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2011年11月12日 (土)

幽霊は存在するのかー人間の死について王充の『論衡』から

 このお話は、7月30日付で「こういちのブログ」でかいた「王充の論衡について」を改めて書き直したものです。かなりアクセスがありましたが、もう4か月前に書いたものですから、「こういちのブログ」で、いまは検索してもはるか前で出てきません。「こういちの人間学ブログ」に今度はのりますから、いつでも出てくるようになります。他にも、8月18日付のブログ「論衡の王充はすごい」や、9月4日の「王充の墓を訪ねて」などがあります。

 王充の『論衡』について

 佐竹が今書いている小説『人、相食む』を書こうとしたきっかけは、1999年のノストラダムスの大予言やらの大騒ぎと、オウム事件などがあって、神秘思想がおおはやりしたことにあります。それにくらべて今から2000年前の、日本ではまだ卑弥呼の世界よりさらに2000年も前に、後漢の唯物論哲学者、王充がきわめて合理的、科学的な考え方をしていることにとても驚いたからです。はじめは王充に関する小説を書こうとして、中国語を習い、まだ一部分しか翻訳のない後漢書を訳し、王充の墓を上虞(紹興市、上虞県)にたずねたりしました。しかし小説は書いているうちに、第五倫を主人公とした後漢初期の百数十年を書いた、『人 相食む』という題の大小説に変わってしまいました。王充の『論衡』はあらゆる当時の考え方を,あらためて正しいかどうかを検討しなおしました。その結果、孔子や、孟子までも批判したものですから、ずっと異端の書とされてきました。『歴史における科学』を書いたニーダムの大著、『中国の科学と文明』という本の中では、王充についての事柄が、一冊の本になるほど紹介されています。

死と鬼神と幽霊

 『論衡』第62編は、「論死」です、これ以後数編にわたり、死と鬼(き)や幽霊などのことについて書かれています。明治書院の『論衡』(山田勝美編)によれば、その題意として、「人は死んでも鬼(き、神)にならず、鬼(き)には知覚がなく、言葉もしゃべれず、人に危害を加えられないという。そのねらいは、当時の社会に盛行していた厚葬・祭祀などの迷信活動に対して、打撃と批判を加え、薄葬を奨励することであった」としています。では2000年後の現在、そのような迷信は滅び去ったのだろうかというと、いまだずっと続いているのが現状です。

 当時の中国の人は、人は死ぬと鬼神(きしん)となり、われわれのそばにいると考えました。そこで鬼神に対してお供え物をします。そのお供え物ははますます高い費用がかかるようになりました。鬼神とは日本の鬼(オニ)とちがい、いわば幽霊に近い存在です。          王充は言います。「人は死んでも鬼(き)などにならぬし、人に危害を加えることもできない。なぜならば、人は物であり、人以外の万物もやはり物である。物が死んでも鬼とならないのに、人だけがどうして鬼になりえようか」

 人が死ぬと、精気は天に上り、死体は地に戻る。だから鬼神という。鬼(き)とは帰(帰郷などに使われる意味での「き」)るということであり、 神(しん)はぼうっとして一定の形のないものを言う。たとえばコメ袋にコメがいっぱい入っていれば、その形をして立っていられるが、もし袋が破れてコメが外に出ると袋はその形を維持できない。おなじように人は死んで精気(中身のコメのように)がなくなってしまえば、もうその形を維持できない。だから鬼が生きているような形をしているとすればそれは死んだ人の精気ではないことになる。

 (だから人の形をした鬼は心がぼうっとしているときに見る幻覚であるという)

どうして死んだ鬼(幽霊)で世の中いっぱいにならないのか

 王充は続けていいます。人類が生まれてから、現在までに、死んだ人の数は、今いる人の数は、はるかに多いはずである。だからもし、死んだ人がすべて鬼神になっているならば、今の人よりはたくさんいて、そこらじゅうのまわりにいるはずであると。(そういえば王充の時代から現在まででは膨大な死者の数になっているでしょうね)でも現実には、どこにも存在する気配がない。鬼神を見たという人がたまにはいるが、薄暗い所で、ボーっとしていてよくわからないかたちである。幽霊の正体見たり、枯れ尾花(すすき)みたいなことが多い。私もよくいうのです。幽霊の存在を確実に証明したら、ノーベル賞いくつかに値すると。でもだれにもできませんね。

 幽霊が服を着ているのはおかしいのではないか

 それから、王充はいいます。もし鬼神(幽霊)がいたとしたら、本来人間の身体だけが眼の前に現れてくるはずであると。ところが鬼神を見た人は、その鬼神がみな服を着て現れてくるという。本来、無生物である服が鬼神(人体)と、一緒に現れてくるのはおかしいのではないかというのです。

 確かに日本の幽霊も、ゆかたみたいなものをきてでてきます。最近の幽霊は、今の服なのでしょうか。日本の幽霊は女性が多いけれど、もし人の前に、着物なしの、ま裸で出てこなければいけないならば、恥ずかしくて出てきにくいことでしょう。また幽霊を見た人も、女性の幽霊が、ま裸で出てきたら、怖いというより、別の気持ちになってしまうかも知れないなと、おかしく感じました。

 王充は、自然現象についても大変優れた科学的な見方をして驚きですが、ほかの欄を読んでください。孔子や儒教までも間違いを指摘するので異端の書と見られてきました。

『論衡』の再発見 と曹操 2011年追記

 『論衡』はその反儒教的内容から否定され、一時世間から消え去っていました。ところが後漢の後期の偉大な学者である蔡邕(さいゆう)が山陰(紹興)から帰ってきてから、急に学が進んだので、なぜかをしつこく聞かれ、虎の巻に『論衡』を使っているといって世に知られました。蔡邕は曹操と親しくしていました。また王朗が会稽郡の太守をしているときにも、学が急に進み、『論衡』を見つけて事を白状します。それにより再び世に知られました。王朗も曹操の親友です。唯物論者の曹操は『論衡』を見ていた可能性が高いと思います。

きわめて合理主義者の魏の曹操はどう見ても「論衡」を読んでいたと思われるのが面白いところです。

       

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