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2011年7月17日 (日)

山本宣治の「人生生物学」について 実用的人間学の先駆( 哲学的人間学との違い

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私が私の実用的人間学に関連して戦前の学者の中で、特に尊敬している人が三人います。その一人が、山本宣治で、あと二人は戸坂潤と、三木清です。三人に共通しているのは、京都大学を中心に活動していること、当時の軍国主義の中で、自分の信念を曲げず、弾圧をうけてもまもり通したことです。山本宣治(39歳で死)は右翼によって暗殺され、戸坂潤(45歳で死)と三木清(48歳で死)は日本の敗戦の年に獄死しました。もし生きていたらどれだけ、学問の発展に寄与したことかと、残念で仕方ありません。戸坂潤と三木清については改めて書くこととします。

 山本宣治は1889年に京都で生まれました。18歳でカナダのバンクーバーで働きながらダーウインの『進化論』などを学びます。1911年帰国し、三高から東京帝国大学の生物学へ進みます。東京帝国大卒業後、同志社大学の講師となり「人生生物学」の講義を受け持ちました。

 1922年にアメリカのサンガー女史の来日により、労働者農民の中に正しい性教育と産児制限の必要性を感じ、その運動を進めました。当時の政府は産めよ育てよの時代で、山本宣治は右翼からいのちをねらわれるようになりました。

「いくら子供を制約したところで、貧乏そのものがなくなるわけではない。一番大切なのは、安心して子供を産める世の中にすること。働く人々の生活がもっと楽になるように社会の仕組みを変えることが必要である」と山本宣治はいいます。

 産児制限活動から労働運動にかかわり、1924年に京都労働学校校長になります。また同時に全国を講演して回ります。そして1928年には第一回普通選挙で労働者農民党(無産政党)から立候補し当選します。政府は選挙と同時に治安維持法を通し、共産党などへの弾圧を進めました。1929年には、全国農民大会で「実に今や階級的立場を守るものはただ一人だ。山宣独り孤塁を守る!だが僕はさびしくない、背後には多くの大衆が支持しているから・・・」と有名な演説をしました。そして、帝国議会に登院したが発言を封じられ、3月5日、右翼の手により刺殺されました。享年40歳(満39歳)の若さでした。その後共産党員初め多くの人々がが逮捕され戦争へと突き進んでいきました。

 私は西口克己による有名な小説『山宣』を読みました(青木書店から現在は新日本出版社)。私も生物学を専攻していましたし、活動家であり、人間学研究会をやりながら一方では、社会主義の勉強会の講師などをやっていました。山本宣治が単に学者の枠にとどまらず、科学を多くの大衆に広めようとしていたこと、特に、貧乏人の子だくさん状態を解消するために、産児制限活動をしていたことなどに感銘を受けました。この小説にもとづいて、山本薩夫監督により「武器なき斗い」が映画化されました。

 山本宣治はその気さくな性格から、全国の労働者・農民から「山宣」と呼ばれ、愛されたのです。今もその業績をしのぶ宇治山宣会など、多くの人たちによりその墓やかれの業績について、伝えられています。故郷の宇治の墓碑銘は何度も塗りつぶされますがそのたびにいつの間にか彫りなおされました。

 山本宣治の本は全集として何回か出版されています。最初のものは殺された1829年に出版されたロゴス書院刊の全集で、全7巻、そのうちの1,2巻のドイツ人ニコライの本を訳したと「戦争の生物学」と、3巻の性教育、7巻の無産者生物学をもっています。ぼろぼろになっていますが貴重な本です。この本はところどころ×、×、×の伏字のある本です。また1948年戦後間もなく出た選集5巻のうち1刊の「恋愛革命」をもっています。、1979年には山本宣治全集が汐文社から全7巻が出されています。

 山本宣治については、その科学(生物学)をより良き人生のために生かすという、人生生物学や、無産者生物学はいまではあまり高く評価されていないように感じます。しかし私はまさに、同じことをしようと思っているので、大先輩として尊敬し、高く評価しています。

 それでは山本宣治の「無産者生物学」(人生生物学)の内容はいかなるものか、各章を書きだすことで内容の概略を示してみたいとおもいます。

 生物・人類                                             第一章生物学一般の静的考察と其方法

  物のみかた   科学的な物の見方 このなかで、当時の生物学者を批判しています。

 「現代日本の生物学界では、19世紀末葉の英独の重商主義を擁護するにふさわしい石川千代松博士の自然淘汰主義、明治大正日本の卑怯無為なる知識階級にふさわしい世紀末的自嘲に充ちた丘浅次郎博士の科学的定命論(今の婦人雑誌をにぎわす、一山百文の医博連の売笑的イカサマ生物学はおいて問わぬことにしても)それらはいずれも彼らを産み、また彼らを歓迎したその階級の要求を充たすに十分な傾向を、意識的ではないが完全に備えているから、無産者がその科学的外形に惑わされて階級的使命を見逃すことのないよう、研究にさいして注意警戒が必要である」

 「丘氏独特または石川氏独特の「生物学的人生観」が成立し、それにブル(ジョア)大学教授の世界観として使用価値はあるが、無産者の採用して鵜呑みにすべきものではない」         

この文章はこの本を読んで感動したところです。現在もいかにこのような人間論、人間学の本が充ち満ちていることでしょうか。

あと統計的調査法などが書かれています

第二章 種遷変説と資本主義の勃興                                                    第三章 種遷変説の証拠

生物学と産児制限

性と人生統計                                              「人生のための科学」の進むべき道                                        現代日本の社会の構成

メンデルの一生

人生生物学

序論 本能と性の問題 性的機関の解剖および生理 両性の心的相違                新旧マルサス主義 内分泌現象 性的文化に従った生物の分類                      動物における生殖様式の分類 細胞 遺伝学総論 

それぞれ、目次だけを書いて中を書いていませんが、今後改めて重要なところは書いていきます

 いずれにしても、山本宣治は単に、「人間とは何か」と単なる一般論を述べているのではありません。そこがいわゆるいまもある他の「人間学」との大きな違いです。生物学の知識をもって現実の問題解決にどうしたらよいかを示しているのです、この態度こそが私が目指している『実用的人間学』であり、生物学や単なる人間学の範囲を大きく超えて、人々の役に立つ考えを示そうとするのです。それも抽象的な人間一般のためではありません。しいたげられている一般の民衆のための学問であり、知識なのです

追記 生物学的人間学や哲学的人間学との違い

 そして、総合人間学会の役員をやめる顛末 2016年2月追記

 生物学やいろいろな人間に関する学問を基にして、「人間となにか」ということを追求しようとする人間学は、人間学という名前を使っていませんが、山本宣治が批判した丘浅次郎氏や、石川千代松氏の生物学的人間学は、小泉 丹氏に引き継がれました。小泉丹氏は戸坂潤氏が批判した和辻哲郎氏の哲学的人間学とともに、戦前の『人間学講座』五巻(理想社)を発刊しました。これは、戦前の人間学の大きな成果ともいえます。

 しかしそれは、「人間とは何か」についてのそれぞれの研究者の成果の寄せ集めであり、いわば人間に関してのいわば百科事典です。そのようなものは戦後もいろいろ発行されました。私も設立にかかわった総合人間学会の前会長の小林直樹氏(東大名誉教授、憲法学)は憲法学者としては、良心的な立場に立つ方ですが、総合人間学会は政治と距離をおこうとしようということや、結局宇宙から哲学、法律までの壮大な、いわば人間に関する百科事典を出すという哲学的人間学にとどまり、圧政に苦しむ多くの人々といかにこの世の中を変えていくかということはさけているように思えます。また、反唯物論であるマックス・シェーラーなどの哲学的人間学の立場です。戦前の唯物論哲学者の戸坂潤は当時流行の哲学的人間学を厳しく批判しました。

 私は、哲学的人間学的傾向について、暗に批判し、トラブルが起き総合人間学会の理事と事務局次長を辞しました、科学史の鎮目恭夫氏も小林氏の立場を批判して総合人間学会をやめました。小原秀雄氏は唯物論の立場に立っていますが、弁証法唯物論はいいが、史的唯物論はいけない、という立場です。小林直樹氏の東大法学部教授という立場に対して権威にひれ伏すようなところがありました。よく、「何せ東大の法学部の教授だからね」とよく言っていました。

 総合人間学会のできる前は、人間学研究所の部屋を使って総合人間学研究会をやっていました。そのとき私は事務局長でした。私(筆者)が2006年の総合人間学会の創立に関係して学文社から記念の本を出すにあたり(3巻本、編集者、1巻、小林直樹氏、2巻、小原秀雄氏、3巻、柴田義松氏)、「実用的人間学とは何か」ということに関して、本文と資料集(人間学に関係した大学名1欄など)を書きました。学文社の編集者の方もともによくかけているとほめていただきました。しかしながら、当時の会長の小林直樹氏と副会長(第2期会長)の小原秀雄氏は、相談して、私の文章は、没にすることに決めました。なかなか文章の校正の連絡が来ないので出版社に問い合わせたところ、没になったとのことです。小林直樹氏に聞きますと親戚が病気になりうっかりして出版社に出し忘れた、という嘘を私に話しました。しかし、その辺の実情をほかの人間学の幹部の方から聞きました。本文は間に合わないが資料集のほうは柴田義松先生編集の巻に乗せてもらいました。そして詳しい実情を知って、総合人間学会の役員(運営委員、理事、事務局次長をやめました。学会設立のころは、学会事務局は私の所有するビルでしたし、学会設立時は、はじめはいわば取り仕切ってきました。詳しい事情を知る方は、今回は役員をやめるということを引き止めませんと、お話していました。

 ユニークな学会であり、革新的な雰囲気に魅了され、入った方も、失望されて、多くの方が退会されました。設立の時400人近くいた会員も毎年減り続けました。途中、柴田先生の推薦でしょうが、総合人間学会の監査役になりましたが、学会の中で話した内容に関する資料を出したところ、査読者2名に鼻もひっかけないような態度で拒否されました。また監査役も理事会に出ていろいろ意見を言えるというので幹事になりましたが、一度も理事会には呼ばれませんでした。それでは意味がないので、一期で幹事を降りました。今は柴田義松氏の流れをくむ教育学者の堀尾輝久氏がなり、学会の方向も変わってきたように思えます。 

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