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2011年11月

2011年11月27日 (日)

稲盛和夫氏の節税に見る日本とアメリカの大金持ちの違い 毎日新聞追加版

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 この記事は、三日前ほど前の新聞赤旗にのっていた記事です。少し読みにくいかもしれませんが読んでいただければわかると思います。いままで、証券優遇税制で、20%の税率であったものを、8年前の2003年に10%に下げていました。2011年の6月に、証券優遇税制を2年間延長する法律を成立させました。その際、配当に関して証券優遇財政が適用されない「大口株主」の定義を、「発行株式数の5%以上」から、「3%以上」に変更しました。財務省は、この改正によって、大株主のうち約1300人が増税になり、所得税で68億円程度の増収になると見込んでいました。3月決算企業の報告書が11月に出そろい、10位までの大株主の一覧表が掲載されます。その結果、1年の間に、保有株式を減らし、3%未満にして証券優遇制度を引き続き受けられるようにした企業が、少なくとも250人いることが分かりました。

 その節税額は33億円にもなります。財務省の増収見込みの4割が消え、まだ変更できるのでさらに増える可能性があります。

 一番多いのが京セラの名誉会長の稲盛和夫氏で昨年は、配当を8億8500万の配当を受けたはずです。それが優遇税制で、一割の8850万円の税金で済みました。今年から「大口株主」となるため、そのままなら総合課税で、2億9千万円の増税になるはずでした。ところが株を売って3%以下にしたのです。稲森氏は証券優遇税制の恩恵で、8年半で6億円も減税されていました。稲森氏は比率を下げるため京セラの株を売り、100億近くの収入もあるはずです。稲盛氏は民主党政権のもとで、日本航空の会長に就任し、労働者を大量に解雇した人物として有名です。(以上「無慈悲に首切り、自分は節税」という垣内 亮氏の赤旗にのった話の要旨です)

 不景気という理由で、賃金を下げ、正社員を減らし、一方大企業では大きな利益を上げ社内留保を増やし続けてきました。大量の株をもった大金持ちは証券優遇制度で、わずかな税金しか払わず、所得格差はどんどん開いて行きました。こういう不平等に目をつむり、一般庶民には所得税増税と、消費税を増税しようとしています。一方大企業には法人税を下げ、証券優遇税制も、ほんの少しばかり変えようとしてもほとんど抜け道で、意味のないものになってしまいました。

 稲盛和夫氏は、京セラ、KDDIの創業者で、民主党の支持者として知られ、特に前原誠司氏の後援者だそうです。最近は民主党に落胆しているそうですが、民主党から依頼されて2010年日本航空の会長となっています。いろいろな企業経営の傍ら、稲森財団を作ったり、若手経営者向けの「盛和塾」を作ったり、臨済宗で得度を受けたり、様々な本を書いたりと、松下幸之助氏と同じような影響力を持っています。

 『稲盛和夫の哲学 人は何のために生きるのか』という本がかなり前に出ていて、大変な哲学だと大いにもち上げていたのが印象に残っています。そして「日本躾(しつけ)の会」の理事(元副会長?)です。

 でもちゃっかり、持ち株比率を下げて節税しているところをみると、違法ではないにしても、アメリカの一部富裕層が「私たちの税金を上げて」と自分たちに増税するように働きかけているのとずいぶん違うなーと感じた次第です。

 これはブッシュ前大統領時代に成立した富裕層減税の撤廃を求めてのものです。アメリカの資産家や企業家200人が参加しています。

 日本でも増税が必要なら、まず第一に証券優遇税制を無条件に20%に戻すべきです。国により30%の国もあります。それでも高額所得者にとっては低い税率だといえます。本来総合課税にするのが正しい姿です。

いったい日本人で、大金持ちがこのような優遇を受けているということをどのくらい知っているのでしょうか。

追記 2011年11月30日 毎日新聞11月30日朝刊記事

 「大株主、配当課税『回避』相次ぐ」 4面 13行7段 目立たないところですが

 「優遇処置廃止受け 保有比率引き下げ」と報じています。11月29日参院財政金融委員会で、共産党の大門実紀史氏が節税額が33,6億円に上るとの試算を示したうえで「課税逃れだ」と指摘。安住財務相は「事実だとすれば、大変残念だ」と答弁しました。

 株保有比率が高い、オーナー経営者などの高所得者は所得・住民税合わせて50%の最高税率が多いとされる。しかし増税処置に伴い株式保有比率を3%未満に下げるケースが続出した。

 ある電子部品大手の創業者の場合今年3月末時点で3,6%所有していたのが9月末には2,9%に低下した。(毎日新聞には書いていませんが、稲盛和夫氏のことです。)

 今年1月以降3%未満に引き下げた大株主は述べ268人で配当総額112億円、そして説税額は33,6億円にのぼる。と書いています。

 ★ 同日の日経新聞朝刊に関連した記事が出ているかどうか詳しく探しましたがどこにも記事はありませんでした。日経新聞だけを読んでいる人は知らないということになります。

追記 : 2011年12月5日 (12月3日 赤旗記事より)

 アメリカの著名な投資家ウオーレン・バフェット氏は8月のニューヨーク・タイムズ紙への寄稿文で「富裕者に増税を」と主張しました。「昨年の自分の連邦税は、課税所得の17,4%だった」としてその負担率が自分のオフィスの社員たちより低かったといっています。(そして自分たちに課税をといっています)

 オバマ大統領はそれを受けて「年収100万ドル(約8000万円)を超える富裕層の負担率が中間層より低くなることを許さない」ということを「バフェット・ルール」と名付けて、税制改革の一つとして掲げました。

 豊田自動車社長の豊田章男氏の所得と税額を推測しています。昨年度の豊田氏の年間所得は、基本報酬が8400万円、賞与が2400万円、ストックオプションが2700万円合わせて1億3500万円。あと自社の持ち株を457万4000株ももっていて配当は2億583万円となります。給与所得は最高税率で40%だが、配当は証券優遇税制が適用され、所得税だけだと7%で、さらにストックオクションには課税されません。それで所得税は5130万円で、15,1%となり、バフェット氏より低くなります。さらに社会保険料分を入れると5438万円で負担率は16%です。住民税を入れても20,7%です。

 一方トヨタ自動車の昨年度の正社員の平均年収は727万1090円で、社会保険料を含めると年収に対する税の負担率は30,7%となり、豊田社長の負担率を大幅に下回っています。

 このような不公平は早急に、解消されるべきでしょう。

2012年2月8日 追記

 niftyの記事の中で、雑誌「SAPIO」の2011年12月28日に掲載された記事で、「『利他』 人のために生きる」という、瀬戸内寂聴さん(89歳)と、稲盛和夫氏(79歳)の対談の本の紹介をしていました。

 二人とも仏教者であると紹介されています。そして、この前の東日本大震災の時に、日本人が利他の精神で活動しているのに感動した、などと書かれています。稲盛氏は「他を利するには、己の欲を抑えなければならない、そして足るを知ることが必要である」と、言っています。そして記事には最後に、「日々『利他』を実践し続けているからこそ、ひびく言葉だ」と称賛しています。

 稲盛氏は、いろいろな所に寄付をしているということで、「利他」で、「己の欲など無い」とおっしゃっていますが、本来払うべき40%の総合所得の課税ではなく、10%しかない、「証券優遇税制」で、いままで優遇され、それを一部が20%になったのを、持ち株を売って、多額の節税をしているのは、はたして利己の欲を抑えて、利他の精神で行われたことなのでしょうか

2013年10月9日追記

 稲盛和夫氏の4年ぶりに書きおろした『燃える闘魂』(毎日新聞社刊)という本の宣伝が各紙に出ていました。ビジネス本で1位となりたちまち8万部と売れているとの新聞広告がありました。少し前の広告ですからさらに売れているかもしれません。

 推薦の言葉で五木寛之氏が「世のため、人のためという『徳』に基づく資本主義は、はたして成功するのか。声は稲盛和夫さんの壮大な挑戦である」

そして、『日航』再建の次は日本再生!逆境を跳ね返す成功の哲学を説く、とあります

『サンデー毎日』の2013年9,15日版では

「稲盛哲学を辿る」という記事があります。

 京セラをつくり、KDDIをつくり、日航を再生させた他に「稲盛財団」をつくり社会貢献を続けている。また「盛和熟」をつくり、稲盛さんの経営哲学を学ぶ場をつくったということです。また稲盛ライブラリーをつくり学びの場を提供したと礼賛しています。

 盛和熟では「そして税金を納めるのが嫌で利益を抑えている会社に「税金を納める会社になろう」と教えていると。

 これからは筆者の感想です。いろいろと極めて立派な人物であると礼賛されていますが。何か違和感を感じるのです。

1、前に書きましたが、証券優遇税制の変更前に、株を売り多額の税金を逃れました。違法ではないが。あまり徳を人に言える立場ではないように思えます。

2、日航再建ではリストラで多くの従業員を解雇しました。それにより多くの人々が失業の苦しみをあじわっています。これは徳のある行いではありません。再上場してからあまりに従業員を減らしたため人手不足が生じているといわれています。

3、日航が極めて早く再上場しました。その結果、日航の株を多量に保有した、自身が経営する京セラが多大な利益をあげました。またご自身でも利益をあげています。これも違法ではありませんが。やはり徳のある行為ではないと思います。

 ということで、何か違和感を感ずるのですが、私だけでしょうか。

TPPについて アメリカと財界のためのもので、国民の生活を圧迫するもの

今TPP(環太平洋経済(パートナーシップ)連携協定)についていろいろと資料を読んでいます。「サンデー毎日」の12月4日版では、「飛び交う離党者リスト TPP戦争 米国の『日本再占領計画』」とか「TPPが縮める『寿命』」とか、毎日新聞の論調と同じように、TPPに対して否定的な内容の記事が書かれています。

 アメリカにとっては大統領選挙をひかえて、なんとか日本の貿易の門戸を開放させ、それによって現在劣勢なオバマ大統領の再選を目指すという狙いがあります。

 日本では、経団連がアメリカへの自動車などの工業製品の輸出がしやすくなるということで、推進しようとしています。一方、農協や、医師会などでは、アメリカの農作物などが大量に流れ込み、日本の農業は壊滅する。また医療の問題でも、自由診療の幅が大きくなり、医療での格差が広がるのではないかという心配もされています。

 民主党の中でも、小沢氏とそれに近いグループや山田正彦前農相を中心とする農業関係を支持母体とする議員などは反対しています。毎日新聞11月21日の特集ワイドで、山田正彦氏は、「米国は日本の貿易障壁をなくして輸出を増やし、自国の雇用を増やすとしている。これまで日本が米国との交渉において、勝ったためしがありますか?米国の言いなりになって、この国のカタチは随分、変えられてきた。

 例えば、大型店の出店を規制してきた大店法(大規模小売店舗法)の廃止。あれで地方の中心部の商店街はどこもシャッター通りになってしまった。製造業での派遣労働解禁などで、正社員が減り、勤務状態が不安定な非正規雇用者の割合が膨らんだ。~TPPは農業だけでなく21分野にも及ぶんです。」といっています。

また面白いのは11月20日付の新宿区新聞では石原都知事の記者会見の記事として

記者 TPPに反対する理由は?

石原 「たとえば遺伝子組み換え食品については米国は「安全だ」と述べている。その根拠がわからない。現在、食品には遺伝子組み換えの有無を表記し、消費者に判断をゆだねている。米国はその表記を「無くせ」と求めている。日本の食生活の安全を脅かして、米国はそれに見合うギャランティー(保証)をどうするのか。

記者 まずは交渉に参加し、そこで見えてくる内容を基に判断するという意見については?

石原 最初からテーブルに着かないわけにはいかない。ただ外務省は対米追随の腰抜けだから。さらに日本の官庁情報は米国に盗聴されている。日本の手の内は筒抜けの状態で、交渉するのは危険だ。

 石原都知事は極めて右翼的な人物ですが、アメリカの言いなりにはならないという姿勢があり、ここで言っていることはもっともなことです。WILLというという雑誌でも1月新年特大号の総力大特集「外交敗北」とTPPで、「TPP賛成派はバカか売国奴」とか「TPPは『日本壊国』宣言だ」などという記事が書かれています。

 毎日新聞11月21日の「風知草」で山田孝男氏は、「豆腐から見たTPP」という記事で、「TPP参加で、豆腐のパッケージから「遺伝子組み換え食品」の表示は消えてしまうのかと心配しています。このことはどうなるかわからないではすまない。アメリカは遺伝子組み換え食品の輸出に熱心だ。日本は韓国と並び大豆の消費量が最も多い国である。供給量の94%が輸入で、産地はアメリカが71%でアメリカの大豆の93%が遺伝子組み換えだ。これは強力な除草剤をまいても枯れない品種。自然界に存在しない、人為的に作り出したタンパク質で人体にアレルギー反応を起こす恐れがある。以前公害が発生、死者が出た例もある。こういうものを食べ続けて子孫に影響が出ないのか。」という記事を書いています。

 韓国では、韓国与党のハンナラ党が野党の強い抵抗を押し切って米韓自由貿易協定[FTA]の批准同意案を強行採決しました。アメリカは乗用車の輸入に2.5%の関税をかけているが、この協定で5年目から0%に下がる。こうなると韓国の自動車産業は日本よりかなり有利となる。日本でも韓国に負けないためにも早くTPPを成立したいわけである。

 アメリカの農業は、政府から多大な補助を受け、遺伝子組み換えをした作物を、大規模生産しています。現在の日本の農作物が、高い関税に守られているのが、撤廃されると、日本の農業は大きな打撃を受けます。政府は、それに対抗するため、大企業が農業に参入することを許可し、大々的な生産を行うことで対抗しようなどとしています。これはすでに他の産業でやってきた独占と集中を農業でも行おうとするものです。

 農業だけでなく、医療の面や、保険関係他に様々な分野で、今まで日本が、守ってきた制度を、アメリカの圧力で、アメリカに有利なように変えさせられてしまう可能性があります。野田首相は、もうすでにアメリカで言っていることと、日本で言っていることが違うと指摘されています。国民の命を守れるかどうかの極めて重要な問題が、内容を国民にはっきり提示しないまま、ずるずるとアメリカのペースで、すすめられてしまうのは大きな問題です。このような重要な問題は、衆議院を解散して、TPP参加が良いのかどうかを国民に信を問うべきです。

2012年3月6日追記

『反TPP論』 小林よしのり 2012年2月25日 1500円 幻冬舎

 この本はゴーマニズム宣言SPECIALとして書かれたものです。私のブログに対してのコメントでも、TPPはむしろ参加すべきではないかという方もおられます。しかしこの本を読めば、TPPがいかに一般庶民にとって、ひどい害悪をなす可能性があるのか、大変わかりやすく書いてあります。中の説明を読んでいくと、共産党機関紙の赤旗に書いてあることとほとんど同じです。驚きました。もちろん最後に、政治家も官僚も頼りにならないなら、国民自身の手で何とかするしかないと言っています。しかし国を守る最後の手段を、一人の男が教えてくれたということで、不平等条約を推進しようとした大隈重信に対して、爆弾テロを仕掛けた、来島恒喜を称賛しているのは、もちろん私と違いますが、なぜTPPが日本にとって極めて危険なものかについてはわかりやすく書いてあります。TPP賛成と思う方はぜひ一度読んでみてください。

2011年11月25日 (金)

高塚 光氏の超ヒーリングDVDをめぐって、 田口氏の批判にこたえます。

わたしが、9月15日付で書いたブログ「高塚光氏の超ヒーリングDVDを見てみました 本当に超能力あるのかしら」は多くの方に見ていただき、アクセス数は今日現在で、1200件ほどになっています。11月16日には「通りすがり」さんから、よくわかったと感謝のコメントをいただきました。11月24日には田口裕康氏からのコメントがあり、私のブログに対しての批判が書かれていました。本来なら、そのコメントのあとに続けて書けばよいのですが、かなり長くなりますので、新しいブログとして書くことにしました。

 田口氏のお話しの要旨を書いてみます。

1)人を断定的に扱うのは低劣な大槻教授と同じ「超能力」は本人が言うよりむしろ世間である。

2)物事の本質が見えない人たちの前に姿をさらすのは危険この上ないことだ。過去に同様な人たちがいる。(高塚氏のことでしょうか?)

3)100万円いるわけではなし、自分の眼で確かめて値段に相応しくないようであれば、意見を公にするべき 自分が経験もせず知見に反することで、揶揄する言い方はやめよ。

4)田口氏も高塚氏と同じような「遠隔治療」の実践者である。

5)治癒に至るのは、プラシーボ効果など起こり得ない症例も多く見ている(病院入院中の夫に妻から依頼)

6)でも怪しいのは事実なので、依頼者は直接お目にかかった人のみに。

7)方法や目的が違え、人だすけで無償で「手当て療法」をしている友人や気功治療20年のベテラン女性、アジア古武道と古医学をやっている友人など多数いる。

8)通り一遍の誰でも述べそうな中身のない意見なので、申し上げてみた。

以上のような内容です。

 私は人間学研究の一環として、超能力や気功などに興味を持っていまして、本も沢山買い求め、読んでいますし、人間学研究会で講師の方にお話ししてもらったり、以前、人間学研究所を、梁蔭全(『気の超科学』1992年 講談社)という中国の気功師のかたの研修会場としてお貸ししていた関係もあり、いろいろ見聞し、自分でも取り組んでみたこともあります。外気功の人に治療してもらったことも何度かあります。

 今までいろいろ読んできた結果、今私がもっともだなと思っている本があります。それは『気功学の未来へ』焦国瑞対談集 1990年12月 創元社)です。焦国瑞氏は中国で医師として活躍する傍ら気功を発展させ、世界的にも有名な方です。焦氏は言います。P47-50

 「外気治療について。気功で病気を治すことはできる。自らが鍛錬する方法での内気の鍛錬、もう一つは外気治療です。でも外気治療にはどんどん極端になり、距離がうんと離れても治ると大げさに言う人がいる。

 高血圧の人がいて、その人は私の功夫を信じているとします。それで、私は外気治療をするようにその人の身体に掌を向けます。そうすると非常に気持ち良くなり、血圧は10や20は下がるでしょう。~実際にそういうことは起こるのです。 たとえば100人の高血圧患者がいるとして、私が上から下へ手をうごかすだけで95人の血圧を下げることが可能です。

 しかし私の見方は他の人とは違います、このような外気治療の作用の主要な部分は、心理上の作用 (注1)であると私は考えています。 私は外気を否定しているといわれますが私は否定したことはない。しかし今の問題点は外気がどんどん大きく拡大して考えられているからです。

 ある気功師が私と握手すれば私の気があなたの身体に入って、病気が治りますと。しかしそんなことがあれば、苦労して何年も内気功を錬行する必要はありません。

 私はそれを読みその通りだなと思いました。外気功は心理的な効果なのです。プラシーボ効果というのも、心理的なものです。立派なお医者さんだと思えれば思えるほど、プラシーボは効きます。また私は、心理的なもの、プラシーボ効果を全く否定しているわけではありません。プラシーボも治す効果があることは事実なのです。特に心理的に良く効くと信じているほど良く効きます。また笑うこととか、泣くことによって、免疫力が高まることも科学的に証明されています。

 しかしそれはあくまでも心理的なもので、万人に効くものではありません。田口氏の言う、自分が何も経験せずに、揶揄するような言い方をやめるべきだといいますが。私はあくまでも、『壮快』という雑誌を買ってきて、DVDを見ながらその指示する通りにやってみたのです。田口氏は、それだけでなく実際に高塚氏にヒーリングをやってもらえというのでしょうか。私は永年腰痛や膝痛になやんでいて今日も整形外科からの帰りですから、DVDで治れば、そんなにいいことはありません。でもやってみましたが残念ながら治りませんでした。もちろん治った方もあると思います。それはそれでとても結構なことです。ただみんながそんなに簡単に腰痛が治るなら、何も整形外科に高いお金と手間をかけて治療する必要などないのではないでしょうか。

 私は重ねて言いますが「手当治療」や宗教(ルルドの泉など)も含め、頭からすべてを否定しているわけではありません。心理的なものはかなり、病気に影響しますから、そこが変わると病気が治ることを否定しません。しかし、治る人もいるし、治らない人もいます。すべての人に大きな効果があるなら、医療費の大幅な削減になるから、鍼や灸のように病院での医療に加えているはずですが、いかがでしょうか。

 高塚氏はもう超能力などとまったく縁がないと言っているのでしょうか。もしそうなら、雑誌や新聞広告などで超ヒーリングだとか超能力者などという表現をやめさせるべきです。高塚氏が現代の科学を否定した超能力者の立場でいると思うから、私は批判しているのです。田口氏のような方が超能力ということでなく、それが心理学的な効果も大いに含まれるのだと、認めたうえで、無償で治療されるとしたら、大いに私は評価いたします。

 私の見解に対して田口氏の反論をお待ちしています。

注1 この心理上の作用は「暗示」ではないかと思います。人間は本人が意識していない世界、無意識の世界で動かされていることが多いのです。

2011年11月22日 (火)

私たちの身の周りの変化 独占と集中がすすみ格差が増大 新自由主義(370)

新大久保の街の変化

私たちの身の回りの変化を見てみますと、戦後から66年たって、驚くほどの変化があります。私は昭和18年2月の生まれで、戦前の記憶は全くありません。しかし、戦後66年間の変化は身をもって感じ取ってきました。私は以前にも書きましたが、まず自分の周りの街の変化と仕事の変化を書いてみます。

 私の家は100年ほど前に新潟の長岡で桶屋をやっていた曽祖父が新潟から、すでに、先に東京の大久保の地に来ていた祖父を訪ねて来たことから始まります。そして桶屋と井戸掘りの仕事を始めます。祖父は一時東京を離れ、大阪に行き結婚しましたが、曽祖父が病気で倒れたので東京に帰ってきました。関東大震災の時に、下町は壊滅しましたがこのあたりは地盤が固く、家は壊れませんでした。それ以後、下町から引っ越してくる人が多くなり、この大久保百人町の地も人口が急速に増えてきました。井戸掘りの仕事も桶屋の仕事も大忙しだったようです。戦前は、閑静な住宅街で、有名人も多く住む高級住宅街でした。しかし戦争でこのあたりはすべてまる焼けになってしまいました。

 戦後は戦争に行っていた父や叔父が帰ってきて、再び、桶屋を再開しました。風呂桶は住み込みの職人さんも多くかなりの量を生産し、販売、卸とをやっていました。町には戦前も商店がびっしり並んでいましたが、戦後もいろいろな商店が軒を並べていました。(詳しくはこういちの人間学ブログ「大正、昭和、平成を生き抜いた父の死」2009,12 をご覧ください)

 新大久保の駅前通りから横道まで個人商店の店がたくさんありました。普通の買い物は、近くの店でみんな揃いました。うちは、東京ガスの下請けのサービスセンターとなり、お風呂の製造販売はやめました。その頃には新宿区だけでもそういうサービスセンターが8店もありました。しかし、担当地域のお客様に比例したガス器具の売り上げ目標を達成しない店は、どんどんやめさせられていきました。また、東京ガスの仕事の労務提供の仕事が多く、手数料が上がらないために、採算が合わずやめていく店もありました。新宿区では3社、隣の渋谷区や目黒区では、一社のみがのこるという状態でした。そしてつい行政区ごとに東京ガスの資本が入った合弁会社に組み込まれ、私の会社も単なる持ち株会社になりました。

 今は、韓流ブームで借り手があっていいのですが。他の商店街では、郊外の大規模スーパーにより駅前の商店街がシャッター通りになってしまっています。これは規制緩和で、大店舗に有利なように法律を変えたからです。

独占と集中

 昔は私の店でも電気製品を売っていたことがあります。電気のエアコンはかなりの台数を売りました。一時は店頭で松下電器の電気製品を売っていたこともあります。ところが途中から、大手の量販店で売っている価格のほうが、じかに仕入れるよりやすくなり、販売は断念しました。

 少しでも大量に仕入れたものが、メーカーにたいし仕入れ値を安くさせることができます。町場の電気やさんは、到底太刀打ちできません。お年寄りで、電気のことなどなんでも来てくれるということで、多少とも高くても買うという以外は無理になりました。現在では明治通りからお滝橋通りに至る大久保通りで、電気屋さんというのは一軒もありません。大型店でも新宿ではヨドバシカメラ、ビックカメラ、ヤマダ電機の三店が競争し、中堅どころの量販店などはつぶれてしまいました。

 そのほかでも、衣料品はユニクロがその圧倒的な安さで、他の衣料品店を圧倒しています。ドンキホーテや100円ショップなどの安売り店も、ほかの小売店では太刀打ちできません。食べ物もマグドナルドなどの店がどこにもあります。新大久保の通りでも、今までの食料品店は姿を消し、コンビニばかりです。大久保通りでも魚屋さんや、肉やさんもありません。八百屋が二軒ほど、パン屋さんも二軒ほどです。昔はそれぞれのお店でいろいろな商売をしていましたが、私のところを含めほとんどが商売をやめ、貸しビル業になっています。寿司屋さんも普通の寿司屋さんがやめチェーン店の回転寿司になり、それも減って、今は全くちがう韓国系の店になるという状態です。持ち家の商店はかろうじて商売をやっていますが、それも後継者不足などで、やめて行っています。

 日本人の経営の商店が激減し、周りの住民は3分の2以上が外国人という状態で、お祭りなどを維持するのが大変になっています。

 以前は、商店のおやじさんや、中小企業の経営者は自分の仕事に誇りを持ち、堂々と生きていたと思います。ところが、自民党などが、規制緩和でどんどん大規模店を強化するようになり、商店は一部を除き、採算が合わずみんなやめていってしまいます。その結果、労働者になるか、年金だけで生きていくようになります。

 現在はどの業界でも、一部富裕層の豪華品か、極めて安い商品に売り上げが二極化して、その中間はへりつつあります。昔は、靴やさんや、洋服屋さんなどが近くにあって、自分にあった靴や洋服を作ってもらったものです。今はそんなことをしたらとんでもなく高いものにつきます。今円高で、中国製品を中心として輸入品がとても安く出回っています。それで日本の地場産業はどんどんつぶれていきます。身の回りの品がどんどん下がるデフレのために、大企業はどんどん労働者の賃金や下請けの労賃を下げ続けています。そのため国内の需要は高まらずずっとデフレ・不景気は続きます。その一方で、大企業は社内留保をどんどん増やし続けています。円高で、海外の会社を買収したり、海外に進出している企業も大変増えています。

 参考 : 韓国は日本よりもさらに独占と集中が進んでいます。韓国の輸出は現代自動車、LGなど4代財閥が全体の70%を占めています。日本では非正規社員が30%なのに対して60%で、定年も早く、失業率が増大し、いろいろな問題点が生じているとのことです。『超格差社会・韓国』九鬼太郎

新自由主義と、グローバリズム

 このような事態を引き起こしているのは、1980年ころに始まった、アメリカ大統領のレーガンやイギリスのサッチャーが始めた新自由主義に基づく経済政策によるものです。新自由主義とグローバリズムについては改めて詳しく書きますが、新自由主義は1930年代にケインズ学派の経済政策を批判した、ミルトン・フリードマンやハイエクらのシカゴ大の学派の提唱する政策で、市場競争の原理を進め、多くの政府の部門を民営化し、政府を縮小しようとする政策です。そして、金融市場が、企業経営の絶対的な支配を行い、企業は株価の上昇と、株主に最大の利益を生み出すことだけに集中しようとするものです。政府の社会的福祉の側面は見失われ、労働者は使い捨ての材料となるものです。

 そこに世界のグローバル化という側面が加わります。グローバル化とは、多国籍企業が地球規模で、経済活動を行い、自由貿易、市場経済至上主義を全地球に拡大しようとするものです。1991年にソ連が崩壊して以後、アメリカの多国籍企業を中心に、各国の政府に干渉し、市場の寡占化、独占、固定化を狙うものです。多国籍企業はアメリカの政府を後ろ盾に、それぞれの国の政策に干渉し、有利な方向にもって行こうとします。

 今では、少数の多国籍企業と、金融マネーを操ってファンドなどで巨額な利益を得ている少数が世界の富の多くを所有するようになってきています。この新自由主義と、グローバル化で、世界を支配し利益をむさぼろうとしています。そしてその利益を政府に働きかけ低い所得税とさせ、あるいはタックス・ヘイブンを利用して脱税をしています。

 この事態に、アメリカの富裕層の中では「私たちの税金を上げて」と年収100万ドル以上の富裕層が自分たちに増税するように運動を始めました。ブッシュ前大統領時代に、富裕層の減税を行ったためです。富裕層の税率が、他のものより、税率が低くなっているのです。日本でも、証券優遇税制による、証券取引などで得た利益にわずか10%しか課税していません。30%の国も多い中で、もともと20%の税率を10%に下げ、1億円儲けようが税金は10%でいいのです。こういうものを戻さないで、消費税を上げようなどというのは、野田内閣の性質をよくあらわしています。

 日本では、中曽根康弘が三公社の民営化を行い、小泉純一郎と竹中平蔵は道路公団や郵政民営化を行いました。その中で、派遣労働者の範囲を大幅に広げるなど、所得格差を大きくするもとになる政策を行いました。そして、続く自民党内閣でもそれを推し進めていました。

 庶民の暮らしがますます苦しくなり、その政策の矛盾にようやくきづいた人々の不満が、民主党政権の実現をもたらしましたが、経団連などの財界、官界、大マスコミなどが総反撃し、結局見事に成功し、自民党と政策的にほとんど変わらない野田内閣を実現しました。野田内閣は早速、消費税増税と、法人税減税、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加を表明しました。これはアメリカ政府と多国籍企業などの新自由主義、グローバリゼーションにもとづいた政策そのものから由来するものです。

 野田総理は二枚舌でまだ決めたわけではないなどといっていますが、実はもうアメリカに明快な承諾の返事をしているのです。しかしそのような事はみんなお見通しで、その結果支持率はどんどん下がりつつあります。

 大マスコミの影響力は極めて大きく、今の政府に有利なことを報道し、不利なことを報道しません。みな報道に惑わされ、小泉元首相がいかに庶民の暮らしを悪くした元を作ったかなどを思わず、小泉さんは良かったなどとおもわせています。これらの、一般庶民の気持ちと実際の政治の大きなかい離をもたらしたのは小選挙区制です。民主党、自民党は、さらに少ない票でも大きな議席がとれる選挙制度に変えようとしています。

 しかし世界をみれば、アメリカのニューヨークでのデモや、南米でのアメリカの大企業と一線を引いた政府が続々と誕生していること、EUでもアメリカの思うようには行かなくなっているなどがおきています。日本でも、今の政治がどのような仕組みで行われているのか、いかに庶民の暮らしを、圧迫し、大企業やアメリカが好むように、そしていいなりになっているのかを知っていただきたいとおもいます。

 ★TPPなどの詳しいことは改めて書きます。

 参考書など

 『グローバリぜーション・新自由主義批判事典』

    イグナシオ・ラモネ他  2008年8月 2800円 作品社

 らばQ 「どうして反格差デモや暴動が起きているのか?」

  http://labaq.com/archives/51710178..html

   ここでは所得格差の実態など様々な資料が図示されています。ぜひご覧ください。

 

2011年11月19日 (土)

人間学研究所12月合同忘年会と2012年1月例会のお知らせ 追記

人間学研究所合同忘年会

 実用的人間学研究会と、新教育人間学部会合同の忘年会を開催します

日 時 : 2011年12月9日(金)18時より

場 所 :女子栄養大学内 松柏軒 大学構内4号館5階

料 理 : 和会席料理

会 費 : 5000円

★ 12月6日 現在 28名の方のお申し込みがありました。盛大な会となると思います                      

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★JR駒込駅北口下車3分 地下鉄南北線駒込駅5番出口

追記:忘年会の参加者は26名でした。大変おいしい料理を、和やかに懇談しながらいただきました。

第40回 実用的人間学研究会例会

日 時 :2012年1月19日(木) 18時より

テーマ :  「日本の戸建て住宅」 

講 師 : 江原 正忠 氏  エバー株式会社 取締役会長

懇親会 : 新年会を兼ねて 「あうん」 大変おいしい料理です

       会費 3000円 飲み物は各自払いです

* 第39回例会は 杉藤晋一氏にお話しいただき11名の方が参加されました

第79回新教育人間学部会

日時 :2012年1月27日(金) 18時から

テーマ :「フランスの学校教育地理から 今学ぶべきこと」

講 師 : 生田 清人氏 駒沢大学講師 元開成高校教諭

懇親会 : 越路

* 第78回例会は、麻生信子氏にお話しいただき10名の方が参加されました。

◎ 両例会とも、場所は人間学研究所

人間学研究所 

 〒 169-0073 東京都新宿区百人町1-3-17

              佐竹ビル3階

     電 話   03-3209-1888

     メール    pcr92240@nifty.com

           お問い合わせは 佐竹まで 090-6549-2677

     

2011年11月18日 (金)

腰痛の主な原因は椎間板ではなく、ストレスと脳? NHKためしてがってん

2011年11月16日のNHKの「ためしてがってん」は「1300万人に朗報、ついに発見、椎間板は腰痛の真犯人ではない」というものです。

私も永年腰痛と膝痛に悩み、週に一度は整形外科に通い、腰けん引、腰の低周波治療、時には痛み止めの注射もしてもらいます。レントゲン、MRIとかとるとこれはかなりひどいですね、と言われます。ただ手術というほどではありません。先日、山東省の旅行に行きましたが、きついところは行かずに時々休んでいる状態でした。腰やひざが痛いとどうしても、歩くことがおろそかになりさらに身体が固くなって、痛むという悪循環のようです。ということでこの番組に期待してみました。

 中年女性の川端さんは、くしゃみから腰痛となり、椎間板ヘルニアと診断され、手術をしましたが、ヘルニア切除後5年たっても腰痛は治りませんでした。

 松本守雄(慶応大整形外科)氏は、腰痛のない人130人腰のMRIで検査したところ、80%もの人が実は椎間板ヘルニアがあり、神経を圧迫しているのに、痛みを感じていないということが分かったといいます。

 ある女性看護師は腰に椎間板ヘルニアがあったが、半年で回復し痛みがなくなったといいます。その原因は、マクロファージ(白血球の一種で、異物を食べてしまって排除する)が、飛び出した、ヘルニア部分を食べてへらしてしまったというのがわかったといいます。

 牛田氏(愛知医大教授)、上記の例はヘルニアが大きいほど、マクロファージの働きが強いということがわかったと。でもそれがわかったのは、最近であるといっています。

 ただすべて手術が要らないということではなく、1、しびれや麻痺が強いとき 2、転びやすくなったとき 3 しびれで排尿困難になるなどの症状が出ているときには手術は必要であるといっています。しかし、腰痛の85%が実は原因不明で、椎間板ヘルニアによるものはわずか5%であるというのです。

 紺野愼一(福島県立医大教授)は50年に一度の大発見として、「腰痛の原因の多くはストレスによる脳の活動低下が原因である」といっています。ストレスが続くと脳の側座核がはたらかなくなる するとオピノイドという鎮痛作用のある物質がでなくなってしまう。すなわち 腰から来る痛みの信号を抑えていたのが、抑えがきかなくなってしまったということなのです。

 側座核とは、快楽中枢とも言います。ここに、コカインやアンフェタミンなどの物質がはいるとドーパミンが増加してくる。すなわち快楽が増し、そのことがコカインなどをやめられなくなるもとになるのです。

 中年女性の高橋さんは腰痛から、布団から出られないほどのひどい痛みでした。ところがある日、旦那さんが子犬をプレゼントしてくれて、今まで自分の腰の痛み、しびれにだけ関心が行っていたのがそれいご、関心が犬に注がれ、少しづつ動くようになり、いろいろな要因で腰痛が軽減して行ったというのです。そして犬と散歩にも出られるようになり、さらに良くなっていきました。

 紺野氏によると、原因不明の85%のうち、3分の1はストレスが腰痛の原因であるとわかったといいます。旦那さんが帰ってくるまで寝ないで待っているとか、病気の不安、仕事の不安、医療に対しての不信、それに痛みの悪循環が続いてしまいます。旦那さんがおきていないで早く寝ていていいよということで、腰痛が軽減することもありました。

 痛みと、それによる活動低下、それに対してのまわりの理解不足などの悪循環が続きいつまでも、治らないということになります。

 側座核は楽しいことがあると活性化するところです。ただ安静にするより、できるだけ動くようにして、楽しいことを求めながら治すことが大切だといいます。オーストラリアではそういうキャンペーンが成功しているそうです。

 確かに痛みというのはあくまでも脳で感じるものです。どんなに痛みの原因があっても、神経が切れていたり、神経ブロック注射をすると痛みを感じません。逆に腕や足がなくなっているのに、なくなった腕や足の痛みを感じるということがあります。

 ストレスが大きな原因といいますが、あまりストレスを感じていない(と思っている)私はどうしたらいいのかとも思いますが。でも気分明るく、もっと運動して、筋肉をゆるめる必要を感じます。

 

2011年11月16日 (水)

山東省旅行 (3) 日本との違い高速道路を無灯火バイク、 トイレに等級

山東省旅行で感じたことをいろいろ書いてみます。

(1)貧富の差が激しい 急激な人口移動

 今回の旅行では、延々とバスに乗っている時間が多かったわけですが、バスに乗っている時間の長さは、外の景色を眺める時間が多いということになります。これは、山東省にかぎらず、中国どこでもそうですが、貧富の差が激しいということです。

 中国の地方を、走っていると、目につくのが、長屋式の商店です。間口が狭い店舗の上に住居がある形です。夕方走ると、店の中は裸電球がちらほらという感じで、とても暗くて、はたして商売やっているのかどうかという感じです。もう完全に商売をやめて、空家になっている店もとても多いのです。このところの中国の急激な経済成長で、都市部では依然として、超高層ビルの住宅が作られています。地方の細々と農業や商店をやっているのでは生計が成り立たず、都市労働者の必要な都市部に急激に人々が移行しているということです。しかし、都市に移った労働者は低賃金で労働はきつく、子供たちは、公立の学校に入れてもらえず、彼らだけのちいさな学校でほそぼそと、教育をうけ、でも中学はないので、中学になると、祖父母などののこる田舎に戻らなければならないなど言う現実があるそうです。

 都市部のマンションは以前の倍近くに値上がりし、とても庶民には手が出ない高さになっています。ところが中国では、結婚する条件として、男性が持ち家(マンション)をもっていること、というのがあって、一人っ子の息子のために両親が必死で、家をもたせようとするらしいです。バスの中での旅行社のガイドさんは、日本に来て稼いで、早めにマンションを買っておいてよかったと、かならず言います。

(2)中国に多いオート三輪車

 日本では絶滅した、オート三輪が中国にはまだ多いということです。一つは自動車としてのオート三輪車で、日本でも昔走っていたものです。かなりの量、走っていましたが、新車はみませんでしたので、日本ならとっくに廃車にする車を乗り続けているのだとわかります。もう一つは、50CCのバイクにリヤカーをつけたような三輪車?です。そこにほろをつけたりいろいろな形があります。田舎のほうでは、その車は大活躍で、4車線の高速道路などでもトコトコ走っています。幹線道路の道端でその車を止めて。野菜や果物を売っています。まだ新しいものすごく小さい乗用三輪車も見ました。写真撮れなくて残念でした。

(3)無灯火、ノーヘルメットでバイクや自転車が走る 事故現場も

 高速道路料金をとる、幹線道路でも、日本のように、一般道路と遮断されていません。ですから、その道路に、自転車やバイクが走っています。夜になっても、その自転車やバイクはライトをつけません、というか自転車にはライトがないのです。高速道路には道路灯がついていないところも多く、そこを、無灯火のバイクや自転車に子供を乗せた、お母さんが走っていたりします。日本では考えられないことですが。車がやたらと多いのと、車優先で、歩行者も信号関係なくわたってというのを、皆さんもご存じでしょう。さぞ、事故も多いことだと思います。途中車が渋滞しているなと思ったら、事故で、車が二台、道路からおちて畑に突っ込んでいました。

(4)はでな中国の結婚式

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 旅行の途中で、昼間、音だけの花火の音を何度か聞きました。それは、結婚式で花火を上げるそうです。初めての結婚では11時28分とか最後が8のつく時間に打ち上げ、再婚は午後に打ち上げるのだそうです。中国では結婚写真を大事にして、式場でとるのだけでなく、有名な公園などでも写真を撮ります。それで青島の有名な公園では何組もカップルがいることになります。結婚するには年齢制限とかがあり、国の許可証が必要だそうで、吉日を抑えるのが大変だそうです。そのいい日を抑えておいて人に売る商売があるそうです。いずれにしても結婚式は大掛かりで、お金もずいぶんかかりそうです。

(5)蓬莱と観光地のレジャーランド化

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 なかなか面白かった観光地は、一つには煙台市から1時間かけていく蓬莱でした。蓬莱には、蓬莱水城(倭寇城)があり、倭寇に備えた現存するもっとも完全な水軍基地です。城壁があり、そこに大砲がたくさん置かれています。その頂上部分に蓬莱閣があります。古来から「仙境」とよばれ、秦の始皇帝が仙人と不死の薬を求めてきたという、古来からの建築群が残されています。なかなか面白いところで今まで、日本のパックツアーでは行かなかったところです。

そういう歴史的なものに加えて周辺に真新しい、レジャーランドのような中国の建物を再現した新しい施設がたくさん作られていて、日本ではそういう新しいものにあまり人は入らないのになーと思いました。

(6) 濰坊(いぼう)の楊家 大観園

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 濰坊市は人口845万人の大都市で、707万人の青島市より人口が多く、宿泊した国際金融大酒店は30階建ての新しいホテルで周りにも高層ビルが立ち並ぶ大都会です。今までこういう名前の大阪府と同じくらいな都市があるなど全く知りませんでした。ちなみに、大阪市の人口は267万人で、大阪府がほぼ同じ886万人です。

 大観園は楊家埠の民間芸術を展示しているもので、広大な敷地にいろいろな施設があります。楊家の財力の大きさに驚かされます。それぞれの建物の中にいろいろな民間芸術が展示されていて、じっくり回ったら面白いなというところです。その一つの凧の博物館があり、昔からの凧の展示と、自分で凧作りを体験するというものです。本来三日目に回るものを二日目に見たために、夜遅くなり、真っ暗になってしまいました。せっかく作った凧は残念ながら大きくてバックに入れられず、もってこれませんでした。

(7)曲阜 三孔

 今度の旅行の主要観光地です。三孔は、孔子を奉る孔子廟、孔子一族の孔府、孔家歴代の墓所である孔林を言います。今回の旅行では唯一の世界遺産です。宿泊した闕里賓舎は、有名な由緒ある二階建てのホテルです。孔子廟に隣接しているので、ホテルから出てホテルに戻ります。もともと腰と膝が痛くなっていた私は雨もかなり降っていたこともあり、孔子廟だけ見て、もう一人の人と一緒にホテルに戻りました。

 孔子廟はともかく大変広く、次々と歴代の権力者の寄進した門をくぐっていきます。いろいろな石碑を亀に似た龍の子供の贔屓(引き)が背をっていて、水出しのためのかざり龍の子「チシュウ」の写真も撮りました。その写真は私の別のブログにのせました。

(8)美しい青島 等級のあるトイレ

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 旅行最終日はもう一つの目玉の青島観光です。青島の公園を歩いていたら、パックの日本人観光客に声をかけられました。三泊四日で、青島周辺だけの旅行だそうでした。この周辺はもう少しゆっくり回ったほうが良いなと思いました。ともかく有名な海水浴場であり昔から有名な別荘ちであり、きれいな街でした。旧市街は赤い屋根をした洋館が立ち並び、新市街には高層ビルが並びよい対照をなしていました。朝市も大変面白く、改めて訪れてきたいところです。あと青島ビールの工場見学にも行ってきました。

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 あとは、トイレの話です。最近はよくなってきましたが、中国の古いトイレの汚さには閉口します。この写真は、青島の青島迎賓館(旧ドイツ総督府あと)のトイレできれいなのでとりました。日本と違うのは、いわゆるきんかくしと呼ばれるものがないこと、後ろ向きでなく前向きであることです。公衆トイレにもホテルと同じ等級があり、三つ星で、まあまあというところです。入口に星が付いています。きれいなところは有料です。いなかの古いトイレはドアがなかったり、中間しかなく鍵をしめることができないというのが特徴です。

9) 済南市のバク突泉

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 今回の旅行で最も美しかったのは、済南市のバク突泉とその公園です。泰山に降った雨が伏流水となり、勢いよく泉となって湧き出しています。強い時は1mも上がることがあるそうです。そこだけでなくいろいろなところから湧き出し、柳の木やその時には菊の花がかざられ、すばらしい景色でした。

★疲れましたがいろいろ新しい経験もあり楽しい旅でした。案内の尹さんもよく、楽しいメンバーで、楽しい旅行でした。

2011年11月15日 (火)

山東省旅行(2)青島ビールと初めて食べた ハト、ロバ、海腸 海腸とは

中国に行くと、当然中華料理ということになりますが、5日間の間に食べた、料理と、ビールについてお話しします。このコースでは青島ビール工場見学と試飲、そして旅行最終日の夕食には、青島ビール飲み放題というのがありました。

いろいろな食べ物にチャレンジ

 私は、生物学科出身ということもあって、なんでも食べてみるほうですが、今回、ハト、ロバ、海腸というのが、今回初めて食べたものに加わります。昭和天皇は海の生き物を研究されていて、いろいろ食べてみたそうですが、どうしても、ウミウシはダメだというのを記事で見たことがあります。

 いわゆるゲテモノというもの、これはあくまでも日本人にとってということで、それぞれの国では何ともないものなのでしょう。ちなみにどんなものを食べたかを、あげて見ます。   

 ヘビ(中国で何回も、おいしい)、カエル(ちゃんとした料理で何回も、山家料理で姿焼きを食べてみました)、ワニ(オーストラリアで、鶏肉に似ている。お土産にワニ肉のソーセージ)、ザリガニ(西洋料理でなく、川でとったもの、フランス料理ではちゃんとした食材)、いもり、孫太郎虫、サソリ(中国で唐揚げでー沢蟹の唐揚げと同じ)、ウミヘビ(自分でとったものを自宅で)、カブトガニ(中国のレストランで、日本では天然記念物でしたが中国では普通の食材、カニより値段は安い)など。タヌキ(桂林で濃い味付けでした)、カンガルー(オーストラリアで赤い肉)、犬(中国と韓国で食べました。狗肉とかいてあります)

 今回はハト、ロバ、海腸です。ハトは日本以外ではよく食べられていてエジプトでは名物料理です。ロバは筋肉が多く、おいしいとのことですが、餃子の中に入っていて、肉団子のようになっていました。味付けは濃くなっています。タヌキと同じ感じでした。海腸は中国人のガイドさんが、野菜と一緒に炒められているこのコリコリしたマカロニの細いようなものは何かと聞いたとき、そう言ったものです。私は環形動物(ミミズの仲間)だなと思いました。帰ってきて調べたら、やはり釣りの餌によくつかわれる「ユムシ」でした。みんな平気で食べていましたが、その生きている姿を見たら、ほとんど誰も食べないかもしれません。

ビールについて書いてみます

 中国で最も有名なビールは青島ビールです。日本でもよく売られています。昔青島はドイツの租借地でした。ドイツの城を縮小したドイツ総督府が残され観光コースとなっています。日本が占領してから、大日本ビール(朝日、サッポロのもと)が接収し日本風のビールを作りました。現在でも朝日ビールと資本提携があります。中国のビールの中では北京の燕京ビールとともに最もおいしいビールです。

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ここは青島の青島ビール工場です。右側の建物に昔のビール工場が保存されています。そのあと、エスカレーターで上り下りし、現在の工場の見学、そして、ビールの試飲があります。まだ作りたてで、酵母の生きたままのビールが飲めます。あとここのビールはアルコールが高めで、新鮮ということもありさすがにおいしく飲めました。

料理について

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 二日目、煙台市蓬莱の「天天漁港飯店」での昼食、窓から海が眺められました。手前左側が鳩の丸焼きです。皮がとてもおいしかったです。ここで、海腸(ユムシ)の野菜いためを食べました。(ここの料理は八仙宴というのだそうです)

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四日めの曲阜での昼食 「孔子府料理」というのですが、野菜中心で、しらす干しがはいっているぐらいで、まずいわけではありませんが肉っけが全くない料理でした。

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 五日目の青島での帰る日の昼食です。ツアーでは最後に豪華でおいしい料理にします。途中のまずさがあっても、帳消しにするためでしょうか。青島の海鮮料理で、手前はカキ、エビ、カニ、ホタテ、、アサリなどの海産物がたくさん出てなかなかおいしい料理でした。

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 三日目の昼食 済南市 「乾盛号餃子店」です。有名な餃子店だそうですが。中央の緑色をした餃子がロバの肉の入ったものです。ロバの肉と聞いてからみんな食べなくなりました。

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これは三日目の済南市の昼食で飲んだバク突泉ビールです。それぞれの市にたとえば煙台ビールとか、いろいろ地ビールがあります。ところがだいたいアルコール度は2,5%で、高くて青島ビールの3,1%です。バク突泉ビールや煙台ビールはレストランで20元(260円)青島ビールは25元です。それぞれの地ビールも青島ビールの系列下に入っているそうです。味は薄く、ノンアルコールビールみたいで、ビールの色も薄い感じで、まあ、水代わりに飲む感じです。中国では4%から酒税がかかるので、みんな2,5から3、1%にしてしまうようです。日本に帰ってあらためて日本のビールのおいしさを痛感しました。

2011年11月17日

 新大久保駅近くの中国食品専門店で、買い物をしました。

 曲阜の名産品 孔府家酒 500ml が650円でした。                       アルコール度数 39% 原料 高粱 小麦 大麦 豌豆でした

 青島ビール 瓶330 ml 4,7%  230円 缶ビールも同じアルコール度で、コンビニで230円でした                                                                           

 燕京ビール 瓶330ml   4,5%    195円

 

2011年11月13日 (日)

山東省の旅行に行ってきました(1) 山東省は広い、1500キロバスに乗り続け(365)

 2011年11月2日(水)から6日(日)の5日間、クラブツーリズムのパック旅行にいってきました。「全日空指定!モダンな青島と世界遺産・三孔 青島・煙台・蓬莱・済南・曲阜 山東省の5日間」というとても長い名前です。これは新しいコースとかで、私も行ったことがないところが多く、参加してみました。ツアー参加者は15名でそのうち一人参加は私を含め5名でした。

旅程

 1、成田10:15発 12:50 青島着 バスにて煙台市 煙台公園

   ホテル 太平洋大酒店(古いホテル、4つ星?)泊まり

 2、煙台市博物館 見学後 バスで1時間半 蓬莱

   蓬莱閣 蓬莱水城(倭寇を防いだ)昼食は「八仙宴」 

   バスで維坊市(3時間半)へ 維坊は大都市である

   翌日予定の維坊観光 楊家埠で 凧つくり 

   終わりは夜となる 

   国際金融大厦(30階建)新しくきれいな大ホテル

 3、 維坊から済南市(ジーナン)へ バス二時間半 

      バク突泉 千仏崖

   バク突泉は泰山の伏流水が勢いよく流れ出て、

      水が盛り上がるものです。 とても美しい公園

      でした。 

   バスで曲阜へ2時間半 曲阜 闕里賓舎泊り

      (孔子廟となり)

   二階建ての由緒あるホテル、部屋がわかり

      にくく探すのが大変でした

 4、曲阜 ホテルから徒歩で 三孔見学昼 

   孔子府料理

   疲れと腰痛で、途中で戻る 

   バスで青島へ5時間 青島着夕食 

   天天漁港で海鮮料理 ユムシを食べる

   青島ビール飲み放題  東方飯店泊まり

 5、 青島 海鮮自由市場見学 小魚山公園 

   青島迎賓館

   青島ビール工場見学 八大関風景区見学

   空路成田へ というものでした。

 山東省は広くて大きい

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* 中国で購入した山東省の地図です、価格は10元(130円)でした。

大変便利でした。

 山東省は、面積157126平方キロで、ほぼ北海道の二倍近い広さです。人口は9580万人で中国の省で第二位、日本の人口の75%あまり、生産規模も中国第二位という大きな省です。ちなみに第1位は広東省の1億430万人。第3位は河南省で9400万人です。山東省には人口500万人以上の都市が10か所もあります。北海道の人口が550万人ということなのでいかに人口が多いかわかるとおもいます。今度の旅行で回った、青島市707万、以下煙台646万、済南563万(省都)、維坊845万という人口で、中心部は高層ビルが立ち並ぶ大都市です。ちなみに、もっとも大きな都市は臨斥市の1000万人です。孔子廟のある曲阜市は人口60万人くらいです。わたしは旅行に行くまで、青島や曲阜以外そのような大きな都市があるとは知りませんでした。

 山東省では最も高い山は有名な泰山が1545mで、2番目は青島市にある労山(ろうざん)1133mです。共に神仙の住む聖地とされてきました。ですから高い山はなく、とても平地が多いのです。その地は黄河の流域となり、膨大な土砂が国土を広くし続けているそうです。黄河は土砂が堆積して天井河になっているため、黄河に注ぐ川はないそうです。山東省は渤海と黄海に面しています。煙台市の蓬莱はその境目で、上空から見ると黄河で黄色くなった黄海と青い渤海の境がはっきり見えるそうです。平地には様々な野菜や果物などが栽培され、日本にたくさん輸出されています。そして3000キロもある海岸線では漁業も盛んです。また工場がたくさんあり特に国営の大きな工場がたくさんあります。

 山東省の歴史

 山東省は古くから栄えていたところで、春秋、戦国時代には、昔は斉と魯の国に分かれていました。斉の国は昔から強大な力をもっていました。山東省は昔から、一つには孔子や孟子の故郷で、儒教が盛んであるとともに、秦の始皇帝が不死の薬をもとめて蓬莱にやってきたという、道教の盛んな所でもあります。また、太公望や二人の孫子、呉子、諸葛孔明のような軍略家もたくさん出ています。

 昔から、山東省の人は身体が大きく強健で、自立心が強いところです。生産量の多さと十分な栄養を取れたせいではないかと思います。身体が強く戦闘力のある青州兵(山東省)を味方につけたものが天下を取るという傾向がありました。山東省の人は。顔が大きいいわゆる下駄がおで、仙人に近い顔でもあります。今でも中国の軍や警察関係にそういう人が多いそうです

追記 青州兵

 山東省(青州)の農民は、信仰する道教的教団である太平道のもと、後漢末期、青州黄布賊として大きな力をもっていました。兵は30万人、家族を入れると100万人で、その強さは際立っていました。曹操はようやく攻略に成功しますが、信仰と生活の保証を約束し、心服させました。30万の内10万人の精鋭で部隊を再編成します。その部隊は極めて強く曹操軍の主力をなしました。それ以後曹操が中国の北半分を支配下におさめたのは青州兵のおかげです。

 曹操が死ぬと、契約が切れたとして、白い喪服を着、軍鼓を鳴らしてまとまって故郷に帰りました。曹操との個人的契約だったからです。そしてそれを誰も止めることができないほど強力な軍隊でした。そして道みちに食料をおくように指示しました。

今度の旅はバスに乗り続けでした

 北海道の2倍もある広い山東省をバスで回るのですが、前から曲阜までは、えんえんとバスに乗っていやになってしまうよと言われていました。事実今回の旅行では、総延長1500キロでした。ちょうど、新幹線で東京から大阪まで行き、帰って着てまた行くという距離です。バスに乗っている時間は合計24時間ぐらいだったでしょうか。とくに最後の曲阜から青島までは5時間かかりました。それも、2011年の6月に青島の膠州湾にできたばかりの全長41,58キロ(海上部分だけで33キロ)の膠州湾大橋という、世界一の橋を渡ることにより、30分ほど短縮されてというのですから、昔はもっとかかったのでしょう。この橋はとても長く行けども行けども橋が続くという感じでした。夕方と雨という条件で景色はよく見えなかったのが残念です。

 ★ 今回は旅行の内容でなく山東省の紹介のみで終わってしまいました。

続きは下記のブログをどうぞ

2016年3月24日 追記

山東省旅行(2)青島ビールと初めて食べたハト、ロバ、海腸、海腸とは

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/11/post-2056.html

 

山東省旅行(3)日本との違い 高速道路を無灯火バイク、トイレに等級

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/11/post-6054.html

2010北京旅行, 2011山東省旅行で、龍の九子の一人螭首(ちしゅう)と贔屓(ひき)

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この写真は2010年7月に北京でとった 「螭首」(ちしゅう)です。

鼻の先がまいていて、ゾウのように長く伸ばせます

★ 2011年11月13日記 2011年11月2日から6日まで山東省の旅行に行ってきました。遅くなったのですがようやく、山東省旅行のブログを書き終えました。ところが、保存する前に確認から他に移ったとたん全部消えてしまいがっかりです。

この下の写真は曲阜の孔子廟でとった「ちしゅう」です

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 消えたブログでがっくりと来たところですが、気を取り直して、孔子廟にあった、「ちしゅう」と「ひ(い)き」の写真を前のブログにいれて見ました。

 この下の写真は2011年11月の山東省旅行での「贔屓(ひき)」です。孔子廟にはたくさんの碑文がありすべて、この「贔屓」にのっていました。亀のように見えますがこれも龍の第一番目の子供です。

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北京旅行の中で印象に残ったものの一つは、頣和園や故宮などにあるいろいろな飾り物でした。そのなかで、所々の土台の壁の端々に、何か龍に似ているけれど鼻先が丸くなったものを、これはなんというか知っているかと聞かれました。そして誰もわからず、これは「ぴしゅう」という龍の子どもで、お金が好きでため込むけれど、肛門がなく、たまる一方なので、中国の人はこれが好きなんです、といいました。また、これは排水溝に使われていますと。

 日本に戻ってみて、さっそくインターネットで調べてみました。「ピシュウ」ではわからず、龍の子どもで検索すると、出てきました。龍の9子がどのようなものかは資料によって違いました。また正しい名前は螭首(ちしゅう)でした。螭のよびかたは、みずちで、水蛇ともいわれます。ふたつの資料の中には9人の子どもの中にははいっていませんでした。その他としてこの「ちしゅう」と麒麟などが入っていました。ちなみに頤和園には大変珍しい大きな麒麟の青銅像がありました。

 さて螭首(chishou/ちしゅう)ですが、大きな口をあけて、たくさんのため込んだ水を吐き出すということで、排水溝の飾りに使われているわけです。上海などの庭園にもあったのかもしれませんが、気づきませんでした。

 龍は漢の初代皇帝が龍顔で龍を皇帝の権威としたため、代々龍は王の権威を示した飾り物になってきました。皇帝を表す龍の爪は五本であると知っている方は多いと思います。他にも位により、3本、4本爪の龍があります。

 龍について、本格的にのべられたのは後漢の哲学者である、王充の『論衡』です。そこでは『龍虚』篇があり、竜巻が物をこわして天にのぼっていくように見えるがそれは龍ではなく、雲の働きであって、決して龍が天にのぼるわけではないといっています。また、『言毒』篇では辰は竜であり、竜は毒を持ち、巳は蛇であり、蝮は鋭い歯と毒がある。辰巳の方角は東南の暑い方角を示していると言っています。このようなことを文章で書いたのは『論衡』が最初です。

 龍生九子について書いてみます。ことわざでは「龍生九子」とは同じ親から生まれても、子どもがそれぞれ違う場合に使われています。さて簡単にどのようなものか書いてみます。龍の9人の子供たちは龍になれなかったといいます。

龍の九人の子供

第一子は贔屓(ひき)です。亀に似ていて、財を多く抱え重いものを支えるのが好きで、石柱などの土台として支えになります。「贔屓(ひいき)の引き倒し」とは土台を引っ張って柱をこわしてしまうところからきています。

第二子は螭吻「りふん」高いところを眺める、鯱鉾のような使われ方をします。ということですが、「ちしゅう」と同じ字で片一方は首フンは口のことですから、私には「ちしゅう」と同じなのではないかと思うのですが。水に関係して、建物を火から守ります。鯱鉾もこれと近い存在です。

第三子は蒲牢「ほろう」で釣鐘の飾りなどに使われます。 

第四子は狴犴「へいかん」で、厳格な虎のような顔つきをし、正しいことが好きな龍の子どもです。裁判所など法に関する役所の入り口に置かれます。

第五子「とうてつ」で、饕餮とかきます。「とう」とはむさぼるという意味です。飲食が大好きで、食べた物を出さないといいます。殷の青銅器には恐ろしいかををした「とうてつ」の紋様が刻み込まれています。これは四凶の一つともされる恐ろしい存在です。 

第六子はあと、「ばしゃ」で水を好み亀のような体をし橋の欄干の飾りに使われます。覇下と書きます。 

第七子の睚眦「ヤアズ」はともに漢字の読み方は「まなじ」です。相手を睨みつけるという意味があります。攻撃的で戦いに強く魔物を倒す力を持っているからと、刀のつばなどの使われます。風水で魔除けに使われます。

追記 龍生9子の中で、最も強力な力をもっているといわれます。歴代の皇帝もよく軍隊の旗の絵などに使いました。最近、日本でも、魔除けに風水のいろいろなグッズを売るようになっていますが、龍に次いで人気があるようです。2015年3月に横浜中華街に行きましたが、いろいろな風水のグッズを売っているお店に入ってみました。いろいろな、魔除けのストーン類と、9生龍子などの置物も売っています。

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ヤアズの風水の置物、今こういうものを買い求める人が、多いようです。

第八子は「すあんに」で人の話をよく聞くおとなしい性質で、火や煙が好きで香炉に使われます。 猊下という高僧をあがめる呼び方はスアンニのアンニから来ています。夋(ケモノへんに、この字をかきますそのあとに猊がつきます。

第九子は「ジョクト」で、椒図と書きます。静かな守り神で、玄関などに飾られます。書物によってその内容は違います。

第三子を嘲風「チョウフウ」と言って鳳凰に似ていてシ―サ―のもとになったものもあります。

 中国や日本では、この九生龍子の小さな飾り物を作って、お守りのようにして売り出したりしています。それにしても「チシュウ」をお金をため込んでださないからいいと縁起をかついで、好きだというのは、日本の感覚ではあまり無いように思いますがいかがでしょうか。

2011年11月12日 (土)

幽霊は存在するのかー人間の死について王充の『論衡』から

 このお話は、7月30日付で「こういちのブログ」でかいた「王充の論衡について」を改めて書き直したものです。かなりアクセスがありましたが、もう4か月前に書いたものですから、「こういちのブログ」で、いまは検索してもはるか前で出てきません。「こういちの人間学ブログ」に今度はのりますから、いつでも出てくるようになります。他にも、8月18日付のブログ「論衡の王充はすごい」や、9月4日の「王充の墓を訪ねて」などがあります。

 王充の『論衡』について

 佐竹が今書いている小説『人、相食む』を書こうとしたきっかけは、1999年のノストラダムスの大予言やらの大騒ぎと、オウム事件などがあって、神秘思想がおおはやりしたことにあります。それにくらべて今から2000年前の、日本ではまだ卑弥呼の世界よりさらに2000年も前に、後漢の唯物論哲学者、王充がきわめて合理的、科学的な考え方をしていることにとても驚いたからです。はじめは王充に関する小説を書こうとして、中国語を習い、まだ一部分しか翻訳のない後漢書を訳し、王充の墓を上虞(紹興市、上虞県)にたずねたりしました。しかし小説は書いているうちに、第五倫を主人公とした後漢初期の百数十年を書いた、『人 相食む』という題の大小説に変わってしまいました。王充の『論衡』はあらゆる当時の考え方を,あらためて正しいかどうかを検討しなおしました。その結果、孔子や、孟子までも批判したものですから、ずっと異端の書とされてきました。『歴史における科学』を書いたニーダムの大著、『中国の科学と文明』という本の中では、王充についての事柄が、一冊の本になるほど紹介されています。

死と鬼神と幽霊

 『論衡』第62編は、「論死」です、これ以後数編にわたり、死と鬼(き)や幽霊などのことについて書かれています。明治書院の『論衡』(山田勝美編)によれば、その題意として、「人は死んでも鬼(き、神)にならず、鬼(き)には知覚がなく、言葉もしゃべれず、人に危害を加えられないという。そのねらいは、当時の社会に盛行していた厚葬・祭祀などの迷信活動に対して、打撃と批判を加え、薄葬を奨励することであった」としています。では2000年後の現在、そのような迷信は滅び去ったのだろうかというと、いまだずっと続いているのが現状です。

 当時の中国の人は、人は死ぬと鬼神(きしん)となり、われわれのそばにいると考えました。そこで鬼神に対してお供え物をします。そのお供え物ははますます高い費用がかかるようになりました。鬼神とは日本の鬼(オニ)とちがい、いわば幽霊に近い存在です。          王充は言います。「人は死んでも鬼(き)などにならぬし、人に危害を加えることもできない。なぜならば、人は物であり、人以外の万物もやはり物である。物が死んでも鬼とならないのに、人だけがどうして鬼になりえようか」

 人が死ぬと、精気は天に上り、死体は地に戻る。だから鬼神という。鬼(き)とは帰(帰郷などに使われる意味での「き」)るということであり、 神(しん)はぼうっとして一定の形のないものを言う。たとえばコメ袋にコメがいっぱい入っていれば、その形をして立っていられるが、もし袋が破れてコメが外に出ると袋はその形を維持できない。おなじように人は死んで精気(中身のコメのように)がなくなってしまえば、もうその形を維持できない。だから鬼が生きているような形をしているとすればそれは死んだ人の精気ではないことになる。

 (だから人の形をした鬼は心がぼうっとしているときに見る幻覚であるという)

どうして死んだ鬼(幽霊)で世の中いっぱいにならないのか

 王充は続けていいます。人類が生まれてから、現在までに、死んだ人の数は、今いる人の数は、はるかに多いはずである。だからもし、死んだ人がすべて鬼神になっているならば、今の人よりはたくさんいて、そこらじゅうのまわりにいるはずであると。(そういえば王充の時代から現在まででは膨大な死者の数になっているでしょうね)でも現実には、どこにも存在する気配がない。鬼神を見たという人がたまにはいるが、薄暗い所で、ボーっとしていてよくわからないかたちである。幽霊の正体見たり、枯れ尾花(すすき)みたいなことが多い。私もよくいうのです。幽霊の存在を確実に証明したら、ノーベル賞いくつかに値すると。でもだれにもできませんね。

 幽霊が服を着ているのはおかしいのではないか

 それから、王充はいいます。もし鬼神(幽霊)がいたとしたら、本来人間の身体だけが眼の前に現れてくるはずであると。ところが鬼神を見た人は、その鬼神がみな服を着て現れてくるという。本来、無生物である服が鬼神(人体)と、一緒に現れてくるのはおかしいのではないかというのです。

 確かに日本の幽霊も、ゆかたみたいなものをきてでてきます。最近の幽霊は、今の服なのでしょうか。日本の幽霊は女性が多いけれど、もし人の前に、着物なしの、ま裸で出てこなければいけないならば、恥ずかしくて出てきにくいことでしょう。また幽霊を見た人も、女性の幽霊が、ま裸で出てきたら、怖いというより、別の気持ちになってしまうかも知れないなと、おかしく感じました。

 王充は、自然現象についても大変優れた科学的な見方をして驚きですが、ほかの欄を読んでください。孔子や儒教までも間違いを指摘するので異端の書と見られてきました。

『論衡』の再発見 と曹操 2011年追記

 『論衡』はその反儒教的内容から否定され、一時世間から消え去っていました。ところが後漢の後期の偉大な学者である蔡邕(さいゆう)が山陰(紹興)から帰ってきてから、急に学が進んだので、なぜかをしつこく聞かれ、虎の巻に『論衡』を使っているといって世に知られました。蔡邕は曹操と親しくしていました。また王朗が会稽郡の太守をしているときにも、学が急に進み、『論衡』を見つけて事を白状します。それにより再び世に知られました。王朗も曹操の親友です。唯物論者の曹操は『論衡』を見ていた可能性が高いと思います。

きわめて合理主義者の魏の曹操はどう見ても「論衡」を読んでいたと思われるのが面白いところです。

       

カントの「人間学」- カントの人相術もすこし 2012,1加筆修正版

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これは、人間学研究所にある、カントの『人間学』の翻訳です。右の小さい本が岩波文庫版で今では貴重です。一番左が渋谷治美氏の最新岩波書店版です。

 

カントの『実用的見地の人間学』の基本的な立場については、「こういちの人間学」ブログの2009,8,13日付の「l実用的人間学とは、カントの~人間学」に書きました。序文の自分の人間学はどのような立場であるかということです。ここでは、その「人間学」の中にどのようなことが書かれているか紹介します。

◎その後出された本について

 「晩年のカント」中島義道 哲学者は精神の黄昏といかに向き合ったか 講談社現代新書 2021年1月20日 900円+税

   第1章 老哲学者の日常生活

    、

   第7章 地上のあらゆるものへの興味-「人間学」「自然地理学」

 「カントの人間学」中島義道 講談社現代新書   1997年12月18日 990円+税

 

 

◎本は『人間学』 カント 坂田徳男訳 昭和27年(1952)岩波文庫版をもとにしています。

 

 『人間学』の第一部は人間学的教授学で、人間の外部や内部を認識する方法について書かれています。

 

第一編は認識能力についてです。

 

 その第一に、人間が自我を持っているために、人格を持ち、意識の統一性を持っている、というところから始まります。

 

 利己について、自分自身の観察について、感性と悟性など、認識論の諸問題が書かれています。面白いのは、預言者的天賦という項目があリます。それには、預言(経験則による自然的なもの)占言(既知の経験則に反したもの)、霊的預言(超自然的なものにもとずく霊感)に分けられるという。自分は超自然的な洞察をすると言ったら、彼は占いをするものと言わなければならない。カントは占いの欺瞞について述べ否定をしています。理性、悟性を重視するカントらしい立場です。

 

 認識能力に関しての、心の弱さ、病気というところではいろいろな例が示されています。精神薄弱とか愚鈍とか精神病などについていろいろ書かれています。精神医学のもとになるような記述です。また逆にさまざまな才能についても書かれています。天才とは何かなども書かれています。

 

第二編は 快・不快の感情についてです

 

 快には感性的快と知性的快があるという。 

 

 趣味とは何かについて、いろいろのべられています。理想的な趣味は道徳性の外的促進に向かう傾向を含むものであるという。趣味に対する人間学的注意ということに関して、具体的に流行趣味について、芸術趣味についてと書かれています。

 

 最後に贅沢についてで。贅沢とは、共同体において、趣味を持って営まれる社交的逸楽的生活の過度である。これはなくてすませる浪費であり、趣味を伴わない場合は耽溺という。耽溺は人を病的にする。 いろいろと言葉の定義と、具体例が多いのですが、訳が固いのでかなり難しく感じてしまいます。最近の全集の中の人間学の訳はもう少しわかりやすくなっています。

 

◎ 例 カント全集 15 「人間学」 渋谷治美訳 2003年11月27日 岩波書店

 

第三篇 欲求能力について

 

 欲望とは、その結果として生じた、ある未来のものの表象によって主観の力が自らを規定することである。難しい表現ですね。理性で抑えられないことを激情と言います。どうするか決まらないが現在での快不快の感情は情緒という。情緒が多ければ激情は少ない。

 

 フランス人はその快活さによって、イタリア人やスペイン人、インド人中国人より気分が変わりやすい、しかし後者は深く恨みを抱き復讐を試みる、などと書いています。 他人を自分の思い通りにしたいという欲望な表れとして、名誉欲、支配欲、所有欲がある。

 

 についても書かれています。善には自然的善、と道徳的善とがある。 交際において、逸楽と徳とを合致せしめるという心術が人間性である。真の人間性と、まだしももっともよく調和するように思われる逸楽生活は、よき会食者達と共にとる食事(サロン)である。~ただ一人で食事することはいやしくも哲学する学者にとっては、不健康である。

 

 カントは、親しい人たちと会食しながら会話することを何より楽しみにしていました。そのメンバーは学者だけではなく様々な人たちがふくまれていました。何か気難しそうに見えるカントは、じつは楽しく会食し、ユーモアにあふれた人だったのです。

 

第二部 人間学的性格記述 (人間の内部を外部より認識する方法について) 

 

 分類 1.個人の性格 2、両性の性格 3、民族の性格 4、人類の性格

 

個人の性格では、気質について4つの基本型についてせつめいしています。気質や性格に関してのべていることはのちの心理学のもとになる考察をたくさん含んでいます。

 

 個人の性格のなかに「観相術について」という項目があリます。観相術とは、「ある人の可視的形態から、したがって外的なものからその人の内的なもの(心)を測定する技術である」と定義しています。人相術の好きな筆者にとって大変面白いと思ったところなので、ご紹介します。カントはいいます。「人相から人の性格をのべることはできるがこれは決して一つの科学となるものではない」と。これは概念的にのべられるものではなく、直感的にのべられることだからだと言っています。

 

 観相術の分類として、A顔立ち、B容貌、C習慣的な顔の表情に示された性格的なものについての三つがのべられています。

 

いくつか書いてみます。 

 

1、どこもかも、整った規則正しい顔は精神を欠いて、ごく平凡な人間であることを示す

 

 2、醜悪というのは、物を言うや否や陰険な笑いを浮かべる人、面と向かって相手の顔を覗き込み、自己に関する相手の判断などはものの数ともしない鉄面皮なそぶりをする人である。怪奇な恐ろしい顔をしている人でも、自分の顔について冗談を言えるほどの善良で快活な心を示していることがある。そういうのは決して醜いとは言わない顔である。また身体的に問題のある人を軽蔑することに、カントは怒りを覚えています。又、自国民以外の人たちの顔を、嘲笑する傾向がある。それをカントは非難しています。 

 

3、表情とは活動している容貌である。情緒の印象はいかなる表情をもってしても隠しておくわけにはいかない。いかに苦心しても覆い隠すことができない。 その他いろいろ興味深い考察が書かれています。

 

②、両性の性格 男女の違い、特に女性に対しての考察がいろいろ書かれています   女性には、文化にとってなくてはならぬ繊細な感覚ーすなわち社交性と礼儀正しさに対する感覚を持っていること。男性は女性によりしつけよき礼儀をもつことになったと評価し、女性による社会の教化、および醇化という大きな役割を果たしていると評価しています

 

③ 民族の性格 各国国民の傾向について様ざまにのべています。民族学、人類学のもとにもなる考察です。

 

④ 人類の性格  人間は理性能力を与えられた動物として自己みずからを理性的動物たらしめる。人類が、教化によって文明化すること、人間は訓育並びに錬成(規律)に関して教育が可能であるし、又これを必要とする。                              人間は生来上善である。とはいえ、人間は悪をあえておかそうとする。人間の本分に関して実用的人間学が達した総括的結論と人間の完成過程に関する特性は、人間が自己の理性によって定められた本分は~芸術やもろもろの学問により文明化し道徳化するにある。~ゆえに人間は善に行くように教育されねばならぬ、しかるに人間を教育するものはこれまた人間である、すなわちいまだに生来の粗野な状態にありながらもしかも、彼自身の必要とするところのものを実現せねばならぬ人間なのである。

 

 そして最後に、人類の意欲は一般的には善であるが、その実現には世界公民的に結合せられた一つの組織としての人類において、又かかるものとしての人類足らんとして、進歩してゆく世界市民の有機的組織によってのみ可能である

 

 この言葉が、「実用的人間学」の最後の言葉です。カントは認識論始め、いろいろ論及を続けた結果、最後には「人間とは何かと」いう「人間学」に帰結するとしとて最晩年にこの講義をし、本を書きました。カントの「人間学」は哲学界では俗的な軽いものであると大変低い評価を受けています。しかしそれは過ちであると思います。カントは単なる人間はこうこうであると、定義づけるとか、こうしなさいとかのべているのではありません。この世の中で人間としてよりよく生きるための世間知としてこの本を書きました。そして人間が理性的になるように教育され、人間をもっとも不幸にする戦争をなくすために、国々が連合し、今の国際連合のようなものを作るべきだと別の本(『恒久平和のために」その第三条で常備軍の廃止を説いています)で強調しています。残念ながら、現在も国際連合はあっても、カントの望んんだような平和な社会には到底なっていません。

 

カントの流れをくんだ「実用的人間学」を主張する私の人間学も、当然カントの願いを継承していくものでなければなりません。

 

渋谷治美氏の全集の「人間学」の解説 分かりやすい訳で

 

 よくまとめられているので掲載します。2011年11月追記

 

 実用的人間学とはどのようなものか P518

 

(1)人間とは、文化(陶冶・洗練)を通して自己教育していく地上に生存する理性的生物であると認識すること(カントはこれを「世界知」としたー岩波文庫では世間知と呼び換えている)が実用的人間学の目標である。

 

(2)「実用的な人間学」の特徴は、人間は自由の主体として自ら何を形成し何をすべきかの究明にあること

 

(3)人間を「世界市民」とみなす視点にこそ実用的人間学の神髄があること

 

 が表明されている。(訳によっては「世界公民」としているものがあります)

 

2013年9月追記

 

 カントに関するブログで、実用的人間学は「世界市民として生きるために知っておかねばならない、世間知(世界知)を開陳する」というものがありました。わかりやすい解説だとおもいました。

 

★ 2012年1月 追記 訳の違いを見る

 

1)坂田徳男訳  岩波カント著作集16 1937年 邦訳の始め

 

         世界公民  実用的見地と自然学的見地

 

2)坂田徳男   岩波文庫版  1952年(上記を一部改訳)

 

         世界公民  実用的見地と自然的見地

 

3)山下太郎   理想社 1966年 カント全集第14巻

 

         世界公民  実用的見地と生理学的見地

 

4)清水 清    玉川大学出版部 1969年 世界教育宝典

 

         世界公民  実用的見地と生理的見地

 

5)塚崎 智   河出書房新社 1983年 世界の大思想2

 

         世界公民  実際的見地と生理学的見地

 

6)渋谷治美   岩波書店 2003年 カント全集15

 

         世界市民  実用的見地と自然学的見地

 

 

 

 

2011年11月11日 (金)

水野南北の人相術 (1)生涯の吉凶はことごとく食からおきる 2011追加版 (2022追記版)

食は運命を左右する

先生五十歳像

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 平成4年に、『だまってすわれば』(神坂次郎、新潮文庫)という本が出ました。これは、江戸時代の人相術の中興の祖といわれた、水野南北を主人公とした小説です。水野南北はもともとやくざ稼業の暴れ者でしたが、通りがかりの乞食坊主から「死相が出ている」といわれました。目の中に赤い線が入っていているというのです。死んではたまらないと、どうしたらよいかを尋ねると、食を慎むことと陰徳を積めといわれました。そして、お寺に入り、麦と白豆だけの粗食にし、お寺をきれいにするなど陰徳を積み修行をしました。そうしたら、死ぬといわれた日を過ぎて、たまたま会った乞食坊主から、何と死相が消えておるといわれました。それ以後、水野南北は、その乞食坊主(水野海常)に弟子入りして人相術の本格的な勉強を始めます。そして、髪結いに3年、風呂屋の下働き(三助)を三年、そして死者の人相を調べるため、火葬場の人足(おんぼうといいます)を三年と、徹底的に人間の顔と体を調べたのです。今までの人相術は、中国からの人相術の本の受け売りで、日本人そのものを詳しく調べた結果というものはなかったのです。その結果わかったのが、食の重要性と、陰徳を積むという、正しい行いをして心の平安を得るということでした。これは極めて科学的な立場に立ったものといえましょう。

 

 

 人間の吉凶も、もともとのその人の長年の行いや癖があらわれてきたことであるというのです。そして「生涯の吉凶はことごとく、食からおこる」ということを確信しました。これは極めて重要なことです。単にその人の顔の形だけでなくその人の生活の在り方も判断するということです。せっかくいい人相に産んでもらっても、その後の生活、特に食生活がいい加減だと、凶運になってしまうというのです。そして人相はただ、顔だけでなく、声、皮膚の状態、歩く姿、座る相など、総ての相(すがた)を総合して判断しなければならないといいます。これはそのまま現代にも当てはまります。

水野南北の本です

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 水野南北は『南北相法』という本をかきます。私はこの江戸時代の原本を手にいれました。(大正時代に複刊されたようです)そのほかに『相法極意修身録』という本も書きました。それらは現代語に翻訳されています。また、中国でも中国語に翻訳されて出版されています。そしてその人相術は、だまって座れば、ぴたりと当たるとまで言われました。多くの弟子をとり、ついには朝廷に認められ、従五位の下 出羽介という官位をもらうほどになりました。水野南北の『南北相法』のなかで、医者や占い師がその人を判断する方法、「望診」の方法を示しました。それは現代でも大変役に立ちます。

 

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また、『相法極意修身録』には次のようなことばが書かれています。

 

 粗食のものは貧相でも、幸運をつかむ。

 

 食事量が一定していれば、心身健全

 

 食事時間が不規則なものは吉相でも凶に転ずる

 

 築山・泉水のある家は衰運に向かう

 

 夜鍋は大凶。朝寝坊は貧窮短命

 

 女性が吉相を自覚すれば凶相と変わる

 

  などなど色色あります。

 

 「本朝人相考」という本もあります

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★ このブログは、2009年8月にかかれたものです。2010年9月の実用的人間学の例会で佐竹が「いい顔とはどういうものか」というお話しをして、改めて水野南北のことについてお話ししました。それをブログに書きますので、2011年にこのブログを移行しました。

 

★ 2011年9月の「実用的人間学研究会」で、「いい顔とはどのようなものか」というテーマで、実用的人間学研究会の例会で、佐竹が話をしました。その中で書いたことですが、師匠の水野南北の人相について、弟子がぶしつけに聞くところがあります。内容は以下の通りです。

『だまってすわれば』小説 神坂次郎より

 

 南北自体は貧しく生まれ、実に貧相、下相であって

 

「先生の身体は中背にして一見卑俗、奴僕のごとし、面(おもて)せせこましく、耳小さく、目つき鋭くしてくぼみ、印堂(眉と眉の間)せまく、面皰(めんぽう ニキビ)は常に黒し、眉は小さく、家続(目と眉の間)狭く、鼻低うして顴骨(かんこつ)高し。歯短くして、少なし。足は小にして裏をくりぬき足るがごとしして、甲高し。手裕なりといえども左君子の官(左腕)に刀傷あり。以上どれを取り上げても、先生としてふさわしき相なし。いずれのところに先生の相ありや」

 

 水野南北が答えるには、「ワイは貧家に生まれ、そののちさらに貧しくなり、善人と交わらず、善事をしらずそだったゆえわが相いたって下相。しかし相をみようみようとする心でみると誠の相をみることができない」

 

「己身の相は一心の相にしかず」と外貌の姿より心中の相(姿)を重んじた。これを無相の相を観るといい、相法の極意とする

 

 ◎ 面白いのは、こんなに素晴らしい人相術の達人でいながら、結婚した奥さんは、みんないろいろと問題があり、何回も離婚を繰り返しました。自分の好きな人のことになると、冷静に見られなくなってしまったのでしょう。 

 

◎2022年3月に、この記事がアクセス数でトップになりました。本の写真などを加えました。

 

 

                                            

 

 

2011年11月 1日 (火)

近況 山東省の旅に行ってきます クラス会旅行(万座温泉)報告なども

このところ、「こういちの人間学」ブログの更新が遅れています。10月22日に書いた「人間学研究所の例会のお知らせ以後、空白が続いておりました。そして明日から5日間、中国の山東省の旅に出かけます。ですから今日のブログを書かないと、16日間も空白になり、今まで私のブログを読んでいただいている方には、だいたい二日に一度は更新していたのに、一体どうしたのだろうと思われることでしょう。

1、人間学研究所で

 10月20日に私が実用的人間学研究会で、「日本人のルーツと、顔のいろいろ」というテーマでお話ししましたが、それにかなりのエネルギーを使ったことと、翌日の新教育人間学部会と続き、24日には原始技術史の関根秀樹さんのグループが人間学研究所の部屋で、原子力資料情報室の山口幸夫氏や古武道家の甲野善紀氏などを招いてのお話しや実演などがあって、私も出席したことがありました。また私のブログの校正を最初から見直してやっています。写真なども加え、最近のものに出し直したものもあります。

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人間学研究所に24名の方が入り、お話しや甲野氏や関根氏の実演が夜10時ごろまで行われました。

 2、中学のクラス会で万座温泉へ

それから26日~27日には中学校のクラス会があり、軽井沢、万座温泉一泊、善光寺などを回りました。はとバス利用です。参加者はは9名でした。久しぶりに長時間歩きました。白根山は零度以下で途中から吹雪のような天気になりました。万座温泉の露天風呂は夜入ったら外気温マイナス3度でした。

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宿泊した万座プリンスホテルからの景色、山の上のほうは霧氷がピンク色で桜が満開のようでした。同じ景色が露天風呂から見えます。露天ぶろは男女混浴があります。

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白根山での風景、霧氷が付き、温度は零度です。

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木に霧氷が付いています。そのうち吹雪状態になりとても白根山の頂上にはいけませんでした。

軽井沢で食べたレストラン カズラベ

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軽井沢で昼食を食べたレストラン、KZURABE(カズラベ)です。(0267-41-5186)

旧軽井沢726 ツチヤプラザ2Fです。

9名で入ったら、十分なサービスをするためにと、貸し切りにしてくれてとてもおいしく、サービスも良かったです。旧軽井沢銀座通りの通りの中ごろの二階のお店です。観光会館や朝野屋の近くです。途中でふた組ぐらいの方がお店に来られましたが。断っていましたが気の毒なことをしました。

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 そこで、食べたハンバーグです。なかなかおいしい味でした。サラダやパンやライス、デザートやコーヒーもついて、確か1380円くらいだったと記憶しています。

3 納骨式、体調不良 

 10月29日には義理の弟の納骨式があり、お墓の前での読経で、長時間立っていて膝や腰に響きました。などなどがあったため、疲れがたまり、ずっとおさまっていた歯周病の歯がかむと痛み出しました。それらにより、鼻つまりとのどが痛くなり風邪気味と、腰や膝の痛みなどが重なり、体調が悪くなりました。

 明日からの中国行きに備え、耳鼻咽喉科、定例の血圧の薬をもらうための内科、膝や腰の痛みのため、整形外科、歯医者と続けざまに医者に行ってきました。また、『人間学研究所通信』も発行しなければならず、その準備やらで、ブログを書く気力がなくなってしまいました。書かなければいけないことは山のようにあるのですが。

4 中国山東省へ

 今度の山東省の旅はクラブツーリズムでも新しい企画で、こちら方面には一度も行ったことがないので、ぜひ行ってみようということになりました。今まででは中国には上海方面に4回、桂林に一度、北京に一度言っています。

 予定では11月2日成田発で、青島へ、そしてそのまま煙台市へ行きます。煙台が人口653万人の青島に匹敵する大都市とは知りませんでした。翌日は煙台市の隣の蓬莱市に行きます。蓬莱は昔から仙境と呼ばれるところで、そこには倭寇に対抗した水軍の吉が残されているそうです。3日目は凧で有名な維坊と、ばく突泉や千仏山のある済南市を訪れます。4日目はメインコースの孔子の故郷である曲阜を訪ねます。そして最終日は青島に帰り青島市の観光となります。以前聞いたのですが曲阜までの距離は遠く、バスに乗っていていやになってしまうと。行きはいろいろよって行くのでいいのですが、帰りは、バスで4時間半もゆられて帰らなければならずそれが気が重いところです。

 いずれにしても、昨年のベトナム、マレーシア旅行の報告を書いたように、山東省旅行の結果をブログでご報告いたします。

 

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