け出しつつあります。返済率は96パーセントとい                     います。そして人々のためになる仕事に出資します。たとえ                  ば栄養価の高いヨーグルトを格安で人々に配ります。それに                    よりそして色々な新しい仕事が生まれます。こういう仕事を                      ソーシアルビジネスといいます。普通の会社と違うのは利益                   を株主に配当するのではなく、その社会の人々のために使                  います。現在の資本主義社会は出資者にしか還元しません

 バングラデシュは女性は教育などしなくてもいいといわれ                        て来ました。そのため極貧から抜け出せません。母親は                        子供を育てます。また文盲ではミルクや薬などの説明も読                    めません。「教育とは世界を知り自分を知ることだ」として                  3年前からグラミン氏らはバングラデシュにアジア女子大学                     を作り各国の女性が学ぶようになっています。ブータンや、                    バングラデシュのように。極めて貧しい国が変わりつつあり                     ます。日本人も、日本の現状に気づき、幸福を求める権利                  を主張すべきだし、色いろな知恵を絞るべきではないでし                      ょうか。 

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