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2011年7月24日 (日)

後漢 光武帝の善政 建武・永平の治 現在の日本と比較する(2)

1、光武帝の基本理念

元元(民衆)をもって首とする(民衆の生活を良くすることが最も大切である)             天地の性 人を尊しとなす(天地の中で人間こそが最も尊い)                                中庸、誠は天の道なり、こを誠にするは人の道なり                                 柔よくよく剛を制し、十なりといえどもかならず強し                             よくない政治を行えば天は災害などを起こしけん責する                              官吏は何のためにあるか、それは民衆のためである

★ 良い意味での儒教政治特に孟子などの立場                                      光武帝の偉さはのちの4代の皇帝までこの方針を貫かせる                                   この政治を実現した、第五倫などの優れた官僚の存在

2、光武帝の政治

建武5年の勅令

1、裁判制度の改革 重罪でない限り裁判の中止                              罪を犯しても率直なものは役人に登用

2、役人の粛清と清廉な役人の採用                                       貪欲で酷薄な役人はすぐやめさせよ                                    大臣や郡の太守でも民を苦しめる不正があれば死刑に                              清廉潔白なものを各郡太守は推薦せよ                                      会計郡で第五倫は鄭弘、謝夷吾を抜擢                                     章帝は第五倫を司空に抜擢、鄭弘を太尉にする」

3、教育の振興                                                    太学(大学)の再興 地方にも学校を多数作る                                   庶民も学ぶことができた 生産力の向上

建武6年

1、社会福祉の充実

 旱と水害により穀物高騰 老人、やもめ、重病人 貧しくて生活できぬものに穀物を与える 地方の役人は 人々が食を失わないようにせよ 公の仕事を起こし民の仕事を確保せよ 穀物は末端の官吏を良くつかみ きちんと届くようにせよ

2、行政改革

人口が減っているのに役人が多すぎる 対策 10の郡国を廃止                        400余県を整理した 経費を縮小 やめた役人の職を確保せよ                         流民を保護し土地をもたせ、戸籍に入れよ

3、平和外交政策と軍隊の縮小

中央政府が近隣諸国との融和政策をおこなう 近隣国が飢饉のときには穀物を送る           (倭国が光武帝より金印をもらう)                                         国民皆兵の常備軍廃止 郡の都尉(軍事の役所)をなくす反乱もなくなったので、警察程度だけで良くなった 世の中が落ち着き犯罪も激減した 軍は全国で5万人に(1割)    兵は郷里に帰り、農業などに従事、新しい開墾を行う 生産力が増大

4、宮殿経費の大幅削減

宮殿を質素に、光武帝も倹約を行う 庶民の魅惑になる狩りをしない               後漢の宮殿の造作は、滅びた蜀のものがあるからそれをつかえばよいといった          死後葬式は簡単に、役人は任地から来なくてよい

5、大幅減税の実施

いろいろな災害で戸数が減少 対策として諸経費の大幅削減により田租(税金)を10分の1税から30分の1税に大幅減税をおこなう

6、治水事業の促進

治水事業を行い、新しい農地が開かれる 建武10年 黄河の堤防修復この後900年間大きな改修なし 戦乱でおろそかになると洪水が起きる

7、農業生産力増大

県の政府は、牛を貸しつけて牛耕を行わせる すきや鍬を鉄製の優秀なものに変えさせる 石臼を普及させる 養蚕や種々の産物の生産を促進、振興                    後漢における科学技術の進歩は著しかった

8、文化の向上、その他の生産物の増大

世の中がおちつき、庶民の所得が増大し、購買意欲が上がり余暇を楽しむことができるようになった。様々な嗜好品の生産が増大 平和により西域より様々な文化、物資が流入  67年仏教も入ってきた

建武11年 西暦35年 奴隷解放令

2月 詔勅 奴隷を殺した場合、ほかの人を殺したのと同じ罪にする                      6月 奴婢(奴隷)解放令 奴婢の売買の禁止 奴婢を解放し庶民とする            10月 奴婢と一般人を法的に同等とする                                   13年には全国に適応させる リンカーン大統領より徹底しています 

建武15年

1、耕地と人口の調査 豪族の荘園の抑制

豪族の土地との不平等廃止、今まで豪族が庶民の土地を収奪、広大な荘園を作る     豪族は奴婢を抱え私兵をもち、官僚の位についた 地方の役人と結託し脱税を行う            戸籍や農地の正しい測量 豪族は反乱をおこす

2、不正を働く官吏、豪族の徹底的な取り締まり 

建武16年反乱の郡太守や豪族10余人を処刑 反乱は19年おさまる

3、外戚の力を抑える

光武帝の皇后陰氏や明帝の皇后馬氏など一族が権力を持ちすぎないように抑える。子供をきちんと育て、光武帝野基本理念を伝えていく

その結果としての天下泰平  百姓殷富

明帝永平12年 この年天下泰平で災害がなく 人々には徭役がなく百姓は富み栄える   章帝建初3年  災害がなく天下泰平 めでたいしるしが次々に現れる

生産力が増大したために税率を大幅に下げたにも関わらず、国や郡の倉庫には、穀物や金銀が充ちた。災害時の対策は万全。

3 悪政に戻る

 章帝の皇后 竇氏が兄を重用 86年に第五倫など清廉な役人が追放される

88年 章帝死去(毒殺?)和帝10歳で即位 92年の失脚まで竇氏一族が横暴を極める

106年 46年なかった農民の反乱はじまる                                      107年 羌族が反乱 軍事費の増大 漢 衰退はじまる                                      108年 河間飢饉 人相食む                                           110年 6年続けてイナゴの害 疫病の発生                                                              184年 黄巾の乱おこる                                                   220年 魏の文帝即位 後漢滅ぶ 

 魏の曹操は、光武帝を大変尊敬していました。自分の代では後漢王朝を倒しませんでした。

 今から1000年近く前の、皇帝政治でも、民のための政治が可能なのである。今の民主主義日本が、明らかに光武帝の目指した、民衆のための政治ではないことが明らかである。中国でいえば豪族(大企業)や官吏のための政治である。光武帝は経費節減して税金を下げた。そして税を払わなかった豪族からきちんと税をとりました。日本のように消費税を上げ、法人税を下げるなど悪政そのものではありませんか。

光武帝のような民をおもう優れた指導者が日本にあらわれてほしいものです。                                                          

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