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2011年5月29日 (日)

自分を知るとは 「ソフィーの世界」死の自覚と生の素晴らしさ(その1)

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現代の日本では、特に若い人たちは、政治のことや社会的関心は薄い代わりに、自分個人に関心が集中している傾向があるとおもいます。これはミーイズムともいいます。そしてその自分を知りたいというところから、「自分探し」などという言葉が出てきました。それはささやかながらでも幸せになりたいという願いから来るものなのでしょう。

 そして、「自分探し」にお手軽なのが、特に女性週刊誌などにたくさん出てくる、占いや、各種心理テストなどがあります。一方自分探しからスピリチュアルとかの世界のほうへ進んでいく人もあります。そして、いろいろな矛盾の根源にある社会の矛盾に目を向けないで、それぞれの流儀の解決法をやってみようかななどと思います。パワーストーンやら魔法やおまじないなどというのも手っ取り早い方法です。

 学校では、よほどそういうことに関心のある先生以外、話してくれません。まして、親兄弟や、友達もそうです。大学の今はやりの「人間学」という学科に入っても、実際の内容は旧態依然たる各専門の教授の講義が羅列されているだけということもあります。

 1995年(平成7年)にノルウェーのヨースタイン・ゴルデルという人の書いた『ソフィーの世界』という本が日本で翻訳され、一時爆発的に売れました。ソフィーはごく普通の14歳の少女で、そこに差出人の名前もない一通の手紙が舞い込みます。そこにはただ「あなたはだれ?」と書いてあるだけでした。それ以後、「私っていったいだれなんだろう」と考え始め、それ以後いろいろ不思議なことがソフィーのまわりで起きてきます。

 ソフィーは鏡の中の自分を見てみたり、自分は何だろうと考え始めます。そして今私はいるけれど死んでしまえばいなくなるということに気づきます。「人は、いつかかならず死ぬということを思い知らなければ、、生きていることを実感することもできない」と考えた。そして生のすばらしさを知らなければ、死ななければならないということをじっくり考えることもできない、と。                                                            

 ソフィーは、祖母が自分の病気を告げられた日に、似たようなことを言っていたのを思い出した。「人生はなんて豊かなんでしょう、今ようやくわかった」

 たいていの人が、生きることの素晴らしさに気づくのが病気になってからだなんて、悲しい。みんなが謎の手紙を郵便箱に見つければいいのに。                           

 これが本の最初のほうに出てきます。そしてその後、次々に「哲学講座」という封筒が届きます。そして「哲学」について、「神話」について、さらにはソクラテス、プラトン、ルネサンスの哲学者たち、デカルト、カント、ヘーゲル、マルクス、ダーウイン、フロイト(他に紹介されていますが省略しました)などと続き、そして私たちの時代として、人間は自由の刑に処されているのだという、サルトルが紹介されます。

ようは哲学史をわかりやすく少女にもわかるように説明してその中にある人間観そしてその中に自分とは何かを探る糸口を見つけ出させようというものです。でも実際に読むとそんなにわかりやすいものではありません。話では対話の相手でもあり先生でもあるようなアルベルトという男の子が登場し、ソフィーと会話をしながら、哲学のいろいろな話をつづけていきます。そして途中からヒルデという同い年の少女とそのパパが出てきます。

 後半になってくると話の主人公はソフィーからヒルデのほうに移ってきます。そして、ソフィーとアルベルトの話は「物語の世界=ソフィーの世界ーファンタジーの世界」であることが明らかになります。最後にソフィーは「ヒルデは幸せね、本当の人間なんだもの…大人になって、きっと子供ができて」アルベルトは言います「僕たちはヒルデのようには生きられないそのかわりぼくたちは死なない」

 ヒルデの世界は、現実に存在し死んでいく世界。ソフィーの世界は不死の世界ですが、ソフィーはヒルデの世界をうらやましく思います。「ファウスト」の中で、「時よとまれ、おまえは美しい、~この至高の瞬間を」、という言葉があります。

 生命のくじを引き当てたものは、死のくじも引かねばならない。なぜなら生命のくじのあたりは死なんです。                                                   

 そして最後の章「ビッグバン 私たちも星屑なんだ」には「(人間は)小さな生命体かもしれないけれど、大きな関連の中の大切な一部として大きな何かの一端をになっているのだ。僕たちは命の惑星なんです。」                                            「私たちは遺伝子をのせて生命の海を行く船なのです、この積み荷を次の港に運んで~」    「全世界が一つの大きなコミュニケーションで結ばれる・・・一つの惑星文明に生きていrことを感じることが大切である」と結んでいます。

 生命の素晴らしさと地球と自然と人々のつながりに関しては、ちょうど現在、手塚治虫のマンガ「ブッダ」とシャカについて展示会が開かれています。私も「ブッダ」は昭和49年の希望コミックス、その後の大きな立派な本、そして文庫版(いずれも潮出版社)と三つ持っているほど好きなのです。

 人間は親からその子と連綿とつながっているそして外の動物なども含め大きな網の目の一つとして存在しているというところが素晴らしかったです。

 「ブッダ」の中で、死ぬ直前にすばらしい景色を見ながら、「この世は素晴らしい、甘美なものだ」という、言葉がとても印象的でした。そして死んだrどうなるのでしょうかという問いに、「人間は誰でも死ぬ、あたりまえのことだ。死ぬということは人の肉体という殻から生命が飛び出していくだけと思うがよい。人間も肉体という殻からはなれて飛び立てばどうなるか生きている間はだから誰にも分らぬ。ただそれからさらに無限に新しい世界が続くはずじゃ。だから死は何も恐れることはない」といっています。

 自分とは何かを突きつめると、有限のいのちと死ということを考えざるを得ません。その中で、この世界で生きていることの素晴らしさを、感じ取り、精いっぱい生きていこうとすることが大切なことでしょう。たとえ病気で余命幾日と宣告されても余計残された時間を精いっぱい生きようとするでしょう。そしてあまり細かいことにくよくよ悩まなくなるかもしれません。このことは自分探しとか言って占いなどにたよるとか、眼先の利益をなにがしかで得ようということよりももっと大きくて大切なものであることがわかると思います。

                      

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