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2011年5月26日 (木)

比較人生論 吉野源三郎、青木雄二、三木清 伊藤光晴 その2

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きゅうり、なす、ミニトマト、イチゴ、シソなどです

吉野源三郎

『君たちはどう生きるか』は、若者にとっての人生論の古典ともいう本ですが、大人にもぜひ一読をお勧めします。戦前に出版された本ですが、私が読んだ1998年版の岩波文庫でもすでに43刷となっていました。

「みんな、自己中心的な考え方から抜けきれない。客観的に自分や世の中のことを見られるかどうかなのだが、なかなか難しい。すなわち、自分を地球として見たとき自分を中心に世の中が回っていると考える天動説の誤りに気づくこと、そして地動説に変えることが大切である」といっています。おじさんはそれに気づきつつある甥にコぺル(ニクス)君と名付けます。

「立派な人と立派そうに見える人とはちがう。自分の一生の意味、値打ちについて教えることはできない。大人になるに従い自分で学んで見つけ出していかねばならぬ。人間らしく生きること・・・ははたから教え込めない。自分で生きてみて感じる中で、人の言葉の真実が理解される」と。「そして人はみな、自分の生まれてきた境遇から”自分の考え”をもち、自己中心的な考えから抜けきれないものである。客観的に自分も世の中も見られるようになることは、大変重要なことだ。世の中の人がお互いを理解し、好意を尽くし、それを喜びとする社会を作ろうとする人間をいい人間という」

伊藤光晴氏

 10代のころ『君たちはどういきるか』を読んで強い印象が残ったという伊藤光晴氏は『君たちの生きる社会』で「君たちの生きる社会を考えるコツは、自分と相手を全部取り換えてみることだ」といいます。「桃太郎の鬼退治」の話も、鬼の立場に立って見るとちがった見方がされる。日本人は内に優しく、外に冷たい「桃太郎主義」になりがちではないか」といいます。さて戦前のこの本が書かれた当時は日本は中国に侵略戦争を仕掛けていました。普通なかなかこういう風に考えないものです。いろいろな映画でも簡単な勧善懲悪で敵味方を分けて考えます。白人から考えてインディアンは悪者であるという風に。私も前に書きましたが、スターウォーズなどで、敵の巨大な宇宙兵器デススターを破壊するところが出てきます。その巨大なものに何万人も住んでいたろうになどとは考えないのです。これは平気で広島長崎に原爆を落とすもとになります。

さて再び吉野源三郎の話に戻ります

「人を愛することがいかに自己を成長させるかについては、多くの人が言う。愛することによって、自分の殻を打ち砕いて相手を理解することができる。愛する人を作るには相手を理解しようとする心、おもいやり、自分の心を抑える一つの勇気が必要である」といっています。このような相手を思いやる心がないと結局すぐけんか別れしてしまうのだと私は思います。

 「人間は、自分の行いを決定できる。だから誤ることもある。しかし、それをつらく感じ、克服することによって、人間がどういうものであるかについて学ぶことができる」      以上、だいぶ多めに引用しましたが。いろいろとうるものが多いと思います。今からでもお読みになることをお勧めします。

 もうなくなったマンガ家である青木雄

「ゼニの幸福論」(角川春木事務所)では、幸福であることと、幸福であると思うこととはまるで違うといいます。ただ自分の心の問題で主観的に、幸福であると「思えばいい」と言う幸福論が多いのですが、幸福で「あること」が大切であるといいます。現代社会の中で、厳しい生活環境の中で、苦しんでいる人に、幸福だと思えというのはひどい話です。観念論ではだめで唯物論でなければならないと青木氏は言います。「人間の悲しみは、ゼニで埋め合わせることができない。しかしそのあとの苦労は、ゼニがあれば、なくてすむ」ともいっています。

 三木清

「人生論ノート」も戦前の本ですが、うるところの多い本です。よろしければお読みになってください。新潮文庫で長く読まれている古典的な本です。

以下は三木清の言葉です                    

 「自分を知ることは、やがて他人を知ることである。私はただ愛することによって、他の個性を理解することができる。」                                          「今日の良心とは幸福の要求である。社会、階級、人類等々のあらゆるものの名において、人間的な幸福の要求が抹殺されようとしている場合、幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか。それはヒューマニストであるかどうかの条件になっている」             「『死後の世界があるかどうかはわからない』が正しい。」

さて三木氏は死んだら愛する人に会えるかもしれないか、死は恐ろしくない、といいます。そういう人を持てたことは素晴らしいことです。三木清は戦前の軍国主義国家により、逮捕され、終戦直前に獄死しました。

 三木清は戦前に「人間学」を、日本に最初に紹介した人物です。「人間学」について彼はこのように語ります。「以前の心理学は心理批評の学であった。人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評価することによって、これを秩序づけるというのが心理学の仕事であった。この仕事において、哲学者は文学者と同じであったような価値批評としての心理学が自然科学的な方法に基づく心理学によって破壊されてしまう危険が生じたとき、これに反抗して生まれたのが、人間というものである。しかるにこの人間学も今日では最初の動機から逸脱して、人間心理の批評という固有の意味を放棄し、あらゆる任意のものが人間学と称せられるようになってい。~心理批評が文学者にのみ委ねられるようになった。そこに心理学を持たないことが一般的になった今日の現代哲学の抽象性がある。その再見逃してはならぬことは、この現代哲学の一つの特徴が幸福論の抹殺と関連しているということである。これは戦前の人間学についての批判ですが、これは多くの現在の「人間学」にも批判されるべきところのものです

 さて、ほかにも取り上げた人生論はいろいろあるのですが、とりあえず少しの紹介にとどめます。いずれにしてもこの世での人生は一度限りです。生きてきてよかったという悔いない人生を送りたいものです。そして、生き方を誤らないためにも、自分について、人間について、社会について、たまには本を読み、少しはあれこれ考えて見ることもいかがでしょうか。

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