原発事故二年、福島を訪ねる 帰還困難地区の浪江町請戸へ、車内で一時10マイクロシーベルト以上 追記版
4月26日(金)から、27日にかけて、日本ユーラシア協会原発問題特別委員会主催の、「3,11原発事故二年、今福島は ~日本一美しかった里を訪ねる」に、人間学研究所のメンバー5人が参加しました。以前から一度は訪問したいと思っていましたが、このような機会がないと、なかなか行くことは、困難でした。人間学研究所の柴田所長と、理事の木村さんがユーラシア協会の有力メンバーで、私たちに声をかけていただきました。参加したのはお二人と、私、そして杉山、倉田氏の5名です。全体では28名の参加で、まだ参加したい方はたくさんいらしたそうです。私は、この旅行の状況をビデオカメラに撮り、5月の人間学の教育、実用的人間学で発表することになっております。倉田氏は元新聞社編集局長ということで、メモをお願いしました。
画面を小さくしないと、ここに収まらないため、わかりにくい地図となってしまいました。
大まかな位置関係がお分かりと思います。
5月8日、すこしわかりやすい地図を追記します。小さいですが番号に従って説明いたします。また、地図上でピンク色になっている地域は、Cs137(セシウム)3000k/㎡の放射線量が極めて高いところです。政府は、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムー(状況を判定し汚染状況のデータを提示する)の調査結果を、GW,まで公表せず、20キロの円形の避難を指示していたため、浪江町や飯館村のような極めて放射線量の高いところに避難させてしまった。逆に20キロ圏でも海側は汚染が少なかった。
4月26日 1、福島市内の浪江町の方々の住む仮設住宅訪問
26日2時に福島駅前のホテル(地図で①)に集合後、マイクロバスとワゴン車で、まず福島市内の浪江町の方たちが住んでいる、福島市南矢野目の仮設住宅に行きました。地図上で②の地域です。福島駅から13号線を北のほうへ進み、信夫山公園の下のトンネルを通り、新幹線と在来線のガードをくぐります。そのまま行くと東北自動車道の福島飯坂インターチェンジの入口になります。マイクロバスで20分ほどかりました。当日は雨が降り時々雷がなるという様な天気でした。仮設住宅内の集会所には、浪江町の住人の方が25名ほど、我々を含めてぎっしりという状態でした。
この中央の女性の方が自治会の会長さんです。避難生活の実態を詳しく話していただきました。交流会は1時間以上にわたりました。後で仮設住宅の中を見せていただきましたが、一人暮らしの人の部屋は小さい台所と部屋は四畳半しかなく、極めて狭いうえに、冬は寒く、夏は暑い極めて劣悪な環境で住まわざるを得ないと、厳しい状況をお話しいただきました。ただここは店が近く(近くにイオンなどがありました)恵まれている方だとのことでした。最後に、参加者で、「ふるさと」と、「花はさく」をみんなで合唱しましたが、何人も涙を流しているのが印象的でした。
2、放射線の健康への影響についての斎藤氏の講演
福島駅のすぐそばにあるホテル大亀に到着後5:45分から、福島生協渡里病院院長(元広島総合病院院長)である、斎藤 紀(オサム)先生から放射線による、健康被害について詳しいお話しをお聞きしました。
世界で自然放射能の強い地域があるがそこでの放射線による健康被害は特にない。子どもの甲状腺への放射能の影響などは、福島で現在少ないので放射線の影響が少ないと見るものもいるが、テェルノブイリの例などを見てもこれからたくさん起きてくる可能性があるので、注意深く見ていかねばならないなどとお話ししていました。一般の人にもわかりやすくということでしたが、もっぱら撮影を中心にしていたので内容はいまいちよくわかりませんでした。講演の内容はビデオに撮ってあります。
その後、夕食と懇親会となりました。各テーブルから自己紹介などがありました。紙芝居で、中国での悲惨な戦争を忘れないために、日本兵士に中国の少女が差し出したハマダイコン(海辺などに最近たくさん咲いているなの花のような紫色の花)を日本中に広めたという話が語られました。また最後に、「花は咲く」などをみんなで合唱してお開きになりました。
4月27日 帰還困難地域の浪江町へ
1、車内で途中の放射能測定
ホテルで朝食後、出発の前に参加者に特別なマスクが配られました。福島市から国道114号線をマイクロバスとワゴン車が走ります。途中の川俣町で休憩です(地図③)。ここは放射線は高くありません。そこをスタートして浪江町に入るところで検問所で、チェックを受けます。身分証明書を持参といううことでしたが、一人ひとりのチェックはしませんでした。そこから、みんな、高度な能力をもったマスクを着用します。地図上では④の地域です。車内では線量計が4台あって、すぐ隣の補助椅子の人が、大声で今いくつと報告します。東京では0,025マイクロシーベルト/時、高い福島でも0,6シーベルト/時ですが、車の中で遮蔽されるため半分くらいまでに低減されるといわれる放射線量が、山間部を走っているときに車内で最高で10マイクロシーベルト以上/時となり、車外ではおそらく二倍以上ほども高くなっているわけで、放射線の高さを実感しました。一定以上の放射線量で線量計の警告の音がピーピー鳴るのですが、それはかなり前から鳴りっぱなしでした。
参考 1、毎日、各新聞に掲載されています
福島原発周辺の累積線量結果(原子力規制委員会調べ)5月8日発表1,2日現在
浪江町津島仲沖(30キロ西北西) 94,070
浪江町赤宇木手七郎(31キロ北西) 216510
飯館村長泥(33キロ北西) 109,630
福島市杉妻町(62キロ北西) 7,738
*単位はミリシーベルト。1ミリシーベルとは1000マイクロシーベルト ( )内は福島第一原発からの距離累積線量は11年3月23日から)
参考 2 1時間当たりの空気中の放射線量 5月7日
福島市県北保健福祉事務所 0,35
飯館村(村役場) 0,735
葛尾村柏原地区 4,399
双葉町(石熊公民館) 9,331
浪江町加倉 2,712
新宿区 0,054
*マイクロシーベルト/時 高さおおむね1mでのガンマ線の測定 原子力規制委員会、福島県の公表による
参考 3 年間被ばく許容量
国際放射線防護委員会(ICRP)では年間被ばく量を1ミリシーベルトmSv以下と定めています。これは1時間当たりでは0,588マイクロシーベルトになります。2011年、福島県で、福島県の子どもの年間許容量を20ミリシーベルトにあげるとして問題になりました。同じ放射線量でも、乳児、妊婦、幼児には、恐るべき被害をもたらします。60を過ぎたものには影響が少ないでしょうが。
★ 筆者もよく見ていた、10年以上も続いた人気テレビ番組でTOKIOが主役のDASH(ダッシュ)村は、浪江町津島地区にありましたが、極めて放射線量が高いところで(地図参照)現在は使われておりません。
山から下りてくると浪江町の市街に入ります。街の中心部なのですが延々と無人の街が続きます。途中の加倉に測定所があります。ところどころ地震の影響で、家が壊れているところ、瓦が落ち、ブロック塀が倒れているところ等がありますが修理されずそのままです。放射線量は海に近くなり、山間部に比べ急速に減少してきました。線量計の警報音もならなくなりました。
2、浪江町の請戸海岸へ 津波被害がそのままに
津波被害の有った、請戸海岸(地図⑤)に近づくと周りの景色は一変します。請戸川が流れ込み、ここは漁港ですぐ隣は海水浴場の、とても美しいところでした。
これは車内から写したガレキの山です。これがところどころ山積みされています。
ところどころ、土台のしっかりした家は残っていますが、ほとんどの家は土台だけです。見渡す限りのなにもない原っぱのようです。地盤が沈下したのでしょうか、ところどころ水がたまり、池のようになっています。
この写真は浪江町の請戸港から福島第一発電所のほうを見た写真です。道路の先のやや右側に何本もの煙突が見えます。ここから5キロほど先ですが実際に見るとすぐ近くに見えます。左側は海です。天気が良く美しい浜でした。
これから、全員まとまって記念写真をとるところです。いそで、携帯で、全員写真を撮ろうとしたのですがあわてていて失敗しました、
携帯のストラップが映ってしまいました。全体写真をとってくれている方は運転手さんです。
がれきをバックにした筆者です。放射線量が低いということでマスクは下げてあります。写真で後ろの一軒だけ土台がしっかりした家が残っていますが一階は空洞です。
この写真は、港近くの船の残骸です。うまく波にのった船は海岸から奥のほうにそのまま残っていますが、この船はバラバラです。電柱が皆ぽっきり折れ、津波の力がいかに強かったかがわかります。津波から2年以上がたち、放射能の影響のない他の地域はかなりかたずけられていますが、まだ放射線の強いこの地域は津波の有った直後のあり様がそのままのこされています。ここも、もし放射線が強くなければ、復興していたことでしょうに。
3、南相馬市の保健所でスクリーニング、
浪江町から海岸に沿った国道6号線を北上します。右側が海岸ですが、まだ津波の被害が残ったままです。このあたりも放射線で強く汚染されているのです。
南相馬市の保健所で(地図⑥)、放射線量の検査、スクリーニングを全員で受けました。
頭の先から靴の下まで身体全体の放射線量を計っています。右側の背が高い男性が人間学研究所の柴田義松所長です。全員異常なしでした。
4、飯館村役場へ
次に飯館村の村役場に行きました(地図⑦)。飯館村は始め原発からの距離が遠いということで最初の避難地になったところで、実は放射線量が高いとわかり再度全員避難したところです。とんでもないことです。
飯館村は自然豊かなとても美しいところです。村長は除染を強化して全員が村に帰るように計画しているそうですが、除染を請け負っているのが大手ゼネコンで、多額のお金をつぎ込んでも急村民全員が戻る様子もなく、(子供のいる世帯は戻らないなど)除染費が1所帯あたり2億円にもなるような除染作業がいいのかどうかとの声もあるようです。村役場の裏に、除染された土の仮置き場がありますが当然高い放射能値です。最近放射能低下とかで緩和され現在村役場の前にある老人ホームには老人が戻ってきているようです。
終わりに
チェルノブイリでは、現地を除染して戻るのではなく、きちんとした住宅を建て、仕事も確保して、住民が安心して暮らせるようにしているのだそうです。日本では避難している住民のために本当に有効な対処をしていないようにも感じられます。仮設住宅は早くも老朽化し、今後のみとうしも立っていません。一部で、アベノミクスで景気回復かとか騒がれていますが、このままでは福島の原発問題が風化していってしまうのではないかと心配になります。走っている途中に、避難している人たちのすんでいた立派な住宅があり、まだ桜の木が満開なところが有ったり、さまざまな花が咲き乱れているだけに、その家に住めず、困難な仮設住宅暮らしをしている人のことが本当に気の毒です。ところが地域によっては避難している人々を、邪魔者扱いにしている心ない人もいるようです。少なくとも、現状がこのようであるということを少しでも多くの人に知ってもらう必要を感じています。
この内容は5月16日(木)18時から第54回実用的人間学研究会例会と、5月24日(金)の第94回新教育人間学部会(18時)で発表されます。
お問い合わせは 佐竹まで 090-6549-2677
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