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2012年1月 6日 (金)

2012、1、追記版 吉本隆明氏の原発擁護 「反原発で猿になる」週刊新潮

 2011年8月5日付の私のブログで、「吉本隆明氏の原発擁護 原子力発電は燃料費けた外れに安いのか」を書きました。このブログは2012年になってもまだかなりアクセスがあります。原子力発電のコストについては、政府側の修正した計算でもかなり高くなっていて、原子力発電がけた外れに安いというのがウソであることが証明されました。以下その報告の内容です。この内容は新聞各紙で発表されました。

 政府のエネルギー・環境会議のコスト等検討委員会は(12月)13日に会議を行い、各電源別の発電コストの試算結果を発表した。従来は1キロワット時当たり5,9円とされてきた原子力発電は、原子力業者が連帯して負担する事故リスクへの対応費用を組みいれたことなどで5割以上上昇し、最低でも8,9円と算定。火力発電所並みとの見方をしめした。         

 原子力発電は他の電源と比較して安価とされてきたが、従来の資産が事故コストなどを切り捨て、仮定を重ねたうえでの結果だったことが今回の試算で裏付けられた形だ。ただし、今回の試算には大規模な除染や損害賠償などの費用はふくまれていない

 実際に東京電力では今後の保証がどれくらいになるかがわからないほどの膨大な保証をしなければならないこと、また多くの原発が、発電をしていなくても、多大な維持費がかかること、将来的に放射性廃棄物を廃棄する費用も膨大なものになるということから、いったいいくらくらいになるのか見当もつかないほど高くつくということです。チェルノブイリでも原発の爆発から28年たっているにも関わらず、発電をしていないにも関わらず膨大な人員と費用がかかっているのを見ればわかるでしょう。

 このように政府の委員会でも高いコストがかかるといっているのに、ほんの少し前に吉本隆明氏は、「原子力発電のコストはけた外れに安い」といい、現在それが間違っていましたとの訂正をしていません。(参考までに、最新の天然ガスによる、ガスコンバインシステムや、コージェネによる発電コストは5円ほどにまで下がって来ています。東京都は独自な天然ガスによる発電を始めようとしています)

 それに加え、週刊新潮の2012年1月5日号で「吉本隆明 二時間インタビュー『反原発』で猿になる!」という記事が書かれています。その内容の要旨を書いてみます。週刊誌では相変わらず、吉本氏を『知の巨人』だと紹介しています。また、東工大出身で技術者であると紹介しています。

 1、人類の積み上げた成果を一度の事故で放棄すべきではない、自動車でも事故が起きるが自動車をやめるべきだとは言わないー(自動車との比較で大丈夫ということは、大槻氏も言っています。しかしだいたい自動車と比較するのがおかしいのです。)

2、原子力は「文明」が生み出してきた技術である。レントゲン写真や自然の放射線を浴びても90歳くらいまで生きる。放射線への恐怖心を除くにはやめるしかない。それは人類の努力を放棄し核開発の技術もすべて意味がなくなる。人間がサルから離れて発達したことを否定する。ー(すなわち「反原発で猿になる」という理由なのでしょう。)

3、原発はやめないで完璧に近いほど放射線に対する防御策を取るべきである。そして科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできない。原発をやめ、自然エネルギーに変えるべきだというのは、文明に逆行する-(原水爆や、生物化学兵器なども維持するというのでしょうか。)

 この考え方は、私が、ブログで大槻義彦氏の原発擁護論を批判しましたが、まったく、吉本隆明氏の主張と同じです。大槻氏が自分は放射線学の専門家だ、吉本氏が東京工大卒の技術者上がり(だから私の言うことは正しい)というのも同じです。

 原子力村に関連した人たちの利権が失われる以外に、原発のコスト自体が、他の発電よりも大きなコストがかかるということが分かってきているのに、どうしてまだ維持しようというのでしょうか。これから、東南海大震災がいつ起きてもおかしくないという状況の中で、新たに他の原発も事故が起きる可能性があります。いったん作ってしまった原発だから、やめたら、文明の逆戻りで猿になるなどという人物をどうして「知の巨人」などとほめたたえるのでしょうか。だいたい、遺伝子組み換え食品による健康被害の可能性や、クローン人間や、様々な新しい兵器など、科学が進展したからといって、それを実際に使うかどうかは人間のモラルの問題にかかっています。科学が進んでいったから何でも進めていいものではありません。それを簡単にやめれば科学の退歩になるから「猿になる」などというのは極めて乱暴な考え方です。

 参考「たけしのガチバトル 原発擁護派の大槻義彦氏にはあきれました」

 http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2011/12/post-738d.html

以下は2010年8月5日に書いたブログの部分です。

 日経新聞は、大企業から多額の広告費をもらっているので、電力会社や経団連などに逆らって原発反対などとは絶対に書けません。すでに私のブログに書いた「毎日新聞 脱原発方針」などとは正反対の記事を載せるのはやむをえないことでしょう。ただ、この日経新聞や読売新聞や、産経新聞しか見ない人は、新聞のいうことは正しいだろうと、信じ込んでしまいます。戦前の日本の新聞は大本営発表の道具にすぎませんでした。いまは、日経、読売、産経新聞は現在の日本を支配している大企業、高級官僚、保守政治家、御用学者、アメリカなどの代弁者です。

 日経新聞の40面の文化欄は一番後ろのページで大変目立つところです。ここに「8,15からの眼差し 震災5カ月」という記事欄があり、いろいろないわゆる文化人に書かせたいます。2011年6月5日の記事は第三回目で吉本隆明氏の「科学に後戻りはない」。「原発 完璧な安全装置を」というコメントを載せています。

 吉本隆明氏は1924年11月生まれで、満86歳で、戦前は軍国少年だったそうです。東京工大を出た後民間で勤務しながら著述や詩を書き続けその量は膨大なものとなっています。若い人にはよしもとばななのお父さんというほうが通りはいいのです。さてウィキペデアによれば戦後最大の思想家と呼ばれているそうなのですが、私にはどうしてだか分りません。一時は日本共産党に対抗して全学連主流派の思想的なバックボーンとなっていたので有名です。その後サブカルチャーにかかわってみたり、オーム真理教をほめてみたり、親鸞について書いてみたりと様々です。一部の人々には神様みたいな存在なのでしょう。

 さて日経新聞の記事についてですが。新聞でも戦後独自の思想体系を築き、戦後思想の巨人と評価しています。以下要旨です。

 3月11日の今度の震災の後は何か暗くてこのまま沈没してなくなってしまうのではという感じだと。復興の道は労働力、技術力をうまく組織化することがカギをにぎる。規模の拡大だけを追求せず小さな形でち密で組織された産業の復興を目指すべきだ。疲れずに能率よく働くシステムをどう作っていくか。それには技術力がある中小企業を大企業がしっかりとりこむ必要がある。外注して使い捨てるのではなく、組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば希望はある」といいます。大企業が中小企業をしっかりとりこむとはどういうことでしょうか。中小企業の当社は大企業にしっかりとりこめられ翻弄されました。「下町ロケット」という直木賞の本を読みましたが、いかに大企業や銀行が自分たちの利益のままに中小企業を扱うかがよく出ています。街の元気がないのは、大企業が自分たちの利益と内部留保だけを増やし、下請けへの支払いを減らし、また民間の給与を下げ続けてきたからです。

 「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や固いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、その代わり使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは人類をやめろというのと同じです。

 だから危険な場所まで科学が発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置を作る以外に方法はない」

 これが、「戦後思想の巨人」がいうことなのでしょうか。まず「燃料が桁違いにコストが安いが」というのが、いかに間違いであるということは前に書いたブログで毎日新聞の記事をもとに書いてみました。本当にコストが桁はずれに安いと信じているのでしょうか、あまりにも不勉強というか、誰かの言説をそのまま信じているとしか考えられません。また発達した科学を後戻りさせることはできませんといいますが,原子爆弾や、ダイオキシンの枯れ葉剤や毒ガスなどは禁止しようとしているではありませんか。コストもかかり、危険性がいっぱいで、放射性廃棄物がどうにもならない原発をやめることは十分可能なのです。吉本氏は原発止めたければ電気のない原始生活に戻れなどという乱暴な意見を信じているのでしょうか。

 また、お金をかけて、完璧な防御装置を作る以外に方法はないといいますが、それは日本のような地震の巣のような国では完璧な防御装置など無理です。福島原発でも、これはまったく安全だといってきたではないですか。また想定外だとかいうのは許されません。完璧な防御装置はだいたいが無理でそんなにコストをかけて原発を続けるよりは、自然エネルギーの開発にかけたほうが良いのです。

 明るさは戻るかという質問に対して、「全体状況が暗くてもそれと自分とを分けて考えることも必要だ。僕もじぶんなりに満足できるものを書くとか飼い猫に好かれるとかいった小さな満足感で押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれがかかわる身近なものを一番大切に生きることだろう」

 これが吉本氏の結論です。世の中がどんなになって暗い雰囲気になっても自分だけの世界に閉じこもって生きていけばいいみたいなことを言っています。そうではなくてこのような事態を引き起こした政治のあり方に関心を持ち、現状を正しくとらえ直していくこと、そして、この事態を引き起こしたものを糾弾し二度と起こらないようにしなければならないのではないでしょうか。現実から目をそらし自分の世界に閉じこもっていれば権力者の思うつぼです。

 改めていいますが、このような人物が、本当に戦後思想最大の巨人なのでしょうか。またこういう見解をのせる、日経新聞の意図が大変よくわかるということです。

追記 2011年8月9日

 トラックバックに「ラインケ狐の話」というのがありました。吉本隆明氏の珍談話について書いてありますが、その中で原発のコストが桁違いに安いという話で、「管理コストなどを入れないで安いということは、ブレーキもシートベルトも、ヘッドライトも省略して保険にも入らなければ自動車はもっと安上がり、というのと同じだと」いっておられます。面白いのでお読みください。

 私も車のたとえで、「原子力車は格安だよ。政府からの補助金もたくさん出て、買うと毎年お金をもらえるよ。そしてガソリン代(ウラン)も格安でと」。でも、その車は止められないので(原子炉は消すと大変、それで深夜電力を売らなければならない)、夜も動かすための装置が要る(揚水発電所)、それに何よりも一端事故が起きると、保険がきかないとてつもないお金がかかります。それに実はもう、原発より安い燃費の車ができている(天然ガスのコンバインドサイクルによる発電は原発を下回ります)。

こんな車を安いからといって買う馬鹿な人はありますか。騙されて買ってしまった人(福島周辺の方)はあとでとても後悔しています。

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原発、エネルギー問題」カテゴリの記事

コメント

「反原発」で猿になる ! (吉本隆明)を読んで 2012.3.15

「週刊新潮」2012.1.5-12のインタヴュー記事を読んで唖然とした。かつて、吉本隆明を自立の思想家として高く評価して、「試行」にも投稿した一人として(もう三十年以上も前になるだろうか)、なんともやりきれない気持ちになった。
 ここで開陳されている言い分はほとんど反駁するのも馬鹿ばかしい底のものだ。「考えてもみてください。自動車だって事故でなくなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう」だって ! こんな子供だましの理屈が通用すると思っているのか。また、核分裂による原子力発電と放射能によるレントゲン写真技術を並べて安全性を論じるなんて詭弁そのものだ。
 吉本は科学技術の進歩への素朴な信仰にしがみついているに過ぎない。スリーマイル島・チェルノブイリ・福島という一連の大事故が当時の原発技術の先進国(米国、ソ連、日本)で起っていることを深刻に受け止める必要がある。しかも、これらはほんの四十年足らずの間に引き起こされたではないか。現在でも中小の原子炉事故は頻繁に報告されている。原発をめぐる議論の中心にある「恐怖感」について云々しているが、目下大衆の間に広まっている過度の放射線への恐れは、昨年の福島原子炉の深刻なメルトダウン(炉心溶融)事故による膨大な放射能の拡散と広範な自然破壊・人体汚染という「歴然たる現実の脅威」のもたらした結果であることに目を塞いでいる。激しい爆発による発電所の災害の惨状は一連の写真で記録されているではないか。どこに目をつけているのだ。吉本は未曽有の惨禍から何も学んでいない。「福島」原発の大惨事なぞまるでなかったかのようだ。
 このインタヴューには、現実の脅威や惨状を直視する姿勢がいちじるしく欠落している。こうした現実感覚の鈍さは終始一貫しており、まさに恐るべきものだ。
事故を起こした発電所の中に現在も放置されたままの、大量の危険な使用済み核燃料はどこに運ぶのか、科学的にどう処理するのかといった、当面の技術的な方法や処置についても、ほとんど考慮する気配さえない。
 その代わりに、人類史的な観点からの原子科学の素晴らしさと優位性への賛美が繰り返されるばかり。「人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか」というわけだ。名にし負う理科系詩人吉本隆明、お得意の「原理的」な考察とやらである。こんな居丈高なご託宣に惑わされてはならない。むしろ、ここに思想家、批評家としての知的誠実さへの欠如を指摘せざるを得ない。自分の知性が誰よりも優れているという驕りがある。批評家にとって不可欠の,自分を批判するという心構えが失われている。
 ここで、ある素粒子物理学者の文章を紹介しておこう。「核融合炉の誘致は危険で無駄」(小柴昌俊)「朝日新聞「論壇」2001.1,18」これは「物理学を学んできた」立場からの「核融合」(「二十一世紀の夢のエネルギー源」 ! )についての意見である。原子力や放射能に関心ある方はぜひとも一読されたい。ここには吉本にはない、知的誠実さがある。
最後に、原発論議の流れの中で、唐突に小林秀雄を担ぎだしたのには、あきれたというより、思わず笑ってしまった。自立の思想家はどこへいったのだ。虎の威を借りる狐さながらだ。思想家としてみずから墓穴を掘ったにひとしい。
 スリーマイル島・チェルノブイリ・福島の原発大事故から何一つ学ばぬ者はむしろ「猿にも劣る」というべきである。 
 3.11には「東日本大震災市民のつどい」(東京・日比谷公園)に参加した。「さよなら原            阿羅漢老人 船木裕

「後記」この一文を書いた直後,思いがけず、吉本隆明の訃報を知った。生前の吉本さんに見せたかった。発」のために、還暦の老骨に鞭打って、これからも静かな怒りを少しずつ燃やし続けたい。

いわきはるお様
 吉本隆明氏の著作を私は読んでいませんが、過去には確かに優れたものがあるのでしょうね。それで、尊敬していたのに、現在になって、あまりにひどい話をしているとなると確かにがっかりすると思います。
 年をとってくると、昔しっかりしていたのに、いろいろなボケ症状が起きてくる人を何人か見ています。私自身も気をつけねばならないなと思いました。
 始め私も尊敬していろいろ本も読んでいた、大槻義彦氏も、吉本隆明氏とおなじトンチンカンな事を言いだして全くがっかりです。

文学者としてはだれよりも尊敬する吉本さんが歳をとって脳の活動が劣化したのか無残な姿をさらしているのは見るに耐えない。

言っていることがまったくトンチンカン。味噌とクソの違いもわからなくなったようだ。

吉本さんのいっていることは、さまざまな角度から、またさまざまな方法で簡単に論駁できる幼稚な主張なのだが、
ここは吉本さんに敬意を表して吉本さんご自身のことばでご本人の主張を論駁しましょう。
吉本さんは国家論のなかでこう述べている。
どんな完璧なシステム、理想的な構造をつくってもそれを動かすのは人間です。
人間は必ず間違いをおかす。だから完璧で理想的なシステムがあったとしても完璧な政府はありえない。
これはそのとおりです。人間が動かすのだから、必ず間違う。
今回の福島原発も事故調査委員会は中間報告で「人災」であったことを認めている。
ならば原発はいくら科学が進歩しても必ず事故を起こすということです。
すると吉本さんご自身の思想からすれば、放射能を無化する技術ができるまで原発は凍結しなければならないという結論になるはずだ。
どうして原発をやめることがサル以下なのか?
原発をやめるという選択をとるということはむしろ人間にだけできる叡智でしょう。
科学の進歩とその進歩から得られた技術のどれを選び取るかという問題をごっちゃにしておられる。

歳をとってから急にご自身の著作が今回の原発事故で否定されるとでも焦ったのでしょうか?
無残な思想家の姿をみるにつけ哀しいおもいがします。

コメントありがとうございます。読売、日経新聞は原発御用新聞として、原発批判をするわけがないとのことですが、おっしゃる通りですね。でもその新聞しか読まないと、原発擁護の考え方になる人もいるでしょうね。ただ70%が原発をやめるか縮小しろという世論ですから、あまり露骨に原発擁護をしていると、新聞止める人が出るかもしれません。日本の学校では、いろいろな新聞を比較して内容がちがうとかいうことを学ばせようとはしませんから。
 そして謝罪すべき人間が反省するどころか平然としてやはり原発は必要だとか言っているのは本当に驚きます。

ちょっと意見を!
読売新聞の社主であった正力松太郎は原子力発電(当時は平和利用)導入・原子力の父と呼ばれた。
読売新聞は原子力に関係することに批判を加えることはタブーではないか。
同新聞に原発関係の批判記事を求めることは、難しいのでは?
また、日本経済新聞に同様に原発批判の記事を求めるのも理にかなわないと考える。
経済新聞を目的としていて、財界(東京電力をむ)に関する記事及び事件の事実は伝えるが、批判はこれもタブーではないか。
いずれも原発御用新聞社と考え読むべきではないか、読者は少なくともそのことを承知の上、朝日新聞、毎日新聞にも目を通す必要がある。
情報収集として、ネットも活用すべきでしょう。
中国はネット情報を国民が共有する時代で、政府としても情報を抑えるのに苦慮している。
原子力村の原発擁護の学者の意見が小さくなりつつある。村八分になった学者の意見や書物が読まれだした。彼らの社会的冷遇を救済すべきだ。
原発の危険性を述べていた学者の意見も取り入れ
万全を尽くしていたら、福島原発事故も防げたのではないか。
原発御用学者のなかには反省している人もいるようだが、そらぞらしい学者も未だ居座っているように見受けられる。委員長や北大院の学者。
保安院が同省にあったことに驚く。
管政権下で、原子力に関する三権分立をやってもらいたい。おぼつかない現政権下で、できるか不安であるが、解散をしない限り、2年は残っているので時間はある。
原発安心神話は崩れ、何年続くか判らない放射能被害におびえる福島や関係地域の人々に謝罪をすべき学者が平然と生活しているのには驚く。
原子力事故は一度起こると防ぎようのない災害となることを公表しないで、しかも、その被害が長引くこと、過去の事故は小さい事故で、広範囲に広がらなかったことをいいことに国民を安全神話で誘導してきた国の責任は大きい。
何か、戦前の日本海軍、陸軍の大本営の体質に似ているようなき気がしてならない。
次回に続く。(誤字、脱字をお許しください)

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