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2013年9月18日 (水)

経営人間学(20) 300年続く青木酒造 鶴瓶の家族に乾杯に出る

 2010年6月9日付の「こういちの人間学」ブログに、「経営人間学(13)100年以上生き残る会社 (株)サタケも100年に」を書きました。(文末参照)その後、筆者が所属する、異業者交流会である「二火会」の会員である、青木貴史氏(青木酒造社長)さんについて、書くつもりが、ずいぶんと遅くなってしまいました。この文章はやはり二火会の準会員である久保田章市氏(法政大学大学院教授)が書かれた、厚労省外部団体の広報誌[エルダー」に2012年10月に書かれた記事を参考とさせていただいております。久保田章市氏は『百年企業、生き残るヒント』角川SSC新書など長寿企業の研究をされている方です。

追記:久保田氏はその後島根県の浜田市の市長になられました。

二火会の総会後、青木酒造さんの見学

 2012年10月15日~16日にかけて、二火会の総会が、新潟県の魚沼市塩沢町の上越国際(株)さんの、ホテル・グリーンプラザ上越さんにおいて開催されました。上越国際(株)さんの峠社長さんも、二火会の会員さんで、だいたい一年おきに、こちらで総会を開催させていただいております。上越国際(株)さんは、一時外国資本の支配下にありましたが、めでたく株を買い取り、支配下を離れたとのことで、おめでとうございます。

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 翌日は、上越国際さんのバスで、二火会会員の青木酒造(株)さんの見学をさせていただきました。青木酒造さんのある街並みは、昔の魚沼市塩沢の昔の、三国街道の宿場町の街並みを復活させたすばらしいものでした。2011年には都市景観大賞を受賞しています。その入口あたりに青木酒造(株)さんはあります。、昔ながらのがっしりした木造建築の店舗には、由緒ある立派な看板がかかっています。(鶴齢というお酒の名前が入っています)店の中にも江戸時代の名工が作ったすばらしい彫り物がありました。当日は、塩沢の有名なお寺なども見せていただきました。

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 店の奥が工場となっております。この写真では右側の背の高いがっしりした体格の青木社長です。二火会のメンバーが説明を受けているところです。筆者は写真をとっているので写っていません。

青木酒造(株)さんについて 家訓は「和合」

 青木酒造(株)さんは1717年(享保2)年の創業で、それ以来もうすぐ300年になろうとする由緒ある酒造メーカーさんです。現在の青木社長は創業者から12代目になります。青木社長が25歳の時に11代目だった祖父がなくなり、後を継ぐために母親の郷里に戻ってきました。今でも年齢は40歳の若さです。慶応大学の卒業で、その人脈を生かして、東京のお店にもたくさん販路を広げました。以下、「エルダー」の記事を引用させていただきます。

 杜氏の新保英博さんは、東京生まれのなにも知らない坊ちゃんが帰ってきて大丈夫だろうかと心配したそうです。

 青木社長は「うちの家訓といいますか、社是は『和合』です。酒をつくる人、売ってくださる人、そして飲んでくださる方がいて初めて酒が完成するわけです。

 創業300年という歴史をになう39(今は40)才の若木社長は常に社是に立ち返り、和合の精神で、ものづくり、人づくり、ひいては地域文化の育成に真正面から取り組んでいる。社長の心意気を42人の従業員がしっかり受け止め、60歳以上のベテラン4人が屋台骨を支えています。

青木社長は「酒のことはよくわからない。今思えばその真っ白な状態が帰って良かったかもしれません。とにかく必死でした。市場は落ち込む一方ですから。今までと同じことをやっていてはだめだとと思いました。新保杜氏と相談してうちの特色を洗い出し原点に変えることから始めました。新潟の酒の特徴は淡麗辛口が多い中で、うちはコメのうまみを十分に引き出した「淡麗旨口」の酒をつくっていましたから、やはりこのうちの独特の味をおし出していこうということになりました。始めて飲んだ絞りたての酒が本当においしかったので、これを売り出せないかと思いました。・・とにかく少しでも作ってほしいと頼みタンク一本分作り生原酒として無ろ過で売り出しました。幸いこれが好評で今ではタンクの数が増えました。新潟県でいち早く売り出した梅酒も新しい試みでした。老舗だからこそ革新的でありたいと思っていますが、素人の言葉を真剣に聞いてくれて、一緒に新しいことに取り組もうという空気をつくってくれたのが新保杜氏であり、途中から入社した営業担当の遠藤勉企画室長(65歳)です。お二人がいたから今の自分があると思います」

 新保杜氏は最初は無理だろうと驚いたが、必要な設備をきちんと作ってくれたしこれは本気だなと思ったと。

 遠藤さんが入社して新潟市場がテコ入れされた。青木酒造は9割が地元で消費されていたが、新潟県内、東京まで視野に置く必要があった。ながい歴史の中で、一度もリストラということをしたことがないという社員を大切にする青木酒造にとって売り上げの伸長は大きな命題であった。(最近のブラック企業と正反対ですね)

 昨年の二火会の青木酒造さんの訪問では、フランスの品評会で賞をとったという話しも聞きました。積極的な販路拡大がうかがわれます。

 創業以来、毎年約2000石の酒を寒仕込みで醸し出し続けてきた青木酒造。周りの酒造メーカーがいくつも廃業する中で、発展し続けるのは、おいしいお酒をつくりだし続けたこと、老舗でも常に革新をすすめていくこと、和合の精神社是としてつぬいていること。社員を大切にすることでした。これらは100年以上続いている会社に共通していることです。

 作っているお酒の代表として「鶴齢」があります。その由来は江戸時代の文人鈴木牧之は越後の状況を書いた『北越雪譜』を発行し杜氏のベストセラーになりました。牧之の次男の弥八が青木家の養子になって七代目を継承したことを記念して、牧之は代表的な銘酒を「鶴齢」と名付けたそうです。前に紹介した塩沢の通りも牧之通りと名づけられています。

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鶴齢の純米吟醸酒です。720mlで2600円でした。

 二火会の総会後の宴会では、青木酒造さんの「鶴齢」と吟醸酒の[牧氏」がだされ、普段飲めないおいしいお酒をたくさん飲ませていただきました。

 なかなか手に入らないお酒ですが、新潟の魚沼市方面に行かれた時はぜひお求めください。もちろん青木酒造さんの店頭でも販売しています。ただすっと飲みやすいというだけでなく深みのあるそのすばらしい味をお試しください。

参考までに

 「こういちの人間学ブログ」 2010年6月9日

「経営人間学 100年以上生き残る会社」をご覧ください。

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2010/06/post-7287.html

追記:2016年10月24日(月)

「鶴瓶の家族に乾杯」HNK,午後7時半から8時45分の特別番組で、新潟県の南魚沼市での放送をやっていました。番組をちょうど見ていましたら、鶴瓶と古舘伊知郎とトーク対決ということでした。ちょうど番組を見ていましたら、青木酒造さんに古舘伊知郎が訪問しているのを見ました。ちょうど青木社長は出かけていましたが、奥さんとおばあさんが番組に出ていました。

 ずいぶん詳しく番組に出ていました。はじめ、あるうちを2人で訪問して、魚沼産のコシヒカリを食べたいとある家を訪問するのですが、その時に、地元の銘酒「鶴齢」を出します。そのお酒を辛口でおいしいと言います。

 今度は他のうちでは、同じ鶴齢を甘口でおいしいといいます。同じお酒でもいろいろに感じるものです。後で杜氏の方が話していましたが、お酒にはいろいろな要素があり、人によって感じ方が違うのでしょうという話が、語られました。

 その後、青木酒造さんに古舘氏が訪問します。

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お店の奥にある庭です。この立派な庭はブログ筆者も見せてもらいました。写真に写っているのは古舘氏です。

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真ん中は青木社長のおばあさん、90を超えていますが元気いっぱいです。4年前に筆者たちもお会いしましたが全く変わりません。青木社長はちょうど東京へ出張中でした。

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後で写した社長の青木貴史さんと奥さんです。

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後で写したおばあさんを中心にした家族全体の写真です。

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