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2013年5月 7日 (火)

「健康病が心身をむしばむ」 河合隼雄 「こころの処方箋」5

 このブログは最初は2010年7月に書かれたものです。一部手を加えて更新しました

第24章 「健康病は心身をむしばむ」

このテーマは『こころの処方箋』の24番目に書かれていることです。「健康病」とはともかく「健康第一」で、そのことに専念してしまう。それで近所迷惑をかけていて、ほとんど病気なのですが本人が無自覚なことを言います。たとえばコレステロールがよくないと知ると、コレステロールを目の仇にしているが、友人からコレステロールも有益だなどと聞くと、「適度のコレステロール」とは何かについて思い悩み、食事のたびごとにああだこうだというような人をいいます。本人も家族も食事の楽しみがなくなってしまいます。

 健康病の恐ろしさは、伝染性を持つことで、健康病の人は他人に伝染させることを、生きがいにしているようなふしがある。それは自分が不安なので仲間を作りたいからだ。

 友人との集まりでよく仕事をしよく遊びをやりすぎだなと思う人が50余歳で死んでしまった。あれだけやりすぎると死んでしまうのかなという人もあるが、河合氏はなんとなく50位で死ぬ寿命を感じ取ってそれだけやったのではないかといったそうです。私が思うに河合氏本人もあまりにいろいろなことをやりすぎて命を縮めたのではないかと思います。

 人間の人生には実に多様な見方が可能なのだということなのだと。多様な見方によって豊かな人生を送れるのに、健康ということだけに縛られてしまうことの精神の貧しさを指摘したいというのです。それは「心」に関する価値を評価できなくなってしまったということと関係がありそうである。忠義とか孝行が最高の価値を持っていたものも今は下落してしまった。親切とか愛情とか言ってもこの競争の激しい時に、そんなことを言ってはいられないといわれそうである。

 昔、ギリシャ時代では、体と心と魂という三つの要素によって考えられていたという。現代人は「心」に失望しつつ、魂の重要性を再び認識しかけているのだが、そんなものは知らぬので、それを飛び越えて「体」をやたらと大切にするのではなかろうか。もっとも重要な魂のことを知らぬことから生じてくる不安を何とかごまかそうとして、体を大切にする。こういうふうに考えていると、ジョギングなどをしている人に「宗教的情熱」を感じさせることがあるのもうなずけるのである。魂のことに思い及ぶことで、健康病からの回復がなされるように思うのである。

 以上が、この節の内容です。

 確かに健康病の人は多いと思います。いろいろなテレビ番組(たとえば試してがってんなど)で放送されると翌日、体に良いというその品物が一ぺんにになくなってしまうということがよくあります。西原理恵子さんの『毎日かあさん』と言うマンガで、同居している西原さんのお母さんが、NHKの「試してがってん」を見ていて、「なになにがいいぞね」と言ってそれを家族のみんなに強制的にすすめるという話がのっていました。                    

 前にも私のブログにも書きましたが、検診でのメタボの基準がおかしく、みんなを「病気」にしてしまい、薬づけにするという問題を書きました。高齢者ではやせが最も死亡率が高く、「ちょい太」が最も長生きであるといわれます。最も長生きする「ちょい太」であるのが本来基準であるべきなのではないでしょうか。と「ちょいぶと」である筆者がつねづね思うことなのですが。胴周りが女性で90センチなのが、男性で85センチ以上で肥満と言うのは全くおかしいです。欧米では逆です。また身長との対比も無視されています。身長190センチの人と、150センチの人では胴周りもかなり違うはずです。これにはすでに批判が多く、この基準では男性94,3%、女性85%が何らかの基準をオーバーするというのです。5%の男性しか異常なしというのはおかしいです。この基準では多くの人が以上と判定され無駄な医療費を払わなければいけないことにないことになります。

 ともかく全体のバランスが大切なのですが、いろいろな健康法の中で偏って何々がよいとか言って、実行すると体に悪いのははっきりしています。

 ただみんなが体に気をつけすぎるのは、河合氏の言うように、宗教的情熱や「魂」がかけているからだけではないように感じます。自己責任をいい、ストレスを強く感じさせる競争社会によって心身がひどく痛めつけられているという一面を見なければいけないと思います。ともかく、心身ともに疲れきらせるような世の中なのです。だから少しでも健康でいたいという要求につながります。そういう社会的側面を見ないで個人の「こころがけ」が悪いように言うのはどうなのでしょうか。確かに人に健康で「ああしろ、こうしろ」という迷惑をかけている人はいますが。

 それに魂って一体なんでしょうか。宗教的情熱なのでしょうか。河合隼雄氏は創価学会とのつながりが強いと聞いていますが今一つ私にはわかりません。たとえば私は無神論者で実用的人間学に基づいた科学的信念を持って心のよりどころにするということはありますが宗教的情熱は持っていません。あらためて魂というのはなんででしょうか?またここでいう河合氏のいう、現代人が失望する「心」というのもいまいち私にはわからないのですが。お考えがあれば教えていただきたいと思います。

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