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2013年9月23日 (月)

王充の『論衡』について(1) 『論衡』の本、幽霊は存在するか

このブログは2009年7月、このブログを書き始めたばかりに書かれました。2013年9月一部書き加えて、更新いたしました。

王充について

 王充は戦国時代の斉の国の王である、田氏が秦によって滅ぼされたとき、名前を王氏と改めた王建の子孫です。前漢の武帝のころには王賀が朝廷の高官となり、一方には新を建国した王莽へと続きます。一方もう一人の王賀の子孫である王充の祖父の王勇のころには功を建て領地を与えられました。しかし王莽の没落とともに、王充の祖先も没落し一族は小商人となって会稽郡の上虞に逃れました。

 王充は極めて優秀な子供であった。洛陽の都の大学に行くが、古臭い学風になじめず独立して私塾を開いた。その後上虞に帰り役人になる。その後学業が進み王充は友人の謝夷吾の推薦で皇帝に会うことになったが、第五倫や謝夷吾などの失脚により実現しなくなった。王充破家の門を閉ざし、世の中の矛盾やおかしいことをすべて。批判した書物である『論衡』を書いたのです。

王充の『論衡』について

 筆者が今書いている、小説『人、相食む』を書こうとしたきっかけは、1999年のノストラダムスの大騒ぎと、オウム事件などがあって神秘思想がおおはやりしたとき、今から2000年前の、日本ではまだ卑弥呼の世界より200年も前に、後漢の唯物論哲学者、王充が極めて合理的、科学的な考え方をしていたことにとても驚いたからです。王充『論衡』はあらゆるものを、あらためて、正しいかどうか検討しなおした書物です。

 ジョゼフ・ニーダムの大著『中国の科学と文明』全8巻 1954年(1991年5月の新刊)という本の中でも、王充についての事柄が一冊の本になるぐらい紹介されています。

『論衡』関連の書物について

 『論衡』については、いくつか訳書がありますが、もっとも重要なものは『論衡』上、中、下
新釈漢文大系68 山田勝美訳、1976年9月で、漢文の原文から通釈まで詳しく書かれています。各部660ページで、価格5600円(当時)という膨大な書物です。そのほかには『論衡のはなし』(部分訳)若松信爾 2001年や平凡社版、中国の古典シリーズ3、漢書、後漢書、三国志列伝選』 本田 済編訳 1973年の中に『第五倫伝』が入っています。これは王充とは直接関係ありませんが、『人相食む』という小説の元にしました。また王充の研究家として著名な大久保隆郎氏の『王充思想の諸相』は、すでに書かれていた、福島大学の紀要をまとめた対策です。2010年1月29日、汲古書院発行で税抜き12000円です。筆者はこの本が出版される前の「福島大学教育学部論集」を国立国会図書館に何回も訪問してすべて、コピーをとってきました。大久保隆郎先生とは、何度か手紙のやり取りをさせていただきました。また、古書店で中華民国12年に国民政府時代の上海で発行された『王充論衡』掃葉山房発行で、すべて漢文で書かれた『論衡』も手に入れました。また『王充年譜』鐘肇鳳983年、斉魯書房なども手に入れました。そのほかにも『後漢書』の中国語版そして後日出された邦訳版、その他、『後漢政治史の研究』狩野直禎1993年京都同胞社などさまざまな後漢時代に関する書物を買いあさりました。

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 それらを元にして筆者は「王充年譜」というものを作りました。前漢時代から始まり、王充の生きていた後漢初期、そして三国の時代まで、様々な資料をそこに書き加えていきました。結果的にそれは「王充年譜」を超えた長い期間のものになりました。これははじめ、王充に関する小説を書こうとし、その後むしろ後漢初期の名宰相である第五倫と王充、謝夷吾、光武帝からの後漢の皇帝4代を中心とした。『人相食む』という小説になっていくための資料となりました。

『論衡』では、鬼神(日本の幽霊のようなもの)をどう見るか

 『論衡』の中で、特に面白いなと思ったことをご紹介します。人間が死んだあと、どうなるかということです。当時の中国の人たちは、人は死ぬと、鬼神となり、われわれのそばにいると考えました。それで、鬼神にお供え物をしたりします。鬼神とは日本でも鬼とは違い、幽霊に近い存在です。

 そこで、王充は言います。「今までに死んだ人の数は今いる人の数より、はるかに多いはずである。だからもし、死んだ人がすべて鬼神になっているならば、今の人たちより、そこら周り中にたくさんいるはずである。でも、現実にはどこにも存在する気配がない。鬼神を見たという人がたまにいるが、薄暗い所で、ぼーっとしていて、よくわからないという状態である。実際は幽霊の正体見たり枯れ尾花みたいな、ことが多い」

 それから、「もし、鬼神(幽霊)がいたとしたら、本来人間の体だけが眼の前にあらわれてくるはずである。ところが鬼神を見たという人は、その鬼神がみな服を着てあらわれてくるという。本来、無生物の服が鬼神(人体)と一緒にあらわれてくるのはおかしいことである」

 このように、王充は言うのである。確かに、日本でも、幽霊の絵を見てみると、ゆかたみたいな服を着ている。日本の幽霊は女性が多いけれど、もし、人の前に、ま裸で出てこなければいけないならば、はずかしくて、出てきにくいことだろう。また、幽霊をみたひとも、幽霊の女性が、ま裸で出てきたら、恐いというより、別の気持ちになってしまうかもしれないなと、おかしく感じました。

 王充は、自然現象についても、大変優れた、科学的な見方をしていて驚きですが、おいおいに紹介します。ただ、あまりに先進的であり、儒教の間違いを正したりしたものですからその後異端の危険思想として、無視され続けられました。

『論衡』の再発見

 西暦178年に、王充死後50年がたち、まったく忘れ去られていた王充の『論衡』を、その当時の最高の学者であった蔡邕が、呉(現在の蘇州)に赴任し、そこで『論衡』を発見し、すばらしい本だといって持ち帰りました。蔡邕は人と話すときの虎の巻として使い、珍重しました。急に話しの内容が豊かになったとみなは不思議がり、問いただし『論衡』を使っていると白状しました。魏の曹操は、蔡邕と親友であり、どう見ても『論衡』を読んでいたと思われるのが面白いところです。

 またその後、193年王朗は会稽郡大守となり、『論衡』を発見しました。王朗も急に学が進んで、周りの人がびっくりし、問い詰められ『論衡』を読んでいたと白状しました。王朗は魏の時代には司空から司徒(宰相)となり、優れた学者としても尊敬されました。

王充の『論衡』について(2)をご覧ください

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/09/post-ab43.html

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