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2012年4月 5日 (木)

NHK ドラマ「平 清盛」リアルさを狙って、かえって現実離れ 視聴率低下

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NHKの大河ドラマ「平 清盛」を毎週見ております。BSプレミアムで夕方6時から、食事をしながら見ています。このドラマでは、リアルさを求めているとかで、特に当時の公家(貴族)と武士との違いを際立たせようとしています。公家は立派なきれいな衣装に身を包み、武士は木綿か麻の洗いざらしの服を着ています。従来の歴史ドラマでは、登場人物が庶民まで含めみんなきれいな衣装をしているものがあって、違和感を感じることがあります。それに対し、「平 清盛」では武士の衣装を徹底的に汚し、洗いざらしにして、貴族と対比させリアルさを追求しようとしています。当時の京の都もかなり荒れたように作ってあり、武士の屋敷もきれいにしていません。この点はなかなか良いなと、思いました。

 しかし、それが度を超すと、今度は逆に違和感を感じ、現実離れを感じてしまいます。松山けんいち演ずる清盛は、4月1日(日)の放送日で、比叡山延暦寺との抗争でも、ずっと前の海賊退治をしていたころとほとんど同じ、残バラ髪で、擦り切れた薄汚れた衣装を着ています。

 この4月1日の視聴率は11,3%で、今季のワースト記録になったそうです。スタートでも17,3%だったのですが下がり続けています。下手をすると、今までのワースト記録「花の乱」の10,1%以下になる可能性があります。ちなみに「篤姫」は22,4%でした。インターネットで「平 清盛」を検索すると、「平清盛視聴率がイマイチな7つの理由」というというのがありました。3月28日配信のものですから、11,3%というのがわかる前です。それによりますと。

1 画面が見えない 荒廃したほこり臭い時代を

表現するため、コーンスターチの煙を出す映像手

法だが、兵庫県知事が「画面が汚い」との発言も

あるように、画面がよく見えない。                                                             2、主役が目立たない脚本 

清盛は無理やりからんで声を出すチンピラ状態                   3、主役が一番凡人 

大声と怒鳴るだけの7番手ぐらいのキャラ設定                    4、平安時代のハンデ

                                                             5、和歌と草書でよくわからない

                                                6、清盛は途中で病死する

                                                   7、裏番組が強い 日本テレビ「イッテQ」

が 17%など

 平 清盛の史実とされているものは、1118年に伊勢平氏の嫡男として生まれ、白河法皇のおとしだねとも言われ、このドラマでもそのようにえがかれています。大治4年(1129)には、12歳という若さで、従五位の下に任官され、左兵衛佐となっています。普通は守、佐、尉(じょう)の中で、三等官の尉に任命されるのが普通のようですから、二等官の佐に任命されるのは異例です。北面の武士に任官されたとドラマにありますが、これも薄汚い恰好です。法王を守る武士の代表ですが、薄汚れた格好などさせないはずです。そして、1137年には、19歳で肥後守に受任しています。同じ武士といっても、武家の棟梁の御曹司で、伊勢に領地をもち、父の忠盛は博多での日宋貿易で大きな富を得て、その財力で貴族にとりいっていました。そういう裕福な伊勢平氏の御曹司が薄汚い恰好をしているはずはありません。それから、顔もいつも汚れていますがおかしいと思います。武士のたしなみとして服はたとえ汚れていても顔はきれいにしていなければならないでしょう。さて前回の物語では1147年の清盛と延暦寺との争いの話しですが、この時清盛29歳で、もうすでに立派な殿上人で、薄汚い恰好をしているはずはありません。一方源氏の人たちも同じように薄汚い恰好をさせています。こうなるとリアリズムでも何ともない感じがします。一体いつになったら、清盛は顔を洗い、残バラ髪と洗いざらしのすり切れた衣装をかえるのでしょうか。みなさんも注目していてください。

 先週のお話ですと、清盛が自分で、比叡山の神輿を矢で射たとなっていましたが。実際は、祇園社との小競り合いがあり、清盛の郎等の射た矢が、祇園社の宝殿にあたり、末社の祇園社での出来事に延暦寺が怒り、強訴したということのようです。

 まあ、いろいろな疑問点がありながらも、これからも見ていくつもりですが。

3月30日追記版

 3月29日から第二部になりました。まえより、明るくして衣装もきれいにしたということで、

 改めて見てみました。平家の棟梁となった、清盛は襤褸の服ではなく、黒い普通の服に代わっていました。髪も残バラ髪でなく、少しまとめてありました。でも不精髭のようなひげはかわりありません。あと、清盛は安芸の守で、もうすでに四位の位があると思いました。死んだ父の忠盛も四位でした。清盛は、忠盛が生きている間にもすでに安芸の守なのですが、ひどい恰好をしていました。それから、清盛は平家の棟梁になっても折烏帽子でした。折烏帽子は武士や庶民が被るものです。父の忠盛はまっすぐな立烏帽子です。清盛は子供のころ従五位の下になった時点で殿上人で、もう、本来立ち烏帽子のはずなんですが。

 藤原家の家に、鳥羽法皇が来て、棟梁としてのお披露目のあるときはさすがに冠でした。正式には、冠をかぶらなければならないのです。

 後、海賊の親分から、清盛の家来になった兎丸は、ずっと海賊の親分の時と同じ、独特の頭飾りで、服も海賊当時と同じままでした。海賊の衣装をそんなに長く着ていられるわけでもないのにおかしいです。清盛が、武家の棟梁になり、兎丸は清盛の護衛に任命されていましたが、かぶっているものは同じです。もう侍大将格になっているのに、まだ兎丸などという名前で呼んでいるのもおかしく思えます。きちんと名前を付けるはずです。リアリズムのつもりが,見当はずれで、それも度を過ぎると見ていて不満が募ります。

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