フォト
無料ブログはココログ

« 経営人間学シリーズ(15)経営人間学について「ひつめぐ」さんの質問に答えます。経営人間学11 | トップページ | 二酸化炭素地球温暖化説と原子力発電所 追記・閑散とした新大久保  »

2011年3月15日 (火)

沖縄の旅に個人旅行に行ってきました 米軍基地、そして大地震

Hi3d01080001_2 110318_145401

沖縄の米軍基地

普天間の海兵隊の飛行場から嘉手納飛行場さらには弾薬庫までの米軍施設をオレンジ色で塗りました。北谷町役場まで塗ってしまったのは間違いです。わかりにくい写真でごめんなさい。ともかくメイン道路の58号線から右側にずっと基地が続きます。また最初に出ている写真は普天間飛行場の入り口です。隣接した公園の高いところから撮りました。

沖縄の一人旅に行ってきました。3月10から14日までの4泊5日の飛行機とホテルだけで、あとはすべてフリーという旅行です。クラブツーリズムの旅行で、飛行機代とホテルシングル料金で38000円でした。沖縄には前に三回ほど行っていたのですが、沖縄の海洋博公園の水族館にジンベイざめをみたかったのと、普天間飛行場が町中でどのような状況にあるのかも、見たかったのです。普天間の飛行場などは普通の観光コースでは絶対に見られません。

 1)10日の木曜日は曇り、全日空のピカチュウの絵の描いてあるジャンボ機で、満員でした。30分ほど遅れ、予約してあるレンタカー会社の車に乗って事務所へ行き、手続きをしました。事前に調べて一番安いフジレンタカーでトヨタのbBクラスで4泊5日で14800円でした。宿泊は町の中心部に近い、沖縄ワシントンホテルでした。ホテルに着いたら5時過ぎでしたから、シャワーをあび、ホテルのすぐ前の沖縄料理をだすスナックで、カラオケなど歌いながら時間をつぶしました。

2) 翌日はうるま市の海中公園に行ったことがなかったので、行くことにしました。途中の高速道路は無料で助かりました。天気は曇りで、海の色はいまいち映えませんでした。島がいくつか点在しそれを橋がつないでいます。海中道路の真ん中の駐車場ではイカ釣りをしている人が二人、あとはほとんど人がいません。島を次々に橋を渡って行き、誰もいない小さな港で、竿を出してみました。一応釣りの道具を持っていったのです。海の中をのぞいてみましたが小さな魚も見えず、全然釣れませんでした。

3,11大地震の発

 途中さらにどこかへ行こうと思ったのですが、二時過ぎに東北関東地方で大地震が起きたとFMラジオで報じ始めました。これはよういならぬことだと東京の自宅に電話をしましたが携帯も、固定電話も通じません。ようやくメールが通じ、東京はかなりひどく揺れて、3階の人間学研究所の本が大半落ちてしまい、3階の研究所も5階の自宅も茶碗やコップがだいぶ割れてしまったとのことでした。あとは3匹の猫のうち黒猫がどこかへ行ってしまったと。家内も地震のときには地下鉄に乗っていて、新宿三丁目あたりで止まってしまったので、歩いて自宅まで戻ったそうです。家に戻ったらひどい有様だったそうです。

 地震の被害のすごさに驚いてそれ以後さらに足を延ばすのをやめて、早めにホテルに戻ることにしました。沖縄も1メートルの津波が来るということで心配してくれました。こちらは大丈夫とメールしたのですが、届いたのはだいぶ後だったようです。ホテルに戻ると、すべての番組は地震災害一色で、津波が次々に家を飲み込んでいる映像です。そのあまりのすごさに呆然とするような状態です。その日はほとんどホテルでテレビを見ていて、眠っても何度も眼が覚めて、そのたびにどうなったかテレビをつけたので寝不足になりました。

3) 三日目の12日の日曜日は朝ようやく電話が通じました。いないと思っていた黒猫が二日ぶりにようやく出てきたそうで、ホッとしました。怖くて押入れの奥に引っ込んで2日を過ごしたようです。

 さて今日はメインの海洋博水族館に行くことにしました。海洋博公園はとても大きく、前に一度行った時とイメージが全く違っていました。ともかく水族館に隣接する駐車場に車を止めて、水族館に入りました。ともかく中はとても広く、ジンベイざめのいる大水槽までにもかなりの展示がありました。その日は団体の学生さんたちなどがいてものすごい混みようでした。上から見ていって、次第に下の大水槽の近くになるような作りで、その水槽の大きさに驚きます。なかにその水槽のアクリルの厚さがわかるような展示物がありましたが、驚くような厚さです。大きなジンベイざめはさすがの大迫力でほかにもマンタ、大きな赤エイ、その他、さまざまな魚の多さに驚きました。写真を撮っているうちにメモリーがなくなってしまいました。その後深海の魚などのいろいろな展示があったのですが、途中で腰から来る足のしびれがおき、少し休みました。出てからはジュゴン、シロイルカなどはほかの建物でした。一通り見ましたが疲れました。他に熱帯植物園などもありましたが、行く元気がなくなりました。昨日の寝不足もあり、早めに帰ることにしました。遅めの昼食は島の中央やんばるの中にある、古い沖縄の「大家」と書いて沖縄読みを忘れましたが、とても自然と古い沖縄古民家がマッチする店で沖縄料理を食べました。夜はあいかわらっず全番組が大地震速報と原発事故の報道でした。とくに原子力発電所の大爆発にはとても驚きました。

4)普天間飛行場

 4日目の13日の日曜日は、普天間飛行場を見て、その先残波岬を目指しました。普天間飛行場は少し高台の中にあり、周りは木が茂っていて中が良く分かりません。メイン道路から近ずくと、土手のようなところは古い立派な沖縄の墓がありその上にあるという感じです。飛行場へのいくつかの入り口を見て行きました。本当に、民家も学校も、基地に隣接しています。普天間第二小学校と幼稚園は飛行場ともう一つの基地との間の細い空間に学校がある感じです。公園の中の高いところからは少し基地の中が見えます。また沖縄国際大学が基地に隣接し、昔飛行機が落ちたところの焼け焦げた木が記念碑のように残してありました。宜野湾市役所も基地に隣接しています。本当に町中の飛行場基地です。日曜なのでヘリコプターなどは飛んでいませんでした。基地を一周するとかなりの走りでがある広さです。こんな町中にある飛行場に、より危険性のあるオスプレイをもってくるなど、とても恐ろしいことだと感じます。

 メイン道路にもどり、残波岬へとむかいました。普天間とほとんど隣接して、つづいて海兵隊の基地が続きます。さらにはズケランの(キャンプ場)基地があり、ここは中が良く見え多くの軍用車があります。そしてしばらく行くと今度は広大な、嘉手納飛行場があります。両側が基地でその間に道があるというところもありました。最後には弾薬庫です。左側は美しい海でいろいろな店が連なり右側がずっと基地が続くのです。さらにへ点々と、通信基地などもあります。沖縄の基地の多さが痛感されました。いかに多く広いかを地図で示しました。これの基地が返還され、広大な面積を観光用に使ったら沖縄はずいぶんと発展するのではないかと思いました。

 残波岬の途中の漁港で釣りを試してみました。広い港で釣りをしているのは他に二組だけでした。イソメを付けてキス釣りのしかけにして港の中央へ投げてゆっくり引いてきました。下は砂地です。しばらくして20センチのキスと30センチの「オジサン」というひげの生えた魚が出ました。写真を撮り逃がしました。その後何匹か釣りましたが、持って帰れないので、早めにやめました。朝から本格的に釣りをしていればかなり釣れそうです。

 その後残波岬へ。前に来た時は灯台といい景色だけでしたが、公園ができて、何かせっかくの自然が壊される感じがしました。ゴルフ場もできていました。あと帰りに旧日本海軍の司令部跡の洞窟も少しみて帰りました。夕方ワシントンホテルのすぐそばに「福州園」という中国式の立派な庭園があり、そこを見てきました。入場料は無料です。

5)14日は早めにホテルを出てレンタカーを返し、飛行場で時間をつぶして、東京に向かいました。羽田では、京浜急行が運行中止でしたがモノレールで帰りました。自宅につきましたが、話の通り、3階の本がかなり妻や息子の嫁さんがかたづけてくれたようですが、それでもかなり大変です。ぼちぼち今日からかたづけをします。

 二酸化炭素温暖化原因説により、二酸化炭素排出を減らすためと称して原子力発電に走った政府や電力会社にとって、危険性があれほど言われながら、原発を増やし続けたつけが来ました。停電によりどれだけ多くの人に迷惑をかけるでしょう。その批判は改めて行います。

 

« 経営人間学シリーズ(15)経営人間学について「ひつめぐ」さんの質問に答えます。経営人間学11 | トップページ | 二酸化炭素地球温暖化説と原子力発電所 追記・閑散とした新大久保  »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沖縄の旅に個人旅行に行ってきました 米軍基地、そして大地震:

« 経営人間学シリーズ(15)経営人間学について「ひつめぐ」さんの質問に答えます。経営人間学11 | トップページ | 二酸化炭素地球温暖化説と原子力発電所 追記・閑散とした新大久保  »

2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック