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2011年9月18日 (日)

早すぎる義理の弟の死 タバコはやはりやめたほうがいいと思います

私の兄弟は妹一人です。その夫で義理の弟になる,ごろうさんが、肺がんのために、おとといの早朝に死去しました。昨年の暮れに会社の健康診断で肺に穴があいているということで診断した結果、肺がんであると判定しました。肺の穴が3センチぐらいで、3期ぐらいになっていたようです。今年一月に複十字病院で手術をしました。もともとここは、肺結核の病院で肺がんにも優れた医療実績があるとのことでした。その後退院した後、何度か脳梗塞の症状があらわれて再入院を繰り返していました。放射線放射や抗がん剤での治療をしていました。なかなか回復が思わしくなく、緩和療法をするために、先週病院に入り、三日後の13日には家内とお見舞いに行き、その時は比較的元気で、病院で、妹と家内も含め4人で昼食を食べました。私と同じハンバーグとフライの昼食をほとんど食べました。

 ところが、三日後の16日夜妹から電話があり、夜中に、ベッドから落ちて、死んでいたということでした。全く少し前に一緒に昼ご飯を食べていて少なくとも年内はもつと思っていたので、びっくりしました。早速家内と二人で、新所沢の自宅に駆けつけました。自宅にはもう遺体が戻ってきており、この前あった状態のままの顔で安らかな顔をしていました。もう葬儀屋さんが来ており、葬式のしだいの打ち合わせになりました。19日、納棺、22日通夜、23日告別式ということでした。義理の弟は私より2歳年下で66歳です。今どきではとても早い死といわなければなりません。これからまだやりたいことがたくさんあったろうに、でも昨年の暮れに肺がんとわかりまだ9カ月ほどでなくなってしまうとは、本当に人のいのちのはかなさを感じます。

 ごろうさんと、いつも名前で呼んでいました。ごろうさんは、46年前大学を出て仕事を始めた時からの付き合いです。私が大学時代にマルクス主義の勉強をし、思想的にその立場に変わったころ、全国的に革新的な運動が高まっていました。美濃部都知事他革新の知事がたくさんでき、その後、東京一区で、共産党の紺野与次郎さんがトップ当選するような時代でした。私は、民青に入りましたが、そのときの大久保地区の班長が五郎さんだったのです。その時の大久保の民青は人数も急速に増えて、活動も様々で、とても楽しいものでした。私の妹もその活動に加わり、その中で、ごろうさんと結婚するということになったのです。ごろうさんは親の仕事がてんぷらやさんで、てんぷらやのごろうさんで「ごろてん」とよばれていました。私の大学卒業後、家業の東京ガスの代理店に入り3年後には専務で店長となり、ごろうさんに会社に入ってもらいました。それから60歳で退職するまで専務として頑張ってもらいました。

 私が、新所沢に新しい会社と店を出して社長となったときには、ごろうさんが店長となりおもに取り仕切ってもらいました。ところがわたしが新しい会社の社長と前の会社の専務をかねていると、十分なうち合わせができず、二人の間の関係がぎくしゃくしたこともありました。そうなると、社内に派閥のようなものができ良くない雰囲気がただよいました。

 そこで、私はごろうさんに、小説『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』(堺屋太一 PHP文庫、)と『小説上杉鷹山』童門冬二 学陽書房)を読んでみてほしいといいました。そこには補佐役の重要性と社内のトップが一致団結することの重要性が書かれています。それを読んだ彼は、良く理解してくれて、自分が今までとってきた態度はあやまっていましたと。その後私の片腕として良く頑張ってもらいました。会社に派閥があるというのは絶対にあってはならないことなのです。そのほかのスタッフにもたすけられ、建築部門を売り上げの3分の1にまでひろめ、かなりの高待遇でありながら業績も高い会社になりました。特にパソコンでいろいろなシステムを作る技術が優れ、本当に助かりました。風呂組合に出てもらいましたが、人望があり、支部長をしてほしいということになりました。

ー補佐役になる人物とうまくいかないときにはぜひ両方の本を読んでもらってみてください

 趣味が多く、ゴルフが好きで、またカラオケでは、若者の歌をいっしょうけんめい覚えて、マイクを離さないということもありました。共産党の活動でも、途中で離党した私と違い、ずっといろいろな部門で活躍していたようです。5人兄弟の末っ子で、わたしとちがい人懐こいところがあり、たくさんの友達ができていました。

 60歳で会社を退職してからは、88キロもあった体重を66キロまでにおとし、ウォーキングに積極的に取り組みました。会社を退職後、新所沢から新大久保まで、歩いてきたこともあります。女子社員に、「ごろうさん、そんなに健康おたくになるとかえって良くないよ」とまで言われていました。ただかなりのヘビースモーカーで、在職中はかなり脂っこいものが好きでお酒も好きで、ということでかなり太っていたのです。

退職後一時煙草もやめたようですがまたすい出してしまいました。がんもできてから10数年かけて大きくなるのでずいぶん前からできていたように感じます。本人は煙草は関係ないよと言っていましたが。どう見ても私には関係があるように思えます。リンパ腺に転移する悪性肺がんには煙草を吸っている人が多いと聞きます。脂っこい食べ物や糖質の食べ物、そしてお酒も影響したように思えます。もちろん煙草を吸っても全部がなるわけではありません。二年前に92歳で亡くなった父も胃がんになりましたが、完治し、死ぬ直前まで煙草を吸い続けていましたが、なくなったのは転んで頭を打って、が原因でした。でもいずれにしても煙草はやめたほうがいいと思います。他人にも迷惑かけますし。私は20歳ごろ煙草を試して、これは身体に良くないと思いすぐやめました。それ以来すっていません。

 いずれにしても、彼にはしたいことがいっぱいあったようであり、まだまだしたいことがいっぱいあったでしょうに、まだ60代半ばで死んでしまうことは大変不本意であったと思います。また、私も近親者で40数年間も付き合いがあった年下の人に先に死なれるのはとても寂しくまた大きなショックです。私も健康には一層気をつけ残された人生を大切にしなければならないと痛感した次第です。

 ごろうさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

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