ブスとデブについて 最近ぽっちゃり型が人気に 更新版(人相について)
★このブログは2010年4月に書かれたものです。2013年9月追記して更新しました。
ブスの語源
およそ、女性に対して、ブス、とかデブとかいう軽蔑の言葉を簡単にいう人がいるが、相手の女性が、人間的にできた人なら、笑って受け流すかもしれないが、内心は穏やかなものではない。男性には、また、ちび、でぶ、はげというのもある。面白いもので、ばかにされている、ちび、でぶ、はげといわれる人の奥さんが、素敵な美人ということが多いのですが。
さて、ぶすの語源ですが、「トリカブト(附子、ブス)によって中毒を起こし、表情が乏しくなった顔という説と、「不細工なスケ(不良が女をさす隠語)」が「ブスケ」となり、ブス」になったという説がある。ちなみに、トリカブト(ブス)は毒物の代表であり毒はブスと読みます、毒島という苗字があって「ぶすじま」と呼びます。ずいぶん前ですが野球の選手がいました。知っている方はかなり年配の方ですね。表情が乏しくなったのをブスというのならあとに書くお笑い芸人の女性たちはブスとは言えませんね、まったく逆ですから。
デブについて
デブとは、江戸時代に、「でっぷりした」という表現があり、擬態語として、また短縮されて「でぶでぶ」なという言葉になりました。そこから「デブ」という言葉が生まれたのであろうといわれています。ちなみに英語ではSTOUT(恰幅が良い)、若い人や子どもに対してはPlumpとか Chubby。女性に対してはBBW(Big Beautifl Woman)というそうです。
もう一つ、デブとブスを足して「デブス」という言葉もあるようです。どうも、ブスといういう言葉は太っていることと丸顔が関連しているようで、インターネットで、不細工、ブスという言葉を検索してみると、例として、お笑いの山田花子や森三中などもブスの例としてあがっています。それぞれ、ふっくらしていますが愛嬌のある顔で、森三中の三人のうち二人は結婚しています。お笑い芸人の柳原加奈子は若い女の子の口真似をしていますが、いわゆる「デブタレ(ント)」の中では明るさと可愛さで、いいイメージを与えているのではないでしょうか。
人相術で言うと、丸顔で、ふくよか、鼻が低いようないわゆる、おかめ顔は、自己主張は弱いけれど、人によく合わせ、かわいがられるとされてます。結婚が早く、人と順応するのが上手なので、人間関係もよく、夫婦仲も円満なことが多いのです。おかめ顔の人は人に好かれ性格が良い人も多いのです。ただ、性格が悪いのは性格ブスという言葉もあるようですが。
かえって美人であると、自分で自負心(うぬぼれ)をもった人は、水野南北も言うとおり、その気持ちが災いを招いて、人間関係も悪くなり、夫婦仲も悪くなったり離婚したりして不幸になってしまうのです。
世にいう現在の美人、美男子とは、平均顔だそうです。顔学会に私も所属していますが、その資料によれば、いろいろな写真を、コンピューターで合成していくとその平均顔が、美人と感じるそうです。でも逆に言うと特徴のない顔ともいえます。また人が好む顔も、時代jにより大きく変化し、また国によっても違いがあります。日本人の好む顔と、韓国の人が好む顔はだいぶ違います。
日本人でも、平安時代には、ふっくらした、いわゆるおかめ顔が美人でした。安土、桃山時代あたりまではふっくらした健康な人が美人とされてきました。しかし江戸時代には、細面で柳腰の、いわゆる浮世絵美人がもてはやされました。そして、戦後まもなくは、アメリカ型のボリュウムのあるいわゆる、バタ臭い顔がはやり、今はまた、ほっそりした、体と小顔の人が美人となっています。ヨーロッパでも、ルノアールの、豊満な裸婦のような人がもてはやされた時代もありました。今は日本と同じで、細い体系が良いとされています。しかし最近はあまりに、痩せすぎたからだのモデルなどが増え、ヨーロッパでは、痩せすぎの女性は、ファッションショーのモデルなどに採用しないという動きもあります。
痩せた人が美人とする世の中の風潮は作られた
痩せた人が美人であると、人々に思わせているのは、ファッション業界、ダイエット産業などの陰謀だといわれています。男性は、あるべき体重とされているのは、医学的な水準と一致していますが。女性の場合には、女性の標準体重の下限よりはるかに低い体重を理想として掲げています。また、特に日本の若い女性は標準体重よりかなり平均より低くなっています。おしゃれな服は、うんと細くできていてそれを着られない人は敗北者のように思わさせます。痩せるのが進むと、もう限界まで行っているのにさらに痩せようとする拒食症にまで進んでいってしまいます。また無理なダイエットはいろいろな障害をもたらします。特に妊娠しているときにちゃんと栄養を取らないと、子供に大きな悪影響を生じます。あと、太った人がこのようにダイエットしてスマートになったらこんなに美人になったというような番組がありますが。ろくにお化粧もしないで暗い表情で、最初に写真を写していて、ダイエットしたらこんなに美人に変わったと、お化粧から、衣装から、表情まですべて変えてあります。あれはずるいですよね。お化粧しない表情もさえない人をやせないで、そのまま同じ条件でお化粧、表情、衣服をよくして出して比較しないといけませんね。
おかしい、日本のメタボ基準
中高年でも現在の、メタボの基準も日本だけで実におかしなものです。男性胴周りが女性より低いなんて日本だけです。かなりというかほとんどの人がメタボになります。その基準は医師の中でもおかしいとされていますが、メタボの多い職場は、社会保険料の料率が上がってしまう制度なのです。保険料を上げる口実なのではないかと思います。大体、痩せよりも、標準?よりも、少し太ったくらいの人が一番寿命が長いということがわかっています。とすると、その標準っていったいなんでしょうね。どう考えても一番長生きするところが標準ですよね。同じ太っているように見えても、たとえばトンガの人たちは、タロイモを主食にしている間は健康でしたが、オーストラリアから安い脂肉が大量に入るようになってから成人病が急増しました。
また、ふんどしのひもが結べないほど太っていたといわれる、徳川家康も固い粗食をよく噛んで食べていたので、顎がよく発達し、当時としてはきわめて長命でした。ダイエットと痩せのすすめはどうも一部の医者や製薬会社やダイエット産業などの陰謀ではないかと思うのですが。
私は、ふっくらしている人にも、おおいに魅力を感じますが、もちろん、健康的に輝いている人が一番です。でもうちの奥さんは言います。あなたなんかのおじいちゃんが、そんなこといくらいってもだめですよ、と。キムタクやジャニーズ系の若い子たちが言えば、違うかもしれないけれどと。でも彼らは自分も細くスマートだから、そんなことは言わないでしょう。
追記 2010年 9月13日のテレビ番組で、森三中の 『ブスのひとみが恋されて』の大島美幸が、パプアニューギニアの極楽鳥をかたどったペインティングしている人たちの中で、写真で選んでもらったところ、8人のほかの美女たちを退け、好きな女性第一位でした。太っているのが良いそうです。
最近相次いでおきた、結婚詐欺事件や連続殺人疑惑で、週刊誌には相次いで名前も顔写真も出されました。埼玉県警で捜査している池袋に住んでいた、34歳の女性は練炭と、睡眠導入剤を使って、殺人をおこなったようですし、鳥取のもとスナックのホステムもやはり催眠導入剤を使って次々と不審死しています。 二人ともかなり太っていて、それほど美人でもないのに、あれほどみんなだまされたのかとびっくりしています。太っていて、料理がうまいということがあると、結婚の対象として、好ましいというイメージがあったのでしょう。 太っている女性はあまり大きな犯罪を起こさないのではというイメージを覆したのが、和歌山の毒カレー事件でした。今度の相次いで起きた事件で、太った女性の、比較的よかったイメージが、傷つくのではないかと思います。(ただこの事件では無罪を主張していて支援団体もあります)
追記 2013年9月21日
最近は太った、いわゆるぽっちゃり型の女性が人気となり、週刊誌等で取り上げられています。その代表格が、水樹たまで、写真集が売れています。グラビアアイドルなのですが今は土偶アイドルと言われているそうです。いろいろな週刊誌でも取り上げられています。153センチなのに一時60キロ以上体重があるということで、今まででの基準ではいわゆるただのデブと言われるだけだと思います。バストも94センチで、ぽっちゃりよりも、いわゆるデブに近い体型ですが、大人気です。世の中の太めの女性には、大きな味方になるでしょう。
興味ある方は水樹たまで検索すると画像が色いろ出てきます。
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