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2012年1月24日 (火)

経営人間学シリーズ(18)二宮尊徳(金次郎)の人間学 その2

江戸時代には4つの飢饉がありました。寛永の飢饉では東日本の日本海側で冷害により飢饉になりました。また1732年の享保の飢饉は西日本が飢饉となり、1782年~1787年の天明の大飢饉はアイスランドのラチ火山の大噴火や浅間山の噴火などにより世界的な寒冷期の小氷期の時期でした。天保の大飢饉は1833年~1839年には東北地方が冷夏で作物が実らず飢死者が大変な数になりました。

 二宮金次郎が旗本領桜町での立て直しをしていた1832(天保3年)のとき、金次郎が夏になすを食べた時、秋ナスの味がして、あらためて周りを見たところ、極端な冷夏と飢饉が予想され、平均20%の免租を申請し、農民に寒さに強い稗を植えさせました。その結果、桜町領三ケ村は餓死をまぬかれ、近隣の村を助けるほどでした。

 1833年(天保4年)、金次郎47歳のときには青木村の堰を作り、水の流れを安定させました。茅葺の家を縄で吊るし川に落とすという思い切った方法で堰を作りました。金次郎は自分で進んで綱を切る危険な仕事をしました。

 1837年(天保8年)には、小田原藩が飢饉になりました。二宮金次郎は、領内に餓死者が出るのを見かねて、大久保公に交渉し、窮民の救済を願い、反対する家老や倉庫番を、命令に背くならまず家老から餓死しなさいとまで脅して、藩の蔵を開け、人々を救いました。餓死をまぬがれた人々は金次郎を神のように思ったことでしょう。金次郎の後ろ盾である大久保公はこの年に死去しました。またこの年は全国的な飢饉で関西では大潮平八郎の乱があった年です。

 1842年(天保13年)、金次郎は公儀御普請役格(幕府直接の役人)に召抱えられ御切米20俵2人扶持となりました。しかし重要な仕事を任せる割にはとても低い石高です。このとき金次郎56歳、老中水野越前守に命じられ、「利根川分水路工事」を頼まれましたが、越前守失脚もあり、完成しませんでした。

 1843年(天保14年)には、二宮金次郎とその弟子などにより小田原藩内に「小田原仕法組合」すなわち、「報徳社」を作りました。それは二宮尊徳の「仕法」の方法を全国に広めるものです。五常講を作り、民間にお金を貸しだしました。そのことにより高利貸しに借りなくとも低利で借り入れができるようになりました。これは世界初の信用組合といえます。

1844年には幕府の命により相馬藩の立て直しに取り掛かりました。そして1849年には回復し始めました。

1846年(弘化3年)には、大久保忠真公亡き後、二宮金次郎に反対する勢力が藩の実権を握り、小田原領内の報徳仕法が中止されました。

1853年(嘉永3年)、幕府より日光神領の立て直しを依頼されました。尊徳は68歳という高齢と病をおして日光の山の中の村々を回り、村々を改善して行きましたが、1855年(安政二年)日光今市の陣屋で病に倒れ死去しました。69歳でした。(1856年70歳というものも)

 1856年 高弟の富田高慶が『報徳記』を著わす。

 1989年(平成1年)大日本報徳社主催報徳社全国大会、毎年参加者1千名以上で定着。文部大臣祝辞恒例となる。

 二宮金次郎(尊徳)により、命を救われた人々の数は大変多く、また二宮金次郎の「仕法」の方法は多くの地域で、厳しい状況の地域を改善させました。そして多くの心服した弟子が二宮金次郎の方法と精神を全国に広めました。

 

 二宮金次郎の改革の方法には、経済生活の合理化をする経国斉民の思想に基づいていました。金次郎の考え方、方法は徹底的な調査による、現実把握を元とする科学的合理性に基づいていました

◎基本的な立場は、何よりも働く主体の農民が基本であり、大切にするということです。

 金次郎は、再建を受けるときには、徹底して、金次郎のやり方に文句を言わないことを徹底させませました。それがあいまいなら、うけなかったのです。

 まず、借金については貸主と交渉し、返済計画を明確にし、金利を安くし、長期の返済に変更することを交渉しました。貸主はこのままでは破産して元も取れないので、これを了承しました。

1、芋こじ会(芋をまとめて洗うように若者をぶつかりあわせながら成長させていく

   みんなの学習意欲、働く意欲、能力を高めた。

2、勤倹 (節約と倹約の徹底、まず依頼するところの徹底的な節減)

3、分度 (基礎的な収入と、支出をはっきりつかむ。そのうえでの計画を作成)

4、推譲 (余剰金を生み出す工夫とその積立と活用)

  その余剰金を使い、様々な用水の整備、新田の開発、様々な産業を興す(最初はいろいろな内職で余剰のお金を作らせた。お金は尊徳の私財や報徳会のお金を使った)

報徳会では、頼母子講のように、お金の融通を行った。

★ この二宮金次郎の「仕法」の方法は、危機に陥った、会社や地方や国の財政を立て直すのにそのまま利用できるのではないでしょうか。

1、まずトップが、改善をやると決意し、責任者に一任する

 そして全面的に信頼する 途中でぐらつかない トップが大事

2、まず現状の徹底的調査(回村)。収入と支出の現状をはっきりつかむ。

3、何年で財政難を克服するのかはっきりした長期計画を立てる

 その計画は断固やり通すこととする

4、無駄な支出を徹底的に省く。

5、人々の働く気持ちと意欲を伸ばす工夫をする

6、いろいろな創意工夫により、収入の増大を図り、新しい収入の道も探る

7、蓄積した利益を、うまく利用、還元する

 このような感じでしょうか。

 でも、財政危機だという日本の野田首相が、働く主体である、国民(農民)の立場ではなく、利益をかすめ取る大企業や官僚(武士階級)の立場に立ち、徹底的な公費節減や天下り防止など節約をしないで税金(消費税増税や保険料アップ=年貢米値上げ)などを行うということで、まったく二宮金次郎のやり方と全く正反対であることがおわかりだと思います。

 明治政府では、二宮金次郎の精神を世に広め、勤勉に働き国に忠誠を尽くすという方向にもって行きました。明治天皇も『報徳記』を読んだそうです。二宮金次郎の何よりも働く農民(国民)を大切にし、科学的合理的に物事を進めたという側面を無視して、ただ、真面目に勉強してよく働きなさいという側面だけを強調しました。そしてそれが「修身」の教科書に載せられ、薪をしょって書をよんでいるという、二宮金次郎の子供時代のみを強調するようになりました。

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