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2011年5月27日 (金)

比較人生論 真下信一 志位和夫、B、ラッセル、村松恒平 (3)290

Hi3d0130

ベゴニア、奥はイチゴです

三回にわたって、比較人生論を書きましたが、あげている人物もいろいろで、順序もなしに列記してあります。今回は表記の4人についてです。

真下信一

はやはり、『君たちはどう生きるか』に大きな影響を受け、『君たちは人間だ』(新日本出版社)を書きました。                                          「まず、大切なことはまず第一に人間であること、ヒューマニズムの立場に立つことである。人間を無視することなく愛と自由とで、結ばれることが望ましい。しかし人間に関する学問は遅れている」                                                   「人間には三つの大切な要素がある。 1、二本足で立ち手を使って労働すること、 2、人間は社会的などうぶつであること。人間は何より人間関係がたいせつであること、世の中や政治のあり方についてしっかりつかむことが大切である 3、精神性 人間の自覚性、自律性、心の内面を豊かにすること」                                        「何か目的を持ち、生きがいを持って、それの実現のためにわが身をはげます。そういうところに人間らしい生活がある」

B ラッセル

20世紀最大の哲学者とも言われます。私は昔『宗教から科学へ』(荒地出版社)や『ラッセル幸福論』(岩波文庫)を読んで大きな感銘を受けたものです。             

「宗教と科学は社会生活の二つの面で常にたたかってきた」                          「世界宗教は教会、教義、個人道徳のおきてを持つ」                                      「宗教の教義が、科学の理論と異なるのは永遠で絶対的な確実な真理を体現していると主張している点にある。科学は常に試験的なものであり、その現在の理論は早晩改革が必要になると予期することにある」                                            「病気にたいして悪魔や魔女の仕業とし、ドイツだけで10万人の女魔法使いが焼かれて死んだ。実際には異端審問を行い財産をかすめ取ったのである」                       「科学者は科学の範囲を超え他領域が存在することを謙虚に認め、リベラルな神学者たちは、科学的に証明されることはどんなこともあえて否定しないという点で一致している」    「日常的な不幸の起こる原因は大部分、まちがった世界観、まちがった道徳、まちがった生活習慣によるものである。それを正しく見つめ理解することがたいせつである」               「恋愛は自我の固い殻を打ち砕くことができる。自分の最高の幸福が愛する人の幸福につながってくる」                                                  「幸福のためには、あなたの興味をできる限り幅広くする。あなたの興味を引く人や物にたいして友好的なものにすることが必要である」                                 「愛情を受ける人は大まかにいえば愛情を与える人である」                              

 まだまだ沢山の役立つ言葉がありますが、よろしければご自分でお読みください。

志位和夫

『科学、人生、生きがい』(新日本出版社)

「マルクス主義、社会主義は死んだという大合唱があるが、討論としては粗雑である。死んだのではなく常識となったということです」                                   「資本主義の矛盾は、商品主義の無政府状態が全面的に表れる競争の強制的法則、規制緩和、教育に競争原理、農業、中小企業の圧迫などにあらわれる」                         「個人財産の否定ではなく、確立こそ社会主義の目的。目指す社会はすべての人間が人間として尊重され、自己の生き方の統一として尊重され、その能力や素質が全面的に生かされる社会である」

村松恒平氏 『神様学入門』洋泉社 

村松氏が神様にインタビューしたと内容という形の本

「神様は便利屋にあらず(困ったときの神頼みだけではだめ)」                                         「呪いは宅配のピザのようなもの(そのつけは人生で払わなければならない)」              「自分探しはうち側に向かってもだめ、他の存在と出会って認識することができる」                       「いかに生きるかと、ぐだぐだ悩んでいる人より、生き生きとしした生き方をしている人のほうが、ずっと深く人生について知っている」                                       「神を感じ、神を知り、神の恩恵を受けるには今では宗教は必要ない」                 「宗教は代理店であり、代価を要求する。宗教はゲームセンターのようなもの。しかしゲームセンターのコインはお金にならない。」                                                  「キリスト教の原罪説で神はアダムにリンゴを食べてはいけないといっているけれど、食べたくなるのが当然である。本当に食べさせたくなければ、アダムから離しておけばいいのだ。馬鹿じゃあるまいし」                                                   「善も悪も物事の裏と表、“正義”の立場で救世主を待つのはエゴの変形である」                「神は酒、宗教は阿片、そこには非常に手に入りやすい陶酔がある」

 などなど、一部しかのせられませんでしたが、非常に明快で面白い本でした。

いまどき、こんなくそまじめなような人生論なんかはやらないかと思われるでしょう。しかし、時代がいかに変わろうと、受け継がれて感銘を受けるものは続いていくと思います。

                            

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