イギリスの歴史は多くの民族の混合の歴史 8月追加版 ケルトとの関係
14世紀のヨーロッパ北部です。横向きでみにくくて申し訳ありません。
修正しました。
オレンジ色のところはケルト系(ブリトン人)の住民の多いところです。イギリスの最西端のコーンウオール地区に住むブリトン人の一部がアングロサクソンの侵略から逃れ、北フランスに逃れました。ブリトン人の住むところという意味で、ブルターニュと名づけられました。フランスのブルターニュに対して、もともとのイギリスの地はフランスのブリトン人と区別してフランス語でグランド・ブルターニュ、そして英語でグレート・ブリテンと呼ばれました。これが現在のグレートブリテンの始まりです。
ブルターニュは公爵領として、10世紀から15世紀にかけて独自の国となっていましたが15世紀にアンヌ公が死ぬとフランスに併合されてしまいました。ブルターニュの隣はノルマン人の立てた、ノルマンジー公国で、1066年にはイギリスの王位を奪いました。現在のイギリス王室はその流れです。
フランスのブルターニュ、イギリスのコーンウエル、ウエルズ、スコットランド、そしてアイルランドはケルト系の影響力が大きい地方です。ウエルズなどの沖の海は、ケルト海と呼ばれます。
ダークエイジ・ロマン 大聖堂を見ました。NHKBSハイビジョンで第一回が2月5日で、毎週土曜日10時から放送され、第8回の3月26日までかかさず見てきました。ケン・フォレットの有名な小説でしたが内容が膨大で、映画化は無理といわれていたものを、スコット監督が8回に分けてテレビ番組として作ったということです。原作に忠実に大変お金をかけて作った映画で、そのセットも本物のように素晴らしいものでした。この時代がいつごろなのかを調べてみましたが。1066年にノルマンディー公ウイリアムがイングランドを征服しノルマン王朝をたててから、1100年に即位し1135年に死んだウイリアムの孫ヘンリー一世の後継者争いの話だとわかりました。大聖堂をたてようと決意した修道院長、建築家の一家、そして、魔女とされている母子と、悪役の大司教と伯爵領を狙う貴族が手を組んでの戦いなどが絡みます。
ヘンリー一世は死ぬとき娘のマティルダを後継者に指名しましたが、ヘンリー一世の妹アデラーの子であるフランスのブロワ伯スティーブンが王の遺言を無視し王となりました(ブロワ朝)。その後その王位をめぐってスチーブンとマティルダとの戦いが続き無政府時代(ダークエイジ)と呼ばれました。最後にはマティルダの息子アンリが後を継ぎ1154年にヘンリー二世となり、プランタジネット朝が始まりました。
さて、一口にイギリスといっても、昔はイングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランドなどがあり、それぞれが別々の国であり、正式にはユナイテッド・キングダム(連合王国)とかアイルランド以外をグレートブリテンとか言います。イギリスは多くの民族がすみつき、さまざまな人々や文化が存在します。ここで簡単にその変化を見ます。
紀元前900年ころ、中央アジアの草原から、馬と戦車と鉄器文化を持ったインドヨーロッパ語族のケルト人がイギリス(ブリテン島)に移住しブリトン人となりました。ケルト人は森を神殿とし、最初文字をもたず、自然崇拝を中心とした独特な文化を持っていました。
BC55年に ブリタニア(イギリス)にローマ帝国のカエサル(シーザー)が侵入しBC43年にはローマ領となりました。ローマ人はケルト人を支配していきました。しかし北方のスコットランド地方とウエールズ地方は依然として、ケルト人の支配下にありました。4世紀にはケルト人もキリスト教に改宗しました。
5世紀になると、民族大移動がはじまり、ゲルマン人がフランス地方(ガリアと呼ばれていた)に侵入し、本国イタリアも危機に陥り、409年ローマ帝国はブリタニアの支配を放棄しました。しかし、ローマ人もすべてがイタリアに帰ったわけではなく、アーサー王伝説のようにイギリスの兵士の中にはブリタニアの女性と結婚してイギリスにとどまるものもいました。侵入してきたアングロサクソン軍にたいしてローマの将軍がケルト諸族が連合して戦い、アングロサクソン軍を食い止めたといわれます。アーサー王はそれらの話から作られた伝説で、魔法使いのマーリンは、まさにケルト族を代表します。
500年ころゲルマン人(アングル人、サクソン人、ジュート人)はブリタニアに侵入し、ケルト民族に勝利し、小国に分立し7王国時代となります。アングル人はイングランドの地名のもととなります。英語も彼らの言語を基にして作られました。9世紀の初めにはアルフレッド大王がイングランドを統一しました。しかしウエールズ地方とスコットランドは、ブリトン人(ケルト系住民)の支配下にありました。
1013年 バイキングの子孫であるデンマークの人々(デーン人)がイングランドを征服し、1016年にはカヌート大王がデンマーク、イングランド、ノルウエーの国王となり北海帝国を作り上げました。しかし1042年にはアングロサクソンに倒されました。
1066年にフランスのノルマン人の公国であるノルマンディー公ウイリアムがイングランドを征服しました。それがウイリアム一世でノルマン王朝の始まりです。これによりイギリスにフランス文化が伝わります。次がウイリアム二世で、そのあとがヘンリー一世となり、最初にダークエイジに書いた物語の時代となります。 1154年にヘンリー二世がプランタジネット朝を始めます。
その後、フランスの王権をめぐって、イギリスとフランスの戦い100年戦争が続きます。その間にヘンリー五世やジャンヌダルクの活躍はあり、最終的にフランスの勝利となると、英国内での相続争いである、バラ戦争がはじまります。
1485年にウエールズ出身の王がイギリスを統一し、チューダー朝を始めます。
その後、1282年にはイングランド王国が、ウエールズ公国を併合しました。
1371年 スコットランドにスチュアート朝が成立し、1603年にはスコットランド王がイングランド王をかねてチューダー朝を倒しスチュアート朝が成立します。
、1541年にはイングランド王ヘンリー八世がアイルランド王をかねます。1603年にはスコットランドのジエームス6世が、イングランドジエームズ1世となり、両国が一緒になりました。
17世紀の半ばにはイングランド大内乱(ピューリタン革命)が起きて、戦乱により多くの命が奪われました。1649年に議会派は国王を処刑し、クロムウエルが実権をにぎりました。クロムウエルの死により、1660年にチャールズ二世が即位し王政復古となりました。(スチュアート朝の復活)
1707年にはイングランド、スコットランド、ウエールズ、アイルランドが一緒に成りグレートブリテン国が成立します。
1714年に、ドイツの諸侯で、スチュワート朝の血縁者を王に迎え、ハノーバー朝が始まります。ドイツの領地と、イギリスの支配をかねていました。1917年には現在のイギリス王室につながるウインザー朝となります。この王朝はハノーバー朝の延長ともいえます。
同じイギリス人といっても、ゲルマン人のアングロサクソン、ノルマン朝などの人々は金髪に青い目、白い肌、長身などの特徴を持っており、彼らがイギリスの支配層となり、もとからいる、ケルト系の人々を支配するという構造がありました。ケルト系の人々は、金髪ではなく、やや茶色っぽく、眼も真っ青でなく、それほど長身でもありません。フランスでも北フランスの人々はゲルマン系の人が多く、金髪、青い目、長身です。以前、うちの店にフランス人の一行が見学に来たことがありますが。金髪、青い目、長身の人たちと、それほど背が高くなく、髪は茶褐色、背は中ぐらいで小太りのイタリア人に多い体系の人がいました。プロテスタントのイギリスの金髪の人たちはアメリカに移住し、アメリカの支配層になりました。現在でもヴァイキング(ノルマン系)やゲルマン系の人々が世界を支配しているという構図が続いています。
イギリスのくわしい歴史は改めて書くことにします。このようにイギリスと一口に言っても、さまざまな民族が融合してできたものであり、ウエールズや、スコットランドなどはケルト系の言葉が、現在でも話されております。同じ島国でも日本の場合は縄文系、やよい系(渡来系)の違いがっあっても、アイヌ民族を除いて一つの日本人で、その点イギリスとずいぶん違うということがおわかりになったと思います。
興味深い本 「図説 地図で見るイギリスの歴史」ジェレミー・ブラック 2003年3月
原書房 3900円
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