現状について リハビリ進む、つえで歩けるようになるか
ベッドの足のほうのホワイトボードに1か月の予定表が書きこんでであります。土曜日はようやく余裕ができて家内が絵の教室に行くようになりその予定が書いてあります。あとはリハビリなどびっしり予定が埋まっています。
1リハビリ進む 歩けるようになるか
-16日今度来たつえで歩いてみました
2013年11月6日に脳内出血で入院してから、2014年の2月25日まで入院していました。それから、足が動かないために自宅へ戻れず、エレベーター付きのマンションを借り現在にいたります。入院して約4か月、2014年6月退院してからもだいたい同じ日時が経過しました。
だいたいリハビリなどで急速に回復するのは、最初の3か月であるといわれています。たしかにそのとおりでした。それから、病状の固定化が5~6か月といわれています。それで3か月で退院し、障碍者の確定もだいたい5,6か月ということになっています。又区役所からのお知らせが来て身体障碍者の二級の障碍者手帳ももらいに行くようになっています。
はじめ滋賀県の大津赤十字病院に入院し、その後代々木病院の5階に移ったのが11月21日、それから4階のリハビリ病棟に移ったのが12月2日でした。リハビリは入院中は土日も含め一日3回づつやっていました。退院は2月25日その前日までリハビリが続きました。リハビリは3か月弱です。そのかいあって視床出血により、右半身全くの麻痺ですべての感覚が失われていましたが、次第に回復してきました。よく快復したと思います。理学療法士さんの援助で平行棒を右足に補助具を付けて二回ほど往復できるようになりました、しかし金属の入ったがっしりした補助具でしめつけ、足首も金属製の補助具が必要でした。そのようにがっちり固めがないと麻痺のある右足は内側に折れ曲がってしまい歩くどころではありません。
新しく借りたマンションでは自宅に来てくれる理学療法士さんによるリハビリは3か月以上になります。リハビリは介護保険による1割のもの2回と自費1回分のリハビリをお願いしました。1人の理学療法士の方が月曜日とと金曜日。もう一人の方が水曜日です。時間は病院と同じ1時間です。もうすでにリハビリしてもらっている期間は病院にいるときよりも長くなっています。はじめ回数が減った分変化が少ないように思われました。ベッドでの足の筋肉を付ける運動、そしてベッドから立ち上がる練習などをくりかえしました。前にいったように理学療法士さんは2人ですが、しかしやり方が少し違います。6月からは作業療法士さんのリハビリがないと、手の進歩が見られなくなったので作業療法士の方にも来てもらうことにしました。リハビリノートを付けるなど、言語・聴覚士さんの分野もやってもらいます。
はじめはリハビリが減ってそのことによるのかどうか、左の腰がしびれてくるのです。ところが筋肉が付いて来るとしびれが少なくなってきます。それは病院でもそうでした。このしびれがリハビリが進まない大きな原因になっていました。
さて一人の理学療法士さんは立ち上がってから麻痺のある右足を前にだしたり、横に動かしたりして右足の筋肉の力をつけること、また足踏みをすることなどを繰り返し行いました。病気のせいで健常であるるはず左足もしびれがあり、完全ではありません。又もう一人の人は前にいすを置き左手でベッドについている握りのところにつかまらないで立ち上がる練習をしました。そして車いすで同じ部屋に置いてあるテーブルに片手でつかまり歩く練習をしました。これらの訓練によって自宅の普通のトイレを使えるようになりましたが。足をより動かすことができるようになり、それが可能になりました。病院ではすでに見守りなしでトイレは一人でいっていたのです。病院のトイレは広々としているのです。マンションに移ってから現状ではトイレは狭すぎて使用は無理ということになりました。自宅のトイレは狭く、ドアをより外しました。そして手すりもつけました。そしてはじめ又安全に使えるかどうかも理学療法士さん2人に見てもらいました。今では昼間はすべて普通のトイレを使うことがおおくなりました。しかし今でも夜は尿瓶を使っています。
途中でポータブルトイレをやめて、普通のトイレを使うようになりました。トイレのドアを取り外して車いすを、よりトイレに入れられるように変え、トイレの中に手すりを付けてもらいました。買い取ったポータブルトイレは無駄になってしまいました。ポータブルトイレはつかまる棒が立て一本だけで不安定でした。トイレの場所を変えて家内の手間がすこし減るようになりました。
4本足のつえを注文しました
入院中は次々にリハビリがすすみ、歩けるようになった人がうらやましく感じました。入院中はとても歩けるどころの状況では無かったのです。今度4本脚付きのつえを注文しました。最初は4本足の安定のいいものを、それからうまくいけば、あしのない杖になれればいいなと思っています。退院してから4か月くらいたって、ようやくこの段階になりました。うまくいけば大きな進歩です。
病院入院中は両手で4本足のリハビリの道具を使って歩いている人がたくさんいました。しかしながら私は右腕の力が弱くそれを使えないのです。
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コメント
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とら猫イーチ様 二年前に左足首の剥離骨折をされたのですね。骨折したのに10日間も通勤されたとはすごいですね感心します。痛かったでしょうに我慢強いのですね。寒いときなどにそういことがありますと痛んだりします。
私も15年前ほど前に右足首の剥離骨折をしました。ちょうどメーカー招待でハワイにいったときでした。行って二日目にホテルの近くの公園で足を滑らせ、痛いのを我慢してホテルに帰りました。そのまま潜水艦などに乗りましたが足がはれ上がり痛くてあぶらあせがでるほどでした。ヒルトンホテルには幸い診療所があり、はく離骨折だということですぐギブスをはめ松葉づえになりました。そのまま部屋で景色を見るだけのさんざんのハワイ旅行でした。どうも若いときに右足をスケートで捻挫したり右足に問題をがおこします。こんどはそれどころではありませんが。
投稿: こういち | 2014年6月14日 (土) 09時31分
こういち様。
大変でしょうが、良く、日常の努力を継続されておられますね。 また、御自身の身体の状況を良く観察されておられるのには感心いたします。
私自身は、二年前に、新年宴会の帰途に地下鉄の駅から出た階段で、左足を捻り、左脚首の外側の骨を折りました。 でも、骨折しているのに気付かずに、10日間も通勤しておりまして、整形外科の先生に呆れられたことがあります。
その折には、松葉づえで歩くのに難儀いたしました。 2週間程度で、松葉づえは、不用になったのですが、シャワーを浴びるのも困難でした。 高齢になり脚が不自由になった折の時を仮に体験したようなものでした。
その折には、これは大変なことになる、と思いました。 それからは、履く靴にも気をつけて、足首を捻ることのないように注意しております。 折り畳み式の杖も何組か購入しましたし、サポーターも用意しました。
今でも、少し距離を歩くと骨折した箇所が痛みます。 その折には、骨折した時のことを思い出して、歩行に十分注意しております。
簡単な骨折でも、上記の様に難儀するのですから、こういち様の場合には、リハビリも長期になり、大変なのは分かります。 でも、私とは違い、奥様が居られて、御家族がお力になられるので、きっと以前と同じくお仕事に、ご勉学に、見事にご復帰されることと信じます。
投稿: とら猫イーチ | 2014年6月13日 (金) 23時34分