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2012年12月16日 (日)

人、人間、ヒト、人間学の名称について 追記版「人」は百済語に由来 (310)

 ヒトという言葉は古語であって、『万葉集』や『古事記』などでは、漢字の人という言葉にヒトという言葉を当てはめて使っていました。また漢字の人はジンともよばれていました。それにはいわゆる人間を意味する使い方とともに、他人やさらには「世の中」という意味にも使っていました。『枕草紙』などには「人間」という言葉が使われ始めましたが、古くはジンカンとよばれ、その後ニンゲンと呼ばれるようになりました。中国語では「人間」(renjian)は、ヒトの世、世間という意味に使われています。

2012年12月追記 「人」という言葉は百済語から由来した

金容雲氏『日本語の正体』(三五館、2009年)について実用的人間学研究会で以前お話しをしました。その中で1、「大王達の百済語」と言う章の中に、「ひと」という言葉に関して面白い話がのっていたので付け加えます。(P122~123)

 日本の天皇家は百済王家と同脈であることは、(この本で)説明しましたが、具体的な例として、宮中では母親のことをカラ語(現在の韓国語や日本語のもとになる言葉)の「オモニ」と同じく「おも様」と呼んでいました。                                      またいつのころからそうであったかは知りませんが。「裕仁」、「明仁」のように天皇の名前には「仁ーひと」がつきます。「仁」が初めて文献上に明確に登場するのは『日本書紀』「垂仁紀」と思われます。

 崇神天皇のころに日本に来たとされる大加羅国王子の名前が「阿羅斯等(あらしと)」またの名を「阿利叱知(ありしち)」であったと『日本書紀』「垂仁紀」に記されています。「斯等」はすなわち「叱知」です。

 『魏志』には古代南韓一体内にあった辰国内の部族国家の王は「臣智(シチ)」と書かれています。天皇家が辰王家に繋がることは前に説明しました。                     韓国語の「貴方」に当たる「ニム」は「君 ki-mi」の古い言葉で、「ニムクム(王様)」を意味します。それと同様に古代語「斯等(しと)」も王様という意味でした。今はただの「人(ひと)」という意味に過ぎません。また『日本書紀』「神武紀」に記されている「えうかし、おとうかし」「たかくらじ」などの「し」「じ」も「斯等」の「し()」と同じものと考えられ、日韓共通語なのです。

 アボジ aboji-oyaji おやじ(親父)

 アジシ ajisi-oji おじ(小父)

 古代語の臣智、叱知の「ち」はカラ語で人という意味の「チ」に対応します。

「斯等」の「と(等)」は「商人(あきんど)」、「仲人(なこうど)などにものこっています。

天皇の名前からして古代カラ語そのものなのです。 -一部略

古代以来、天皇語はカラ語以外のものは考えられません。

 以『日本語の正体』から引用しました。

参考ブログ 

 「日本語の正体」話の大王(天皇)は百済語で話す 「こういちの人間学ブログ」

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2012/07/post-b1ed

 すみません。上記はうまく開けないので、「こういちの人間学」2012年7月23日付の上記のブログを開いてください。

人間という言葉について

「人間」とは、もともと仏教用語で、輪廻転生する六道(あるいは六界)すなわち、地獄中、餓鬼中、畜生(けもの)中、阿修羅、人間、天上の中の一つで「人間界」をあらわすものでした。「人類」という言葉も「畜類」に対比する意味で、仏教で使われた言葉でした。

 「人間」という言葉が、人(ヒト)と同じ意味でつかわれるようになったのは、室町時代末期以降で、とりわけ明治以降に一般的になりました。ヒトとかながきされる場合は、生物学的な意味でつかわれることが多いのです。哺乳類学者で人間学者の小原秀雄氏(女子栄養大学名誉教授、総合人間学会会長)は人間の生物学的側面をより注目する必要があると指摘し、生物としての人間の存在を「ヒト」という言葉で表し、社会的存在としての「人間」とはっきり区別する必要があると論じています。

 英語においては、「人間」は Human being とかhumanあるいは man 総称としてはHuman beingsなどが使われます

「 ひと」 はperson  people man womanなどが使われます

  「人類」は mankaind Humankind humans humanraceとなります

 「人間」は anthropos homo ともいわれ ドイツ語では Menschとなります

「人間学」の名称

和辻哲郎氏は「人間」の学は、世間といわれるような社会性をもっていて、単に厳密な意味で、個人たる「人」の学ではない。人間関係においてのみ初めて「人間」であり、人としての存在と世の中あるいは世間という意味での「人間」という両側面の統一性としてとらえなければならないといっています。そして人間がいかにあるべきかに関しての倫理学は人間学であらねばならないといっています。(『人間の学としての倫理学』)

 さて「人間学」という名称は実に多様な使われ方をしています。日本における「人間学」という言葉が最初に使われたのは、1873年(明治6年)に、西 周が『百一新論』において、アンスロポロジーを「人性学」と訳し、ソシオロジーを「人間学」と訳したのが最初であるといわれています。現在ではアンスロポロジーは「人間学」、ソシオロジーは「社会学」と訳されています。また1897年に大月隆が『人間学』を出版したのが、単行本のはじめといわれています。

 そのご、ドイツにおける哲学的人間学の日本への導入により、京都大学の哲学科を中心に研究日本においてはAnthropology(英)は人類学とも人間学とも訳されます。だいたい自然科学的なものを人類学、哲学的なものを、人間学と訳している傾向があります。しかし厳密に分けられているわけではなく、翻訳者の好みで分けられていることも多いのです。またHuman science も人間科学とも、人間学とも訳されています。その境界はあいまいなものとなっています。

 私たちが研究を続けている人間学は、ほかの人間学と区別するためにあえて、Humanologyとなづけています。Humanolgyは私たちの人間学研究所が作られた時には極めて少ない使われ方でしたが。現在では日本においても、欧米においても広く使われ始め、今に公式なことばとして認定されることでしょう。

 ちなみに総合人間学会は英語名として、Anthroporogyの名称を使っております

*参考資料

 「人間学とは何か」現代のエスプリ82号 昭和49年(1974)至文堂 茅野良男編

 が詳しいです

追記 :『人間学研究所年誌』2000 第一号(HUMANOLOGY)は、2012年1月の国立国会図書館のインターネット検索の変更により、『人間学』と名のつく書物その他すべての中で、一番最初に出てくるようになりました。

 

 

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