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2011年5月26日 (木)

比較人生論 五木寛之、石原慎太郎、大川隆法、河合隼雄(その1)

Hi3d0128_2 ベランダ バラがきれいに咲きました

1999年7月の第3回実用的人間学部会で、私は「比較人生論」と題して話をしました。今からもう12年も前のことです。その要旨を人間学研究所通信(HUMANOLOGY)にも書きました。それを基にしてここで改めて書いてみたいと思います。当日参加した皆さんに配布した資料はA4版で26ページに及ぶものでした。この当時はまだワープロを使わず手書きの資料です。私はこの資料を作るために12人、30冊の人生論を参考にして比較してみました。

 人生論とは「人生とは何か」、「人間いかに生きたらよいのか」などについて考察するものです。よりよく生きるための知恵を追及する私の「実用的人間学」にとっても重要なところです。そして人生論はまた、人間は幸福に生きることを求めることが多いので幸福論にもつながります。そして人生論をどんどん真剣に追及していくと、人間とは何かという人間論や世界観につながっていきます。

 比較した人生論の人物は、五木寛之(大河の一滴)、石原慎太郎(法華経を生きる)、河合隼雄(人生ことはじめ)、吉野源三郎(君たちはどう生きるか)、青木雄二(ゼニの幸福論)、大川隆法(幸福の革命)、村松恒平(神様学入門)、渡辺昇一(人生観、歴史観を高める事典)、三木清(人生論ノート)、高間直道(人生哲学入門)、志位和夫(科学、人生、生きがい)B,ラッセル(宗教から科学へ)その他、ゲーテなど10人ぐらいの人生に関する名言ものせました。比較するためにずいぶんと幅広い人々の言葉をのせました。(   )ないは取り上げた著書です。ここで少しだけ、紹介してみましょう。(敬称略しました)

五木寛之氏は

『大河の一滴』で、

「人間の一生とは、苦しみの連続と覚悟して、究極のマイナス状況からスタートすることだ」といいます。この世の中の不幸のもとは、人間関係がばらばらであるということだ。しかし、その中でこそ、人間関係の素晴らしさにふれた時、大きな喜びを感じるのではないか。この世の中ではあれかこれかだけでなく、あれもこれもという立場に立ったらどうだろうか。人間関係を良くするためのユーモアと、涙と励ましと、ときに共に泣いてあげることが必要であるといっています。五木氏は他力本願の浄土真宗の信者です。

一方石原慎太郎氏は

「法華経を生きる」そして五木寛之氏との対談集「自力か他力か」で、「信じる者は救われんなどという安易な他力本願などでは決してなく、自分の抱いている問題、自分を取り巻いている厄介な状況が一体なぜもたらされたのか、その仕組みを自分で探り出し、自分で解決しなくてはならない」といっています。また「法華経の絶対的な法則に身をゆだねてしまえば、現実という相対的な世界~を超越でき安心立命する」といっています。また他人のことに関心がない、私は石原教だといっています。自信満々な石原氏らしい言葉です。

 大川隆法『幸福の革命』、『繁栄の法』(幸福の科学)

「人間の歴史は集合想念で作られる。考え方一つ、心の力が未来を変える」              世の中には邪教と無神論が広がっている。無神論はあの世の恐ろしさを知らないから罪悪感を持たない」                                                    「人間は魂を持った存在であり、肉体は乗り物にすぎない」                         「人間は思いと行いによって人間となる。みなさんも衆生を救う菩薩になってほしい」           以上が大川氏の考えです。 

さて私(こういち)は思います。生き方の問題に関して、宗教と信念の問題は重要です。宗教といっても、ありとあらゆる形がありますが、一般的に宗教は、信仰すること、帰依することが基本です。織田信長がやったように討論させ比較対照などはしません。大川隆法氏の「幸福の科学」によれば、その信者となったとたんに一気に菩薩になってしまうそうです。大川隆法自体が最高神のエル・カンターレで、仏陀でも、へルメス等々であるので、信じればすぐ菩薩になるのは簡単なのでしょう。宗教は麻薬か強い酒のようであるという人がいるが、新興宗教がはやるわけである。大変てっとり早いのです。本当に信仰できた人は幸いであるといえますが、しかしそれができない人は、自分で悩みながら自分の信念を作っていくしかないのだとおもいます。

河合隼雄氏は、

「私」を中心とした「人生学」が必要だとし、それは誰にでも通用する真理などはなく、各人が自分なりの「人生学」を作らなければならないといいます。最近河合隼雄氏の講演テープ集を買いました。「心の扉」といい全7巻です。河合氏の本はかなり揃えているのですが、河合氏の講演は大変面白く、本で読むのと異なる味わいがあります。その第一巻は「自分を考える」となっています。そこに書いてあった言葉です。

そして、「華厳経」にも「自分というものはない」ということが何度も出てきます。「私」というものはいろいろなものと関係していて、例えば、私と私の前にいる人との関係、私と天井の関係、私と床の関係、そういう関係の総和の中で「私」というものができている。だから大事なのは「関係」で、私というのは仮にあるだけだというのです。

 この言葉は『フォイエルバッハにかんするテーゼ』においてマルクスの「人間とは何か」の定義について、「人間とは社会的諸関係の総体(アンサンブル)である」というのに大変似通っているので面白いと思いました。

 その2に続きます

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