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2013年9月23日 (月)

王充の『論衡』について(2)自然現象に対しての科学的見方 『論衡」にはじめて書かれたこと

 このブログは2009年8月18日に書かれたブログです。2009年7月に書かれた王充の『論衡』についてのブログを更新しましたので、こちらも文章をふかして更新いたしました。

またカテゴリーを変更いたしました

自然現象に対しての王充の見かた、その他王充が初めて書いたこと

 後漢の初期というのは、西暦25年の(後)漢の成立したときから、西暦100年ぐらいまでの時代で、日本でいえば、吉野ヶ里の遺跡の遺跡が大きくなるころ、すなわち、弥生時代です。王充はそのころに、自然現象に対して、徹底的に科学的な見方をしていて、現在の私たちが驚かされるのです。

1)雷とはなにか

 雷が羊の群れの中に落ちたという話を聞いて、まだ若いころの王充はその様子を見に行きました。死んだ羊は焼け焦げていました。そこで、王充は雷は、大きな熱のようなものであると判断します。そして、それは溶鉱炉に、急に水をかけると、大きな音と光を出して大爆発が起きるようなものだというのです。すなわち自然現象の一つであると考えたのです。

 当時のひとびと一般には、雷は雷神が引き起こしていると思われていたのですが。王充は、すべてのことを、一度徹底的に疑い、本当はどうなのかを、実際にいろいろと自分で調べて、追及します。

2)日食と月食 

 日食や、月食の原理も知っていました。当時の天文学では、観測を続けた結果、日食は41,42カ月ごとに定期的に起きるということがわかっており、予測することができたのです。そして、当時いわれていたような太陽が月に食われてしまうというようなことではないといいました。

 その後卑弥呼が魏(後漢後)の国と交流して、日食の原理と日を教えてもらったといいます。魏の国との交流がなくなると日食の予言はなされないことになり、倭の王室の権威は低下しました。日食を事前に知っていて予言すれば、当時の人から見てそれは、神様に値するでしょう。

 しかし当時の儒教の考え方では、日食などの天変地異がその時の政治の誤りを天が譴(けん)責するために、起こさせたものだと信じられていました。王充はそれは全く関係がないといいます。善政を施していた三代皇帝の章帝のときに、日食が起きました。多くの人が天が皇帝をけん責しているといいましたが、王充はそれはあやまっていると、皇帝を擁護しました。ただそれらの考え方は、当時の正統的な、儒学の説明と全く違っているということで、王充の考えは、危険な異端思想として、後々まで、攻撃されたのです。

3) 雨が降る原理

 雨についても説明しています。山に霧が上がっていく有様を観察して、雲は霧と同じものであり、水が蒸発して霧や雲をつくりだし、雨が降ってくるといいます。決して天から落ちてくるのではないと。地球上の表面で起きている出来事であるというのです。

4)潮の満ち引きと月の関係

 潮の満ち引きについても、説明しています。杭州にある銭糖江が定期的に逆流するのは、呉王により伍子しょが、殺され、それを怨んで引き起こしたと、当時信じられていました。それに対してそれは、月との関係による単なる潮の満ち引きで起こることで、誤りであると懇切丁寧に説明しています。

5)地球や宇宙の成り立

 地球や太陽系の成り立ちについても、現在の星雲説に近い説明をしています。

6)ガラスとレンズについて、

 王充は世界で初めてこの原理について書物に書きました。ガラスのレンズが太陽の光を集めることも書いています。

7) 太陽の黒点

 太陽の黒点についても書いています。太陽にある黒い点は、カラスが太陽にいるわけではない、といっています。黒点の観測を当時していたということです。

8) 占いや迷信の批判 

 そのほか、王充が初めて『論衡』に書いた事柄というのは大変多いのです。当時の様々な占いや迷信そして干支などについても初めて資料として書かれました。王充は当時の迷信などを徹底的に批判的に検討しています。

9) 本屋について書く

 王充はお金がないので本屋さんで、立ち読みしてそのすべて記憶して勉強した、と書いていますが、世界で初めて本屋について書かれた文章なのです。

科学技術が発展した後漢時代

 この(後漢時代)当時、科学の研究は特に道教の学者や技術者によって大きく発展しました。磁石と、それを活用した羅針盤も発明されました。本格的なの発明も後漢時代です。このような科学技術の発展が、王充のような唯物論的思想のもとになったといえます。そしてその頂点は、張衡による、天文観測機器、渾天儀地震計の発明となります。

★ 『中国の科学と文明』 全8巻(ジョゼフ・ニーダム 1991年 思索社) にこれらのことが詳しく書いてあります。この本の中で、王充のことは最も多くのページを割いています。

王充の『論衡』 (1)をご覧ください

http://koiti-ninngen.cocolog-nifty.com/koitiblog/2013/09/post.7b4a.html

 

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