村上春樹氏の『色彩をもたない多崎つくる~』を読みました。『1Q84』との対比も
『色彩を持たない、多崎つくると、彼の巡礼の年』という、題名が長いということでも話題の村上春樹氏の本を読んでみました。
2013年4月15日第一刷 1700円+税 文藝春秋
この本は発売前からすでに話題となっていて、発売して、猛烈に版を重ねているようです。発売間もなく新宿の中堅の書店には在庫がなく、もちろん私のすんでいる近くの本屋にもありませんでした。予約して待つ方法もありますが、結局アマゾンで頼んでしまいました。大書店や通販以外の店の経営の厳しさが思いやられます。届いたその日のうちに一通り読んでしまいました。その後メモをとりながらまた読みなおしました。
私は小説類は、時代小説が好きで、村上春樹氏のような本はあまり読みません。しかしこれだけ話題になっている本は読むべきであろうということで読んで見た次第です。すでに、村上春樹氏の大ヒットした、『1Q84』については、本を読み感想を2010年6月にブログに書きました。『1Q84』と、今回の『色を持たない,多崎つくる~』とかなり共通するものがあり、少し文章を加えてブログを更新しました。
なかなか難解なところがあり、途中で挫折してしまうのだそうです。そのために下に書いたような解説書もできています。筆者にとっては、不合理や神秘主義の世界というものは、興味はあっても、それが小説の中で、さもありそうな形で出てくるのには違和感を感じてしまうのです。ですから、ほかの本まで次つぎに読んでみようとは思いません。それは、司馬遼太郎氏や宮城谷昌光氏の小説とは違います。彼らの本は、ほとんどすべて面白く読みました。
今までに書いたブログです。書き加えて更新しました。
「1Q84]における性描写 ファンタジーにしてもおかしいと思ったこと]更新版
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/.05/q84-1b81.html
「村上春樹『1Q84]』とカルト宗教 更新版」
http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/05/1q84-bq22.html
★ 上記の2つはうまくつながらないようです。申し訳ありません。
共通点
未成年者との性交 シロとクロ 夢?の中での交わり いつも16歳か17歳のまま 『1Q84』でも18歳未満の女性との性交が出てくる。
不可解、神秘の世界の、「1Q84」と象徴として共通する小人(リトル・ピープル)の存在 小人が神秘の世界を支配?
六本指を持つ人間 魔術的な存在とされる 神秘主義との深いつながり。
登場人物について 1、主人公
多崎つくる
この本の主人公 特徴がない= 自信がない
魅力的ではないと思っていた「1Q84]では「天吾」に相当
悪魔的な側面を持っていると ユズは絞殺されることを望む
ユズと闇を共有 エリが「悪霊」とよぶもの
始め5人組から外され、ショックで死のうと思う。顔つきが変わる
もともと一番ハンサムで魅力的。しかし自分には自覚がなかっ
た。
少年から大人へ そして元の友人を訪ねることを巡礼の旅とし
ている。その後、色がないなんてこはないカラフルな田崎つくる
君だよといわれる
それへの、木元沙羅という年上の大人の女性の導きが重要
駅をつくるという着実な仕事 考え方の着実性、堅実性が
つくるを支える
しだいに自己に目覚め、自信を回復していく過程
クロからのアドバイス、沙羅をはなしてはダメと
最後に木元沙羅への告白 どうなるのか結末を見せず
に終了
2、色の名前を持つ人とそうでない人
多崎 つくる 鉄道会社の建築課 駅をつくる堅実な仕事
5人の中自分でだけ色を持たないと思っている
他の4人は色で呼び合う 名古屋にとどまり彼だけ
東京へ 仲間から絶交を宣言される 理由が
分からない沙羅に会い36歳のとき、改めて真相
を探ろうと、旅に出る
アカ 赤松 慶、高校同級生 自己啓発の会社を創立
メガネをかけた小柄な青白きインテリ風
アオ 青海悦夫 高校同級生男子の名前、自動車販売
会社勤務 大柄なスポーツマンタイプ
シロ 白根柚木(ユズ)、高校同級生、小柄で清純、
音楽大学へ 夢?のなかでつくるからレイプされたと、
妊娠そして流産、そして絞殺される原因は不明と
闇の世界で殺される
殺されてしまう白雪姫 「1Q84」では「ふかえり」に相当
クロ 黒埜恵理 高校同級生の女子の名前 結婚して
フィンランドへ つくるが好きだった。大柄で豊満な女性
クロは沙羅を手放してはダメという
灰田文紹 物理学の年下の学生 壁抜けをして、つくるを
みつめる(観察)?シロとクロとの中間的、同性愛的
関係?つくるの精子を口で受け止める=シロに精子
が飛んで行く
灰田青年 灰田の父親 大学教師 青年時代 緑川と会う
緑川 ジャズピアニスト 悪魔的な存在
黄色だけがないと思ったら 女主人公が
木(黄)元沙羅 つくるの2歳年上 大手旅行会社勤務
彼女には年上の彼氏がいる つくるにフィンランド
行きをすすめる 38歳 「1Q84]では青豆にあたる
村上春樹について
「村上春樹を知りたい」 春樹大学、開校 という本がある(4月12日発売 GAKKEN)
存命の作者の中では大学の講義が最も多いといっても過言ではない」といわれる
他の本を読んでいないが、様々な試みをしているようである。また文章表現においてさすがと思えるところがある。共通点は神秘主義とセックス。
師と言える人物は臨床心理学者で故人の河合隼雄であると。
河合隼雄はユング学派を日本に広めた人。河合には神秘主義的な側面がある。
その影響を受けているのだろうか。
音楽との関係
音楽が様々なところに出てくる。村上春樹氏の音楽へのぞうけいが深いことがわかります。この作品ではリストの「巡礼の旅」ル・マル・ヂュペイ ラザール・ベルマンによるものがいわばテーマ曲となっている。この曲はネットで一部聞くことができる。さぞたくさん売れることでしょう。
◎ まだ書くべきことはたくさんありますが、とりあえず、思うことを書いてみました。
1、毎日新聞の書評
2013年5月24日(金)毎日新聞の「論点」で、「ハルキ・フィーバー考」という特集記事がありました。
いままでの村上春樹氏の作品と発行部数(国内分)
「羊をめぐる冒険」(82年野間文芸新人賞 311万部)
「ノルウエイの森」上・下(87年 1108万部)
「ねじまき鳥
クロニクル」全3部(94~95)読売文学賞
「海辺のカフカ」上・下(02年、301万部)
「1Q84」全3部(09から10)毎日出版文化賞 781万部
「色彩を持たない~」発売40日で105万部
さて内容のポイントを書いてみます。
ロバート・キャンベル(東大教授)、「日本独自の『お祭り気分』」
純文学的な作品を熱狂的にむかえる現象は、米国ではあまり見られない。出版社の仕掛けのうまさと、同じものを買って使いこなすことで不特定多数と繋がりたいという、日本独自の消費文化を指摘できる。彼の小説の主人公は穏やかで静かで、精神的なジレンマや行き詰まりを抱えながら諦観を持って生きている。男性主人公が生きる上で受け身になりがちなのは近代文学の王道。「多崎つくる」もそうだった。村上の文学が現代の日本文学の代表になっている。そろそろ若い作家をさがなければいけない。
菅野昭正(東大名誉教授)、「思わせぶりの大家」健在
70年ごろの政治、社会の頑強な障害にぶつかった経験から来る喪失、空虚、孤独と言った感覚につきまとわれ、自分のまわりにつながる世界と距離を置く。彼らの日々の過ごし方は生活感が希薄で「リアリティー」にかけるという批判もあった。その後で野作品も根本的なところは変わらない。スノビッシュなうまい表現を続ける村上春樹を私は「思わせぶりな大家」とよぶ。100万を超えるという読者のうち「時代のバイブル」として読んでいる層も少なくないのではないか。
福島亮大(文芸評論家)、「現実味持つ『冷えた世界』」
多くの読者にとって、内容の良しあしでではなく「現に話題になっている」「著者が有名人である」というシンプルな、事実性しか、まともな判断基準がない。発売前から予約が殺到ということは中身が良いからということではない。現代の有名人にしたって一皮むけば『無名』の人と大して変わらない。単に話題が話題を数字が数字を生み出しているにすぎない。しかし村上の初期作品にある、有名性と無名性がコインの裏表になる世界は若い世代にとっても日常的なリアリティーそのものだからである。
2、小説だからなにを書いてもいいけれど
私のように幽体離脱や壁抜けなどの神秘現象に批判的
なものにとっては違和感があります。超常現象や、心霊主
義や神秘的なものが好きな人は多いけれど、金縛りやら、
幽体離脱などの原理は、大脳生理学的に、解明されています。
しかしかなりの人々特に若者が、このようなものに興味を持ち
あるいは取りつかれている人がいます。ありもしないものに
おびえたり、影響を受けるのは、残念なことです。
◎ネットでは幽体離脱する方法を教えますなどという記事があります。
基本的に金縛り(就寝中、意識がはっきりしているのに身体を動かすことができない現象で、医学的には睡眠麻痺とよばれます。不規則な生活や寝不足、化労やストレスからおきるといいます。金縛りはレム睡眠の時に起きる。脳は活発に動いているが身体は活動を休止している。金縛りの後に自分の寝ている姿を見るなどということが起きて、幽体離脱だとされます。しかしそれは、入睡時幻覚と言えるものです。幻覚は、その人が眼を開けていても、ほかの人には見たり聞いたりできないものを、ありありと眼に見え、耳に聞こえます。私のおばあさんが死ぬ間際にも、幻覚が見えていたようですし、今老人施設に入っている私の母親も幻覚が見えていました。本人には、見えているのです。
2017年2月24日 追記 毎日新聞記事
「ハルキストわくわく 4年ぶりに新作に行列」
村上春樹さんの4年ぶりとなる長編小説「騎士団長殺し」全2巻、各巻1944円が発売されました。午前0時に、カウントダウンイベントをやり代官山蔦屋書店では、約100人が駆け付けた。
新潮社では1部70万部、2部60万部を用意する。2013年4月に文芸春秋から、刊行された「色彩を持たない多崎つくると.彼の巡礼の旅」は累計約150万部に達している。
2月24日のアクセス数で、このブログが急増しました。
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とら猫イーチ様
亡くなられたお父さんも、なかなかすごい方だったのですね。小さい時からそれだけ訓練を受ければ、多少のことでは、怖さを感じないでしょうね。
それにしても、お化け屋敷のヒトダマの原理を学んで実際にやってみるなんてすごいです。おばあさんはさぞびっくりしたでしょうね。
私の父も戦争に7年もいっていました。およそ迷信的なものを信じませんでした。祖母もそうでした。98歳で死が近くなり、幻覚が見えても、それは本当は見えていても実際にはいないんだと、自分で言うくらいでした。その点は幻覚を実際に有るものと思ってしまう迷信深い母とは大違いでした。家族の影響というものは大きいですね。
投稿: こういち | 2013年5月25日 (土) 15時20分
こういち 様。
御賞賛に値するようなことでは無くて、ただ、私が小学校入学前に、亡き祖母が妹と私を墓地に連れて行き、その折に古びた供養のための花々や諸々の墓石を観た妹が泣き叫び、つられて私も泣いたことがあり、帰宅して亡父に笑われたのです。 亡父は、戦時中に中国・フィリピンで激戦に参加して突撃もした人でしたので、死体等は何んとも思わない人間でした。 子供が何かを怖がれば、余計に怖がらして泣くまでやめず、泣けば「臆病者、小心者」と侮辱していましたので、子供心に反発しただけでした。
私は、小さい頃から、墓場で虫取りをするのが常でした。 何しろ、普段は誰も居ませんので、自由に遊べたのです。 遊園地のお化け屋敷でも喜んで笑っていました。 そこで方法を学んで、堅く丸めた脱脂綿にアルコールを浸して、鉄線に繋ぎ、火をつけて、夜中に庭で家人を驚かせもしました。 面白かったですが祖母を驚かせて亡父に叱られました。
投稿: とら猫イーチ | 2013年5月25日 (土) 14時51分
とら猫イーチ様
中学生の時に、みんなが幽霊だとか言っているときに、何か分からぬものをはらうということはよほど、そういう神秘的なものはないのだという確信がないとできませんね。大したものです。
私も幽霊とか死後の世界とか言う神秘主義的なものを全く信じていません。そういう神秘的なものがあると思っていることと恐怖心が幽霊などと思ってしまいます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」なのですが。私も子供のころ、ひとだまのようなものが上がっていくのを見ましたが、燐が燃えるとか、自然現象として見ていました。
本当に、幽霊などが物質的に存在しているならば誰かが発見しているはずです。私のブログにも書きましたが、2000年も前に王充が幽霊はいないと論理的に説明しました。人間が幽霊になって出てくるときに幽霊が物質である着物を着てあらわれてくるのはおかしいと。それに死んでみんな幽霊になるなら、そこらじゅう幽霊だらけになってしまうはずなのに、はっきりと存在しないではないかと。
寝入りばなや眼がさめる寸前は夢か現実かがあいまいになります。蚊がぷーンと飛んできて顔に止まったので、手でピシャッとたたいたのです。私は家内に蚊が出てきたから、蚊取り線香が必要だといいました。数日後、同じ蚊の夢を見て、その時は夢とわかりました。それで前のも夢だったとわかりました。いわゆる幽体離脱も私は以前経験しましたが、それは夢であると思っていたので何ともありませんでした。
投稿: こういち | 2013年5月25日 (土) 12時35分
とら猫イーチ様
中学生の時に、みんなが幽霊だとか言っているときに、何か分からぬものをはらうということはよほど、そういう神秘的なものはないのだという確信がないとできませんね。大したものです。
私も幽霊とか死後の世界とか言う神秘主義的なものを全く信じていません。そういう神秘的なものがあると思っていることと恐怖心が幽霊などと思ってしまいます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」なのですが。私も子供のころ、ひとだまのようなものが上がっていくのを見ましたが、燐が燃えるとか、自然現象として見ていました。
本当に、幽霊などが物質的に存在しているならば誰かが発見しているはずです。私のブログにも書きましたが、2000年も前に王充が幽霊はいないと論理的に説明しました。人間が幽霊になって出てくるときに幽霊が物質である着物を着てあらわれてくるのはおかしいと。それに死んでみんな幽霊になるなら、そこらじゅう幽霊だらけになってしまうはずなのに、はっきりと存在しあにではないかと。
寝入りばなや眼がさめる寸前は夢か現実かがあいまいになります。蚊がぷーンと飛んできて顔に止まったので、手でピシャッとたたいたのです。私は家内に蚊が出てきたから、蚊取り線香が必要だといいました。数日後、同じ蚊の夢を見て、その時は夢とわかりました。それで前のも夢だったとわかりました。いわゆる幽体離脱も私は以前経験しましたが、それは夢であると思っていたので何ともありませんでした。
投稿: こういち | 2013年5月25日 (土) 12時34分
昔々、中学校の林間学習で、高野山へ行った時のことです。
山内の御寺や奥の院等を見学後、夕食後自由時間になり、やがて就寝後暫くして、女生徒の悲鳴が聞こえました。 大部屋の片隅に青白い明りが観え、フワフワと浮かんでいました。 女生徒は勿論、様子を観に来た男生徒も皆、遠巻きにして観ているだけで、「人魂」とか「幽霊」とか云う声も聞こえていました。
私は、幼児の折より、何が切っ掛けになったのか自分でも意識しない内に、幽霊とか霊魂とか、死後の世界、とかは、嘘だと堅く信じていましたので、この時も、「人魂」とか「幽霊」との声がバネになり、弾かれたように、漂う明りに近づき、手で払いました。
すると、その明りは、畳の上に落ちたまま動かなくなったのです。 近づいて良く観ると、夜光虫でした。
全てが、私の経験で片付く程単純なものでは無いのでしょうが、自己の恐怖心が増幅して自分自身を緊縛してしまうのであれば、克己心が自分を助けることもあるのでしょう。 それからは、自分の夢に恐怖を感じるものが出て来ると、我が身は寝ている筈なのに、怒声を発して接近するとその恐怖の対象が消えるのです。 このことから、宗教(特に禅宗)や、武道で克己心を重視するのが分かります。 特に武道(だけで無いでしょうが)、恐怖心は体を堅くし、反射的に技を掛けることが出来無くなりますので、禁物です。
投稿: とら猫イーチ | 2013年5月25日 (土) 11時32分
とら猫イーチ様
あらすじでも読むのは苦痛で、とはその通りでしょうね。確かに、普通なら私も読まない本です。本を読んだ後のなにがしかの感動というものが全くないのです。毎日新聞の『論点』にも批評家の方が書いていますが、現に売れているということで、出版社のうまい販売戦略もあり、よく売れているのでしょう。日本の現代小説の代表作として海外でもたくさん出版されていますが、確かに極めて残念な状態の日本のレベルを良く示しているということです。ですからキャンべル氏がいうように村上文学が日本人の顔の代表になっていて、そろそろ、もっとましな若い作家を探さなければいけないというのは、その通りだと思います。
投稿: こういち | 2013年5月24日 (金) 11時20分
こういち 様。
忍耐強いですね。 御紹介になっておられる粗筋でも読むのは苦痛で、途中でやめた私ですので、原著はとても読むことが出来ません(笑、笑、笑)。
ま~、著者には失礼ながら、そんな糞みたいな筋の小説(?)等には縁はありません。 最高裁判所の判決集の方が知的好奇心を満足させてくれますし、あらゆる証拠を基に、格調高い判決を出された裁判官の方々には、深い敬意を持ちますが、出鱈目小説は遠慮いたします。
文学は、その時代の文化を反映しますので、今の日本を写しているのでしょう。 逆に、それならば、今の日本を知るには、優れたルポが良いでしょうに。
もう私も残された時間には、限りがありますので、読書するなら、自分の専門や興味がある対象に限定したいところです。 文学なら、時代を経て今に残された英文学を原文で読みたいですし、原文を参照しながらシェークスピアの舞台録画を観る積りでBBCのDVDも買っています。
現代の小説では無くて、自伝とも云えますが、「アンジェラの灰」(Angela's Ash)を読んだ時には、涙が止まりませんでした。 アイルランドの移民で苦学されて教師になられた方が、自分と家族の彼の地での過酷な生活を淡々と記されたものですが、これは小説ではありませんでした。 著書には、素足の子供時代の自身の写真を添えてあったのです。 癖の無い英語(多少はアイリッシュを交え)で、読みやすく分かり易く、気取らず書かれた英語は、教材に最適で、著者が朗読されたCDも買いました。 これから再読、再々読をしたい、と思っています。
投稿: とら猫イーチ | 2013年5月24日 (金) 10時46分