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2014年9月25日 (木)

『貧民の帝都』隠蔽された東京―新大久保にあった、スラム

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上の写真は、橋の下をねぐらとする孤児たち。維新当時で珍しい。

 塩見鮮一郎氏の日本の貧民をえがいた書物『江戸の貧民』をブログで紹介しました。2014年8月に出版されたのですが、その前に2008年の9月に『貧民の帝都』で明治期から現代の状況までを、そして、2012年11月に『中世の貧民』で鎌倉時代以後の貧民の暮らしを書きました。いずれも文春新書として発行されました。はじめに読んだ『江戸の貧民』が大変興味深く参考になりましたので、続けてほかの本も購入しました。

 『貧民の帝都」の帯封にこの本の言いたいことが要約されています。「隠蔽された東京」-地獄の4大スラム、出現!東京はスラムの都だった          日本を近代国家に!                                        首都に溢れる生活困窮者を救え!                                   時代の大波に振り落される人々の群れ                                   奇案,姦計が入り乱れる救済策,                                        東京の隠しておきたかった「過去」

 幕末から明治への移行期の惨状

1章 混乱と衰微の首都

江戸幕府が倒れた後、百万人の江戸は半分になり、都市機能は完全に破壊された。江戸から離れたのが支配層と富裕層であったのはその後の都市の性格に大きな影響を及ぼすことになる。

維新後、帝都に出現した未曾有の貧民に対処したのが、東京養育院であった。1872年(明治5年)に創設され首都の窮民や病者,障害者や孤児や老人の救済を試み、1997年に(平成9年)に125年の幕をおろした。ときには『乞食病院」とか、「ひと殺し院」とか≪帝都の恥隠し≫と侮蔑され「時には日本の「福祉の柱」として評価されるこの施設はなんであったのか。

明治はじめの混乱

天皇が江戸城に入った前年10月からよく8月まで

 捨て子 160人、縊死人22人、行き倒れ死人291人 

東京府日誌

冨民(地主、地借)196670人 貧民(床借り)201760 極貧民103470 極極貧民1800  合計して人口は50万3700人 江戸時代の半分

 江戸時代にあった仏教的な「ほどこしの文化」は完全に否定され、甘やかすと駄目になるから、困っていても助けるな、軒下で雨宿りさせてもならない。「働かざる者食うべからず』という、今日に続くイデオロギーが、府知事の言葉として社会的に認知される。p69

2章 近窮民を救え

 維新後の町会所

 失政続きの新政府

 江戸時代の貧民対策 7分金積み立のお金を、一部放出したが、それ以上に軍事費に費消した。

 露国皇太子来朝

 貧民の一時収容

 浅草溜時代

3章 さまよう養育園

上野護国院時代

 明治22年に市制がしかれ、東京府は東京市になった、東京市養育院ができ渋沢栄一が実質の運営者に任された。

 渋沢栄一のたたかい

とうきょう養育園の惨憺たるには、栄一は見て回ったあとで、栄一は身震いした。p184

4章 帝都の最底辺

 地獄の4大スラム

被差別部落、乞食の掃き溜めだめのような町、人肉市場と化した吉原や須崎の遊郭、江戸時代より貧しくなってしまった。いったん地方に戻った人がどうしようもなく東京に舞い戻る。

四谷鮫ヶ橋

 信濃町駅 貧民窟

上野万年町

 上野駅周辺

芝新網町

 浜松町駅周辺

新宿南町

 新宿駅南口周辺

その後いろいろなところにできる

 スラムの賀川豊彦

5章 近現代の暗黒行政

戦後、後退する困窮者行政

 泉下の渋沢栄一は、~ 渋谷の宮下公園や多摩川鉄橋下、都庁の西に広がる中央公園、、、などに一人住む身寄りのない老人を見てどれほど心を痛めるだろうか。高速道路を屋根にして、一般道路の分離帯にブルーのテントを張っているものもいる。~だれも援助の手を差し伸べない。なぜなら、自己の責任でその状態を選んでしまったからだといい、当の野宿者もそう思っている。p236

自己責任ということ,人々の関心が薄れてしまった。

 福祉を行政に任せてしまうシステムが発達したためか、市民の多くは多くの市民は貧民の存在に無関心で、心もまた冷酷になっている。北朝鮮やアフリカの飢餓の悲惨さはニュースになるし、自然災害の時は義援金がすぐ集まる。身近の貧民にだけ、見ぬふりをして済ましている。そして、ボランティアのひと達だけが何とかしようと努力する。これが今の日本の現実だ。p250。

 行政のしていることは彼らの救済をはかることではなく都市の「環境浄化」としての排除にあると、『現代棄民考』で今川勲はいい、玉姫公園にはりめぐされたフェンスや、銀座地下街の水を使えなくした水飲み場の写真を載せて居る。

 生活困窮者に対して無策でしかない行政も、いじめの精神は旺盛なようだ。執行者の頭にあるのは汚い街を見せたくないという見栄だけということになる。p236-237

◎ここでは本の中のわずかしか書いていない。

 

新大久保ではどうだったのか

これらの状況はブログ筆者自身が直接見聞したものです。

1 新大久保駅周辺に簡易宿泊所が多数あった

     いわゆるドヤ、山手線沿いにたくさんあった。

  今も少し残る一部屋に6人ほど住む、3段ベッド

  前は駅周辺だけでは無かった

    外国人旅行者向けに改造したところも

 2、昔あったバタヤ部落

  山手線の内側 線路際に百人町3,4丁目

  大規模なところ100軒ほど,コンパネなどの板と

  トタンで2畳程の広さ、バラックが密集していた

  電車からよく見えた。ここに知り合いがいて、

  何度かたづねたことがある。

  東京オリンピックの前に都営住宅に建て替え

  一部の人は都営住宅に入った

  いま建てて居る高層ビル(スカイレジデンス)

  周辺にあった。

  50年前、オリンピック開催、山手線から見えるので

    取り壊し しかし周辺に労務者の集まるところが

     以前ここに労政事務所があった。

  山手線の外側に朝、日雇い労務者と手配師が集まる

  食べ物を売っていたり賑わいが、あぶれるものが出る

    新大久保と新宿駅の間にあったもの線路際の

  規模の小さいスラムは 二階建ての区営住宅にかわる

 3、今もいるホームレスなど

  戸山公園、ビニールシートの家?i一時撤去された、いまはどうか

  乞食は取り締まりの対象

  空き缶集め、相場に左右される

  自動販売機の周辺の硬貨集めなど 取り忘れ、販売機の下に落ちて居る 

  時に新大久保のガード下にいわゆる乞食が出現

  いやだというのにどこかに収容され追い払われた 腰のまがった老婆

  前から大久保にいるホームレスの男性40から50くらいの男性

  少し精神状態おかしい 服は少しよくなった

4、現在も同じ状況 形式が変わるが

  貧困の状態は今も変わらない。

  あたらしいシェアハウス 3畳の部屋を上下に仕切る

  先日新大久保で火事が、問題になる 倉庫として申請

  インターネットカフェで寝泊まり 暖かいときは路上で

  外国人が部屋を何人でも使う 3か月交代

 

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